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2018年9月22日土曜日

地名「千葉」はチパ説(梅原猛仮説)の検討について

地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説 その2

2018.09.20記事「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」で地名「千葉」がチパ(ヌササン)に由来するという梅原猛仮説を紹介しました。
この仮説は自分の考古歴史趣味における2つのテーマ(縄文時代と古代)を結ぶ可能性があるのでとても強い興味を持ちました。多少時間をかけてじっくり楽しみたいという気持ちになり、その検討項目をピックアップしてみました。

1 梅原猛仮説に関する検討項目
1-1 アイヌ語や古代語に関する検討
・縄文時代の縄文語チパがアイヌ古語語彙チパとして同じ意味で現代に伝わってきているか?
・古代語にチパ(チハ)が存在し、それはヌササンや類似祭壇(幣や梵天等)を意味していたか?

1-2 チパ-チハ-チバ地名が縄文時代に生れた理由
・縄文時代の都川河口付近にチパが多いなどの「地名として残るほどの特別な理由が存在して」チパ-チハ-チバが地名として生まれたか?
・縄文時代の考古遺跡から関連情報を汲み取り、説得力のある仮説をつくる必要がある。

1-3 チパ-チハ-チバ地名が弥生・古墳時代を通じて伝承してきた理由
・地名チパが弥生時代・古墳時代を通じて人々に使われたか?
・弥生時代、古墳時代を通じてチパ-チハ-チバ地名を伝承した「ヒトビト」が存在したことの考古遺跡等による説明をする必要があります。

1-4 参考 全国で残存するチパ-チハ-チバ関連地名
・地名チパ-チハ-チバが生れた類似事例が他の場所に存在するか?
・例 知里真志保の網走(chipasir)語源。

1-5 参考 「千葉」語源既往資料の検討
・「千葉」語源既往資料の整理・検討と評価・批判

今後折に触れて上記検討課題に取り組みたいと思います。

2 「千葉」語源既往資料の把握
手持ち資料を漁ったところ、学術性のある地名「千葉」語源関連資料はおそらくほとんど揃いました。ラッキーです。(一般通俗図書はとりあえず扱わないことにします。)
2-1 大日本地名辞書坂東(吉田東伍、明治40年)復刻本
・邨岡良介「日本地理誌料」の千葉語源諸説紹介の掲載(植物繁茂説など)

2-2 千葉県千葉郡誌(千葉郡、大正15年)復刻本
・千葉が古事記から記述されていること。

2-3 千葉市誌(千葉市、昭和28年)
・「千葉という名称の由来」(武田宗久)掲載…原始時代における「チハ」という同族集団存在の仮説。

2-4 アイヌ語入門(知里真志保、1956年)
・アイヌ古語「chipa」=「inaw-san(幣・棚)」による網走の説明。

2-5 千葉県地名変遷総覧(千葉県立中央図書館、昭和47年)
・邨岡良介「日本地理誌料」の千葉語源諸説紹介の掲載(植物繁茂説など)

2-6 千葉市史 原始古代中世編(千葉市、昭和49年)
・「千葉という名称の由来」(武田宗久)掲載…原始時代における「チハ」という同族集団存在の仮説。

2-7 千葉市史史料編1原始古代中世(千葉市、昭和51年)
・千葉地名関連古文書抜粋掲載

2-8 角川日本地名大辞典12千葉県(角川書店、昭和59年)
・下総国旧事考の説(植物繁茂説)紹介

2-9 千葉県の歴史通史編古代2(千葉県、平成13年)
・万葉集歌紹介。

3 感想
3-1 梅原猛仮説の非普及
梅原猛仮説の存在は最近偶然知ったのですが、WEBを検索するなどしてもほとんど引用されていません。これまで千葉県民に対する影響力はほとんどないようです。恐らく考古遺物としてのチパ(ヌササン、イナウ)の出土が無かったこと、あるいはチパから派生した木製祭具(幣[ヌサ]、梵天、イグシなど)に注意が払われなかったことによるのではないかと想像します。

3-2 原始時代「チハ」同族集団存在仮説を説いた武田宗久の先見性
梅原猛仮説に共鳴する立場から「千葉」語源既往資料を読むと「千葉市誌」(千葉市、昭和28年)収録論文「千葉という名称の由来」(武田宗久)の先見性が光ります。この論文の中で地名「千葉」語源として原始時代における「チハ」という同族集団存在仮説を提起しています。この論文は「千葉市史 原始古代中世編」(千葉市、昭和49年)にも再録されています。しかし残念ながらこの論文が掲載されている2冊の図書はともに久しく絶版であり、武田宗久仮説を知る人はおそらく限りなく少ないと想像します。
武田宗久が「千葉」語源に確信を持った背景にはそれまで情報が少なかった縄文時代遺跡を積極的に発掘するとともに弥生時代、古墳時代、奈良平安時代までの通史を全て著述する活動を行い、その体験から「チハ」という同族集団を考えざるを得なかったのだと思います。

「千葉市誌」(千葉市、昭和28年)収録論文「千葉という名称の由来」(武田宗久)の最初ページ 論文は全6頁

「千葉市誌」(千葉市、昭和28年)

3-3 梅原猛仮説を構成する3要素
私の想像ですが、梅原猛は武田宗久仮説(原始時代における「チハ」集団の存在)を知っており、知里真志保のアイヌ古語「chipa」=「inaw-san(幣・棚)という説明を本人から直接あるいは間接に聞いていたのだと思います。そうした2つの知識の上に本人のチパにおける祭体験が加わって、地名「千葉」がチパ由来という仮説に到達し、確信を抱いたのだと思います。

3-4 印西市西根遺跡出土イナウ似木製品の大きな意義
印西市西根遺跡出土イナウ似木製品が杭ではなくイナウそのものであると考えましたが、そのような立場にたつと、縄文時代遺跡からイナウが出土したのですから、これまで無視されてきた梅原猛仮説が千葉県民に受け入れられるキッカケになるのではないだろうかと考えます。また見捨てられている武田宗久仮説の先見性に人々が気が付くことになると思います。

2018年9月20日木曜日

地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説

地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説 その1

8月に「縄文後期イナウ似木製品の意匠と解釈 ~印西市西根遺跡出土品の実見・分析・考察~」をまとめて公表しましたが、このまとめ作業をするなかで地名「千葉」が縄文語起源であり、それもイナウを起源とするものであるという梅原猛の説を知りましたので紹介しつつ数編のシリーズ記事を書いて検討します。
自分にとっては衝撃があり、かつ説得力のある仮説です。この記事では仮説そのものを引用掲載します。

1 仮説 掲載図書
梅原猛著「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)の「第一の旅 異界の旅へ、鳥、四-鳥その二、イナウの美-「チパ」から「チバ」へ」にこの仮説が掲載されています。

図書 梅原猛著「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001) 

2 イナウの美-「チパ」から「チバ」へ 抜粋引用
著者は帯広在住のアイヌの方が司祭する祭に参加した体験を語るなかで地名「千葉」が「チパ」(アイヌ語でヌササンのある場所)起源であると考え、そう考えると縄文文化が発展した千葉の地名の意味がよくわかると述べています。

そしてイナウは、祈りを捧げる神さまの数だけ作られる。縄でそれぞれを結びつけて、一つの棚状のものにする。これを、「ヌササン」という。「ヌサ」とはイナウの集まり、「サン」とは棚のことである。今はアイヌでもあまり使われなくなった言葉であるが、このようなヌササンのある場所を「チパ」という。つまり、ヌサをおいて神を祀る場所が、チパなのである。かつてはアイヌの家のどこにでも、家の東側にこのチパは設けられていたという。また村全体として神を祀るチパもあったようである。
「イナウ」、日本でいう「削り掛け」は、平城京跡からもたくさん出てきたという。かつてバチェラーが見たイナウの並ぶ美しい光景は、古代日本にもあったのであろう。そしてイナウ、削り掛けの並ぶ棚、ヌササンのあった場所、チパに私の想像はおよぶ。「チパ」とは「千葉」に通ずる言葉ではなだろうか。
「日本書紀」の応神天皇の条に、近江(おうみ)に行くとき山城国宇治郡の菟道野(うじの)に立って国見をしたという歌がある。
千葉の葛野(かづの)を見れば百千足(ももちた)る家庭(やには)も見ゆ国の秀(ほ)も見ゆ
この歌の「千葉」とは「チパ」ではないか。葛野は神を祀る場所で、そこにチパがあったのではないか。その下に「百千足る家庭も見ゆ」とあるから、「家庭」というのは家の中で神を祀る場所というのであろう。
また「チハヤフル」は神にかかる枕詞(まくらことば)であるが、これも「チパが古くなっている」、つまり「古い神々がいる」という意味で神にかかるのではないかと考えられる。さらに、氏にかかる枕詞「チハヤビト」、これは武勇の優れた人と従来解されてきたが、やはり「チパヤヒト」つまり「神祭りの霊場に集まる人」という意味で、氏にかかったのではないかと思う。「千葉」をそのように解すると、あの千葉県の「千葉」の意味もよくわかる。「千の葉」という意味では何のことかわからないが、チパのあったところと解すればよくわかる。千葉県は縄文の遺跡の宝庫であり、縄文文化がもっとも発展したところである。」梅原猛著「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)から引用

チパ(ヌササン)で祈る著者 梅原猛著「日本冒険(上) 梅原猛著作集7」(小学館、2001)から引用 

3 感想
千葉県には縄文時代の遺跡が数千あり縄文文化が花咲いたので、その影響は後世に強く伝わったはずです。縄文人がつかった言葉も地名として数多く伝わってきていると考えています。ただ古い地名が縄文人から伝わってきたと認識できていないだけで学術が進歩すれば数多くの縄文語起源地名が明らかになると考えています。このブログでも過去の幾つかのテーマで検討しています。
千葉が「チパ」起源であり、それが縄文時代の文化から継承されたものであるという梅原猛仮説に強い興味と共感を覚えます。さらにそれがイナウと結びついているので、自分のとってより大切な仮説となります。
地名「千葉」は現在では範囲が「千葉県」まで拡大していますが、当初は現在の千葉市中心市街地付近つまり都川河口付近であったと考えられます。その付近にある縄文時代の遺跡には加曽利貝塚も含まれていて、加曽利貝塚が国特別史跡に指定されていていわば土地に関わる国宝であると考え千葉市がその価値の大きさを行政に活かそうとしている現在、この仮説の意義には大きなものがあると考えます。

都川河口付近の代表的縄文時代遺跡