2019年7月22日月曜日

参考 大浦山式土器

縄文土器学習 207

2019.07.22記事「取掛西貝塚の「事の重大性」に気がつく」で船橋市取掛西貝塚(縄文早期前葉撚糸文期)から三浦半島付近に出土が限られる大浦山式土器が出土していることを学習しました。この時期に三浦半島と船橋の間に交流があったことが考えられます。
そこで向学のために飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚」(2019.02)で展示された大浦山式土器を観察してみました。

大浦山式土器の編年上の位置
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

大浦山式土器の撚糸文系土器細分における位置
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

大浦山式土器
飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚」(2019.02)展示

大浦山式土器
飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚」(2019.02)展示

小林達雄編「総覧縄文土器」によれば、ほかの撚糸文系土器が基本的に胴部に縦方向または斜め方向に文様施文されるのにたいして、大浦山式土器は撚糸文が横方向に鮮明に施文されるのが特徴だとしています。器壁が厚手で赤褐色を呈する個体が多いことも特徴とされています。いまだ復元できる個体がないとのことです。


取掛西貝塚の「事の重大性」に気がつく

縄文土器学習 206

1 取掛西貝塚の「事の重大性」に気がつく
ここまで、撚糸文や沈線文土器の時代には東京湾に貝塚はないと資料やデータベースで確認しつつ、土器学習をすすめてきました。
しかし、ふと、飛ノ台史跡公園博物館の企画展「ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚」(2019.02)の展示情景が目に浮かび、そこに東山式土器が展示されていたことを思い出しました。

飛ノ台史跡公園博物館の企画展「ここまでわかった!1万年前の取掛西貝塚」の東山式土器展示風景
2019.05.03記事「東山式土器 取掛西貝塚

東山式土器はデータベースに出てこないので分布図を作成していませんが、それが撚糸文期の土器であることは覚えています。
「東京湾岸の取掛西貝塚で撚糸文期東山式土器が出土することはどういうことだ?」という疑問が湧き、企画展資料を見返えしました。
そうすると撚糸文期にヤマトシジミが主体の取掛西貝塚が形成されたことを示す発掘情報がまさに「ここまでわかった!」まだアツアツの特筆情報であることに今更ですが気が付きました。これまで動物儀礼のほうにばかり目を奪われていたようです。

撚糸文期や沈線文期には東京湾岸には貝塚はないと思い込んでいた自分のお粗末さが恥ずかしいと感じる感情が3割、学習初級者として摂取した諸情報が結びつき学習が進展しているといううれしい感情が7割で混じった激しい感情が体を通り過ぎました。

平成20年に行われた発掘調査で、世の中としてはじめて、東京湾岸で撚糸文期のヤマトシジミを主体とする貝塚が発見されたのです。

企画展資料から引用

竪穴住居などからは大浦山式土器が出土しています。この土器は三浦半島付近で主に出土するので、海が三浦半島付近から古東京川を北上する環境変化に合わせて三浦半島付近の漁民が船橋付近まで北上移住してきたという空想も現実味を帯びます。
船橋付近で生まれたヤマトシジミが生息する環境を利用するために大須賀川の方から縄文人がやってきたと考えるより、古東京川下流部から縄文人がやってきたと考える方が合理的です。

縄文海進ピーク期以前の東京湾の様子の想像図 企画展展示パネルから引用

大浦山式土器は撚糸文期の稲荷原式土器、東山式土器などに併行するようです。

撚糸文系土器の型式編年
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

2 私家版千葉県遺跡データベースの情報追補の必要性
取掛西貝塚や雷下遺跡など近年の発掘成果情報をデータベースに追補する必要性について痛感させられました。
感覚としては最近10年間くらいに発刊された発掘調査報告書の主要情報が十分にデータベースに入っていないかもしれません。おそらく3ケタにとどく発掘調査報告書情報を取り込むプロジェクトが必要かもしれません。

3 縄文海進ピーク以前の地形復元の必要性
縄文海進ピーク以前の地形を沖積層基底面分布図等から復元して、海面が-50m、-40m、-30mなどの概略海面分布図を専用学習資料として作成する必要があります。東京湾だけでなく、香取の海、九十九里の海についても作成して空間イメージを作らなければ撚糸文期をはじめとする早期遺跡について十分な考察・思考をすることは困難です。
ヤマトシジミを主体とする貝塚ができたということは沿岸域の海がすべて汽水域であったということであり、溺れ谷の延長が極めて長かったことを示しています。その様子を地図上で確認する必要があります。


条痕文土器の分布と学習課題

縄文土器学習 205

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事では縄文早期後葉の打越(おっこし)式土器、神之木台式土器、下吉井土器の分布図を作成するとともに、条痕文土器全部を1枚の分布図にまとめて観察しました。

1 千葉県 打越式土器出土遺跡分布図

千葉県 打越式土器出土遺跡分布図
1遺跡がプロットされています。

2 千葉県 神之木台式土器出土遺跡分布図

千葉県 神之木台式土器出土遺跡分布図
2遺跡がプロットされています。

3 千葉県 下吉井土器出土遺跡分布図

千葉県 下吉井式土器出土遺跡分布図
2遺跡がプロットされています。

4 千葉県 条痕文土器出土遺跡分布図

千葉県 条痕文土器出土遺跡分布図
子母口式、野島式、鵜ヶ島台式、茅山式、打越式、神之木台式、下吉井式及び「条痕文土器」出土遺跡(98)を集成した遺跡プロット図(669)です。

千葉県 条痕文土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域は茅山式土器と同じで千葉市付近と村田川源流部付近(九十九里を見下ろす台地)です。大須賀川流域など千葉県北東部にも遺跡が密集しますがその場所はメインではなくなっています。

5 遺跡集中域の様子

遺跡集中域の様子
千葉市中央区付近と千葉市緑区土気付近の遺跡密集域があります。

遺跡集中域の様子
遺跡密集域のうち村田川北岸から都川流域にかけての遺跡と村田川源流部の遺跡の性格がどのように異なるのか興味が湧きます。
この2つの遺跡密集域の性格の違いとその関係を今後の学習課題として設定することにします。縄文海進ピーク期の縄文社会の様子が判るのではないかと期待します。

6 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数


2019年7月21日日曜日

茅山式土器の分布

縄文土器学習 204

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事では縄文早期後葉の茅山式土器の検討を行います。

1 千葉県 茅山式土器出土遺跡分布図

千葉県 茅山式土器出土遺跡分布図
早期後葉条痕文土器の型式では茅山式土器出土遺跡が482ありダントツの多さとなっています。縄文海進のピーク期であり、東京湾や印旛沼が急激に海になった時期であり、それに対応した(海を利用した)縄文人社会が隆盛した跡が茅山式土器出土遺跡数の多さに現れていると考えられます。

千葉県 茅山式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域は鵜ヶ島台式土器までの散ばった様相から千葉市付近とその東の九十九里を見下ろす台地に集約されます。千葉県北東部には遺跡集中域は見られません。

2 茅山式土器の細分情報
茅山式土器出土遺跡482のうち67(14%)は細分情報が記載さいれています。

千葉県 茅山式土器出土遺跡 細分情報の有無
この細分情報をグラフにすると次のようになります。

千葉県 茅山式土器細分情報別出土遺跡数

細分情報別出土遺跡分布図、ヒートマップは次のようになります。

千葉県 茅山下層式土器出土遺跡分布図

千葉県 茅山下層式土器出土遺跡分布ヒートマップ

千葉県 茅山上層式土器出土遺跡分布図

千葉県 茅山上層式土器出土遺跡分布ヒートマップ

3 参考 条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡

条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用
条痕文期に海況が激変し印旛沼や東京湾が海になり、それを活用した貝塚が発達します。この激変の状況は前代の沈線文期の貝塚分布図と較べると一目瞭然です。
海況の激変に対応して縄文社会も茅山式期に急発展し、食物も海産物が急増し、雑食性が急進展したと考えられます。
なお、この頃に対応して波状口縁が普及することと海況変化・食性変化と関係あるのかどうか、興味が湧きます。
日本最古の丸木舟が出土した市川市雷下遺跡からは茅山上層式土器が出土しています。

沈線文期の貝塚と遺跡分布図
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用
前代の沈線文期には印旛沼、東京湾岸には貝塚はなく、遺跡も少なくなっています。この時期には海面が低く、海がまだやってきていない状況です。

4 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の分布

縄文土器学習 203

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事から縄文早期後葉の条痕文土器の分布図を作成します。
条痕文土器の時代が縄文海進ピーク期であり、東京湾もようやく海となり東京湾岸にはじめて貝塚が生れる画期となる時代です。
この記事では子母口式土器、野島式土器、鵜ヶ島台式土器の検討を行います。

なお、鵜ヶ島台式土器の表記についてこれまでの記事で「鵜カ島台式」を使っていました。しかしこの表記は図書「千葉県の歴史」シリーズでのみ使われている特殊な表記です。そこで千葉県教育庁文化財課にアドバイスをもとめたところその結果をいただきましたので、それを参考にこのブログでは「鵜ヶ島台式」を使うことにしました。
2019.07.11記事「日本石器時代人民遺物発見地名表」参照

1 千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図

千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図

千葉県 子母口式土器出土遺跡分布図
メインの遺跡集中域は千葉県北東部にありますが、分布の様相はバラけています。
この時期は縄文海進ピーク期に重なっていて東京湾に広く海面が分布し、それを縄文人が利用し出した時期であると考えます。
子母口式の名称がうまれた子母口貝塚は川崎市高津区に位置します。

子母口貝塚と千葉県子母口式土器分布
この時期には土器波状口縁が広く行われていたようです。

2 千葉県 野島式土器出土遺跡分布図

千葉県 野島式土器出土遺跡分布図

千葉県 野島式土器出土遺跡分布図
分布が県内にバラけている様子が観察できます。北東部の海(香取の海、九十九里の海)だけでなく東京湾の海が有望な空間として生まれ、そちらの方に遺跡重心が移りつつある状況がこの時期であると考えます。
炉穴で有名な船橋市飛ノ台貝塚は貝層から野島式土器と鵜ヶ島台式土器が出土します。
土器口縁部の波状がより明瞭なものになっています。

3 千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図

千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図

千葉県 鵜ヶ島台式土器出土遺跡分布図
野島式土器と同じく遺跡密集域が千葉県全体にばらけます。香取の海、九十九里の海、東京湾の海が生活に利用されたと考えます。

4 参考 条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡

条痕文期の貝塚、貝塚を伴わない遺跡
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」から引用
印旛沼沿岸や東京湾沿岸では貝塚と貝塚を伴わない遺跡が近接していわばセットで存在しています。
ところが大須賀川流域や九十九里では貝塚を伴わない遺跡だけが集中して存在する場所があり、それは狩本村と貝塚出村という空間的に離れたセットが存在していて、貝塚は地象(波蝕台形成による破壊と沖積層堆積による埋没)でほとんどが消失したと考えました。
つまり縄文海進前期(早期撚糸文、早期沈線文を想定)には海が遠いので、その利用は狩本村とは別に出村形式で貝塚(漁労)を作るしかなかったのですが、縄文海進後期(早期条痕文を想定)には急激に海が広がり、狩をする生活圏に海が到来し、漁労の場(貝塚)を特段出村にする必要がなくなったと考えます。

千葉県北東部や九十九里沿いの縄文社会と印旛沼や東京湾沿いの縄文社会では構造が違っていたのではないかと想像(仮説)します。

印旛沼や東京湾岸沿いでは「気が付くと海がそこに来ていた」という状況があったと想像します。

5 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

2019年7月20日土曜日

田戸式土器の分布及び沈線文土器まとめ分布

縄文土器学習 202

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事では縄文早期沈線文土器の田戸式土器の検討と沈線文土器のまとめ分布図作成を行います。

1 千葉県 田戸式土器出土遺跡分布図

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布図

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ
三戸式土器とほとんど同じパターンを示します。

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ 拡大

千葉県 田戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ 拡大
大須賀川流域ときれいに遺跡密集域が重なります。大須賀川流域という個別流域空間がこの時期の縄文社会を考える上で特別な意義を有していることがわかります。

田戸式土器出土遺跡263のうち218(83%)遺跡が細分情報として記載されています。

千葉県 田戸式土器出土遺跡 細分情報の有無
この細分情報をグラフにするとつぎのようになり、田戸下層式が殆どを占めます。

千葉県 田戸式土器細分情報別出土遺跡数

2 千葉県 沈線文土器出土遺跡分布図

千葉県 沈線文土器出土遺跡分布図
三戸式、田戸式および「沈線文土器」「無文土器」を合わせた316遺跡の分布図です。

千葉県 沈線文土器出土遺跡分布ヒートマップ
田戸式のヒートマップと酷似し、大須賀川流域に遺跡密集域が集中します。

3 考察
沈線文期の貝塚及び遺跡分布図が「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」に掲載されています。

沈線文期の貝塚と遺跡分布図
貝塚は城ノ台貝塚1箇所だけですが存在しています。
この図及び2019.07.19記事「井草式土器の分布」の考察から沈線文期も次のような縄文社会を想定します。
ア 縄文海進が進んで大須賀川の近くまで海面が広がってきた。
イ 海面近くで縄文人は漁労専門の出村をつくり貝塚が出来た。そのほとんどは後に波蝕台形成により破壊されたり沖積層の下に埋没した。残存したのは城ノ台貝塚だけとなった。
ウ 沈線文期も社会構造は「狩本村+貝塚出村」であったが漁労の比重が高まり、それに引きずられて撚糸文期と比べると狩本村の位置が海側に移動した。(海に出やすい大須賀川流域に狩本村が移動して、貝塚出村との関係がより密接になった。)

参考 仮に-30m等深線の位置に海があった時の貝塚と海の関係
2017.02.10記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代早期前葉 追補
波蝕台(薄墨色)は海進で浸食された台地であり、その部分に存在した貝塚はすべて喪失したと考えられます。

4 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

三戸式土器の分布

縄文土器学習 201

縄文土器形式別出土遺跡分布図を作成しています。この記事では縄文早期沈線文土器の三戸式土器について検討します。

1 千葉県 三戸式土器出土遺跡分布図

千葉県 三戸式土器出土遺跡分布図
55遺跡がプロットされています。

千葉県 三戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域が成田市市と香取市境付近に集中しています。

千葉県 三戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ 拡大図

千葉県 三戸式土器出土遺跡分布ヒートマップ 拡大図
三戸式土器遺跡集中域は大須賀川流域とオーバーラップしているように観察できます。

2 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数