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2021年2月20日土曜日

加曽利博研究講座「連弧文系土器の盛衰と集落動態-北西部地区とその周辺-」を受講する

 縄文土器学習 548

2021年2月20日に加曽利貝塚博物館縄文時代研究講座「連弧文系土器の盛衰と集落動態-北西部地区とその周辺-」(於:千葉市生涯学習センター)を受講することができました。コロナ禍にもかかわらず万全の予防措置の下に開催されたことにまずは感謝です。事前申し込み抽選により参加できました。

船橋市埋蔵文化財調査事務所箱石幸裕先生を講師にとても興味深いお話がありましたのでその概要と感想をメモします。


講演表題

1 講演内容

次のような順番でスライド写真により箱石先生よりいずれも興味深い説明がありました。

ア 連弧文土器の概要説明


代表的連弧文土器

連弧文土器が最も集中するのは武蔵野台地西部である。

イ 連弧文土器の3つのナゾ

・成立のナゾ

連弧文土器は、加曽利E式社会内部の東西対立の中で生まれた説と、加曽利E式社会と曽利式社会との関係の中で生まれた説がある。

・千葉でまとまって連弧文土器が出土するナゾ

有吉北貝塚の北斜面に連弧文土器がまとまって出土する。本場(武蔵野台地西部)の連弧文土器とは少し趣が違う。

・消滅のナゾ

なぜ消滅したのか。

ウ 連弧文土器事例の紹介

10数点の千葉出土連弧文土器事例の詳しい紹介がありました。


紹介連弧文土器の例

エ 連弧文土器の消滅

連弧文土器は200年足らずの存続であり、その消滅と横位連携弧線文土器の出現期が一致する。このことから連弧文土器は加曽利E式土器に呑み込まれ、横位連携弧線文土器に変化していった。


連弧文土器と縄文年表

オ 有吉北貝塚の連弧文土器

有吉北貝塚に環状集落が形成された加曽利EⅡ式期に弧線文土器が多数出土する。


有吉北貝塚資料

カ 連弧文土器消滅期に起こったこと

連弧文土器消滅期頃は社会の大変革期であり、環状集落の解体、住居の小型化、柄鏡形住居の出現などがあり、加曽利E式土器の曽利式への影響が増大した時期である。

2 感想

ア 連弧文土器のイメージが湧く

連弧文土器の文様や器形について詳しい説明があり、これにより自分の中で「連弧文土器とは」というイメージがかなり湧いてきました。加曽利貝塚博物館のこれまでの3回企画展「あれもE・・・」で観察した連弧文土器の説明が含まれていたので、理解が進みました。

イ 連弧文土器と社会消長との関連問題意識

連弧文土器の発生と消滅について社会消長との関連で説明があったので、自分の学習問題意識がとても刺激されました。特に連弧文土器が消滅して横位連携弧線文土器が出現する様子はその背景とともに、詳しく学習したくなります。

ウ 有吉北貝塚学習への刺激

有吉北貝塚の土器学習は加曽利EⅠ式土器の段階ですが、次のステップ加曽利EⅡ式土器学習に連弧文土器が含まれます。その学習がいまから楽しみです。


2021年1月17日日曜日

加曽利博研究講座「下総考古研究会と中峠式土器」を受講する

 縄文土器学習 523

2021年1月16日に加曽利貝塚博物館縄文時代研究講座「下総考古研究会と中峠式土器」(於:千葉市生涯学習センター)を受講することができました。コロナ禍にもかかわらず万全の予防措置の下に開催されたことにまずは感謝です。事前申し込み抽選により参加できました。

下総考古学研究会代表大村裕先生と下総考古学研究会副代表大内千年先生のお二人から興味深いお話がありました。

1 下総考古学研究会代表大村裕先生の講演

下総考古学研究会の創設から現在までの詳しい説明及び中峠式設定とその後の顛末について詳しい解説がありました。

自分は文字通りですが、下総考古学研究会というものの組織と活動について知識皆無でしたので、興味が深まるお話ばかりでした。


大村裕先生の講演

戦後、高橋良治さん、塚田光さん、湯浅喜代治さんらによってはじまった考古研究大衆運動がその発端であり、諏訪在住考古学者宮坂英弌先生や考古学者和島誠一先生などの指導や影響を受けて活動が発展したようです。


下総考古学研究会の創始者たち

講演会スライドから引用


和島誠一先生

講演会スライドから引用

余談ですが、自分は大学時代和島誠一先生の専門講座「考古学」を受講したことがあります。55年くらい前の話です。スライド写真よりももっと好々爺でした。話はダントツにおもしろかったことを憶えています。ただ学部が全く違う講義であり、いただいた単位の使い道はありませんでした。

中峠式という土器型式の設定とその後の顛末は考古学者山内清男先生との確執も一つの軸に展開したドラマとして、一種の感動を呼ぶものです。現在では一度設定した土器型式を下総考古研究会自身が見直し、再検討しています。

2 下総考古学研究会副代表大内千年先生の講演

大内千年先生から次の2点について詳しい土器型式説明がありました。

ア 勝坂式・阿玉台式・加曽利E式における各型式の違い

イ 中峠式における類型・細分とその違い、分布


大内千年先生の講演

最初に勝坂式・阿玉台式と加曽利E式の型式の違いについて詳しい説明がありました。中峠式は勝坂式・阿玉台式と加曽利E式の間に生まれて短期間継続した型式であるため、この説明が必須であるとのことでした。自分が現在興味を持って学習している有吉北貝塚ではまさに阿玉台式→中峠式→加曽利E式の変遷であり、とても参考になりました。


勝坂式・阿玉台式と加曽利E式の型式の違い

講演スライドから引用

本題である中峠式土器の細分類ごとの説明もとても有益でした。加曽利貝塚博物館企画展で現在展示中の土器が典型例であり、自分はそれらについて既に3Dモデルを作成して詳しく観察したものも多くありましたので、詳細にわたる文様説明もいつもよりは理解が進みました。


中峠式土器

講演スライドから引用

また中峠式土器の分布図も提示され、これも大変興味深いものでした。かなり遠方まで分布します。


中峠式の分布

講演スライドから引用

講演最後に質問時間があり、当方から中峠式分布が少なく、飛び地的に分布している理由についておうかがいしたところ、大村先生から中峠式は存在期間が阿玉台式などと比べると圧倒的に短く、その時間に比例して分布密度も低くなる旨教えていただきました。

大変有意義な、かつ出席者が限定されて超贅沢な学習機会を持つことができ、講師の大村先生、大内先生と主催の加曽利貝塚博物館に感謝します。