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2011年9月28日水曜日

「印旛放水路(下流部)」から「花見川」へ


恥ずかしい告白ですが、最近千葉県河川整備課で教えていただくまで、花見川の河川整備計画が利根川水系手賀沼・印旛沼・根子名川圏域河川整備計画の一部として策定済みであることを知りませんでした。

利根川水系河川整備計画が策定されていないので、利根川水系の一部である花見川も策定されていないと思い込んでいたのです。

「花見川流域を歩く」という趣味活動は焦点を現場の散歩に合わせていますので、資料や書物は二の次です。と理屈づけるにしても、不勉強のそしりは免れないと思います。

さて、その利根川水系手賀沼・印旛沼・根子名川圏域河川整備計画はWEBを見ると流域委員会を設けて策定されたようです。

流域委員会の議論の中では、河川名称に関する話題はなかったそうです。

有識者や地域を代表される方も、河川管理者も、「印旛放水路(下流部)」名称の不合理さまでは気が回らず、手賀沼や印旛沼本体の議論にエネルギーのほとんどを費やしたものと推察します。

仮に、上記流域委員会が「印旛放水路(下流部)」を、印旛沼の付録としてではなく、それ自身を抜き出し対象として考察する機会があったとします。
そうすれば、必ずや「その河川名称で住民が納得しているのか」「本当に人工河川と言えるのか」「なぜ高津川と勝田川を流域変更したのか」など、花見川の沢山の不思議が議論されたに違いありません。
そして、「確かに、花見川流域という存在があるんだ!」という再認識が深まったと思います。

*   *   *

WEBで検索すると、たまたま見つけた例ですが、県が「『河川名の変更』に対する意見募集」を行って、多数の賛成を得、地元市の賛成や名称変更要望活動を踏まえて、国交省に名称変更の要望をして正式決定した例が出ていました。(鳥取県、鳥取市の旧袋川→袋川)

地元住民が使っている河川名称に変更した例は渡川→四万十川、派川利根川→利根運河、荒川放水路→荒川など多数あると思います。

「印旛放水路(下流部)」→「花見川」という名称変更を実現させるにはどのようにしたらよいか、そのきっかけやプロセスを考えたいと思います。

2011年9月27日火曜日

河川名称「印旛放水路(下流部)」では合理的対応が困難


河川法名称「印旛放水路(下流部)」では外部要請に対して、合理的対応が困難であるという懸念を持っていますので、今後の検討のために考えたことを記録しておきます。

たとえば、治水面で利根川水系サイドから「印旛放水路(下流部)に1000トン流すから大規模開削よろしく」と言われたとします。

地元千葉の人々がこの川を「印旛放水路(下流部)」と呼び、「人工河川」と認識していて、納得してしまっていては、「堀割の自然環境が優れている」という程度の議論はできますが、花見川流域の自然的、歴史文化的価値全般についての議論は困難です。
「放水路」「人工河川」と流域の自然、歴史、文化は結びついていません。

「印旛放水路(下流部)」という名称では流域概念がほとんど無いに等しいので、外部要請を流域全体の問題として捉えるという視点も脆弱になります。

「印旛放水路(下流部)」という名称では、問題が起こったとき、流域全体の人が当事者意識を持つことはほとんど不可能です。「放水路」のすぐ近くの人しか当事者意識を持つことができないに違いありません。

第一、流域住民は「印旛放水路(下流部)」と聞いてもどこの河川だかわからない始末です。

おそらく、議論も「自然保護か工事か」といった矮小化した、貧しいものになると思います。

「印旛放水路(下流部)」ではなく、花見川(高津川、勝田川を含む)としてこの川を捉え、その流域を意識した河川管理が行われていれば、外部要請と花見川流域の自然的価値、歴史文化的価値を総合的に評価するという合理的検討を行うことができます。

花見川ならだれでも知っています。大体からして、花見川は花見川区という行政区域の名称にもなっています。

花見川名称ならば、自然環境の大切さだけではなく、河川争奪現象地形の存在、縄文時代から利用された古代人の印旛沼-東京湾回廊として利用、堀割に立地する霊的空間、土木遺構としての素掘堀割の存在など、多様な価値を、外部要請と対置して、総合検討できます。

「印旛放水路(下流部)」という名称では住民のほとんどがそっぽを向く問題も、花見川という名称なら自分たちの問題として捉えることができます。

私が危惧することは、「印旛放水路(下流部)」という名称使用(その背後には人工河川という誤った思考が存在している)により、地元千葉が本来備えているべき論理展開力の一部を放棄してしまっているということです。外部要請にたいして本来行われるべき総合的合理的議論をする能力を最初から制限しているという、一種の思考上の武装解除状態にあることを危惧します。

また、花見川名称なら実現できる豊かな住民参加が、「印旛放水路(下流部)」という名称で貧困な住民参加になってしまうことを危惧します。

こうした危惧に気がつくのが遅ければ、地元千葉は結果として後で、ほぞをかみます。

私は花見川堀割部分の自然や土木遺構としての文化財的価値を大切にしたいと思っています。
しかし、なにがなんでも外部要請は阻止したいという立場ではありません。

国策としての外部要請があれば、地元千葉はそれに対して正々堂々と受けて立ち、あるべき総合的合理的議論をつくすことを願うものです。
あるべき総合的合理的議論がつくされれば、外部要請と花見川整備との調和点をみつけることが可能になるかもしれません。少なくとも、多くの人が受け入れることができる結論を得ることができると思います。

残念ながら、「印旛放水路(下流部)」と「人工河川」ではあるべき総合的合理的議論は最初から不可能です。

2011年9月26日月曜日

河川名称「印旛放水路(下流部)」の違和感


河川法に基づく名称である「印旛放水路(下流部)」に強い違和感を覚えます。
違和感の内容がどのようなものであるか列挙してみて、今後の検討のために記録します。

1 名称が河川法の目的に対応していない
平成9年の河川法改正により、河川の目的に環境が加えられ、治水・利水・環境の3つの河川管理により河川の目的を達成することになりました。

ところが、「印旛放水路(下流部)」という名称は、治水と利水を主軸に活動を展開するという旗印を掲げたこということです。

治水・利水を主軸に活動を展開するということは、人工河川ならまだしも、自然河川である花見川(とその支流の勝田川、高津川)の健全な河川管理と相いれません。

「印旛放水路(下流部)」という名称には「この河川は治水・利水を主軸に事業活動を展開するという強い事業指向」が内在しています。まるで事業者専用の名称のようになっています。あたかも花見川を事業者が独占してしまったという印象の名称です。

事業を否定する立場から述べているのではありません。
花見川を「人工河川」と定義し、「印旛放水路(下流部)」と名付けてしまえば、その河川管理はおのずと治水、利水(の事業)に偏向していってしまうことになる、という跛行性を心配しているのです。

自然河川花見川に「印旛放水路(下流部)」という名称がふさわしいものであるのか、平成9年河川法改正の趣旨に照らして再検討する必要があると思います。

2 名称が人々の発想を貧困にしている
「印旛放水路(下流部)」という名称は、花見川の自然、歴史、流域に関する発想をとても貧困なものにしているように感じます。

「川」という言葉は「自然」「歴史」「流域」などの言葉と自然に結びついています。「川」から「自然」「歴史」「流域」の発想に移動するためにさしたるエネルギーは必要としません。

千葉を流れるこの川を「花見川」として呼べば、花見川の自然、花見川の歴史、花見川流域の出来事・地物について様々な思考の展開を図ることは容易です。

そもそも「ハナミガワ」という名称が縄文語由来であり、古代から人々の生活を支えた河川であり、珍しい河川争奪現象地形が存在し、縄文時代以来印旛沼と東京湾をつなぐ古代人の回廊であった地形があり、江戸時代の堀割普請など様々な歴史のページをめくることができます。花見川に積み重なっている自然的、文化的価値を見出すことができます。

ところが「放水路」からその「自然」「歴史」「流域」の発想に移動することは困難です。

千葉を流れるこの川を「印旛放水路(下流部)」として呼べば、放水機能の思考は大いに展開できます。事業者の仕事には好都合です。しかしその流域に積み重なっている自然的、文化的価値を見出すような発想に至ることは至難の業になります。

流域の自然的、文化的価値を見出すことが困難であるということは、流域の地域づくり、特に川を生かした地域づくりが貧困化するということに帰結します。