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2011年4月10日日曜日

高津川流域の概要

            高津川流域

 高津川は習志野市東習志野1丁目付近を源流部とする河川で、八千代市飯盛台付近で北高津川、千葉市花見川区柏井4丁目付近で芦太川を合流して、大和田で花見川に合流します。
 高津川流域面積は約14.6平方kmで、北の流域界に成田街道が通っています。行政上は上流部に習志野市、船橋市、中下流が八千代市、芦太川の一部が千葉市花見川区となっています。
 現在の主な土地利用は、陸上自衛隊習志野演習場と工業団地、住宅団地から構成されていて、農地や樹林地は少ないです。

2011年1月18日火曜日

河川・水路の呼称

 

河川・水路の呼称を設定しないと、散歩の記述が困難になるので、資料により河川・水路の呼称を調べた上で、このブログで使う名称を仮称を含めて設定しました。
 このブログで使う河川・水路の呼称は次の通りです。
●花見川(通称、地形図掲載、大和田排水機場より下流の印旛放水路〔河川法上の名称〕)
●勝田川(河川法上の名称、地形図掲載)
●宇那谷川、小深川(通称、過去の地形図に掲載)
●高津川(通称、地形図非掲載)
●北高津川、芦太川、横戸川、東小深川、長作川、犢橋川、畑川、浪花川(仮称として設定)

画像は河川水路呼称を示しています。

花見川の特異な生い立ち

 

花見川はもともと東京湾に流入する小河川で、横戸付近を源流部としていました。
 江戸時代に、3回にわたって印旛沼と東京湾を結ぶ工事(堀割普請)が行われ、天保期の工事は国策に基づく巨大プロジェクトでした。
 この工事の目的は印旛沼の水を東京湾に流して洪水を防ぎ、同時に舟運にも使うためのものでした。この工事は結局最後の完成を見なかったのですが、花見川と印旛沼流域を結ぶ巨大な堀割が残りました。
 戦後、印旛沼の干拓事業が行われ、昭和38年には印旛沼開発事業に改められました。
 昭和44年3月印旛沼開発事業の完成に伴い、花見川は江戸時代につくられた堀割を活用して印旛沼筋の新川とつながり、印旛放水路として位置づけられました。
 印旛放水路の役割は利根川の洪水時に印旛沼の水を東京湾に排水するもので、強制排水するための施設として大和田排水機場が設置されました。
 この時、花見川は大和田排水機場の下流で、もともと印旛沼流域の河川である勝田川と高津川を取り込みました。
 このように、現在の花見川は江戸時代の堀割普請と戦後行われた印旛沼開発事業の流域変更によりつくりだされた特異な生い立ちの河川です。
 また、花見川流域は戦前から一大軍事地域として開発利用され、戦後は開拓が行われました。さらに、海岸部は埋め立てられ、海浜ニュータウンが造成されました。
 
 花見川の歴史は大変興味深いものであり、このブログで折にふれてテーマとして扱っていくつもりです。

 画像は印旛放水路と関連河川の位置を示しています。

花見川流域の位置

 

花見川流域は千葉県北西部に位置しています。流域面積は約63平方キロメートルです。
 流域の約6割は千葉市に属し、八千代市には約2割、四街道市には約1割が属します。残りは習志野市、船橋市、佐倉市に属します。

 画像は千葉県内における花見川流域の位置を示しています。