北高津川小流域
北高津川の流域面積は4.76平方キロkm、現地で確認できた河川延長(蓋架け部分を含む)は約2.4kmです。
現在の北高津川は陸上自衛隊演習場内で河川として確認できます。この河川は、一旦地下水路となり、高津団地に出ます。高津団地内では両岸に金網柵が張られています。高津団地から出ると調整池に入り、そこから谷底の畑の中を蓋架け水路(土がかけられている)となって流れ、飯盛台で高津川に合流します。
陸上自衛隊演習場内の北高津川
この付近には魚がいるそうです。
高津団地内の北高津川
水田から畑に変り、蓋架けされた北高津川
蓋をかけるだけでなく、土までかぶせている光景には違和感を覚えました。
高津川合流部
上流の高津団地のところより断面が小さいようです。これで大丈夫なのでしょうか。
2011年4月10日日曜日
高津川流域の概要
高津川流域
高津川は習志野市東習志野1丁目付近を源流部とする河川で、八千代市飯盛台付近で北高津川、千葉市花見川区柏井4丁目付近で芦太川を合流して、大和田で花見川に合流します。
高津川流域面積は約14.6平方kmで、北の流域界に成田街道が通っています。行政上は上流部に習志野市、船橋市、中下流が八千代市、芦太川の一部が千葉市花見川区となっています。
現在の主な土地利用は、陸上自衛隊習志野演習場と工業団地、住宅団地から構成されていて、農地や樹林地は少ないです。
高津川は習志野市東習志野1丁目付近を源流部とする河川で、八千代市飯盛台付近で北高津川、千葉市花見川区柏井4丁目付近で芦太川を合流して、大和田で花見川に合流します。
高津川流域面積は約14.6平方kmで、北の流域界に成田街道が通っています。行政上は上流部に習志野市、船橋市、中下流が八千代市、芦太川の一部が千葉市花見川区となっています。
現在の主な土地利用は、陸上自衛隊習志野演習場と工業団地、住宅団地から構成されていて、農地や樹林地は少ないです。
2011年4月9日土曜日
高津川、勝田川が印旛沼水系から切り離された理由
高津川と勝田川の流域
花見川本川筋についてはまだまだ話題が豊富ですが、支川筋の話題に歩みを進めます。その中で折りに触れ、本川筋の話題も記事にします。
高津川、勝田川筋の話題に入る前に、なぜこの二つの支川流域が印旛沼流域から切り離され、東京湾に流下する流域に編入されたか、その理由について調べてみました。
印旛沼開発工事誌(1969.3、水資源開発公団印旛沼建設所)の2章排水計画に次の記述があります。
「排水を効果的に行うため、疏水路流域、西部調整池流域および北部調整池流域に流域を大別して排水する。
疏水路流域は大和田~東京湾の流域であって、従来この地域から新川を通じて印旛沼に流入していた高津落、勝田落の流域を変更して東京湾へ自然流下させ印旛沼洪水流量の軽減を図るものである。」
これで、流域変更の理由が印旛沼洪水流量の軽減にあることがわかりました。
流域面積は印旛沼流域面積は57700haに対して高津落、勝田落流域面積3650haと出ているので、流域面積に比例するとすれば、印旛沼洪水流量の軽減は約6.3%になります。
印旛沼開発工事誌では上記記述による流域変更を前提条件として排水計画、用水計画を立案しています。流域変更自体の効果検証や分析はありません。
感想
・流域変更すれば洪水流量の軽減になることはわかりますが、それだけ開発用水量が減ります。水資源開発しようとしているのに、わざわざ集水域を狭めることの説明がありません。
・旧軍による悪を回避しようとしたことが、この流域変更に関係していたのではないかと想像します。流域変更に関わった方からこうした想像の適否についていつかお話しをうかがいしたいと思います。
(旧軍による悪とは、習志野演習場内毒ガス埋設。)
花見川本川筋についてはまだまだ話題が豊富ですが、支川筋の話題に歩みを進めます。その中で折りに触れ、本川筋の話題も記事にします。
高津川、勝田川筋の話題に入る前に、なぜこの二つの支川流域が印旛沼流域から切り離され、東京湾に流下する流域に編入されたか、その理由について調べてみました。
印旛沼開発工事誌(1969.3、水資源開発公団印旛沼建設所)の2章排水計画に次の記述があります。
「排水を効果的に行うため、疏水路流域、西部調整池流域および北部調整池流域に流域を大別して排水する。
疏水路流域は大和田~東京湾の流域であって、従来この地域から新川を通じて印旛沼に流入していた高津落、勝田落の流域を変更して東京湾へ自然流下させ印旛沼洪水流量の軽減を図るものである。」
これで、流域変更の理由が印旛沼洪水流量の軽減にあることがわかりました。
流域面積は印旛沼流域面積は57700haに対して高津落、勝田落流域面積3650haと出ているので、流域面積に比例するとすれば、印旛沼洪水流量の軽減は約6.3%になります。
印旛沼開発工事誌では上記記述による流域変更を前提条件として排水計画、用水計画を立案しています。流域変更自体の効果検証や分析はありません。
感想
・流域変更すれば洪水流量の軽減になることはわかりますが、それだけ開発用水量が減ります。水資源開発しようとしているのに、わざわざ集水域を狭めることの説明がありません。
・旧軍による悪を回避しようとしたことが、この流域変更に関係していたのではないかと想像します。流域変更に関わった方からこうした想像の適否についていつかお話しをうかがいしたいと思います。
(旧軍による悪とは、習志野演習場内毒ガス埋設。)
2011年4月8日金曜日
房総・水の回廊構想
「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(三浦裕二他編著、彰国社)
既報のように兄弟ブログ「ジオパークを学ぶ」をはじめました。この中で、哲学者・思想家・歴史文化学者などの図書の学習に取り組もうと思っています。
手始めに参考になりそうな図書を我が家の書庫で探していました。その時、偶然「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(三浦裕二・高橋裕・伊澤岬、1996、彰国社)を見つけました。「ジオパークを学ぶ」ブログ活動の最初の副産物のように感じましたので、せっかくですから、記事にしてみます。
房総・水の回廊構想は知っていました。しかし、私の活動は花見川流域を散歩して、受身的観察をして、それを頼りにして流域の魅力を発見しようとしています。現場での発想に直接関係する図書しか関心がありませんでしたから、この本の存在はほとんど忘れていました。今回偶然にこの本を手に取って、ぱらぱらめくってみると、「続保定記」の引用などもあり、参考になる情報が多いので、興味が湧きました。そこで、この本の概要を報告します。
まえがきでこの構想を次のようにうたいあげています。
「東京湾岸の新都市幕張、その南端に注ぐ花見川を遡り、印旛沼を経て利根川を下り、太平洋の銚子、鹿島に至る延長約120kmを水の道でつなぎ水運文化を復興させ、沿川19市町村の新たなる連係と活性化を図ると共に、印旛沼を浚渫することで水環境の改善を図り、同時に水資源を確保し、日本の原風景たる田園の景観を保全しようとするものである。」
花見川の改修については、次のように述べています。
「水運を可能とさせるためには、まず花見川の改修が必要となる。大和田の排水機場で花見川の河床は新川のそれより4.6m高い。自然流下させるためには河床の底下げが必要となる。しかしながら天保の開削の面影を残す区間については歴史的な視点からも現状を維持することが大切であり、その他の区間でも極力自然的工法を採用することが前提となる。」(アンダーラインは引用者)
堀割区間の歴史的意義を認め、その維持を述べています。専門家による、このような活字文章を、私ははじめて読み、大変こころ強く思いました。
本の構成は次のようになっています。
第1章房総水の回廊構想
第2章印旛沼の成り立ちと環境創造
第3章運河のアメニティとデザイン
第4章房総水の回廊構想シンポジウム
第5章印旛沼湖上座談会
第1章房総水の回廊構想では、花見川改修と印旛沼浚渫によりこの構想実現を図ることが詳しく述べられています。次ようなメインとなる2つの仕掛を説明しています。
・印旛沼を浚渫するとともに、被圧湧水に期待して新たな水源を確保し、沼の貯水容量を現在の4倍にする。
・大和田と花島にロックを設け、沼の水位・水量をコントロールし、船の通行が可能となるよう花見川を改修する。
第2章では地史的視点からの構想の意義が、第3章では海外事例を引用して、運河がアメニティの源泉であることが詳しく述べられています。
第4章、第5章はシンポジウムの記録です。実は、第4章のシンポジウム(1994年3月)に私も聴衆の1人として参加したことを憶えています。
まことにロマン溢れる、雄大な構想です。
この本を手にとってみて、その後この構想がどうなったのか気になりました。WEBで検索してみると、「房総水の回廊構想 社会実験」と銘打って2010年8月6日に大和田機場から花見川河口までボートで下ったことを連想させる画面が見つかりました。教育・研究の場ではこの構想が生きているようです。
今後アンテナを張り、この構想がどうなっているのか、知りたいと思います。
既報のように兄弟ブログ「ジオパークを学ぶ」をはじめました。この中で、哲学者・思想家・歴史文化学者などの図書の学習に取り組もうと思っています。
手始めに参考になりそうな図書を我が家の書庫で探していました。その時、偶然「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(三浦裕二・高橋裕・伊澤岬、1996、彰国社)を見つけました。「ジオパークを学ぶ」ブログ活動の最初の副産物のように感じましたので、せっかくですから、記事にしてみます。
房総・水の回廊構想は知っていました。しかし、私の活動は花見川流域を散歩して、受身的観察をして、それを頼りにして流域の魅力を発見しようとしています。現場での発想に直接関係する図書しか関心がありませんでしたから、この本の存在はほとんど忘れていました。今回偶然にこの本を手に取って、ぱらぱらめくってみると、「続保定記」の引用などもあり、参考になる情報が多いので、興味が湧きました。そこで、この本の概要を報告します。
まえがきでこの構想を次のようにうたいあげています。
「東京湾岸の新都市幕張、その南端に注ぐ花見川を遡り、印旛沼を経て利根川を下り、太平洋の銚子、鹿島に至る延長約120kmを水の道でつなぎ水運文化を復興させ、沿川19市町村の新たなる連係と活性化を図ると共に、印旛沼を浚渫することで水環境の改善を図り、同時に水資源を確保し、日本の原風景たる田園の景観を保全しようとするものである。」
花見川の改修については、次のように述べています。
「水運を可能とさせるためには、まず花見川の改修が必要となる。大和田の排水機場で花見川の河床は新川のそれより4.6m高い。自然流下させるためには河床の底下げが必要となる。しかしながら天保の開削の面影を残す区間については歴史的な視点からも現状を維持することが大切であり、その他の区間でも極力自然的工法を採用することが前提となる。」(アンダーラインは引用者)
堀割区間の歴史的意義を認め、その維持を述べています。専門家による、このような活字文章を、私ははじめて読み、大変こころ強く思いました。
本の構成は次のようになっています。
第1章房総水の回廊構想
第2章印旛沼の成り立ちと環境創造
第3章運河のアメニティとデザイン
第4章房総水の回廊構想シンポジウム
第5章印旛沼湖上座談会
第1章房総水の回廊構想では、花見川改修と印旛沼浚渫によりこの構想実現を図ることが詳しく述べられています。次ようなメインとなる2つの仕掛を説明しています。
・印旛沼を浚渫するとともに、被圧湧水に期待して新たな水源を確保し、沼の貯水容量を現在の4倍にする。
・大和田と花島にロックを設け、沼の水位・水量をコントロールし、船の通行が可能となるよう花見川を改修する。
第2章では地史的視点からの構想の意義が、第3章では海外事例を引用して、運河がアメニティの源泉であることが詳しく述べられています。
第4章、第5章はシンポジウムの記録です。実は、第4章のシンポジウム(1994年3月)に私も聴衆の1人として参加したことを憶えています。
まことにロマン溢れる、雄大な構想です。
この本を手にとってみて、その後この構想がどうなったのか気になりました。WEBで検索してみると、「房総水の回廊構想 社会実験」と銘打って2010年8月6日に大和田機場から花見川河口までボートで下ったことを連想させる画面が見つかりました。教育・研究の場ではこの構想が生きているようです。
今後アンテナを張り、この構想がどうなっているのか、知りたいと思います。
Twitter開始のお知らせ
私(cooler0331)はTwitterによる情報発信を始めましたので、お知らせします。
次のサイトで私の全てのツイートを読むことができます。
http://twitter.com/#!/cooler0331
このブログを見ていただいている方でTwitterをされている方がいれば、是非フォローさせてください。またフォローしていただければ幸いです。
なお、このブログでも最新5ツイートを掲載しています。
「ジオパークを学ぶ」ブログ開設のお知らせ
「花見川流域を歩く」の兄弟ブログとして「ジオパークを学ぶ」ブログを開設しましたので、お知らせします。
「ジオパークを学ぶ」ブログは私(cooler0331)の個人学習記録ブログです。
岩井國臣先生(社団法人国土政策研究会会長)の論文「ジオパークについて」を学習していくプロセスを情報発信していきます。
この学習の中で、私は、拠って立つべき地域づくりの哲学や思想を発見しようと思っています。
興味のある方は一度ご笑覧ください。ただし、始まったばかりですから、まだコンテンツは少ないです。
ジオパークを学ぶhttp://geoparkwomanabu.blogspot.com/
なお、「ジオパークを学ぶ」のは、地域づくりの哲学や思想を学ぶものであり、花見川流域にユネスコが支援しているジオパーク構想を重ね合わせているものではありません。その点はご了解ください。
2011年4月7日木曜日
花見川下流紀行 6見どころ…花見川河口と東京湾
河口に架かる美浜大橋は若者に人気のある場所で、手すりにいたずら書きが絶えません。橋梁を管理する人はその消去に大変だと思います。
以前テレビで日の出のきれいに見える場所として紹介されたことがあります。私も夫婦でいつかの年の元旦早朝に、日の出を見に行ったことがあります。まだ暗いうちから大勢の人が橋上で日の出を待っていました。
美浜大橋欄干のいたずら書き
花見川河口から東京湾が一望できます。広い視界に東京神奈川から千葉富津方面まで湾全体を見ることができます。
河口から東京湾を見る2人
また、河口付近は人工海浜となっており、潮干狩りの人が絶えません。
人工海浜検見川浜で潮干狩りする人々
【参考】
下記の写真は私の小学校4年の遠足の写真です。この検見川から1キロほど東の稲毛で潮干狩りしたときの記念写真です。背景に海蝕崖と海の家が写っています。「今は昔」とはこのことです。
この干潟はなくなったけれども、人工海浜ができて、現在でも潮干狩りできることはうれしいことです。
小学4年の遠足 いなげ
ちなみに、このクラスの子どもの人数を数えると58人でした。欠席者もいるでしょうから1クラス60人ほどの子どもの面倒を水上先生(中央白シャツ)はみていたことになります。
以前テレビで日の出のきれいに見える場所として紹介されたことがあります。私も夫婦でいつかの年の元旦早朝に、日の出を見に行ったことがあります。まだ暗いうちから大勢の人が橋上で日の出を待っていました。
美浜大橋欄干のいたずら書き
花見川河口から東京湾が一望できます。広い視界に東京神奈川から千葉富津方面まで湾全体を見ることができます。
河口から東京湾を見る2人
また、河口付近は人工海浜となっており、潮干狩りの人が絶えません。
人工海浜検見川浜で潮干狩りする人々
【参考】
下記の写真は私の小学校4年の遠足の写真です。この検見川から1キロほど東の稲毛で潮干狩りしたときの記念写真です。背景に海蝕崖と海の家が写っています。「今は昔」とはこのことです。
この干潟はなくなったけれども、人工海浜ができて、現在でも潮干狩りできることはうれしいことです。
小学4年の遠足 いなげ
ちなみに、このクラスの子どもの人数を数えると58人でした。欠席者もいるでしょうから1クラス60人ほどの子どもの面倒を水上先生(中央白シャツ)はみていたことになります。
花見川下流紀行 5見どころ…右岸の散歩道と被災
右岸の堤防裏の散歩道(管理用道路)は隣接して交通公園など緑地帯があるのですが、東に空が開いているため、日中影が出来ないので真夏などには直射日光が厳しい空間となります。真夏以外の季節や、朝夕・曇りの日には広々とした花見川の風景を左岸以上に楽しめる快適な散歩空間です。ただ、アクセスがあまりよくないので、利用者は少ないようです。それだけに、考え事をするための散歩などにはうってつけです。
被災前の右岸の散歩道(管理用道路)
この散歩道(管理用通路)は今回の東日本大震災で下流の500m程度の区間の堤防パラペットが倒壊し、それ以外の区間でも地盤の液状化、噴砂により大きなダメージをうけました。現在は道路陥没などの恐れがありパラペット倒壊区間は通行禁止になっています。早期の復旧を願います。
被災前の様子
東日本大震災による被災の状況(2011年3月23日撮影)
被災状況の近景
なお、この被災状況は以前の記事で詳報しています。
緊急報告 東日本巨大地震による花見川被災状況2
花見川被災の追加情報(動画あり)
被災前の右岸の散歩道(管理用道路)
この散歩道(管理用通路)は今回の東日本大震災で下流の500m程度の区間の堤防パラペットが倒壊し、それ以外の区間でも地盤の液状化、噴砂により大きなダメージをうけました。現在は道路陥没などの恐れがありパラペット倒壊区間は通行禁止になっています。早期の復旧を願います。
被災前の様子
東日本大震災による被災の状況(2011年3月23日撮影)
被災状況の近景
なお、この被災状況は以前の記事で詳報しています。
緊急報告 東日本巨大地震による花見川被災状況2
花見川被災の追加情報(動画あり)
花見川のシジュウカラの鳴き声
花見川堀割の上にある横戸緑地(天保普請の土置場跡)でシジュウカラの鳴き声を採りました。画像は横戸緑地の日の出前の風景です。
シジュウカラは最初単純に「ツーピー、ツーピー」と鳴いていたのですが、そのうち複雑な鳴き声になりました。この画像の鳴き声は一番複雑になったときの声です。
花見川のシジュウカラの鳴き声
シジュウカラは最初単純に「ツーピー、ツーピー」と鳴いていたのですが、そのうち複雑な鳴き声になりました。この画像の鳴き声は一番複雑になったときの声です。
花見川のシジュウカラの鳴き声
2011年4月6日水曜日
花見川下流紀行 4見どころ…快適な左岸の散歩道
左岸のサイクリング道路は日中木陰があり、広々とした花見川の空間が広がるため快適な散歩道、サイクリング道路となっています。散歩やジョギングする方が絶えません。若い人が多いので雰囲気がさらに明るくなっています。
この付近の埋立地にできた住宅は比較的新しいので、入居した当時は子育て世代であった人がまだ高齢者になっていないのです。その世代が育てた子どもが若者になりましたが、まだここに居住しているのです。
東日本大震災でこの付近のサイクリング道路も一部噴砂がありましたが、利用に大きな支障があるようなものではありません。
左岸から河口方向の広々とした眺め(震災前)
左岸のサイクリング道路
この付近の埋立地にできた住宅は比較的新しいので、入居した当時は子育て世代であった人がまだ高齢者になっていないのです。その世代が育てた子どもが若者になりましたが、まだここに居住しているのです。
東日本大震災でこの付近のサイクリング道路も一部噴砂がありましたが、利用に大きな支障があるようなものではありません。
左岸から河口方向の広々とした眺め(震災前)
左岸のサイクリング道路
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