2012年6月27日水曜日

埋蔵文化財に関する学習企画

過去に閲覧した黒曜石石鏃(子和清水遺跡出土物)
小突起をカウントしてみた
20110917記事「子和清水遺跡の出土物閲覧4」参照

1 知的欲望
このブログではこれまでに犢橋貝塚、落合遺跡、子和清水遺跡、双子塚遺跡などいくつかの古代遺跡について記事にしてきました。
落合遺跡では出土丸木舟を、子和清水遺跡では多種の出土物を所蔵機関で閲覧しました。
明後日には双子塚遺跡の出土物閲覧も予定しています。

このような活動をする中で、たまたま興味を持った遺跡について調べるのではなく、花見川流域の全遺跡情報を悉皆的に知りたいという知的欲望が育ってきています。
遺跡数は数百であり、作業という面で手に負えない範囲ではありません。 またこの地域の全遺跡情報を知り、解析すれば必ずや新たな有益情報が得られると予感できます。
活動量に対する収穫効果は大きいと考えます。
おそらく花見川流域の埋蔵文化財情報を全部詳細に検討するという行為をする人は、専門家を含めてこれまで誰もいないと思います。そう思うと、ひそかな自己満足感も得られるに違いありません。

そこで、その実現に踏み出すこととしました。

2 学習活動企画
次のような学習活動を予定して、実行に移ります。

1 埋蔵文化財地図の情報をGISにプロットする。
2 関連文献を全て入手し読む。
3 主要遺跡の出土物を閲覧する。
4 埋蔵文化財から得られる情報により、古代における川(谷津)と生活の関係を知る。

具体的な活動内容は次のようにイメージしています。

1 埋蔵文化財地図情報のGISプロット
ア 千葉県発行埋蔵文化財地図そのもののGIS取り込み
千葉県発行埋蔵文化財地図(平成11年、12年)のⅠ(船橋市、佐倉市、八千代市、習志野市、四街道市)とⅢ(千葉市)の2枚の地図を各図幅毎にパソコン上で張り合わせ、GISに取り込みます。

イ 情報のGISファイル化
ア資料の情報を類型区分してGISに入力ファイル化し、それぞれ新規レイヤーにします。 情報をGISファイル化することにより、適宜に情報の修正、追加等を行えるようになります。 またア資料以降の新情報の追加も行えるようになります。

ウ 情報そのものの分析
イ資料を統計的整理、分布把握して、全体的な分析を行います。 この分析だけでも、新たな発見や興味(疑問)が沢山生まれつと思います。


2 関連文献入手読破
ア 全関連文献の入手
リストに掲載されているすべての関連文献を入手してpdf化し、パソコン上でいつでも読めるようにします。(これまでにもかなりの文献を既に入手pdf化しています。)
各市図書館等でほとんどすべて入手できると思います。

イ 全文献の読破
全文献を読みます。


3 主要遺跡出土物閲覧
ア 主要遺跡の出土物(現物)の閲覧
所蔵機関にお願いして、主要遺跡出土物を閲覧します。

イ 閲覧メモの作成
出土物閲覧で気が付いたこと、感じたこと等をメモします。


4 埋蔵文化財情報と地形等との関連分析
1~3で得られた情報とこれまでこのブログで検討してきた地形等との情報をGIS上で重ね合わせ分析するなどします。

この分析の中で、古代において花見川(古柏井川)が東京湾と香取の海との交流幹線であるとの自説を裏付けたいと思っています。(正確に言えば、自説の確からしさを飛躍的に向上させたいと思います。)

また、縄文由来の地名の意味(解釈)を深める手がかりが少しでも得られないかと、その可能性は極めてわずかだとは思いますが、ダメモトで期待しています。

さらに、神社等霊的空間の起源を考える際の参考情報を得たいと思っています。

実際は、作業のステップを踏んで最後に分析するということではなく、作業しながら随時分析的検討を行うことになると思います。

しばらく埋蔵文化財関係の記事が増えると思います。

2012年6月26日火曜日

河道逆行争奪の証拠5 花見川による断層崖先行谷津パターンの取り込み

断層崖である小崖2に起因する先行谷津パターンを花見川が取り込んでいます。このこと自体が花見川が印旛沼水系谷津を河道逆行争奪した証拠として採用できます。

この付近の台地が生まれた時(下総上位面が陸化した時)、最初に次のような印旛沼水系必従谷が形成されました。

下総上位面形成時の必従谷分布
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

その後、地殻変動があり、次のような断層崖発生に起因する谷津パターン(断層崖先行谷津パターン)の形成がありました。(2012.2.29記事「小崖2に起因する谷津パターン」参照)

断層崖先行谷津パターン
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

小崖2に起因する断層崖先行谷津パターンは花見川(古柏井川)だけでなく、近隣の河川に一般的にみられる現象です。

参考 小崖2に起因する断層崖先行谷津パターン例

印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターンは次のようになっています。

印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターン
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

つまり、印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターンは小崖2に起因する断層崖先行谷津パターンをそのまま取り込んでいます。
これが河道逆行争奪現象の証拠となります。

断層崖先行谷津パターンはもともと古柏井川(印旛沼水系河川)で形成されたものですが、それが東京湾水系の花見川に取り込まれていることは河道逆行争奪現象があった証明材料となります。

*     *     *

2012.5.30記事「河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠」からスタートした連載を終えます。

江戸時代から現代までの人工改変により、花見川のもともとの地形が専門家でも理解できなくなってしまっています。
しかしこのブログで、花見川に、類例のない特異形式の河川争奪地形(このブログで河道逆行争奪地形と仮称しました)が存在していることを自分なりに究明できました。

さて、今後このブログでは地形そのものから、特異な地形を利用した地域の歴史に興味対象を少しずつ移動していきます。
花見川のもともとの谷津地形が判ってきたので、その知識に立脚して、次のような人文現象について改めて検討したいと思います。
おそらく、花見川のもともとの地形が不明の時と比べて、興味をより深めることが出来ると思います。

・古代遺跡(縄文遺跡、弥生遺跡、古墳等)
・地名(特に縄文由来の地形関連地名)
・小金牧、六方野
・花島観音、横戸弁天、神社
・印旛沼堀割普請
・習志野演習場、下志津演習場
・戦後印旛沼開発
・開拓
・住宅団地開発など

また、折に触れて、「河川争奪現象の発生メカニズム」などマニアックな話題も記事にします。

2012年6月25日月曜日

河道逆行争奪の証拠4 断層地形(小崖1)を花見川が切っている

1 地殻変動と営力無風地帯の成立
下総上位面が離水陸化して印旛沼水系の必従谷がこの付近にできた後、東京湾中心が沈下し東京湾縁辺部が隆起する地殻変動がありました。
花見川河川争奪が生じた付近は丁度この隆起地殻変動があった場所です。隆起地殻変動でできた断層地形の一つが小崖1です。(2012.3.31記事「小崖から花見川流域地形を見る」参照)

小崖1より南は北側と比べて相対的に沈下しました。その結果下総上位面を刻んでいた谷津は流水が北側に流れなくなりました。(宇那谷川では湖沼-長沼-が生まれました。) (2012.2.1記事「横戸2谷津、横戸3谷津の縦断形」など参照)

小崖1より南側では印旛沼水系の谷津が発達する活力が失われてしまい、谷津は化石化していきました。つまり小崖1より南側では化石化した谷津地形はあるが、そこでは流水は流れないため浸食作用が生じない地域、つまり浸食地形形成営力という点で無風地帯が生まれました。

2 河道逆行争奪現象ゾーン
この浸食地形形成営力上の無風地帯に東京湾水系の谷頭浸食が及ぶようになると、東京湾水系は浸食しやすい場所、つまり化石化した谷津(=台地の凹地)を選択的に浸食するようになったと考えられます。


河道逆行争奪現象ゾーン 3D表現1


河道逆行争奪現象ゾーン 3D表現2

図でA~Eと花見川が、東京湾水系が化石化した印旛沼水系の谷津を選択的に谷頭浸食している場所です。

花見川は小崖1を切って谷頭浸食を北に向かって進めいますが、Aも同様に小崖1を切っています。
B、D、Eは小崖1をもう少しで切るところまで浸食を進めています。

このように、東京湾水系が、下総上位面形成後の地殻変動の後で、印旛沼水系の谷津をその上流から下流に向かって谷頭浸食していく現象(つまり河道逆行争奪という現象)があり、それは小崖1を切って北に進んでいる現象であるということを認識できます。

つまり小崖1を切って河道逆行争奪が進行するという現象は花見川だけの固有現象ではなく、この付近一帯では一般的な現象であることが判ります。

A、B、C、D、Eの事例は花見川河道逆行争奪の証明材料となります。

2012年6月15日金曜日

悪質ないたずら

1 掲示物がはがされている
今朝散歩で弁天橋のたもとを通った時、花見川の清掃等の活動をしている市民団体の掲示物が掲示板からはがされて、地面に落ちていました。
以前には、掲示板そのものが壊されていたこともありました。

2 水面に多量の紙がまかれている
サイクリング道路をしばらく進み、何気なく花見川の水面を見ると、辺り一面に多量のコピー用紙等が浮かんで、ゆっくりと流れていました。



花見川水面に浮かぶ多量の紙(2012.6.15 am4:45撮影)

状況からして、弁天橋から多量の書類等が投げ込まれたようです。
流れている物は綴じられていないバラの使用済みコピー用紙と使用済みの封筒類等です。
小事務所や家庭書斎の中である程度整理された廃棄用紙が投棄されたという印象を受けました。
流れのスピードから逆算して弁天橋から30分か1時間前に投棄されたと思います。

ゴミ処理目的の不法投棄なら人目のない場所にまとめて置いていくことになると思います。
しかし、弁天橋から多量のコピー用紙をばらまくという行為は尋常でない悪質ないたずらであり、愉快犯による犯罪です。

おそらく、市民団体の掲示物をはがした人とこの愉快犯は同一人物だと思います。

投棄された封筒を回収してそこに書かれた宛先の情報とか、コピー用紙に印刷された情報から投棄犯を探し出すような活動が大切だと思いました。

2012年6月13日水曜日

河道逆行争奪の証拠3 真逆流向の2河岸段丘の併存

1 花見川河岸段丘
印旛沼堀割普請前の本来の東京湾水系花見川の最源流は横戸台-柏井高校付近にあり、河岸段丘が発達していました。その河岸段丘をこのブログでは花見川河岸段丘と呼んでいます。
花見川河岸段丘の北端は柏井付近です。
北柏井の集落が乗っている河岸段丘(*)は花見川河岸段丘の中で最も広いところです。

2 古柏井川谷底(千葉第1段丘)
古柏井川谷底は花島付近から柏井を通り、勝田川の千葉第1段丘に連続しています。
古柏井川は印旛沼水系の河川です。

3 下総下位面
下総下位面は横戸台-柏井高校付近より北では面的に分布しますが、それより南では、古柏井川谷底を囲むような形状で浅い谷として分布しています。
この下総下位面に連続する浅い谷は当然印旛沼水系です。

これらの地形面の分布図を次に示します。
花見川筋の地形面の分布

4 地形面の標高をA-B線に投影して作成した縦断標高図
花見川筋の概略の方向をA-B線で代表させ、そのA-B線に各地形面の標高を投影して縦断標高図を作成しました。

花見川筋の地形面縦断標高図

5 古柏井川谷底の縦断標高は北に傾く
この図から、同じ谷津内に存在する花見川河岸段丘と古柏井川谷底の縦断標高の傾斜が異なることが確認できます。
標高の高い古柏井川谷底の縦断標高は北に向かって(B方向に向かって)下がります。印旛沼水系の川ですから当然です。

6 花見川河岸段丘の縦断標高は南に傾く
一方、同じ場所で下位にある花見川河岸段丘の縦断標高の傾斜は南に向かって(A方向に向かって)下がります。東京湾水系の川ですから当然です。

7 5と6が同じ谷津内に存在することが、河道逆行争奪の直接証拠
同じ谷津内の河岸段丘が示す流向が真逆であることが、この場所で河道逆行争奪があった直接証拠となります。

なお、古柏井川の縦断標高の傾斜より、花見川河岸段丘の縦断標高の傾斜の方が急になっています。そのことは東京湾水系の谷津は深く、印旛沼水系の谷津は浅いという一般傾向と整合的な関係にあります。

……………………………………………………………………
* 「北柏井の集落が乗っている河岸段丘」について、このブログでは以前古柏井川の谷底であると考えて記事を書いていたことがあります。
しかし航空レザー測量による5mメッシュの入手により正確な標高データの比較ができるようになり、それまで困難であった精細な段丘面高度の比較が可能となりました。
その結果、現在では北柏井の集落が乗っている河岸段丘を東京湾水系花見川のつくった河岸段丘として対比しています。
……………………………………………………………………

つづく

2012年6月12日火曜日

コジュケイのいつもと違う鳴き声

花見川柏井橋すぐの青い水管橋のところで、コジュケイがいつもと違い、コッ、コッ、コッと大きな声で鳴いていました。
樹上で3分間以上鳴いていました。

いつもの「ちょっと来い」と聞こえるけたたましい鳴き声は地上で発していると思われ、鳴いているその姿を見ることはまれです。

しかし、樹上でコッ、コッ、コッと鳴いているときは下のサイクリング道路を散歩する人に姿を見せていて、警戒感のあり方が少し違っていました。
映像の最初のところで、コジュケイが木から木に移るところが写っています。
映像には撮れませんでしたが、鳴き終ったコジュケイが地上に降りると、そこに別のコジュケイの姿が見えました。
もしかすると、親鳥が樹上から地上の幼鳥に警戒音を発していたのかもしれません。

そうだとすると、この映像を撮ったことはコジュケイに少し申し訳ないことをしたことになります。

2012年6月4日月曜日

河道逆行争奪の証拠2 深い谷が浅い谷を切る

花見川の前谷津では、同一谷津内で印旛沼水系が形成した浅い谷を、東京湾水系の深い谷が切っていて、河道が丸ごと争奪された状況を地形的に表現しています。

次の図は花見川の前谷津A-Bと長作川(花見川支流)の滝の清水谷津(仮称)C-Dの縦断面図の位置を示しています。

前谷津と滝ノ清水谷津(仮称)付近の地形と縦断面図位置

この図でA-1の区間は下総上位面を削る浅い谷地形となっています。
花見川団地が建設され地形改変されていますが、浅い谷そのものは形状を残していることが、現地で確認できます。
この区間に浅い谷が存在していることは、戦前期の旧版1万分の1地形図に等高線表示で表現されています。

旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

A-1区間の浅い谷は東京湾側水系である深い谷の浸食作用で形成されたものではありません。

この浅い谷は下総上位面が陸化した直後に形成された原始的な谷津であり、西隣の芦太川の浅い谷など、近隣の浅い谷と同じく印旛沼側水系の一部であることは論を待ちません。

次にA-Bの断面図を見てみます。

前谷津A-Bの縦断面図

1と2の場所に遷急点があり、谷津の谷底が3区分されます。
A-1区間は下総上位面を削る浅い谷で印旛沼水系に由来します。
1-2区間は東京湾水系によって形成された花見川河岸段丘(立川面相当)に対比される谷底であると考えられます。
2-B区間は花見川沖積面の谷底です。

この断面図から印旛沼水系の浅い谷が東京湾水系の谷底によって切られていて、しかも平面的には印旛沼水系由来で分布していると考えられる谷津内でその現象が生じています。

まさに河道逆行争奪の現場がここに残っていると考えることができます。

次に、長作川の滝ノ清水谷津(仮称)の断面を示します。

滝の清水谷津(仮称)C-Dの縦断面図

C-D断面をみると下総上位面を沖積面の谷が直接削っていることが判ります。
このような断面が東京湾水系の深い谷の谷頭部では一般的です。

前谷津A-B断面と滝の清水谷津(仮称)C-D断面の対比から、前谷津の形成は古く、滝ノ清水谷津(仮称)の形成は新しいことが推測できます。

次に3D画像を前谷津について2枚、滝ノ清水谷津(仮称)について1枚示します。

前谷津の3D画像 1

花見川団地が建設され、人工改変されていますが、A-1区間に浅い谷地形が残っていることがわかります。

前谷津の3D画像 2

前谷津の中を覗き込むと、2つの遷急点の存在が明瞭にわかります。

滝の清水谷津(仮称)の3D画像

東京湾水系の一般的な谷頭部を示しています。

なお、前谷津が突き進んでいるところは、実は芦太川の支谷津(浅い谷)の先端部であることがこの図から判ります。
旧版1万分の1地形図の等高線分布からもそのことは確認できます。
前谷津も河道逆行争奪の端緒についていると考えることができるかもしれません。今後検討を深めるつもりです。

つづく

2012年5月31日木曜日

河道逆行争奪の証拠1 水系パターン異常

花見川河川争奪(河道逆行争奪)の証拠第1として水系パターン異常を示します。

次の図は現在の花見川水系の谷筋線を抜き出したものです。

現在の花見川水系谷筋線
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

この谷筋線図から次の水系パターン異常が読み取れます。

1 緑に塗った部分は東京湾側水系ですが、印旛沼側水系領域に凸になって食い込んでいます。
2 同時にその部分の谷筋末端はほとんど全て北方向を向いています。
3 緑に塗った部分の谷筋は北方向の印旛沼側の谷筋に連続しています。

1、2、3は東京湾側水系がもともと存在していた印旛沼側水系の谷津パターンを丸ごと奪ったことを証拠だてています。

つづく

2012年5月30日水曜日

河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠

花見川河川争奪(河道逆行争奪)の証拠を少なくとも5つ用意できるので列挙し、記録しておきます。

検討を進めていけば、さらに加えて別の証拠も見つけることがあるような予感がしています。

1 人工改変以前の花見川の姿
江戸時代の印旛沼堀割普請、戦後印旛沼開発で花見川の姿が大きく変わりました。
その人工改変の影響を除去して、花見川本来の姿を認識しておくことが以下の検討の大前提になります。

花見川水系の本来の姿は次のようにイメージできます。(2012.4.27記事「印旛沼堀割普請前の花見川と古柏井川の谷中分水界」参照)
人工改変前の花見川水系

この人工改変前の花見川水系が、最初からこのような姿で形成されたものではなく、最初存在していた印旛沼水系の谷津(河川)を東京湾側水系が谷津(河道)を丸ごと奪ったという証拠を5つ列挙します。

2 花見川河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠
5つの証拠を一覧表で示します。

花見川河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠

番号
項目
説明
1
水系パターン異常
水系の方向が北に向かっており、印旛沼水系のパターンになっています。近隣の水系は全て印旛沼水系となっていて、それと対比して、花見川は異常であり、河道逆行争奪の証拠となります。
2
下総上位面を刻む浅い谷の存在
花島の谷津や柏井の2つの谷津(前谷津、後谷津)の上流部に、下総上位面を刻む浅い谷が存在していて、それを東京湾水系の特徴である深い谷が切っています。河道逆行争奪の証拠となります。
3
印旛沼側に連続する河岸段丘の存在
下総下位面(浅い谷)、古柏井川谷底が河岸段丘となり、花島-柏井付近から流域を越えて印旛沼水系側に連続分布しています。河道逆行争奪の有力な証拠です。
4
断層地形(小崖1)を花見川が切っている事実
近隣水系の観察から、印旛沼水系は小崖1形成前に形成され変形していますが、花見川は小崖1を切っています。河道逆行争奪の一つの証拠です。
5
断層地形(小崖2)に起因する先行谷津を花見川が取り込んでいる事実
小崖2に起因する先行谷津[](古柏井川)を花見川水系が取り込んでいます。花見川が古柏井川河道を丸ごと争奪した証拠です。
*2012.2.29記事「小崖2に起因する谷津パターン」参照

花見川河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠

上記証拠の一つ一つを記事を改めて詳しく検討していきます。

つづく

2012年5月28日月曜日

花見川の境界機能 その2

縦と横

1 縦
これまでこのブログで時々話題にしてきた「東京湾と香取の海の主要交流ルートとしての花見川」、「印旛沼堀割普請による利根川と東京湾を結ぶ運河築造」、「戦後印旛沼開発」などは全て、花見川の縦(縦断方向)の空間機能です。

花見川は南北方向に連結(結合)の機能を果たしています。

縦の空間機能

2 横
一方、花見川の境界機能は、横(横断方向)の空間機能です。

花見川は東西方向に境界(分断)の機能を果たしています。

横の空間機能

花見川の縦と横の機能を表で整理すると、次のようになります。

花見川の縦と横の空間機能

区分
項目
時代
縦の機能=連結(結合)
(南北方向、縦断方向)
東京湾と香取の海の主要交流ルート
古代
印旛沼堀割普請
近世
戦後印旛沼開発と流域変更
現代
横の機能=境界(分断)
(東西方向、横断方向)
土地利用ブロック境界(小金牧と六方野、習志野演習場と下志津演習場)
近世
現代

花見川がこのように顕著な影響を社会に及ぼした原因は、河川争奪現象(河道逆行争奪)により、東京湾側の深い谷が下総台地奥深くまで侵入したからです。

花見川河川争奪という地形現象が、古代から現代までの人社会に大きな影響を及ぼしてきていることを、今後詳しく調べることが大切であると考えます。

おわり