2013年9月16日月曜日

断層横ズレを伝える花島谷津の平面形状

花見川流域の小崖地形 その25

2013.09.15記事「花島断層の水平移動成分は130mもある」で花島断層の水平移動成分が130mあることが判りましたが、花見川西岸の花島や花見川で水平移動成分がどうなっているのか、検討してきていません。
気になりますので、その場所に舞い戻って検討します。
小崖地形(断層地形)を花島では花島谷津が、花見川団地付近では芦太川が横切っていますので、この2箇所で検討してみます。

まず、花島谷津における検討です。

花島谷津の検討は2013.04.30記事「花島谷津と小崖」で行っています。
この記事に次の情報を加えます。

花島谷津は東京湾水系の侵蝕谷です。その谷底平面形状は次のようになります。

花島谷津谷底の平面形状
基図は千葉市都市図(1960年測量、千葉市立郷土博物館提供)

花島谷津谷底の平面形状をよく見ると、花島小崖(花島断層)の部分で小崖の方向に折れ曲がっていてクランク状になっていて、あたかも小崖(断層)の北側のブロックが東(右)へ、南側のブロックが西(左)に移動したように見えることに気がつきました。

このことから、花島谷津は東京湾水系の侵蝕谷津ですが、その侵蝕はそれ以前に存在した印旛沼水系谷津の平面形状をなぞるように地形形成したのではないかとの仮説を持ちました。

次の模式図のように考えました。

花島谷津の水平ズレの説明図
基図は千葉市都市図(1960年測量、千葉市立郷土博物館提供)と地形段彩図

つまり、もともと印旛沼水系谷津があり、その印旛沼水系谷津が断層で水平移動して変形しました。その後東京湾水系谷津の侵蝕作用がこの場にも北側から南方向に向けて発生するようになり、その時もともとあった印旛沼水系谷津の平面形状をなぞるように侵蝕が行われたという仮説です。

花島谷津の平面形状はそのまま断層運動の水平移動の存在を示すものではありませんが、間接的に示していると考えます。

なお、千葉市都市図などから得られるズレ成分は約90mですが、米軍空中写真を実体視すると花島小崖南側の花島谷津の西側に浅い凹地がありました。これから、より仔細に検討できる別の情報があれば、ズレ成分はもっと大きくなる可能性を感得しました。

花島谷津の水平方向ズレの存在は2013.09.15記事「花島断層の水平移動成分は130mもある」で得られた知見を、間接的で定性的ですが、支持する情報になります。

次に芦太川の検討に移ります。画期的な事柄に気がつきました。


つづく

2013年9月15日日曜日

花島断層の水平移動成分は130mもある

花見川流域の小崖地形 その24

1 花島断層の水平移動成分
花島小崖という地形名称はその小崖をつくった断層運動の垂直成分に着目した地物の捉え方です。

花島小崖をつくった断層運動(花島断層)は垂直成分だけであるという保証は最初からありませんから、水平移動成分がどの程度あるのか検討してみました。

次の図は花島小崖、下総上位面を削る印旛沼水系谷津(いづれも浅い谷)、東京湾水系谷津(深い侵蝕谷)を示したものです。

花島小崖及び谷津の分布
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

この分布図を仔細に観察し、また米軍空中写真(昭和24年撮影)を実体視して確認して、次のような谷筋のズレが小崖地形(断層線)に沿って存在していることに気がつきました。

花島断層の水平移動成分の検討
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

この図のうち、56は東京湾水系谷津が印旛沼水系谷津を河道逆行争奪しているという前提で検討しています。

18の谷津地形のズレのうち、その形状が明瞭であると考える3478についてその移動距離の平均を求めると約130mとなりました。

印旛沼水系谷津は何れも浅い谷であり、一般人がこれを谷地形として認識することはまずないので、誰からも見過ごされてきましたが、花島断層の水平移動成分は約130mあるのです。

この図の基図を現在の標準地図に置き換えて、谷津筋のズレ情報と現在の場所との対比ができるようにすると、次の図になります。

花島断層の水平移動成分の検討
基図は現代標準地図(電子国土ポータルによる)

130mの水平移動が一瞬で行われたということは考えられないので、この断層は長期間にわたって活動してきたことは確実です。

2 参考 柏井断層の水平移動成分
 次の図は芦太川筋が柏井断層(柏井小崖をつくった断層)によってズレた(水平移動した)ことを示す地図です。

参考 柏井断層の水平移動成分の検討
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

芦太川筋は約150mのズレが見られます。

この柏井断層による水平移動と花島断層による水平移動を一緒に考えると、その二つの断層にはさまれた地殻ブロックが(相対的に)東方向に130m150m移動したと考えることが出来ます。

花島断層と柏井断層に挟まれた地殻ブロックの水平運動イメージ

つづく


2013年9月14日土曜日

花島小崖(断層崖)の分布と比高 その2

花見川流域の小崖地形 その23

1 花島小崖(断層崖)の断面図作成と比高 その2

2013.09.11記事「花島小崖(断層崖)の分布と比高 その1」のつづきです。

断面線の設定図

小崖の地形断面図(10~18

地形断面図から計測した花島小崖に関する数値
番号
頂部標高(m
底部標高(m
比高(m
摘要
10
26.4
25.2
1.2

11
25.9
25.3
0.6

12
26.8
25.0
1.8

13
25.5
23.0
2.5

14
27.2
24.8
2.4

15
27.0
25.6
1.4

16
27.2
25.0
2.2

17
27.7
25.8
1.9

18
28.2
26.8
1.4

平均
26.9
25.2
1.7


結果は比高が0.6m2.5mとなり、平均は1.7mでした。

断面線19の小崖比高は1.9mでしたから0.2m分だけ低いことになりますが、小崖の形状に大差はありません。

次に、小崖地形の縦断形状を検討してみます。

2 花島小崖の縦断投影図
次の図に示すように、横断面毎の小崖頂部と底部の標高を結んで縦断方向のグラフにして、平面図と対応させてみました。

花島小崖の頂部と底部標高の縦断グラフ

このグラフを見ると中央部が凹んでいます。

この凹みは市街地化に伴う掘削や盛土の影響ではなく、小崖(断層)が発生する前の地形面の姿を表現しているものと考えます。

つまり浅い皿型ですが、一種の侵蝕谷地形です。

平面図に印旛沼水系谷津を書き込みましたが、この印旛沼水系谷津網によってその本流(ローカルな意味での本流)付近では谷が深く、本流から離れた支流でいは谷が浅いという関係が、この縦断グラフに表現されているものと考えます。
この情報は、下総上位面が離水した直後の地形形成のあり方をしめしている貴重な情報であると考えます。

この付近では断面13付近を通る印旛沼水系谷津が本流だったようです。

なお、グラフに示す凹みと印旛沼水系網の本-支流が対応するから、この凹みは侵蝕地形であると言いましたが、その水系網と、そもそもその凹みが地殻変動で出来てその凹みにできる水系網は、ほとんど同じだと考えられます。

従って、現象的にはこの凹みは浸食地形であると言えますが、その浸食地形を引き起こした元となる地殻変動があるのか、ないのか、それは今のところ分かりません。
もっと情報を集めてから検討することにします。

また、このグラフから現在の花見川河道付近の下総上位面は、離水直後は、印旛沼水系谷津の侵蝕があまり進んでいなかったように見えます。
この情報と、花見川河川争奪(河道逆行争奪)との関係がどのようになるのか、もっと沢山の情報の中で検討したいと思います。

つづく


2013年9月13日金曜日

秋の七草 クズの花

秋の七草の一つであるクズの花が最盛期を迎えています。

クズの花

クズの花

クズの花

荒地に強い草です。
灌木を覆い隠して繁茂している場所も多いです

灌木を覆い隠して繁茂しているクズ


路上にクズの花びらが落ちて、遠くから道が紫色に染まって見える場所もあちこちにあります。

路上のクズの花びら

2013年9月12日木曜日

花島小崖(断層崖)の現在の姿

花見川流域の小崖地形 その22

D地区(花見川東岸の三角町や千種町付近)では市街地化がすすみ、花島小崖の地形が盛土等によって改変されるとともに、人家が密集して地形の認識(写真撮影)が困難になっています。

しかし、三角町と千種町の境界付近では花島小崖の改変が顕著ではない所が残っています。

次に小崖地形を明瞭に認識できる場所とその写真を示します。

これらのポイントでは小崖の上部における土地での掘削は認められませんが、小崖下部の土地における盛土は各戸ともに行われています。
従って、市街地化前の崖の比高はもっとあったと思います。

小崖が明瞭にみられるポイント

写真1
道路の左が三角町、右が千種町です。
狭い道であるため、崖地形が残っています。自動車がすれ違える道路では掘削と盛土により道路の勾配が平滑化され、崖地形が失われています。
道路の勾配が平滑になると、それに面する土地も道路の高さに合わせて掘削あるいは盛土が行われ、土地全体が平滑化してしまいます。

写真2
三角町の狭い道路に残る崖地形。

写真3
写真2の崖を上から見た写真。

写真4
道路以外の小崖は擁壁で固められていて、崖地形をあまり感じさせません。


つづく

2013年9月11日水曜日

花島小崖(断層崖)の分布と比高 その1

花見川流域の小崖地形 その21

1 花島小崖(断層崖)の分布
 千葉市都市図(1960年測量)、旧版1万分の1地形図、米軍空中写真等の開発前の状況がわかる資料に基づいて、花島小崖(花島断層の断層崖)の分布図を作成しました。

花島小崖の分布図
基図は千葉市都市図(1960年測量、千葉市立郷土博物館提供)

この図には印旛沼水系谷津(台地上の浅い谷)と東京湾水系谷津(いづれも開発前の地形を復元)も記入してあります。

花島小崖が直線的、平行的に分布するため、江戸時代からその地形方向に沿って道が発達してきていますが、戦後の開発で碁盤の目状の道路網ができましたが、この道路網の方向も花島小崖の方向を基準としてつくられています。

2 断面線の設定
次の図に示すように、花島小崖の直角に交わる約270mの断面線を、この付近で50m間隔で全部で18本設定しました。

断面線の設定
基図は標準地図と地形段彩図のオーバーレイ

3 断面図の作成と花島小崖(断層崖)の比高
 GISソフト地図太郎PLUSの地形断面図作成機能を利用して、地形断面図を作成して次に示しました。
断面図作成に用いているデータは基盤地図情報5mメッシュ(標高)です。標高の標高の単位は10㎝であり、断面図も10㎝単位の標示となっていて、小崖地形の細部まで検討することができます。
(地図太郎PLUSに地形断面図作成機能が搭載される前は、カシミール3Dの地形断面図作成機能を使っていましたが、カシミール3Dの場合図化最少単位が1mであり、微地形の詳細検討が困難でした。)

小崖の地形断面図(19

地形断面図から計測した花島小崖に関する数値
番号
頂部標高(m
底部標高(m
比高(m
摘要
1
28.9
27.1
1.8
底部前面に人工掘削あり。
2
28.6
26.8
1.8

3
28.4
25.7
2.7

4
27.4
25.9
1.5

5
27.4
25.7
1.7

6
28.4
25.4
3.0

7
26.8
24.6
2.2

8
26.6
25.0
1.6
谷津谷底面を切る小崖。
9
26.8
25.6
1.2

平均
27.7
25.8
1.9


結果は比高が1.2m3.0mとなり、平均は1.9mでした。

花島小崖の模式地である花島付近の小崖は比高が3m3.5mありました。(2013.04.17記事「花島小崖の模式地における地形」参照)
ボーリングデータから、地層のズレも約3mありますから(2013.04.18記事「花島小崖の模式地における地質」参照)、小崖比高3m3.5mは地質データと整合的です。

D地区では模式地花島付近の小崖比高と比べて平均で1.1m比高が低いのですが、その主な理由は2つあると考えています。

●D地区の小崖比高が花島地区(C地区)と比べて小さい理由
ア D地区は市街地化が進み、小崖下の土地が繰り返して盛土されているため、見かけ上、崖の比高が小さくなってきています。

イ 下総上位面の台地面ではなく、台地面を切る谷津の部分を断面線が通過していて、谷津が花島断層によって切られたところの断面を示している断面線が含まれている可能性があります。
番号8の外、79なども谷津谷底が花島断層によって切られている場所である可能性が濃厚です。その場合、次のような理由から、断層崖の比高は台地面より小さくなります。
………………………………………………
台地面より谷津谷底の方が断層崖比高が小さくなると考える理由

1断層発生前

2断層発生

3水量の多い谷津では、断層活動が活発でなければ、断層崖を下方侵蝕してそのまま流下する。谷津は維持される。

4断層活動が活発になると水量の多い谷津でも断層崖を下方侵蝕できなくなる。

結果として、水量の多い谷津を切る断層崖の比高は小さく、水量の少ない谷津や台地面を切る断層崖の比高は大きくなる
………………………………………………

断面番号8の小崖比高1.6mは、上記のような成因により、本来比高3mの崖が出来るべきところ、比高1.4m分はその谷津が下方侵蝕で削ってしまったと考えられるかもしれません。

小崖地形についてさらに検討を続けます。

つづく