2015年11月16日月曜日

縄文時代起源と想定する小字 ナガサクとハナワ

小字地名データベース作成活用プロジェクト 33

千葉県北部34市町の小字データベースの試用として、ナガサクとハナワについて予備的な検討をしてみます。

勝手な想像ですが、ナガサクとハナワは縄文時代にその起源を有する小字地名だと想定しています。

1 ナガサク
ナガサクについてデータベースで検索するとその音(よみ)あるいは漢字表記(長作、長谷、永作等)を含む小字が全部で約150抽出できます。

150の中には二次的に派生した小字名(例 長作下、長作台、長作道など)であることが明瞭なものも含まれていますが、この検討では二次的に派生した小字名はその近くに一次的小字が存在している(していた)と考え、厳密さを失いますが、一緒に扱います。

ナガサクをアドレスマッチングでプロットすると次のようになります。

千葉県北部34市町 ナガサク(長作・永作等)を含む小字分布(アドレスマッチングによる)

アドレスマッチングによる分布図ですから、きわめて概括的な分布状況しかわかりませんが、全て台地地域に分布します。(アドレスマッチングの精度上の制約から低地にプロットされているものもありますが、実際は全て台地地域に分布します。)

また、野田市や銚子市付近の台地面が狭まった地域に分布しないのが特徴です。

アドレスマッチングではなく正確なプロットをすると、地形(谷津)とナガサクの関係を検討することができると考えます。

なお、ナガサクという小字地名は、近世に二次的に派生したもの以外は縄文時代の狩猟にかかわる地名であると想定しています。

ナガサクという地名発生を考える上で参考になると考えている縄文時代狩猟遺跡を紹介します。

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参考
千葉市内野第1遺跡縄文時代遺構に見られる土壙列

千葉市内野第1遺跡縄文時代遺構の土壙列の開発前地形における位置

地形を利用した大規模鹿狩りの様子(想定)

この遺跡では長く裂けた谷津を利用して、大規模な鹿狩り(追い詰め落とし穴猟)が行われていたと考えられます。低地から多量の鹿骨が出土しています。

ブログ「花見川流域を歩く番外編」2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落とし穴シカ猟」等参照
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この参考例のような長く裂けた谷津を利用して行う大規模な狩猟の場所が、縄文時代に(さかのぼれば旧石器時代から)ナガサクとよばれていたと考えます。

(なお、上記参考例の場所にはナガサク地名はありません。)

2 ハナワ
ハナワについてデータベースで検索するとその音(よみ)あるいは漢字表記(花輪、塙等)を含む小字が全部で約150抽出できます。

150の中には低地に分布するもの2つを含め、二次的に派生した小字名(例 花輪下、花輪台など)であることが明瞭なものも含まれていますが、この検討では二次的に派生した小字名の多くはその近くに一次的小字が存在している(していた)と考え、厳密さを失いますが、一緒に扱います。

ハナワをアドレスマッチングでプロットすると次のようになります。

千葉県北部34市町 ハナワ(花輪・塙等)を含む小字分布(アドレスマッチングによる)

アドレスマッチングによる分布図ですから、きわめて概括的な分布状況しかわかりませんが、ほとんどが台地地域に分布します。

また、ナガサクと異なり、野田市や銚子市付近の台地面が狭まった地域にも分布します。

アドレスマッチングではなく正確なプロットをすると、地形(谷津)とナガサクの関係を検討することができると考えます。

ハナワも縄文時代の狩猟にかかわる地名で、台地の鼻(端)を利用した規模の小さな猟の場所を指していると考えます。

ハナワのワはワナのワと通じると考えています。

今でこそワナ(罠)ということばは道具の利用を意味しますが、狩猟時代にあっては、鼻(端)のワ(輪)にナ(菜…食べ物)をおいて動物をおびき寄せて獲った静的な地形利用狩猟方法であったと考えます。

千葉県北部34市町のデータベースだけでも、それを使ってナガサクなりハナワを検討すれば成果を得ることができそうです。

しかし、我慢して千葉県全域の小字データベースを作成してから本格検討したいと思います。

カラスに食われたハト

散歩道の電柱の下にカラスに食われたハトの前肢部分が落ちていました。

電柱の下のハトの前肢

いつもその電柱につがいのカラスがいますから、そのカラスが食ったハトだと思います。

この場所には他の骨や羽がなかったので、別の場所でハトを襲い、前肢部分だけをこの定席である電柱の上で食ったのだと思います。

過去に見たハト襲撃では、襲撃後沢山のカラスが寄ってきてごちそうの奪い合いになります。

恐らく、集団でごちそうの奪い合いをして、このカラスは運よく前肢部分を獲れたのだと思います。

ハトの前肢

なお、飛翔しているハトをカラスが追いかけて捕まえる行動を見たことがあるのですが、カラスが大きな羽音をバタバタと立てて全速で追う様は、迫力がありますがスマートさはありませんでした。おそらく弱ったハトしか捕まえられないのではないかと想像します。

2015年11月15日日曜日

千葉県北部の出現数別小字名数

小字地名データベース作成活用プロジェクト 32

千葉県北部34市町の小字データベースの概要を理解しておくために、出現数別小字名数をカウントしてみました。

千葉県北部34市町における出現数別の小字名数

出現数1つまり1つだけ出現する小字名の数は18090です。全体の小字数が46584ですからその38.8%にあたります。

小字の約4割は単独の名称になります。

なお、この統計は漢字表記を対象にその出現数をカウントしています。

残りの約6割は2つ以上の小字で同名が出現します。

最大の同名出現数は「新田」で136の同名小字があります。

出現数上位の小字名を次に示します。

千葉県北部34市町小字名の出現数上位

小字の名称はほとんど生活との関わりを表現しています。近世以降は符丁(イ、ロ、一、二、甲、乙など)による名称も増加しますが、それ以前につけられた小字名は全て生活との関わりを表現しています。

また、同じ小字の名称の意味は、つまりその名称に表現される、その土地と生活との関わり方は原則として全て同じであると考えます。

新田は新しく開発された水田ですからそのように命名されたと考えて疑いません。

ある場所の新田は「新次郎さんが開発したから新田と呼びます」という別の意味があるということは社会事象として一般にはあり得ないこととして考えます。

ですから、複数出現する小字名はその意味(その土地と生活との関わり方)が数か所で確認できれば、同じような土地と生活との関わり方をその地名から芋づる式に見つけることができる可能性があります。

これまでにこのブログで話題にしてきた地名をリストアップすると次のようになります。

ブログ「花見川流域を歩く」で検討した主な地名

今後別記事で、上記地名のうち、いくつかをサンプルとしてデータベースを使って試験的検討を行い、データベースの使い勝手を確かめてみます。




2015年11月14日土曜日

20万ページビューありがとうございます

このブログのページビューカウンターが20万を超しました。

ページビューカウンター 2015.11.13 20:55頃

2011年1月15日にブログを開設し、10万ページビューになったのが3年後の2014年1月10日です。

それから1年10か月で20万ページビューを通過することができました。

2か月後の2016年1月にはこのブログの5周年となります。

多くの方にこのブログを読んでいただいていて、とても励みになります。

心から感謝申し上げます。今後もよろしくお願いします。

ありがとうございます。

アート作品? その1
5mメッシュを利用して模様を楽しんでみました。
10万ページビュー感謝記事の時に掲載した絵の段彩設定ファイル(偶然生まれた設定)が残っていましたので、同じ設定で広域の絵を作ってみました。

アート作品? その2
5mメッシュを利用して模様を楽しんでみました。
以前使ったことのある段彩設定です。

2015年11月13日金曜日

神との交信装置としての墨書土器

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.238 神との交信装置としての墨書土器

鳴神山遺跡や萱田遺跡群の墨書土器の文字の意味を推定してきて、墨書土器が神との交信装置であるという認識を強めていますので、その認識の現時点概要をメモておきます。

墨書土器が発生した頃に次の2つの新鮮な驚き(感動、喜び)が存在していたものと考えます。

●文字の存在を初めて知った驚き(感動、喜び)
●文字を土器に書いて、それを神との交信装置に変えることができることを知った驚き(感動、喜び)

その説明をします。

1 自分の思考を「文字」という手段で表現できるという驚き(感動、喜び)
奈良時代の印旛浦開発地の人々に、祈願内容を「文字」にできるという驚き(感動、喜び)があったと考えます。

萱刈り取り(萱生産)を職務とする集団に属する個人を想定した場合、次のような状況があったと考えます。

kaya(かや)と声(音)で発し、例えば次の写真のようなイメージを浮かべることができる個人が、

萱のイメージ(例)

その音とイメージを次の文字で表現できることは驚き(感動、喜び)であったと考えます。

萱(草)のデザインされた象形文字

萱(草)の文字

つまり思考世界の事象を客観的に他者に伝わるように物体上に書くことができ、それは自分の存在とは独立して存在できるということを初めて知った人の驚き(感動、喜び)は大きなものがあったと考えます。

2 祈願内容を「文字」にして、神に客観的に提示して、祈願できるという驚き(感動、喜び)
単なる食器であった土器に、祈願内容を「文字」で書くことにより、生身の自分とは独立した別の物体上に祈願内容を存在させ、それをもって神に直接提示できる(祈願できる)ということは驚き(感動、喜び)であったと考えます。

そしてその装置を使って実際に神と交信できるということを知った時、それは人々にとってさらに大いなる驚き(感動、喜び)であったと考えます。

神との交信装置としての墨書土器(萱(草)増産祈願の例)

墨書土器が神との交信装置であったということは次のように説明できます。

●特定祈願内容を「文字」で土器に墨書する。(特定祈願内容のための神との交信装置づくり)

●その墨書土器に酒や魚を入れてお供えとし、特定祈願内容を祈願する。(手を合わせるなどの動作をともなって祈願していたと考えます。恐らく、日常生活で毎日継続して長期間この祈願行為が行われていたと考えます。食事ごとに盛った飲食物を最初に祈願に使い、その後それを食べたのかもしれません。)(これが人→神への交信です。)

●特定祈願内容が成就する。(組織活動のプロジェクトが完了した時、大きな仕事が完了した時、その年の収穫が終わった時などが特定祈願内容が成就した時です。)(これが神→人への交信です。)

●墨書土器を打ち欠く。(特定祈願内容の祈願に区切りをつける。)
(墨書土器という神との交信装置をつかって祈願したおかげでその特定祈願内容が成就したのですから、組織活動集団として神に大いなるお供え物をして感謝し、そのお供え物を墨書土器で食べ(酒宴)、最後に墨書土器そのものも役割が終わったので打ち欠いた(破壊した)と考えます。墨書土器の打ち欠きは、神との契約では犠牲が必要であるという気持ちが背景にあると考えます。)

3 律令国家による墨書土器風習の利用
文字というものが、それを初めて知る大衆にとっては驚くべき感動と喜びを与えるものであり、さらに墨書土器にするとそれが神との交信装置になり、祈願内容が成就するという文字の魔力(威力)に着目してそれを利用したのが律令国家であったと考えます。

律令国家は官人を先兵として、蝦夷戦争の軍事兵站・輸送基地で働く大衆に墨書土器風習を広め、組織活動の強化に使ったのだと考えます。

銙帯(官人着用品)出土と墨書土器出土の分布がほぼ一致していることがこのような考えを支持します。

土器は生活実用品としての意義だけでなく、労務管理上必須アイテムの墨書土器として使うという意義も併せて持った消耗品であると考えます。

したがって、奈良時代には、律令国家のプロジェクトがあった開発地では、土器は生活実用品として必要な分量以上に多量に生産されていたと考えます。

2015年11月12日木曜日

千葉県北部の小字密度

小字地名データベース作成活用プロジェクト 31

小字密度の市町村区分より詳しい分布状況の様子を知るためにアドレスマッチングで分布図を作り、それからヒートマップを作ってみました。

千葉県北部小字(46577件)のアドレスマッチングプロット

46577の小字が2131のポイント(略大字分布になります)に集約されてプロットされています。

1プロットは平均22小字が重なっている勘定になります。多いプロットは3桁の小字が、少ないプロットは1つの小字から構成されています。

このプロット図から小字密度をイメージすることはできません。

あくまで大字の分布の様子を示しているだけのものです。

千葉県北部小字分布密度図

千葉県北部小字(46577件)のアドレスマッチングプロットから作成したヒートマップです。

赤い部分程小字密度が高く、したがって小字の平均的面積が狭いことを示しています。

一方、青い部分程小字密度が低く、したがって小字の平均的面積が広いことを示しています。

千葉県北部小字分布密度図と色別標高図のオーバーレイ

ヒートマップと地形の状況がわかる色別標高図を重ねると、赤い部分が細密な谷地形地域とぴたりと重なります。

小字が細分されている地域が、細密な谷地形の地域と対応しています。

貴重な情報を得ることができました。

この情報から早速、次の仮説が生まれました。

細密な谷地形の地域は、古代の水田耕作にとっては、その動員できる技術力、人力からして最適の地域であることが予想されます。

現代の技術力や経済の状況から見ると最も非効率な水田耕作地帯になりますが、古代は正反対の評価がされていた土地であると考えます。

大小河川流域の平野と異なり、手狭な谷津では洪水の心配や干天の心配が少なくコントロールしやすい条件がそろっています。

小字密度が高い地域は古代において最初に水田耕作が行われて地域であるに違いないと考えました。

したがって、蝦夷戦争時代における下総国(一部上総国)の最大の穀倉地帯がこの細密な谷地形地帯、つまり小字高密度地域であるという仮説を持ちます。

房総から陸奥国へ運ばれた糧秣の多くがこの小字密集地帯からではないかと想像します。

また、以上の仮説が妥当であれば、この小字密集地帯の小字名が古代にその起源を有する名称であるということになります。

小字名が古代に起源を有するものであるか、近世に起源を有するかということはある程度判別できそうな印象を持っていますので、その点から検討しても上記仮説の妥当性検討に迫ることができるかもしれません。

今後この仮説実証に取り組みたいと考えます。

2015.11.12 今朝の花見川

曇天でいつまで待っても夜が明けないという朝でした。

花見川風景

花見川風景

花見川風景

落ち葉が路面を覆う割合が増えるとともに木の葉や蔦や草の葉が一斉に赤や茶や黄に色づいてすっかり風景が秋終盤です。

弁天橋から下流

弁天橋から上流

畑の空

2015年11月11日水曜日

墨書文字「六万」はムツマンドコロか?

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.237 墨書文字「六万」はムツマンドコロか?

最近の記事と関係ありませんが、気が付いたことがあるのでメモしておきます。

2015.09.21記事「参考 文字「六万」分布からの連想」で千葉県出土墨書土器文字のうち「六万」が2遺跡から19点出土していて、その中には須恵器ヘラ書き土器もあり、この文字を使う集団が土器生産地に特注できるだけの力をもっていたと推察しました。

参考 文字「六万」の出土遺構

また「六万」出土遺跡の高岡大山遺跡は東海道本路に位置し、村上込の内遺跡は東海道水運支路に位置していることから次のような記述をしています。

「高岡大山遺跡は東海道(陸路)を押さえていて、その権力の一翼を担う「六万」共有集団の一部が東海道水運支路(仮説)を押さえている村上込の内遺跡に派遣され、その場の権力の一翼を担うということが連想できます。

文字「六万」が2つの遺跡から出土した背景には、東海道陸路と東海道水運支路(仮説)が連携して活用されていたという古代交通事情があるものと考えます。」

参考 文字「六万」の出土遺構と交通との関係

突然ですが、この「六万」の読みがムツマンドコロであることに気がつきました。

六はムツと読みます。

ムツとは陸奥国のことです。

万はマン(ドコロ)と読みます。

政所(まんどころ)のことです。

政所は次の辞書解説にあるように古代から使われてきた政務や事務を行う場所の意味です。

まん‐どころ【政所】
〖名〗
① 一般に政務を執り行なう所。政庁。
※蜂須賀侯爵家所蔵文書‐天平宝字三年(759)八月五日・筑前国政所牒案「仍除二本籍一、謹請二処分一者、政所依二申状一具状」
② 平安時代以後、親王・摂政・関白・大臣・大将家や三位(さんみ)以上の貴族の家で荘園の事務や家政などをつかさどった所。
※宇津保(970‐999頃)俊蔭「政所の人装束して出で来て、めしたてつつ給ふ」
③ 大きな神社・寺院で、所管の事務全般を取り扱う所。
※観智院本三宝絵(984)中「政所に飯をかしぎて露車につみて、朝ごとに僧坊の前よりやりて」
④ 大寺院の長官。別当。
※春日社記録‐中臣祐重記・養和二年(1182)八月一六日「御寺政所法印僧都信円、権別当僧都覚憲」
⑤ 中世、荘園の事務を現地で取り扱った所。
※東寺百合文書‐に・応永一四年(1407)一二月一五日・丹波大山荘一井谷百姓等申状「政所給一石三斗御免あるましき事蒙仰候」
以下略
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

つまり、「六万」(ムツマンドコロ)は陸奥政所の意味であり、陸奥国に出向く軍勢や役人の世話あるいは軍事物資輸送管理をした役所にかかわる集団の祈願語であると考えます。

祈願語としての意味は「陸奥政所の業務をすべて滞りなく実行して、軍勢や役人あるいは軍事物資を無事陸奥国に送れますように」というようなものであったと考えます。

「六万」が村上込の内遺跡から出土していることから、陸奥政所の支所がその場所にあり、白幡前遺跡などを経由して陸奥国に向かう水運路に関する政務を行っていたと考えます。

輸送の実務(軍務)の場所が平戸川西岸の白幡前遺跡であり、その政務が東岸の村上込の内遺跡にあったことは大変興味深いことです。

白幡前遺跡からは会計(「圓」)や文書作成(「文」)に関連する墨書文字が出土していますから、実務(軍務)の場でも事務活動が行われていたことは確実です。

したがって「六万」集団の仕事は実務集団に指示してそれを動かすというより高次の役割を担っていたと考えます。

「六万」(陸奥政所)という国家レベルの高級官庁出先があったものと考えます。



2015年11月10日火曜日

千葉県北部34市町の小字データベース作成

小字地名データベース作成活用プロジェクト 30

1 千葉県北部34市町の小字データベース作成
千葉県地名大辞典(角川書店)附録小字一覧のうち、千葉県北部の34市町の電子化を済ませ、データベース化しました。

データベースの原本はFile Makerファイルとして作成しています。

データベースの項目は次の通りです。
・小字
・小字よみ
・大字
・大字よみ
・市町村
・市町村よみ
・区
・区よみ
・所在地表記
・備考(旧市町村等)

千葉県北部34市町の小字総数は46577になります。

千葉県小字データベース作成市町村(2015.11.10)

34市町の小字数を多いものから並べたグラフを作ると次のようになります。

千葉県北部34市町の小字数

千葉県の約半分の領域・小字数を電子化したことになり区切りがよいので、自分の興味をこのデータベースに投影してみて(データベースを使って分析してみて)、データベースの使い勝手を試してみたいと思います。

これだけの情報があれば多様で本格的な検討が可能だと考えますが、それは千葉県全部のデータベース作成後の楽しみとして残しておくことにして、今はデータベースの使い勝手を確かめておく程度の試行的検討を行います。検討はいくつかの記事に分けて掲載します。

この記事では、小字密度(1㎢あたり小字数)の情報を示します。

2 小字密度(1㎢あたり小字数)情報

上記の市町村別小字数グラフを見ると、面積に比して小字数が多い市町と少ない市町が存在していることに気が付きました。

小字名の検討の前に、小字密度の特性を知っておくことが大切であると感じました。

そこで、小字密度(1㎢あたり小字数)グラフとその概要分布図を作ってみました。

1㎢あたり小字数

参考 1㎢あたり小字数

九十九里平野を望む台地の小字密度が高くなっているという明瞭な地域特性が見て取れます。

最初は、この密度分布特性が歴史的事象(例 上総国の開拓が北上した様子を示すなど)と関わるとすれば面白いと考えました。

しかし、ほどなく、地形的要因によって小字密度が異なるに違いないと結論的な直観を得ました。

上の分布図で黄色や赤の地域の台地は下末吉海進においてバリアー島として形成され、最初に陸化した地域です。

したがって地史的時間でみて最も長い間浸食作用を受けていて、台地の谷津地形の発達が進んでいます。要するに地形がより細分化されています。

そのため、土地区切の細分化に対応して小字が増えていると考えます。

一方印西市付近の陸化は最も遅く、したがって広い台地面が残り、地形の細分化が進んでいないので、小字の数も少なくなっています。

2015年11月8日日曜日

2015.11.08 活動日誌

かねてから取り組んでいる角川千葉県地名大辞典の付録小字リストの電子化・データベース化の作業に10月末頃から集中して取り組んでいます。

千葉県域の北半分がほぼ終了しましたので、その概要を近日中に報告したいと思います。

さて、この作業は次のような項目を市町村毎に行っています。

1 小字リストの印刷物(紙)をスキャンする。(JPEGファイル)
2 JPEGファイルをOCRで電子テキストに変換する。
3 OCR電子テキストの誤りを修正するとともに区切り記号を入力する。
4 修正済み、区切り記号入り電子テキストをExcelに取り込み、マクロを使ってデータベース用ファイルに変換する。

以上の作業の内、3の作業が時間的に全体の90%を占めます。

これまで約4万の小字と同数のルビを全部自分の目で読んできたことになります。

この作業はとても有用な入力快適化ソフトを入手したことにより思いのほか効率化が進み、また自分自身も単純作業に慣れてきて、「目」と「手」とわずかの「脳の集中力」でほぼ自動で作業できる状況になりました。

当初はとても苦痛で煩雑な単純作業でしたが、今では苦痛という感覚は極めて減衰し、逆に早く完成して分析に使えばどんなに興味を深めることができるだろうかという期待感が取って替わっています。

この単純作業では脳内作業空間に余裕が生まれたという実感を持ち始めています。脳内がある程度デュアルモードになり、別の思考をイメージ的で弱いものですが展開できるまでになりました。

OCRが犯した誤謬を発見し、語の区切りを確認するという注意思考と、まったく別次元の思考を2つ同時並行で進行させています。

おそらく早朝の散歩の初期状況と同じだと感じています。散歩を始めた頃は散歩のなかで自然や環境を感じ、それについて思考するということと、まったく別次元の思考を両立することができるかできないかの状況でした。

しかし、現在の散歩では散歩本来の楽しみと、それとは無関係の思考の両立ができるようになっています。

パソコン単純入力作業も、それをもっと続けますから、つまりこれから約4万の小字名と同数のルビを確認修正して区切り記号を入れる作業が残っています。

その単純作業で、単純作業とは別建ての思考をある程度体系的に行えるという両立能力を身につけることができるようになることを期待しています。

期待しているというか、自分自身をそのような能力が身につくように訓練したいと思います。

千葉県8万の小字と同数のルビを1人で入力するというとんでもない単純作業をする代償として、単純パソコン作業時の脳内デュアル思考能力獲得を目指します。

なお、参考までに、1日の大半をこの単純作業に費やした時に次のような思考を展開しましたので、思考例として紹介します。

思考例
●自分が花見川流域について特段の興味を抱いている事項
1 花見川河川争奪
2 東海道水運支路
3 印旛沼堀割普請
4 現代花見川流域の川づくり・地域づくり

1 花見川河川争奪
花見川河川争奪現象については地形学分野における学術上の特段の研究がありません。(環境分野の1論文で触れているものがある)
したがってほとんど知られていません。
しかし明瞭な自然現象ですから世の中にこの事象の存在を知っていただくことが大切であると考えています。
その理由は、その河川争奪現象により縄文海進時にこの場所が東京湾と香取の海の地峡となり、下総における交通の要衝となったからです。
花見川河川争奪現象があったので、その後の奈良時代の東海道水運支路開設、さらには近世の印旛沼堀割普請が存在しえたのです。
また花見川河川争奪現象の存在が知られていないことが背景となり、現代河川行政において花見川は「人工河川」であるという誤った認識が存在しています。

2 東海道水運支路
花見川と平戸川(現在の新川)の水運を結ぶ船越に官道跡の痕跡を発見しています。
奈良時代の遺跡、遺物分布から、花見川と平戸川、つまり東京湾と香取の海を結ぶ東海道水運支路が存在していたという仮説を構築しています。
東海道水運支路が機能していたころは、花見川、平戸川沿岸は律令国家の蝦夷戦争における最重要の軍事兵站・輸送基地群が存在していたと考えています。
花見川、平戸川付近が日本のなかで特段に注目されていたと考えます。

3 印旛沼堀割普請
江戸幕府の国家規模プロジェクトとして印旛沼堀割普請が実施されました。
奈良時代とともに近世の印旛沼堀割普請でも、花見川、平戸川(新川)が日本のなかで注目されました。
多くの素晴らしい研究が存在します。

4 現代花見川流域の川づくり・地域づくり
理論の上での問題意識ですが、現代河川行政において、不当にも花見川が「人工河川」という烙印を押されています。
千葉県に「人工河川」という烙印を押された河川は他にありません。
このような不当な(誤った)花見川認識では、つまり根本理論が間違っていては、具体的な河川整備や地域づくりがいつの間にか間違った方向に進んでいってしまう可能性を排除できません。

もっと詳しく、またこの4つ以外の項目についても思考したのですが、それを全部メモすると大論文になりますので、ここでは概要の概要だけ思考例としてメモしました。

1時間程度の散歩と違って、長時間パソコン入力作業では思考をより体系的で多くの分量について行うことができるようです。
おそらく思考の質は体全体を動かしている分、散歩の方が上ではないかと現時点で想像しています。

花見川風景