2016年5月16日月曜日

古代前期開発地名タドコロとミヤケの千葉県検索結果

鏡味完二の地名層序年表による地名型タドコロと、タドコロと関連の深いミヤケについて、千葉県小字データベースを検索しましたのでその結果を記録します。

1 鏡味完二によるタドコロとミヤケの検討

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)では鏡味完二の1954年地理学評論論文を引用して、地名タドコロとミヤケについて検討しています。

その検討結果を次に引用します。

引用した検討結果は60年前のものですから、現代の知識からみてどれだけ通用する(生きている)ものがあるか、大いに疑問です。

しかし、残念ながら自分の基礎知識は虚弱であり、評価できませんので、とりあえずそのまま学習しておき、知識が増えた時に、鏡味完二の記述を批判したいと考えます。

鏡味完二はミヤケとタドコロを対応させて次のように記述しています。

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タドコロとミヤケの分布


(d)屯倉と田荘

屯倉の屯は〓[竹冠の屯](トン)(穀を盛る器)の略字である。

屯倉こついては垂仁紀に「屯倉此云弥夜気」とある。

しかしこのMiyakeには時代によって種々異った漢字が宛てられている。

屯倉(垂仁紀以下),屯家(記仲哀段),官家(神功紀以下),三宅(仁徳紀以下),屯宅(安康紀以下),弥移居(欽明紀以下),御宅・三家(播磨風土記),正倉(出雲風土記)があるが,地名として現存するものは殆んど"三宅"である。

恐らくこの宛字がMiyakeの発音に最も近いから,時代的淘汰をうけて残されたのであろう。

Miyakeは古代国家の統一過程に於ける国家的な,経済的軍事的基礎であった。

太宰府に管轄された防人も,平時は食料田の耕作に従事して自給生活を行っていたし,任那官家の管地には重要地点に城があり,その城に駐屯する兵士たちは平時には農耕をやっていたことから,これらは何れもMiyakeに外ならなかったのである。

そして盛んにこのMiyakeが増設されたのは,大規模な水利工事や開墾の行われた応神・仁徳朝の頃(5世紀前半)であった。

然し更に時代が下って,大和朝廷の朝鮮経営の消極化に伴い,国内支配の充実へと政策転換を行った欽明朝以後,即ち6世紀の初期から中期にかけて,急激にMiyakeの拡大設置がみられた。

もっとも皇室がその一族に,名代,子代といった形で屯倉を固定していったこともあり,屯倉にあって開墾に従事した田部は朝廷の奴隷であったが,後に自営農化して子代,名代と同じカテゴリーに上進するものもあったから,品部と屯倉との間には横の関連も浅くはなかったことを知る。

しかし多くの品部の地名よりも,概してMiyakeの地名の時代が下っているわけであるが,"三宅"の地名の個数が割合に少ないために,両者を比較することは困難である。

しかしFig.69には明らかに近畿に集中分布し,この地名が大和国家中心に発達したものであることをよく示している。

大化直前における屯倉の分布は,記紀・風土記・倭名鈔から推定されるところによれば,畿内に18,北陸3,東山10,東海26,山陰6,山陽20,南海18,西海8となるようである。

(井上教授による)この数字からみると,畿内には相対的に少くなっていて,これを上述の分布図と比較すると可なり大きな相違であるようにみえる。

しかしそれは畿内以外のMiyakeは,唯に課税地区としての機能しかなく,またそれらは最も後期,大化直前に至って急速に発展したものである(井上教授による)から,近畿以外ではMiyakeの地名となって残るほどのものが少なかったためかと思われるが,倭名妙の郷名をみると,九州10例(大宅・下宅の例をそれぞれ1つづつ加えて)あるのが注意をひく。

田荘は以上に対して豪族の領する所で,荘園とは異りVila的なものであった。

(井上教授による)現存地名には"田所"が最も多く,田処・田床も少々見られる。

その分布は西南日本に多く,むしろ近畿に少いことは,Miyakeの場合と異り,田荘が豪族の私有地であったので,文化の早くひらけた西南日本に多くの豪族が先住し,従って彼らの所有地である田荘がこのような分布形態をとったものと思われる。

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)の「Ⅷ 品部、名代、子代、部民、屯倉、田荘の地名 -古代前期の地名研究-」から引用
(初出は鏡味完二(1954)同名論文、地理学評論27-11)
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タドコロ、ミヤケともに古代前期の開発地名であることが詳しく説明されています。

鏡味完二の地名データは5万分の1地形に記載されている地名(大字)であり、千葉県に該当するものはありません。

2 タドコロとミヤケの千葉県小字データベース検索結果

タドコロは次の2件検索されました。

船橋市古和釜町 田所(読み記述なし)

睦沢町岩井 田所(タドコロ)

ミヤケは次の2件検索されました。

茂原市長尾 三宅谷(ミヤケヤツ)

同 三宅前(ミヤケマエ)

三宅は同じ大字内にあるものですから、小字(関連小字)は2つでも、元来存在したと思われる小字(純粋小字としての「三宅」)は1つであったと考えます。

「タドコロ」「ミヤケ」の分布

千葉の古代前期開発地のうち、豪族の私有地的開発地であるタドコロが2カ所、国家の経済的軍事的基礎となる開発地ミヤケが1カ所、合計3カ所の存在が、小字によりイメージすることができました。



2016年5月15日日曜日

鏡味完二の地名層序年表による地名型Ira Eraの千葉県検索結果

2016.05.14記事「鏡味完二の地名層序年表による地名型の千葉県小字抽出数(予察作業) その1」で検索抽出した千葉県小字について、鏡味完二著作物を読みながら検討することにします。

検討は、鏡味完二の著作物を学習することにより地名に関する基礎学習を行うという目的と、千葉県の小字の分析を行い、千葉県の考古歴史の情報をより立体的に知るという本来目的の双方を念頭におきます。

以前WEB古書店から取り寄せておいた次の図書がようやく生きそうです。

●学習に使う鏡味完二の著作物

鏡味完二(1958)「日本地名学地図編」(日本地名学研究所)

鏡味完二(1965)「地名学」(日本地名学研究所)

鏡味完二・鏡味明克(1977)「地名の語源」(角川書店)

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)

なお、鏡味完二の著作物はその発行から既に40年~60年経っています。その間の科学の進歩は著しいものがあると考えます。

素人ながら、鏡味完二の著作物は最新知識によって大幅に書き換えられなければならないに違いないと思います。

しかし、不思議なことに、私が調べた範囲では鏡味完二が相手にした地名という分野で、それを乗り越えるような著作物にお目にかかっていません。

鏡味完二が体系づけた地名学と称する学問分野は消滅したように感じます。

このような事情からしかたなく鏡味完二の著作物を学習するのですが、それを超えている地名に関する体系的情報が世の中に存在するならば、その最新知識の学習に移行したいと思います。

この記事では地名型イラ・エラについて検討します。

1 鏡味完二のイラ・エラに関する検討

鏡味完二は古い言葉は地名に残るとともに、方言にも残り、その二つの情報を対照させて地名を検討しています。

イラは大分方言で「うろこ」、エラは京都方言で「うつろ」、山口方言で「水辺の穴」で、対象物が若干異なるが、鰓は「うろこ」型をなし、「うつろ」「穴」をなしているので、イラは鱗の意味から洞穴の地名になったと説明しています。

イラ・エラとも洞穴を意味していると考えられます。

その分布は次のようになります。

Ira Eraの分布

注)鏡味完二の地名は全て5万分の1地形図から収集したものですから、大字レベルの地名です。

エラが九州地方中心に分布し、その外圏をイラが囲んでいるので、分布上はエラが古く、イラが新しいとしています。

エラとイラは母音相通の関係にあるとしています。

なお、鏡味完二は日本語が3母音(あ、い、う)から5母音(え、お)に増母したと考えていて、それで多くの地名新旧が判る場合が多いと考えています。

しかし、イラ・エラはその逆であり、5母音を持ったアジアの支族が琉球を経由して入ってきたと考えているようです。

母音の変化などに関する知識は鏡味完二の時代と比べて、現代ではその量が格段に増えているでしょうから、鏡味完二説の検証は素人でもある程度可能かもしれません。


2 イラ・エラの千葉県小字データベース検索

エラは抽出されませんでした。

イラは3件抽出されました。

小字読み「イラ」系統の分布

袖ヶ浦市久保田の以良籠(イラゴ)

鴨川市宮の伊良田(イラタ)

館山市洲崎の以良瀬(イラセ)

の3件です。

いづれも海岸に位置する場所の小字であり、本来洞穴を意味するという鏡味完二の説明に符号します。

鏡味完二はイラ・エラが国語学的に古い言葉であるので、地名として成立した時代が古いと考えているようです。

その古さのイメージを明確に捉えることができませんが、朝鮮などから日本に人々が流入してきたころのようですから、弥生時代や古墳時代のことであり、縄文時代に遡る古さではないようです。

全国的な分布図が出来ている古い地名イラ・エラが千葉県にも3件存在していることがはじめて判ったことになります。

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参考 小字「フイラ」

イラ・エラの検討の中で「フイラ」(吹良、吹羅)という小字が2件あり「フ-イラ」か「フイ-ラ」か検討しました。

その結果、漢字の読みの通り、「フイ-ラ」であり、ホラガイを吹き鳴らした場所という意味であるとかんがえました。

戦争・一揆・修験道活動などでホラガイの吹き鳴らしがあり、それが地名になったものと考えます。

参考 小字読み「フイラ」の分布



2016年5月14日土曜日

鏡味完二の地名層序年表による地名型の千葉県小字抽出数(予察作業) その1

2015.04.10記事「千葉市小字地名の層序学」で「地名の語源」(鏡味完二・鏡味明克、昭和52年、角川書店)の中に記載されている層序年表とその解説資料を掲載して、地名層序という概念が地名情報と考古歴史情報を結びつけるものとして有効であることを論じました。

また、その記事で千葉市小字と地名型との対応関係を考察しました。

その記事を書いた時は小字データベースは千葉市域分しかできていなかったのですが、現在は千葉県全体を小字データベースがカバーできました。

そこで、再び、地名層序という概念に基づく地名型と千葉県小字との対応関係を検討することにします。

最初に地名の層序年表とその解説資料を掲載します。

地名の層序年表
「地名の語源」(鏡味完二・鏡味明克、昭和52年、角川書店)より引用

地名型(「地名の層序年表」の中の)解説
「地名の語源」(鏡味完二・鏡味明克、昭和52年、角川書店)より引用

この地名型について千葉県小字データベースを検索しました。

その抽出結果を次に一覧表で示します。

鏡味完二の地名層序年表による地名型の千葉県小字抽出数(予察作業)

この作業はまだ本格検討ではなく、鏡味完二の地名型に千葉県小字がどの程度対応しているものか、その概要を知ろうとしたものです。

千葉市だけの検討では、21の地名型のうち5つ(部、堀之内、屋敷、宿、新田)が出現し、特に部が4つ(大字を含めると6つ)抽出されて、このような地名型による検討に大いに期待を持ちました。

今回の千葉県全体では21の地名型の内20が抽出されます。(ただし不確かな抽出結果のものもある)

この地名型という概念を活用して、同時に鏡味完二の地名型そのものは大いに批判的に検討すれば、地名と考古歴史との関係を大幅に近づけることが出来そうだと感じます。

つづく

2016年5月13日金曜日

検討メモ 純粋小字と関連小字

1 純粋小字と関連小字について

2016.05.11記事「小字ヤツ・サク群の検討でわかったこと」で参考として純粋小字と関連小字について説明しました。

純粋小字と関連小字という表現はこのブログで独自に使っている用語です。

意味は純粋小字とは、小字発生時点でその言葉に特定の概念が貼り付いている小字のことです。

関連小字とは、純粋小字が後の時代にそれに別の言葉が付加して生まれた新たな小字です。

例えば「ナガヤツ」は劣悪条件下の空間であるが長期にわたって収穫を得ることを目指す水田開発地という概念が貼り付いた小字であると考えています。

概念とはつまり、当時の国土開発上の政策用語といってもいいかもしれません。

明瞭な国土政策概念が貼り付いていますから、これを純粋小字というグループに含めて考えます。

一方、「ナガヤツダエ」(永谷台)、「ミナミナガヤツ」(南長谷)、「シモナガヤツ」(下永谷)、「コイケナガヤツ」(小池長谷)・・・など「ナガヤツ」は含まれていますが、それに別の言葉が付加した小字が存在し、それを関連小字というグループに含めて考えます。

関連小字は純粋小字が成立した後、その近くで別の開発が行われた時に生まれる小字であると考えます。

ただし、純粋小字の近くで別の開発が行われて関連小字が生まれたといっても、それが同時代のこととは限りません。

純粋小字が成立してから、時代が全く離れていても、近くで開発があれば、純粋小字の地名を利用して関連小字を作り出し利用したものと考えます。

関連小字は既存の純粋小字を利用して作られた小字ですから、それが出来た時の開発は純粋小字と同じようなものであるか、あるいは一般的な土地開発であると考えます。

明瞭な国土政策概念の下に開発が行われるならば、それに見合う新たな純粋小字を使うはずです。

2 純粋小字と関連小字の分布からわかること

「ナガヤツ」を例に、純粋小字と関連小字の分布からどのようなことがわかるのか、検討します。

純粋小字「ナガヤツ」の分布を次に示します。

小字読み「ナガヤツ」系統の分布

この分布図の検討は2016.05.10記事「小字「ナガヤツ」と「ナガサク」」で行いました。

この図に「ナガヤツ」の関連小字を加えてみると次のようになります。

小字読み「ナガヤツ」系統の分布(関連小字を含む)

関連小字が純粋小字の近くに分布するところがあることは理解できます。

しかし、純粋小字だけが分布して、関連小字が分布しない地域があります。

また、純粋小字は分布しないで、関連小字だけ分布している地域もあります。

「ナガヤツ」に限らず、純粋小字と関連小字の関係パターンはこのように3つになると考えます。

この3パターンを浮き彫りにするために、関連小字に半径4㎞の円を描き、そこに純粋小字が入ってくるかどうかという地図を作ってみました。

関連小字に半径4㎞の円を描いた理由は、関連小字が生まれる場所は概ね純粋小字から4㎞圏内であるという予想が私にあるからです。(その予想は今後の大切な検討対象です。しかし、ここでは検討を省きます。)

小字読み「ナガヤツ」系統の分布(関連小字を含む)2

純粋小字と関連小字の関係パターンが3つに明瞭に分割できました。

その意味を仮説的に検討します。

パターン1 純粋小字と関連小字が4㎞以内に連坦する地域

「ナガヤツ」の開発が行われた後に(「ナガヤツ」小字成立後に)、近隣でさらに開発が行われた地域。

この地域は「ナガヤツ」開発が軸となって、広域的に開発が行われた可能性があります。

「ナガヤツ」開発が誘因となって地域開発が進んだ地域で、「ナガヤツ」開発が成功した地域の可能性があります。

パターン2 純粋小字だけが分布する地域

「ナガヤツ」開発は行われたが、それを軸に近隣でさらに開発が行われるということが無かった地域。

パターン3 関連小字だけが分布する地域

純粋小字がかつて存在していて、さらに関連小字もできたのですから、パターン1と同じように「ナガヤツ」開発が成功した地域であると考えます。

しかし、純粋小字が失われてしまっているということは、全く別の地域開発が「ナガヤツ」開発地をカバーして実施され、別の純粋小字に置き換わってしまったと考えます。

純粋小字と関連小字の関係パターンをこのように分類して、その分布をみると、純粋小字だけの分布からはわからなかった有益情報が得られる可能性があることがわかりました。

純粋小字だけの検討では「ナガヤツ」開発は東京湾岸では行われなかったと考えたのですが、そうではなく、東京湾岸でも行われたことが判りました。

さらに、「ナガヤツ」開発の後の時代に、「ナガヤツ」開発という狭小な開発単位を全部飲み込むような規模の大きな開発単位の開発があり、純粋小字「ナガヤツ」が全て失われたこともわかりました。



2016年5月12日木曜日

2016.05.12 今朝の花見川

青の色が強い快晴で、無風で、薄着でも暑からず、寒からず、快適な花見川早朝散歩となりました。

花見川風景


花見川風景


花見川風景


弁天橋から下流


弁天橋から上流

逆光の水面に上ガスがつくる泡とそれがはじける閃光が無数の小さな水紋とともにはっきりと見えました。

逆光だからよく見えたのだと思います。

この付近はいつも上ガスが盛んなところです。


弁天橋から上流


畑の空

2016年5月11日水曜日

小字ヤツ・サク群の検討でわかったこと

ここまで、小字「オオヤツ」「オオサク」、「ヤツ」「サク」、「ナガヤツ」「ナガサク」と順に検討してきました。

千葉県小字データベースの統計分析とアドレスマッチングによる分布図作成という、これまで専門家を含めて誰も利用できなかった資料を利用することにより、主に想像と直観によるとはいえ、小字というものがある程度わかってきたような気がしています。

そこで、後で自分の認識プロセスをふりかえるときの材料とするために、千葉県小字データベースをいじり出した最初期の中間まとめをメモしておきます。

小字ヤツ・サク群検討結果の概要を次にまとめました。

千葉県における小字ヤツ・サク群の出自と意味-想像により作成した作業仮説-

●説明

1 オオヤツ、ヤツ、ナガヤツについて

・オオヤツ、ヤツ、ナガヤツは言葉発生時代には、地形用語ではなく生産用語(生産に関わるテクニカルターム)であり、オオヤツは「多収穫を期待できる、大きな水田開発地」を、ヤツは「水田開発地」を、ナガヤツは「劣悪狭小であるが、長年にわたり連続収穫を期待する水田開発地」を意味していました。

・言葉発生時代は農耕時代の始まり(弥生時代~古墳時代)です。

・上総国に分布の中心を持ちます。

・翻訳(当て字)時代は中世~近世初頭頃です。

・ヤツの翻訳(当て字)は谷、谷津などで混乱はほとんどありません。

・現代のヤツは地形用語(台地開析谷)として理解され使われています。水田開発地としては使われていません。

参考 小字読み「オオヤツ」「ヤツ」「ナガヤツ」系統の分布

注)船橋市及び習志野市については小字読み(ルビ)データが原資料(角川千葉県地名大辞典)にないため、データが欠落している。

2 オオサク、サク、ナガサクについて

・オオサク、サク、ナガサクは言葉発生時代には、地形用語ではなく生産用語(生産に関わるテクニカルターム)であり、オオサクは「多収穫を期待できる、深い崖のある狩猟場」を、サクは「狩に利用できる崖のある狩猟場」を、ナガサクは「狩に好都合な長い崖のある狩猟場」を意味していました。

・言葉発生時代は狩猟時代(旧石器時代~縄文時代)です。

・千葉県全体に分布します。

・翻訳(当て字)時代は中世~近世初頭頃です。

・サクの翻訳(当て字)は作などと谷に2分され混乱しています。これはサクの意味が判らなった地域と判っていた地域が存在していたためです。

・作などに翻訳(当て字)された地域、つまりサクの意味が判らなかった地域は、翻訳(当て字)時代に狩猟時代の言葉や文化を伝える人々がすでに絶えていた地域と考えます。

・谷に翻訳(当て字)された地域、つまりサクの意味が判っていた地域は、翻訳(当て字)時代に狩猟時代の言葉や文化を伝える人々の末裔がまだ住んでいた地域と考えます。

・現代のサクは、表記「作」の場合は「農作物のでき、作柄」などがイメージされて理解されています。表記「谷」の場合は地形としての台地開析谷をイメージして理解されています。いずれも狩猟場として理解されたり、使われてはいません。

参考 小字読み「オオサク」「サク」「ナガサク」系統の分布

注)船橋市及び習志野市については小字読み(ルビ)データが原資料(角川千葉県地名大辞典)にないため、データが欠落している。

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参考 ●純粋小字と関連小字

なお、ここまでの検討は、小字ヤツ・サク群について、純粋な小字「オオヤツ」「オオサク」、「ヤツ」「サク」、「ナガヤツ」「ナガサク」を検討対象としていることを自らに確認しておきます。

純粋な小字「オオヤツ」「オオサク」、「ヤツ」「サク」、「ナガヤツ」「ナガサク」の他に、それに別の言葉が付加した関連小字が多数存在します。

例 純粋小字 「オオヤツ」、別の言葉が付加した関連小字「カミオオヤツ」「オオヤツジリ」など

関連小字は純粋小字を使って、後年に二次的に派生した地名であると考えられます。

純粋小字が消滅して、関連小字だけが残っている場合もかなりあると思われ、関連小字の検討意義も大いにあります。

しかし、当面は検討作業をできるだけシンプルなものにし、小字全体像のうちその要点だけを知ることとします。

そのために、純粋小字をメインの検討対象とし、関連小字の検討はそれと区別して行うこととします。






2016年5月10日火曜日

小字「ナガヤツ」と「ナガサク」

この記事では、小字「オオヤツ」「オオサク」、小字「ヤツ」「サク」で検討した作業仮説を小字「ナガヤツ」「ナガサク」に投影して検討し、ダメを押します。

1 「長谷」によるデータベース検索

「長谷」について千葉県小字データベースを検索した結果からその読みを分類し、その読みで再びデータベースを検索して、その結果から読み毎の表記を分類しました。

「長谷」検索結果と読みによる検索

この検索作業により、「長谷」に関連して、「ナガヤツ」系統、「ナガサク」系統、「ナガタニ」系統、「ハセ」系統の読みがあり、それらの読みは「長谷」「長作」などの表記とクロスして関連していることが判りました。

「大谷」からスタートして行った「オオヤツ」「オオサク」の検討、「谷」からスタートして行った「ヤツ」「サク」とほぼ同じ結果となりました。

2 小字表記「長谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ

「長谷」を中心とする小字群の統合分離イメージは「大谷」、「谷」の場合とほぼ同様に、次のような作業仮説として持つことができます

小字表記「長谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ(2016.05.09作業仮説)

3 小字読み「ナガヤツ」系統の分布

小字読み「ナガヤツ」系統の分布を示します。

小字読み「ナガヤツ」系統の分布


「ナガヤツ」の分布は「オオヤツ」「ヤツ」の分布と特徴がかなり異なります。

「オオヤツ」「ヤツ」は上総国を中心に下総国の北半分を除き、その分布は千葉県全体に広がっていました。

ところが「ナガヤツ」は上総国の太平洋岸に主に分布し、残りは九十九里付近と安房国付近にまばらに分布するだけです。

上総国の東京湾岸にはほとんど分布しません。

「オオヤツ」は米の収穫量が多い水田の意味で、地域開発適地あるいは地域開発地そのものを指すと考えました。

「ヤツ」は水田耕作可能な土地の意味で、小開発地(小開発適地)であると考えました。

ヤツとは米収穫に収れんする水田耕作に関わる用語として使われたものであり、地形用語として使われたものではないと考えます。

そうした観点から「ナガヤツ」を、その分布から考察すると、「ナガヤツ」のナガは延長が長い谷津とはどうしても捉えることができません。

検討を深めるために「ナガヤツ」分布図を拡大してみました。

小字読み「ナガヤツ」系統の分布(拡大)

「ナガヤツ」の分布域は、千葉県の中でも地形が細かく開析されていて、かつ蛇行した河川が平野を深く刻んでいる場所です。

そして、最も印象的な分布は海岸線沿いの崖のような場所に「ナガヤツ」が列をなして分布していることです。

上総国が中心となり千葉県全域に地域開発地を広げようとしていた弥生時代から古墳時代の技術力では最も開発困難な場所に「ナガヤツ」が分布していることになります。

このような分布特性から、「ナガヤツ」とは開発して数年で放棄せざるをえないような短命な開発地とか、収穫が無い年がたびたび生じる開発地ではなく、長年にわたり継続して収穫が得られる開発地にしたい、あるいは時間的にいつまでも長く収穫が得られるような、寿命の長い開発地にしたいという願いを込めた、劣悪条件下の開発地のことだと考えました。

あるいは、どんなに長い年月をかけても絶対に立派な水田として開発して見せる、という決意をした場所かもしれません。

いかに劣悪で狭小な谷津でも、少しでも開発可能な空間があれば、それを「ナガヤツ」と定義して積極的に開発対象地として指定し、社会が組織的に開発に取り組み、水田面積を少しでも広げたのだと思います。

小字「ナガヤツ」は、東京湾岸にその本拠を持つ社会指導部の水田開発決意が強かったことを示す地名であると考えます。

4 小字読み「ナガサク」系統の分布

小字読み「ナガサク」系統の分布を表記「長作」等と「長谷」等に分けて示します。

小字読み「ナガサク」系統の分布

小字読み「ナガサク」系統の分布はほぼ千葉県全域に広がり、「オオサク」「サク」の分布と同じ特徴です。

また、表記に「谷」を含むものの分布域も、「オオサク」「サク」と似ていて、さらにそれら以上にその分布域を詳しく示しているように見えます。

表記に「谷」を含むものの分布域が香取市、多古町、匝瑳市の市町境界付近の密集地からに、横芝光町、山武市、東金市、大網白里市、市原市、長柄町まで、台地東縁の崖線(分水界)に沿って分布します。

この分布域の中で、東金市、大網白里市付近の台地東縁崖線付近は旧石器時代、縄文時代の崖を利用した代表的狩場です。

小字「ナガサク」系統のうち表記に「谷」を使うものは「サク」の意味を「台地を裂く」と理解していることから、その分布域は、狩猟時代の言葉や文化を理解している人々が、小字翻訳時代(小字に初めて当て字をした時代)には居住していたことを示していると考えます。

「ナガサク」の意味はナガ=長い、サク=台地の裂けめつまり崖であり、長い崖を意味していると考えます。

旧石器時代・縄文時代の長い崖を利用して獣を追い詰める狩猟法が使われた狩場をナガサクと呼んだと、このブログではこれまで仮説してきています。

崖を利用した狩猟における「ナガサク」の説明図を次に示します。

千葉市内野第1遺跡を例にした「ナガサク」概念(仮説)の説明

5 小字読み「ナガタニ」系統の分布

小字読み「ナガタニ」系統の分布は次の通りです。

小字読み「ナガタニ」系統の分布

小字読み「ナガタニ」は「長谷」(読みナガサク)から、後年に派生したものと考えます。


5 小字読み「長谷」系統の分布

小字読み「ハセ」系統の分布は次の通りです。


小字読み「ハセ」系統の分布

小字読み「ハセ」は小字「長谷」(読みナガヤツ、あるいはナガサク)から後年に派生したものと考えます。


2016年5月9日月曜日

小字「ヤツ」と「サク」

2016.05.08記事「「オオヤツ」と「オオサク」の意味の違いと「オオサク」伝承の重大意義」で旧石器時代・縄文時代の狩猟に基づく谷地形把握が小字「オオサク」系統に、弥生時代以降の水田耕作に基づく谷地形把握が小字「オオヤツ」系統に対応するという作業仮説を立てました。

同じ作業仮説を関連小字に投影してみて、不都合がないか、検討してみました。

この記事では「ヤツ」「サク」について検討します。

1 「谷」によるデータベース検索

「谷」について千葉県小字データベースを検索した結果からその読みを分類し、その読みで再びデータベースを検索して、その結果から読み毎の表記を分類しました。

「谷」検索結果と読みによる検索

この検索作業により、「谷」に関連して、「ヤツ」系統、「サク」系統、「タニ」系統の読みがあり、それらの読みは「谷」「作」などの表記とクロスして関連していることが判りました。

「大谷」からスタートして行った、「オオヤツ」「オオサク」の検討とほぼ同じ結果となりました。

2 小字表記「谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ

「谷」を中心とする小字群の統合分離イメージは「大谷」の場合とほぼ同様に、次のように作業仮説として持つことができます。


小字表記「谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ(2016.05.08作業仮説)

3 小字読み「ヤツ」の分布

小字読み「ヤツ」の分布を示します。

小字読み「ヤツ」の分布

上総国付近は密に分布し、下総国付近は粗に分布しています。

その分布特性は「オオヤツ」系統の分布と同じです。

「ヤツ」は、その言葉で地名を表現した最初の時には、地形用語ではなく水田開発可能地としての意味を持っていたと想像します。

参考 小字読み「オオヤツ」の分布

4 小字読み「サク」の分布

小字読み「サク」の分布を表記「作」等と「谷」に分けて示します。

小字読み「サク」の分布

小字読み「サク」の分布は「オオサク」の分布と酷似しています。

読みは「サク」で表記は「谷」の分布域が香取市、多古町、匝瑳市の市町境界付近に集中しています。

この付近に狩猟時代の言葉や文化を伝える人々が少なくとも中世から近世初頭頃までは住んでいたと考えました。

「サク」の意味は狩場利用可能地という意味を帯びた言葉であったと想像します。

参考 小字読み「オオサク」の分布

5 小字読み「タニ」の分布

小字読み「タニ」の分布を示します。

小字読み「タニ」の分布

小字読み「タニ」は下総国付近にまばらに分布し、その様子は小字読み「オオタニ」と酷似しています。

小字読み「タニ」は「サク」から転換したものと考えます。

「タニ」や「オオタニ」が分布する場所は、小字を文字表記する時代には狩猟時代の言葉や文化を伝える人々が住んでいたのですが、その後その人々がいなくなり、つまり「谷」(サク)を伝える人々がいなくなったために、後に住んだ人々が文字表記「谷」を漢字通りに読んで「タニ」になったと考えます。

参考 小字読み「オオタニ」の分布



 

2016年5月8日日曜日

「オオヤツ」と「オオサク」の意味の違いと「オオサク」伝承の重大意義

2016.05.07記事「口承から文字表記への転換時代の小字群統合分離イメージの改定」で次のイメージを書きました。

現在の文字表記「大谷」に関連する小字の組み合わせは、文字は大谷、大作・・・、読みはオオヤツ、オオサク、オオタニ、オオザワ、ダイサクで、そのクロスした組み合わせが存在します。

小字が文字表記されない口承でのみ伝わっていた時代には、祖小字として「オオヤツ」系統と「オオサク」系統の2つだけ存在していたと考えました。

しかし、小字を文字表記する時代に入り次のような要因により、多数の文字と多数の読みがクロスして存在するようになりました。(例大谷(オオヤツ、オオサク、オオタニ・・・)、大作(オオサク、ダイサク)、・・・)

1 オオサクのサクの意味が不明であった地域と意味を捉えていた地域があり、文字に翻訳(当て字)するときに漢字表現が多様に展開した。

2 翻訳(当て字)した文字と音(読み)が、結果的に日本語として齟齬感を生じるようなものは、別の読みや別の文字に2次的に転換した。

2つの祖小字が文字翻訳(当て字)というプロセスを経て読み系統5、文字表記10、読み系統と文字の組み合わせ数15(読みと文字の組み合わせ数24)に展開拡散したことになります。

2つの祖小字のうち「オオヤツ」系統は弥生時代以降に発生したもので、文字に翻訳(当て字)するときに大きな問題はなかったのですが、「オオサク」系統は旧石器時代・縄文時代に発生したもので、「オオサク」系統の言葉の心性を文字翻訳(当て字)時代の農耕民が理解できなかったために、このような展開拡散があったものと考えました。

この記事では、この2つの祖小字がどのような意味を持つち、どのように違うのか、想像と直観を交えて考察し、作業仮説を設定します。

作業仮説を設定することにより、それがどの程度正しいか、間違っているかは別として、作業仮説を踏み台にして、より蓋然性の高い仮説へより早く到達できると考えます。

1 オオヤツの意味

1-1 オオヤツの言葉の意味

オオヤツは弥生時代以降の水田耕作をメインとする農耕社会で生まれた地名であると考えます。

オオヤツはオオとヤツから成り立っていて、オオは辞書に出てくる「広大の意を添える。「おおむろや」「おおいし」「おおうみ」など。」という意味として解釈します。

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参考

おお おほ【凡・大】

2 〖接頭〗
① 広大の意を添える。「おおむろや」「おおいし」「おおうみ」など。

② 多量の意を添える。「おおゆき」など。

③ 賛美、尊敬の意を添える。「おおきみ」「おおみき」など。

④ 血筋の順序で上位の意を表わす。「おおあね」「おおひめぎみ」など。

⑤ 程度のはなはだしい意を表わす。「おおぬすびと」「おおおそどり」など。

語誌
2①③④は「おおき(大)」に対応し、2②は「おおい(多)」に対応する。「おおきい(大)」と「おおい(多)」とは本来同源であり、後に分化したものと考えられるので、接頭語「おお」は未分化の状態を残しているといえる。
2⑤の場合、現在ではふつう「だい」を用いるような漢語にも、明治期には「おお」が使われることが多い。(「大失策(オホシッサク)」「大賛成(オホサンセイ)」など)。

『精選版 日本国語大辞典』 小学館から引用
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ヤツは辞書に出てくる「たに。たにあいの地。」として理解します。

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参考

やつ【谷】

〖名〗 たに。たにあいの地。特に鎌倉・下総(千葉県・茨城県)地方で用いる。やち。やと。⇨「やち(谷地)」の語誌。〔名語記(1275)〕

*十六夜日記(1279‐82頃)「忍びねはひきのやつなる郭公雲ゐに高くいつかなのらん」

『精選版 日本国語大辞典』 小学館から引用
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参考

やち【谷地・谷・野地】

〖名〗
① 湿地帯。低湿地。やと。やつ。
*俳諧・続猿蓑(1698)旅「そのかみは谷(ヤ)地なりけらし小夜碪〈公羽〉」

② 荒れた土地。
*米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉一「概して枯燥の野地にて生気あるなし」

語誌
⑴東北方言では、普通名詞として、湿地帯を意味する。関東地方の「やと」「やつ」は、現在では「たに」と同義か。しかし、「や」は「四谷」「渋谷」など、固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない。

⑵アイヌ語に沼または泥を意味するヤチという語があるところから、地名に多く見られる「やち」「やと」「やつ」「や」がアイヌ語起源であるとの説(柳田国男)があった。しかし、北海道の地名にこれらの語が使用されていないところから、むしろアイヌ語のヤチの方が日本語からの借用語ではないかと考えられている。

『精選版 日本国語大辞典』 小学館から引用
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ですから、オオヤツを大谷あるいは大谷津と翻訳(当て字)したことは正解です。

正解というよりも、もともとオオヤツと命名したとき、一般民衆は漢字を知らなかったけれども、社会全体としては既にオオヤツ=大谷(大谷津)という情報を社会支配層や稲作を広めた渡来人を介して、知っていたと考えます。

言葉の意味としてのオオヤツは、このように問題なく理解できます。

オオヤツという言葉の視点は谷底にあります。谷底の低湿地を表現しています。

オオヤツがイメージしている場所

1-2 水田耕作から見たオオヤツの意味

そのオオヤツがなぜこのように多く小字として命名されたのかという意味を次に考えます。

弥生時代、古墳時代の水田耕作は狭小な谷津でもっぱら行われていたと考えられます。

谷津とは縄文海進により深い浸食谷が沖積堆積物で埋まり、狭いながらも谷底平野が広がり、低湿地となった土地です。

背後の流域面積が少ないですから洪水による被害も少なく、また台地崖には湧水が存在しますから渇水にも強い土地です。

つまり、谷津とは、当時の技術力では水田耕作の適地です。

その水田適地のうち、収穫量が多大に見込める有望な大きな谷津を「オオヤツ」と呼んだと考えます。

地形として大きな谷津という単純な意味ではなく、水田耕作で収穫量が多いと見込める谷津のことだと考えます。

米の収穫量が多く見込める谷津ですから、当然ある程度以上の大きな谷津になります。

しかし、谷津といっても、湛水しているとか、水はけが悪いとかで水田に出来ないところや、勾配や地形による日照条件などいろいろな条件で水田に適していない谷津があります。

そのような水田に適さない谷津は大きなものであっても、オオヤツとは呼ばなかったと考えます。

1-3 地域開発から見たオオヤツの意味

オオヤツ系統の分布図を次に示します。


小字読み「オオヤツ」系統の分布

「オオヤツ」系統の分布が上総国中心であることをヒントに次のような大胆仮説を設定します。

弥生時代や古墳時代に西方からやってきて、上総国に定着して農耕社会を作って、繁栄しました。

その人々が社会組織的活動として、房総半島の各地に地域開発を展開してしていったと考えます。

その頃の時代において、地域開発適地(つまり水田耕作で収量の多い土地)を「オオヤツ」と呼んだと考えます。

つまり、オオヤツという地名は弥生時代や古墳時代における地域開発地の別称であると考えます。

オオヤツと古代遺跡との空間的相関を丁寧に分析すれば、この仮説の適否が判明します。

2 オオサクの意味

2-1 オオサクの言葉の意味

オオサクはオオとサクから構成されている言葉で、オオはオオヤツのオオと同じ接頭語ですが「程度のはなはだしい意を表わす」と考えます。

サクは漢字で書くと「裂く」、「割く」となる言葉で、引き裂くという意味だと考えます。

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参考

さ・く【裂・割】

 〖他カ五(四)〗
① 一つにまとまったものを、手などで二つに離す。ひきやぶる。やぶく。割る。

*書紀(720)神代下「磐裂(いはサク)〈磐裂。此をは以簸娑〓と云ふ〉根(ね)裂(サク)の神之子」

② 刃物などで切りひらく。切り割る。切り裂く。

*今昔(1120頃か)二「此の腹の中に我有り。刀深く入れて不可割(さくべから)ず、心知らひて可割(さくべ)し」

『精選版 日本国語大辞典』 小学館から引用
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言葉の意味として、オオサクを「はなはだしく、台地が裂かれた場所」と理解します。

「はなはだしく、台地が裂かれた場所」は通俗的に考えると、大きな谷津ということになります。

しかし、「はなはだしく、台地が裂かれた場所」とは、正確に考えると、大きな谷津に完全にイコールにならないと考えます。

オオサク(はなはだしく、台地が裂かれた場所)の視点は台地に在って、その視点から台地が、はなはだしく、裂かれるように終わっているとイメージします。

はななだしく裂かれた様子とは、台地縁の崖がはなはだしい、つまり崖の高さが大きい、崖が深いという意味として理解します。

つまり、オオサクとは、台地縁が高さが大きな崖(深い崖)で終わっている場所のことを表現していると考えます。

オオサクがイメージしている場所

なお、平面的に連続して崖が続いている様子を表現した小字名は「ナガサク」であり、このブログではすでに何度も検討してきています。

2-2 狩猟活動から見たオオサクの意味

旧石器時代・縄文時代の狩猟活動では台地崖から獣を追い落とす狩猟法がメインであったと考えます。

そうした観点から考えると、オオサクは台地面からみて崖が深い場所を表現していて、格好の狩猟場であったことになります。

つまり、オオサクは狩猟場そのものを表現していると考えます。

旧石器時代・縄文時代のメイン狩猟法(崖に獣を追い落とす狩猟法)に関する資料及びイメージを次に示します。

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参考 旧石器時代・縄文時代の崖を利用した狩猟資料・イメージ

縄文時代の崖を利用した大規模落とし穴シカ猟遺跡

千葉県千葉市花見川区所在 内野第1遺跡
「千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書 第Ⅰ分冊」(2001.3、株式会社野村不動産・財団法人千葉市文化財調査協会)を基に作成
ブログ花見川流域を歩く番外編 2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」参照


旧石器時代の狩の風景復元イラスト
「千葉県の歴史 資料編 考古1」(千葉県発行)から引用

Head-Smashed-In Buffalo Jamp
カナダアルバータ州原始・古代人の崖を利用した狩猟法

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2-3 オオサクが現代にまで伝わった重大意義

旧石器時代・縄文時代の人々が狩猟場の位置を子孫に伝えてきたその情報が弥生時代・古墳時代を経て小字という事象で現代にまで伝わってきているということです。

旧石器時代・縄文時代の社会を知るうえで遺物だけが情報ではなく、口承されていた言葉が、現代に文字として伝わってきていることの可能性が判明した事実には大きなものがあると考えます。

オオサクに限らずいくつかの縄文語起源の小字存在が想定されますから、原始社会の様子を小字から調査できる可能性が生まれます。

また、旧石器時代・縄文時代から弥生時代・古墳時代にかけて、人集団の完全な絶縁がなく、縄文人集団と弥生人(渡来人)集団の間で密な交流が存在していて、縄文人社会が伝承してきた地名が弥生人社会にそのまま受け継がれた様子がうかがわれます。

つまり、縄文人社会と弥生人社会の交流や社会的統合の様子を小字情報から得ることもできる可能性があります。

オオサク及びオオサクから二次的に派生したと考えられる小字の分布は次の通り多数箇所(189)になりますから、その1つ1つのサイトについて小字と付近の地形状況、遺跡情報を丁寧に精査すれば、オオサクが縄文時代狩猟場所であるという作業仮説の適否を判定できる可能性があります。

小字読み「オオサク」「オオタニ」「オオザワ」「ダイサク」の分布



2016年5月7日土曜日

口承から文字表記への転換時代の小字群統合分離イメージの改定

2016.05.06記事「小字表記「大谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ」で表記「大谷」関連小字群について、モデル図として「小字表記「大谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ(2016.05.05作業仮説)」を作成しました。

そのモデルを念頭に、読み系統の分布図を作成し、想像と直観を含めて大胆な検討を行いました。

その結果、小字読み「オオタニ」、「オオザワ」、「ダイサク」は「オオサク」から二次的に派生したものであることが判りました。

「オオサク」のサク(裂く)という言葉が中世~近世初頭頃の文字を書けるようになった庶民には、谷に近い概念であるということが理解できなかったのだと思います。

サクが判らなかったので、耕作民になじみのある漢字「作」をあてたり、「オオサク」を「大いに栄える」と理解して、「大栄」の当て字をしたものもあります。

「オオヤツ」については口承から文字表記に、いわばすんなり以降しています。

この検討により、早速モデルを改定しました。

小字表記「大谷」を中心とする小字群の統合分離イメージ(改定) (2016.05.06作業仮説)

この図は、口承から文字表記時代に転換する時代の「大谷」関連小字の統合分離イメージのモデルを示したものです。

口承時代にの祖小字は「オオヤツ」系統と「オオサク」系統の二つがあったと考えます。

「オオヤツ」系統は弥生時代以降の水田耕作中心社会で発生した、水田耕作と関連する地形表現地名であると考えます。

「オオサク」系統は旧石器時代・縄文時代の狩猟中心社会に発生した、狩猟と関連する地形表現地名であると考えます。

「オオサク」の意味が農耕民には理解しがたく、「オオサク」の音は残しても翻訳(当て字)は「大作」などにしたり、音が「オオタニ」、「オオザワ」、「ダイサク」に変化し、文字も地形表現から完全に外れてしまっています。

さて、このモデルで「オオサク」を「大谷」と翻訳(当て字)している場合があります。

翻訳(当て字)をする人々が「オオサク」のサクを裂くと理解し、谷をイメージできているということです。

この翻訳(当て字)をした人々が特段思考力があったとか、教養が深かったということではないと思います。

この翻訳(当て字)をした人々が旧石器時代・縄文時代の、つまり狩猟時代の言葉や文化を伝承してきている人々である可能があります。

その分布を見てみます。

次に「オオサク」の分布を表記文字の色を変えて表現しました。

小字読み「オオサク」の分布

「オオサク」をのサクを漢字谷で表現する小字の分布が小地域の集中しているように見えます。

「ダイサク」も「オオサク」起源ですから同じような分布図を作成してみました。

小字読み「ダイサク」の分布

「ダイサク」のサクを谷で表現する小字の分布はほぼ「オオサク」のそれと一致します。

この二つの分布図からサクを谷で表現する小字(赤点)だけ抜き出して、拡大表示すると次のようになります。

小字「オオサク」「ダイサク」でサクを谷で表現するもの

小字「オオサク」「ダイサク」でサクを谷で表現する小字は香取市、多古町、匝瑳市の3市町境界付近を密にして集中的に分布していて、さらに山武市、大網白里市にも見られます。

この結果から、このブログの大胆仮説の一つとして、「小字「オオサク」「ダイサク」でサクを谷で表現する小字分布域付近は、中世~近世初頭頃まで狩猟時代の言葉や文化を伝承していた人々が残っていた。」を設定します。

さらに想像を加えれば、中世~近世初頭頃まで狩猟時代の言葉や文化を伝える人々がこの地域に残存していたとするならば、それは香取神宮との関わりが強く関係していたと考えます。