2019年5月23日木曜日

縄文土器学習入門者の問題意識 データベースの情報カバー率

縄文土器学習 132

私家版千葉県遺跡データベースで縄文土器形式別分布図をつくり比較しようとしてます。分布図を作成するともっともらしい地図になります。有用な情報が含まれていることは間違いありません。また千葉県域で主要土器形式分布図を並べるような作業は見かけませんから意義があることは確実です。
同時にその分布図が「本来存在した事実」「知りたい事象」「存在情報の全部」に対してどれだけカバーしているのか、無頓着でいるわけにはいきません。作成した土器形式別分布図の評価を踏まえた上で利用するのが筋だと思います。
そのような観点から、データベースの情報カバー率について次のような問題意識を現時点で持っていますのでメモ・記録しておきます。学習が進めば、この問題意識も変化するに違いありません。

1 土器はどの程度残ったか
ある時代(例 加曽利B2式期)のある空間(例 下総台地地域)で作られた縄文土器の総量が特定の値で存在していたことは観念できます。
このうち地中に埋もれるなどして近代までに存在した量(残存した量)はどれくらいだろうかということを知りたいです。
土器は腐らないから大半が残存したのか、人の破壊運搬や流水の影響、風化等で大半が消滅したのか、その感覚を知りたいです。

2 近代以降発掘された土器の総量は地中に残存している土器総量のどの程度か
近代以降の発掘調査で発掘された土器総量は地中に残存しているであろう土器総量のどの程度であるか知りたいです。
想定される埋蔵文化財包蔵地のうち発掘調査された面積がどの程度であるかという問題意識でもあります。

3 発掘調査された遺跡分布は地中に残存しているであろう全土器の分布に対してどのような統計的意味を持つのか
下総台地地域を広域的全体像として見た時、素人感覚的には発掘調査された遺跡数が多く、かつその分布が極端に偏っていないので、既存遺跡の情報は地中に残存しているであろう全土器の分布に対して、統計的有意性がかなりあるのではないかと直観します。その統計的有意性はどの程度のものであるのか。

4 発掘調査で出土した土器のどの程度が記録されるのか
発掘調査で出土した土器総量のどの程度が復元、調査、記録されるのか、その程度が記録されているのか、興味があります。また珍品土器は記録されると思いますが、土器塚等で多数出土類似土器の場合など多少なりとも観察され統計情報として残るのか、最初から廃棄されるのか。調査・興味の視点が変化すれば当然観察対象土器も変化しますから、調査の仕方について興味があります。

5 発掘調査で復元、調査、記録された調査結果はどの程度発掘調査報告書に反映されるのか
紙数の都合等で割愛される調査結果が報告書毎にどの程度であるのか、知りたいと思います。
また発掘調査はされたけれども発掘調査報告書は刊行されない場合もあるようです。これがどの程度あるのか。

6 発掘調査報告書内容のどの程度がデータベースに掲載されているか
私家版千葉県遺跡データベース(元情報は千葉県の前ふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータ)は発掘調査報告書の要約版のような内容になっていて、出土土器形式がリストアップされてます。しかし、土器形式を書かないで「縄文土器」で一括しているものなど内容記載が不十分のもの、無いもの等があります。また最近刊行発掘調査報告書の情報は洩れています。千葉県全体では遺跡件数が20000を超えるため、そのチェックは大仕事になります。

7 土器形式の検索方法はどのようにしたらよいか
そもそもデータベースから適切に情報を汲みだしているのかというチェックは必須です。
私家版千葉県遺跡データベースにおいて土器形式を検索する場合の技術的詳細を検討し、それに合わせてデータベースの修正改変等を行うことが大切だと考えています。

以上の問題意識のうち、自分が能動的に活動できるものは6の一部と7です。また3についても何らかの検討をいつかしたいと思います。

完璧には程遠いデータベースについてその情報カバー率を意識しつつ、それからいかに有用な情報を引き出すか?それが学習内容そのものだと思います。

データベース画面(File Maker画面)

2019年5月22日水曜日

加曽利貝塚出土鵜ヵ島台式土器の観察記録3Dモデル

縄文土器学習 131

加曽利貝塚博物館展示加曽利貝塚出土鵜ヵ島台式土器の観察記録3Dモデルを作成しました。

加曽利貝塚出土鵜ヵ島台式土器の観察記録3Dモデル ガラス越し撮影
加曽利貝塚博物館で撮影

・周辺のモノを入れて冗長な空間になっていますが、対象土器だけ切り取った3Dモデルでは「難」を除去しきれないので、試行錯誤の結果このようなモデルになりました。

鵜ヵ島台式土器の検討は次の記事で行っています。
2019.04.26記事「縄文早期条痕文土器 鵜ヵ島台式土器の観察

参考 間見穴遺跡出土鵜ヵ島台式土器の観察記録3Dモデル 改良版
八千代市立郷土博物館で撮影

・ピントの合った写真を撮りなおしましたが、照明が暗いせいか、期待したほどの改良にはなりませんでした。
・周辺のモノを入れた3Dモデルを作った方が、対象土器だけの場合より、より円満なモデルになることは確認できました。

小林達雄編「縄文土器大観」

縄文土器学習 130

1 縄文土器大観の到着
TwitterでS - 1さんから教えていただいた小林達雄編「縄文土器大観」が机上に到着しました。千葉市図書館からの貸出品で3冊とりあえず借り出し、残りは1冊は別の方が終わった後に到着します。同じく紹介していただいた「総覧 縄文土器」も千葉県立図書館から千葉市図書館経由で到着予定です。

机上の小林達雄編「縄文土器大観」

2 縄文土器大観の印象
3冊の大冊図書をパラパラめくって、めぼしいところを拾い読みして、次のようなしっかりした印象を持つことができました。
ア ビジュアル
この図書の特徴は縄文土器の写真が豊富で土器のイメージをつかみやすい点にあると感じました。カラーページが予想よりも少ないのは残念ですが大判図書に比較的よい解像度写真が掲載されているので土器のイメージがつかみやすいです。
また、スリットカメラによる展開写真が付いているの模様が立体形状に騙されることなく把握できます。

カラーページの例

単色ページの例

イ 解説充実
解説が充実しています。「日本土器事典」の場合紙数の制限があるためか解説がカタログ説明的になっています。ところが「縄文土器大観」の場合著者の考えや関連思考事項が述べられていて、解説が読み物になっています。
また様式解説だけでなく、変遷模式図と遺跡分布図が掲載されています。
解説では次の例(称名寺式土器における記述の一部)のような高度な知的思考が各所に書かれていて、読み物としての魅力があります。

解説文章中に見られる「関連思考」の例
この図書が自分の土器学習にどれだけ役立ちそうかという判断はパラパラめくっただけで直観できました。今の自分の趣味レベルにあっている図書です。

3 この図書の活用方法
この図書が自分の縄文学習にとても有益であることが、現物に接してよくわかりました。
まずこれから2週間(あるいは図書館ライバルがいなければ1か月間)机上の図書として字引のように活用することにします。
同時に入手を模索したいと思います。(WEBでは現時点では原物商品(古書)は単品1点以外ありません。)
もし入手できらた、即解体→電子化→データベース化してパソコン内で利用できるようにしたいと思います。この図書は重い大冊ですが1冊のページ数はわずかに330ページ程度です。全4冊でたったの1400ページ弱です。既にデータベース化した「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」(1438ページ)より少ないページ数です。データベース化にかかる時間はB4判という大判であっても数日もかからないと考えられます。
原物入手の見込みが立たない場合は重い図書のまま時間をかけてだましだましスキャンするしかありません。

関連して「総覧 縄文土器」も現物をみてから類似の利用方法を考えたいと思います。
同時に現在手元にある「日本土器事典」は早速解体→電子化→データベース化することにします。この図書のデータベース化に気づいたのは「縄文土器大観」現物を見てその活用方策を考えたからこそです。
少しづつ縄文土器学習が軌道に乗ってきた感じがします。

S - 1さんアドバイスに感謝します。またそもそもの縄文土器コミュニケーションの場を作っていただいたTwitterのpolieco archeさんに感謝します。

2019年5月21日火曜日

神子柴遺跡

3月に伊那市創造館で神子柴遺跡出土大型黒曜石尖頭器などを観覧し、巨大な刺激を受けました。縄文時代学習と旧石器時代学習を自分の頭の中で結びつけることができる有力な材料だと直観しました。
取組中土器学習における草創期土器に共伴出土する尖頭器との比較や関連づけを経由して神子柴遺跡出土物情報を咀嚼したいと考えていました。しかし諸般の事情によりそのチャンスを逸していました。しかしこの度草創期遺跡である一鍬田甚兵衛山南遺跡出土遺物の再度閲覧が近づき、旧石器時代と縄文時代の境目付近にも再び時間資源の一部を投入する運びになりましたので、そのウォーミングアップを兼ねて、神子柴遺跡出土物を観察してみます。
この記事では出土物観覧の様子をメモします。

1 神子柴遺跡出土物

尖頭器(凝灰質頁岩 国重要文化財) 尖頭器(下呂石 長径25㎝ 国重要文化財)

尖頭器(下呂石 国重要文化財) 尖頭器(黒曜石 国重要文化財)

尖頭器(黒曜石 国重要文化財) 尖頭器(黒曜石 国重要文化財)

尖頭器(黒曜石 国重要文化財) 尖頭器(黒曜石 国重要文化財)

掻器展示の様子

石器の巨大さに圧倒されます。草創期土器と共伴出土する同形尖頭器と較べるとその大きさは雲泥の違いとなります。その違いに関わる時間、空間、狩猟対象方法などの要因をぜひとも詳しく知りたくなります。

参考 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土尖頭器(千葉県教育委員会所蔵)
尖頭器の長径は7.5㎝。3Dモデル作成用写真(3Dモデル作成は初歩的ミスで失敗)

2 関連展示物

石器出土状況実物大配置パネル

石器の配置説明ポスター

石器は7×3mの範囲から87点出土しています。石器貯蔵保管施設を掘り当てたようです。

3 感想
観覧時は神子柴遺跡に関わる情報を即時にかつ深く咀嚼できる状況にはありませんでしたが、おそらく再びこの施設を訪れるであろうことを予感しつつ、今後の本格的学習に備えて小冊子や大冊図書を購入しました。

購入した大冊図書

伊那市創造館は顔面付釣手形土器、唐草文土器、神子柴遺跡出土物などが観覧できて、まことに刺激あふれる施設です。

伊那市創造館 2019年3月撮影





2019年5月20日月曜日

堀之内1式土器 加曽利貝塚

縄文土器学習 129

縄文土器を形式別に観察しています。
2019.05.15記事「堀之内式土器 加曽利貝塚」で加曽利貝塚出土堀之内1式土器2点と堀之内2式土器1点を観察しましたが、この記事では残る堀之内1式土器ウを観察します。

1 堀之内1式土器 ウ の観察

加曽利貝塚出土堀之内1式土器の観察記録3Dモデル ガラス越し撮影
 撮影場所:加曽利貝塚博物館
 撮影月日:2019.05.16
 参考 左は餅ヶ崎遺跡出土称名寺式土器、右は加曽利貝塚出土堀之内2式土器

堀之内1式土器ウ 中央の土器

2 参考 堀之内式土器に関する山内清男編「日本先史土器図譜」の記述
「堀之内式は関東地方縄紋式土器後期の初頭に位するものであって、下総国東葛飾郡国分村堀之内貝塚(現在市川市)の土器を模式として、大正十三年自分が指摘したものである。この貝塚は大部分堀之内式の時代に属して居るが、地点によっては加曾利B式或は安行式を出土する。最初利用した資料は自分が大正六年に採集したもの及び大正十年鳥居博士一行(自分も参加)が発掘されたもので、これらは殆んど純粋に堀之内式からなって居たのである。
堀之内式はその後新旧二型式に細別された。また関東地方のうちでも多少地域的な差異を持って居り、例えば武蔵相模のものと、下総のものとは勿論共通した器形装飾を有するが、幾分異ったものを含んで居る様である。尚堀之内式に近似する土器型式は東は中部地方を超え北は東北地方を超えて北海道にも分布して居る。
関東地方の堀之内式は型式の年代順に於いて中期の終末即ち加曾利E式の新しい部分と、後期中葉の加曾利B式の中間に当ると共に、土器の形態装飾に於いても両者の中間を占めるものとしての特徴を持って居る。即ち中期に比して精巧となり、厚さは薄くなり、器形の変化を増して居る。装飾も亦次第に繊細となり磨消縄紋が盛行して居る。この点は堀之内式の新旧二型式に於いて明に看取し得られるのであって、旧型式では器の大形なもの多く、比較的厚く、口辺部には把手及び把手の縮小して生じた小突起に富んで居る。文様の磨消縄紋も直前の加曾利E式からの伝統を多分に持って居る。新型式に於いては器形小形のもの多く、薄手であり、口辺の突起は小形となり、磨消縄紋は極めて繊細なものとなり、漸次加曾利B式に近似する傾向を持って居る。
しかしながら堀之内式は加曾利E式及びB式間の中間型式ではなく、独立した部分を持って居る。また堀之内旧新両式も亦夫々別個の特有な土器とすべきものである。」
山内清男編「日本先史土器図譜」から引用

情報量の少なかった最初期の記述であり、とてもわかりやすい文章です。

3 参考 堀之内1式土器ウに類似した器形土器に関する山内清男編「日本先史土器図譜」の記述

図50
「50.堀之内貝塚出土。谷貞三氏蔵。帝室博物館写真複写。高さ53、1/4。口縁に四個の突起があり、環状把手が横向になって附着して居る。体の中央から上は文様帯となって居り、突起部から下垂する隆起線によって四つに区劃され、各区に同形の文様が加えられて居る。故谷(上羽)貞幸氏最後の採集土器であって、編者は嘗てこの土器の修理接合を行ったことがある。その時の所見として最も注意すべきことは、底から約1/3の高さに、もと製作時に上部と下部とを接合した部分が見られることであって、下方の接着面には一周数十個の刻み目を加え、上方の接着面にはこれに対応した粘土が刻み目に組合う様に突出して居ったのである。この種の接着面の刻み目は堀之内旧型式土器片中には往々認められるが、本例はよく刻目が、上下粘土環を固定せしめる役割を持つことを示す好例であった。この種の器形は武蔵相模方面には稀であり、下総方面には普通である。文様にはこの他種々の変化がある。」
図文章ともに山内清男編「日本先史土器図譜」から引用

4 検討メモ
4-1 土器の接合
図50土器が「もと製作時に上部と下部とを接合した部分が見られる」ことに強い興味を抱きます。「この種の接着面の刻み目は堀之内旧型式土器片中には往々認められる」のですからたまたまの特殊例ではなく、一般的な事象であるようです。
図50を拡大すると次のようになり、接合部分に段差があります。」

図50土器に見られる段差
この段差が「もと製作時」のものか、発掘後の復元作業で生まれたものかは不明ですが、写真でみるかぎり接合は明瞭なものであるようです。
このような視点で土器ウを見ると、土器下部に周回方向の割れ目とそれに連続するように見える線状パターンが観察できます。

土器ウの線上パターン(点線)
周回する割れ目部分には上下方向に指でさすったようなパターンも観察できます。これらの割れ目・線状パターン・上下指跡状パターンは恐らく「よくあるもの」でそれだけではなんとも言えないと思います。しかし、現物を手に取って土器内外面を子細に観察すれば、あるいは図50土器のような接合が発見できるかもしれません。

4-2 土器接合の意味
「もと製作時」に土器を接合したという意味が素人の無知識のためだろうと思いますがわかりません。
・土器を下部から作っていくときに、このような形状では二つに分割しないと上手にできないとも思えません。
・土器下部と上部の素材を変えることが必要で、そのために二つに分割して作成したとも思えません。
・土器を作る上て上部と下部を分業で作って、効率化を図ったとも思えません。
技術面や効率面では分割・合体作成する意味は解けないのではないかと考えます。

この記事では次のような飛躍した理由(仮説)をメモしておき、情報が集まった段階で検討を深めたいと思います。

堀之内式期集落の多くで異出自集団が一緒の生活を営んでいた。2つの習俗等が異なる集団が共同して生活することを相互に確認するために、わざと土器を分割・合体製作した。A集団が土器下部をつくり、B集団が土器上部をつくり、それを合体して土器をつくった。あるいはその逆で土器をつくった。その合体土器を使うことによってAB集団の共同の契りを象徴した。その土器を使うことで現実のいさかいを少なくした。

2019年5月19日日曜日

日本先史土器図譜

縄文土器学習 128

土器学習をより趣味らしく楽しむために古書を購入して眺めてみました。
購入した古書は山内清男編「日本先史土器図譜(第一部関東地方)」(1967 再版・合冊刊行 先史考古学会)です。3500円という値段のものがありましたので、こづかいの範囲ですから即購入しました。値段から推察して専門書古書店ルートではなく、リサイクル業界ルートから流れて来た古書のようです。
届いた本は箱入り2冊(図版、解説)で書き込み等の不良は一切なく年代感だけがある自分レベルでは良品でした。

山内清男編「日本先史土器図譜(第一部関東地方)」(1967 再版・合冊刊行 先史考古学会)

1939年から1941年の間に山内清男によって刊行された縄文土器分冊図譜を合本して再版したものです。つまり全ての縄文土器が戦前に発掘されたものであるということです。

パラパラめくってみると土器形式が現在のものと同じですから判りやすい図譜です。しかし博物館や図書で見かけた典型土器と同じ個体のものはないようだと感じました。その感じは解説に「戦前に発掘された膨大な量の縄文土器はそのほとんどが戦災や戦争混乱で焼失・消失した、資料や記録も失われた」旨が書いてあり、納得できました。
この図譜に掲載されている縄文土器の原物はほとんど存在しないようです。

この図書から最新情報を得ることはできませんが、ページをパラパラめくると、縄文土器学習の興味を深める心地良い刺激を受けることができます。過去の専門家はみな知っていたけれども今の専門家にはあまり知られていない情報を得ることはできます。

勝坂式顔面付釣手土器 東京都杉並区で発見か?(重要美術品)
山内清男編「日本先史土器図譜(第一部関東地方)」から引用

勝坂式には稀に釣手土器が伴うことがあり、顔面を付した稀有の例であると詳しく解説されています。
この土器に関する自分なりの感想を熟成させるプロセスが楽しみです。

堀之内式土器
山内清男編「日本先史土器図譜(第一部関東地方)」から引用

堀之内貝塚出土 この土器は山内清男が修理接合したもので、製作時に上下接合した跡が見られることを詳しく解説しています。また堀之内旧型式土器には上下接合が往々にして認められることが述べられています。
加曽利貝塚博物館展示の類似形状堀之内式土器に製作時上下接合があるかどうか気になります。
チョット見では同じように上下を画する周回状割れ目があり、心臓がドキドキしてきます。その視点で詳しく観察してみることが今後の楽しみです。

加曽利貝塚博物館展示堀之内式土器




2019年5月18日土曜日

餅ヶ崎遺跡出土称名寺式土器の展示状況3Dモデル

縄文土器学習 127

餅ヶ崎遺跡出土称名寺式土器の展示状況3Dモデル
(中央位置の土器が称名寺式土器) 加曽利貝塚博物館展示 2019.05.16撮影 (参考左土器は加曽利貝塚出土加曽利EⅢ式土器、右土器は加曽利貝塚出土堀之内1式土器)

ガラス越し撮影ですが展示されている称名寺式土器の様子を3Dモデルにすることができました。
「作品」とか「製品」とかをイメージする3Dモデルではなく、学習資料・観察記録の材料としての価値はある3Dモデルをつくれたと考えます。

ガラス越し撮影から3Dモデルがつくれることが判ったことは自分の学習にとって意義のおおきなことです。
写真撮影に際してガラス面反射を避けつつ、少しだけ視点を移動して、ピントを合わせた多数枚写真を撮ることがコツのようです。

Jの先端がハネている(尖っている)ことに気が付きました。+のほうはハネていません。
口縁部、胴くびれ部、胴下部の一番膨らんだところの3箇所に2本沈線による横帯がありますが、最下部横帯は波状になり、波状頂部の下にぶらさがる小塊が水滴形状にイメージできます。シャンデリアから下がる水晶のようなイメージの装飾です。土器模様全体が実在した室内装飾を起源とするのかもしれません。

2019年5月17日金曜日

餅ヶ崎遺跡出土称名寺式土器の裏側盛り上がり 3Dモデル観察

縄文土器学習 126

1 称名寺式土器観察記事
2019.05.14記事「称名寺式土器 餅ヶ崎遺跡」で千葉市餅ヶ崎遺跡出土称名寺式土器を観察しました。その記事の中で「日本土器事典」における称名寺式土器記述を引用しました。その引用中には次の文章が含まれていました。
「沈線は何度もなぞられ、他の後期の土器に比べて幅が広く、かつ深いことが多い。そのため器壁の薄いものでは、沈線の裏の部分が盛り上がっていることがある。」
私の観察は沈線裏側についてはまったく無頓着であり、その実情は判っていませんでした。

2 Twitterでのご指摘ご教授
この記事アップ後、Twitterでpolieco archeさんからのご指摘ご教授があり、以前その土器を観察したことがあり、「突出ではない」という挿図とメモを残しているとして、それをアップしていいただきました。
同じ土器について過去に専門的観察がpolieco archeさんによって行われその結果を教えていただいたので、興味が強く湧きました。同時に自分としても同じ観察をするのが筋だと思い、早速その土器が展示されている加曽利貝塚博物館にでかけ、土器内面をガラス越しに観察してみました。

3 土器内面の3Dモデル観察
土器内面をガラス越しですが別角度から7枚の写真を撮り、3DF Zephyr Liteで3Dモデルを作成したところ、土器内面の凹凸が判るレベルでの3Dモデルを作成することができました。

餅ヶ崎遺跡出土称名寺式土器内面の3Dモデル

口縁部に幅広でとても深い沈線が2条刻まれていますが、その裏側付近に凹部2条とそれに挟まれた凸部1条が観察できます。その様子は次の‏matcap画像でも確認できます。(3Dモデル画面下のmodel inspector(i)でmatcapにすると写真が除去され立体物だけの表示になります。)

matcap画像
この情報から土器外面沈線と内面凹凸の関係を次のように分析することができました。

4 土器外面沈線と内面凹凸の関係分析

土器外面と内面の様子

土器外面沈線と内面凹凸の関係分析

ア 土器外面沈線に対応して内面に凹部があります。凹部には指で押した跡が多数見られます。
イ 土器外面の沈線に囲まれた部分(相対的に出っ張った部分)に対応して内面に凸部があります。この凸部には指で押した跡は見られません。

「器壁の薄いものでは、沈線の裏の部分が盛り上がっていることがある。」という「日本土器事典」の記述と較べると内面凸凹は真逆になります。
しかし、多数の指で押した跡の存在から次の推測が成り立ちます。
「この土器は最初沈線に対応して内面に凸部ができた。その凸部を解消するために指で押さえて凸部をへこませた。その時凸部は薄いので指で押さえた時元通りではなく、凹みすぎた。」
結論として、「この土器は沈線を描いた時、内面は盛り上がった。しかしそれを指で補正した。補正が過ぎてその部分が凹んだ。」と観察メモを残すことができると思います。

5 まとめ
polieco archeさんが残した観察メモ「突出ではない」はその通りです。同時に「日本土器事典」の「沈線は何度もなぞられ、他の後期の土器に比べて幅が広く、かつ深いことが多い。そのため器壁の薄いものでは、沈線の裏の部分が盛り上がっていることがある。」もある意味でその通りだったと言えると思います。

polieco archeさんご指摘ご教授に端を発した活動により、称名寺式土器の一つの特性を深く体験することができました。polieco archeさんに感謝します。

なお、ガラス越し撮影でも丁寧な撮影により有用な3Dモデル作成ができることを体験できました。自分にとっての学習ツールが増えたことになり、よかったと思います。

2019年5月16日木曜日

縄文丸木舟の3Dモデル

八千代市立郷土博物館展示縄文丸木舟(全長6m超 複製)の3Dモデル作成が出来ましたのでメモします。
3回目のチャレンジでようやく3Dモデルが作成できました。

縄文丸木舟の3Dモデル(3DF Zephyr Lite画面)
写真79枚から作成したものです。
土器のような小さなものだけでなく大きなものも3Dモデルにすることができました。
モデルのファイルサイズが50MBを超え、Sketchfab無料版ではアップロードできないので残念ですがWEB上での3D画面共有は断念します。

縄文丸木舟展示の様子
八千代市立郷土博物館展示

参考 出土経緯
昭和25年(1950)11月に印旛沼干拓工事の排水路掘削現場で丸木舟が発見されました。千葉県教育委員会は早稲田大学考古学研究室に調査を依頼し発掘調査を実施しました。
 丸木舟は地表面から1.6m下の泥炭層から出土し、周辺の泥炭層から縄文土器が出土しました。土器の時期が縄文時代晩期(約3000年前)であったことから、丸木舟も同時代のものと判断されました。
丸木舟の材質はカヤで、残存する部分の長さは6.54mありました。船底4箇所に刳り残しの形で横梁があり、船体の強化を図っていることから、単純な刳り舟から技術的に一歩進んだ形態を示しています。

参考 八千代市保品出土丸木舟 全景
早稲田大学考古学研究室提供

参考 八千代市保品出土丸木舟 船首部分
早稲田大学考古学研究室提供

参考 八千代市保品出土丸木舟 船尾部分
早稲田大学考古学研究室提供


2019年5月15日水曜日

堀之内式土器の千葉県域分布

縄文土器学習 125

堀之内式土器の較正年代と千葉県域分布について検討します。

1 堀之内式土器の較正年代

堀之内式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では堀之内式土器の較正年代が4235~3900年前calBPとなっています。

2 堀之内式土器の千葉県域分布

堀之内式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースで堀之内式を検索すると601レコード(遺跡)がヒットします。

堀之内式土器出土遺跡ヒートマップ
堀之内式土器出土遺跡の最密集域は市川付近ですが、千葉市付近が前代(称名寺式期)と較べると色が濃くなっています(遺跡密集度がアップしています)。加曽利EⅣ式期における中期社会崩壊が回復した様子、あるいは加曽利B式期へむけて社会が変化しつつある様子を表現している分布図であると考えることができます。

参考 称名寺式土器出土遺跡ヒートマップ

参考 加曽利B式土器出土ヒートマップ
サイト「私家版千葉県遺跡DB地図帳」から引用