花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.214 鳴神山遺跡の長文墨書土器
鳴神山遺跡の墨書土器文字・熟語で多出するものは2015.09.27記事「鳴神山遺跡の墨書土器文字・熟語」で検討しました。
この記事ではそれ以外の文字のうち、長文文字について検討します。
長文の墨書土器文字は当時としてはきわめて高い教養が必要であることと、長文の祈願文を甕などに書いてもだれからも咎められないだけの権力が必要であることから、集落支配層のトップクラスの人間によって書かれたものと考えます。
同じ墨書土器文字と言っても1文字がその8割を占める大衆のものと、支配層トップクラスの長文のものとではその意義が異なります。
大衆の書いた墨書土器からは集落内の集団区分、労働の使命(職種)区分などを知ることができると考えます。
大衆の書いた墨書土器は大衆一人一人個人が内部から湧き上がる心情を言葉にしたものでないことは明らかです。
社会的(集団的)規制の中で上部から与えられた(指導された)言葉を書いています。(書いてもらったという方が多かったのかもしれません。)
与えられた(指導された)言葉には集団の特性や使命(職種)が反映されているものが多かったようです。
一方、支配層トップクラスの書いた墨書土器からは支配層が使った祈願の言葉が判ります。
しかし、祈願内容そのものは延命など一般的なものであり、社会的な内容は浮かび上がってこないようです。
●丈尼丈部山城方代奉/丈尼
丈尼丈部山城方代奉/丈尼のスケッチ
「千葉市北部地区新市街地造成整備事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ-印西市鳴神山遺跡・白井谷奥遺跡-」(平成11年3月、千葉県企業庁・財団法人千葉県文化財センター)[以下発掘調査報告書とします]から引用
発掘調査報告書では内外面とも全面赤色塗彩していて、2名の人名を書いていて、「方代奉」が北海道遺跡出土墨書土器「丈部乙刀自女形代」と同じであろうとしています。
「丈部乙刀自女形代」の解釈は次のように考えられています。
「丈部乙刀自女形代」→人名「丈部乙刀自女」+身召代「形代」
復原案「丈部乙刀自女形(召さるる)代り進上す」
(「千葉県の歴史通史編古代2」(千葉県発行)(平川南「墨書土器の研究」の転載(一部改変)情報)から引用)
2015.07.07記事「墨書土器にみえる丈部(ハセツカベ)一族」参照
祈願した人名と祈願に使った言葉の構造は解明され、さらに祈願内容が余りに一般的な延命であることがわかりました。
私は人面土器なども一緒に出る場合があり、宴会の席で、酒に酔った勢いで、教養の自慢も兼ねて、遊び半分に書いているのではないかと想像してきています。
その場合の(酒の場の)祈願内容が一般的な延命という個人的なものであったということは理解できます。
遊びで書いている(余興で書いている)墨書土器に、仕事の課題を書くわけにいきません。
酒の場を離れれば、次のような本当の祈願をしなければならないような状況が必ずやあったに相違ありません。
・支配層として律令国家から要請される課題達成(過大な物資供出、兵員提供、通過兵員に対する運搬業務や宿営地・食料の提供など)の祈願。
・配下住民を食わせるために必要な地域開発成功の祈願。
・配下住民の支配(行政・政治)に関する悩みを解決のための祈願。
しかし、支配層は自らの本当の困難や悩み解決の祈願を墨書土器に託さなかったと思います。
その理由は、墨書土器はあくまで、支配層や官人が文字の力(魔力)で大衆を動員するために使ったツールだからです。
支配層はあくまでもお遊び、余興で墨書土器を書いたのだと思います。
人面土器が多出する理由もそのためです。
以下の例は祈願内容が延命のものと、祈願内容不明のものです。
●同□[ ]丈部ヵ刀自女召代進上
同□[ ]丈部ヵ刀自女召代進上のスケッチ
発掘調査報告書から引用
●国玉神上奉 丈部鳥 万呂
国玉神上奉 丈部鳥 万呂
発掘調査報告書から引用
鳴神山遺跡には多出文字でもなく、長文文字でもないけれど特徴的な文字・熟語がありますので、次の記事で検討します。
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