大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 12
大膳野南貝塚廃屋墓の機能不明柱穴の検討を時期別に竪穴住居毎に順次検討していますがこの記事がその終回です。
この記事では堀之内2式期の残りであるJ11竪穴住居廃屋墓の検討をおこないます。
12 堀之内2式期 J11竪穴住居
11-1 特徴
発掘調査報告書では、J11竪穴住居はJ111竪穴住居と重複しJ11竪穴住居が新しいと記述されていて、柱穴帰属の検討もそのように行われています。
しかし、J111竪穴住居は出土土器から加曽利B1式期に比定されると記述されることから、J11竪穴住居はJ111竪穴住居より古く、J11竪穴住居はJ111竪穴住居によって切られていると考えざるを得ません。
従って発掘調査報告書による「J11竪穴住居はJ111竪穴住居より新しい」という記述は過誤であり、柱穴帰属の検討の一部にも過誤があると考えます。
人骨は炉祉北側の床面直上から成人骨1体検出されていますが、後世の削平等で多くの部位が失われています。頭骨が四肢骨から離れています。骨から齧歯類の齧痕が観察されています。
遺物は堀之内1~2式期に属する土器が中テン箱1箱分と獣骨26点が出土しています。
J11竪穴住居の位置
J11竪穴住居 柱穴分布
住居の南東部付近柱穴はJ111竪穴住居に帰属するものが多いと考えられます。
人骨出土の状況
12-2 検討
人骨は住居中央付近の床面から出土し、齧歯類によって食べられているので次のような状況が想定できます。
空家となっていたJ11竪穴住居に遺体が持ち込まれ、殯(もがり)が行われ、遺体がミイラ化し、そのさいにネズミに遺体の一部を食われ、その後漆喰と焼土を含む土で埋められました。(堀之内2式期)
加曽利B1式期になるとJ11竪穴住居跡が廃屋墓であるという情報の伝承が途切れていて、J11竪穴住居を切ってJ111竪穴住居が建てられました。
機能不明柱穴はその数が多く的確な考察が出来ませんが、炉祉の東西に分かれて4~5の機能不明柱穴群が対のように分布しています。それらが屋根を支える補助柱であるのか、それとも別の意義がある柱であるのか気になります。
人骨の分布は乱れていますが、東西方向に置かれていた様子がうかがえ、機能不明柱穴の分布との関連が気になります。
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