大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 8
大膳野南貝塚堀之内1式期廃屋墓の機能不明柱穴の検討を竪穴住居毎に順次しています。
8 堀之内1式期 J79竪穴住居
8-1 特徴
J79竪穴住居を切ってJ14竪穴住居が存在し、J12竪穴住居を切ってJ14竪穴住居が存在していますが、J79竪穴住居とJ12竪穴住居の新旧関係は不明となっています。
人骨が床面から30㎝高い覆土中層から出土していて、この人骨が含まれる覆土がJ79竪穴住居の分であるとすると、J12→J79の順番であると推察できます。
人骨はJ79壁柱穴にかぶさって存在していますから、J79竪穴住居建物が無くなってからその穴が埋没する途中に埋葬されたものと考えることができます。
人骨は熟年~老年の男性で、後世の削平等により下半身が失われています。
J79竪穴住居の炉は漆喰炉、北西部覆土層上層から貝層が出土しています。
土器・石器が中テン箱1/3箱と獣骨28点が出土しています。
J79竪穴住居の位置
J79竪穴住居 柱穴分布
J79竪穴住居 人骨の状況
8-2 機能不明柱穴の検討
人骨が覆土層中から出土していることから機能不明柱穴が埋葬人骨に関連して新たに建てられた祭壇である可能性は無いようです。
竪穴住居が重複していることもあり、機能不明柱穴の意義を判断する決めては乏しいのですが、竪穴住居廃絶時に建てられた祭壇である可能性を否定できる材料は見つかりません。
[空想]もし北側にある4本の機能不明柱穴が竪穴住居廃絶時の祭壇であれば、その祭壇位置に対応して男性遺体の埋葬位置が決まったのかもしれません。
追記 J79竪穴住居の例は穴の覆土堆積中に埋葬された例であり、竪穴住居廃絶後それを廃屋墓(あるいはモガリ小屋)として再利用するという集落意思が希薄に感じます。
適当な埋葬場所がないので、あるいは正規の埋葬をするほどの故人ではないので、たまたま放棄されている竪穴があるのでそこに埋葬してしまおうという安易な意思が見え隠れします。
おそらくそのような安易な埋葬であるため、この竪穴に人が埋葬されたという情報は薄れ途切れてしまったと想定します。その結果J79竪穴住居は後年にJ14竪穴住居によって切られたのだと思います。
竪穴住居床面に遺体を置いて埋葬(モガリ)を行った本来の意味での廃屋墓は別の竪穴住居によって切られることは大膳野南貝塚ではありません。
廃屋墓の所在は世代から世代に情報として伝えられたと考えられます。
なお、床下墓坑の竪穴住居は別の竪穴住居によって切られています。縄文人にとって床下墓坑は家族レベルの葬送であり、集落社会における廃屋墓概念には入っていなかったと考えます。
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