2018年9月10日月曜日

事例学習 有吉南貝塚

村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 11

1 有吉南貝塚の貝層分布と遺構配置
調査面積は計10265㎡であり,縄文時代中期の遺構としては竪穴住居跡38軒・炉跡12基・小竪穴99基・ 土坑79基・溝状遺構1条などが検出されている。追構は径約100mの馬蹄形貝塚の貝層下および縁辺部を中心に,馬蹄形の開口部(南西側)や内側にも展開しており,貝層から離れるにしたがってその密度は低くなる 。これらの遺構の大半は加曽利EⅠ式からEⅡ式期に設営されており,馬蹄形貝塚は加曽利EⅡ式からEⅢ式期を中心に形成されたことが判明している。

貝層分布と遺構配置  「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

参考 有吉北貝塚と有吉南貝塚 写真は1960年代空中写真

2 複構造炉
有吉南貝塚の竪穴住居跡の特徴として,火床面を2面もつ複構造炉ともいうべき炉の存在とその出現頻度の高さがあげられる。そのほとんどは地床炉と埋甕炉の組み合せで構成されており,埋甕に使用されている土器の多くは東北地方南部を主要分布域とする大木式およびその影響を受けたものである。大木式文化圏に特徴的な複式炉との関係が考えられる。

3 甕被葬人骨
土壙内に甕被仰臥屈葬の埋葬人骨が発見され、頭部を被覆する土器から加曽利EⅠ式期の埋葬であることが判明しており、特筆すべき成果として、埋葬人骨が着装している装身具2点がある。ひとつは左肘部と左寛骨に挟まれて出土した腰飾とおもわれるイルカの下顎骨製装身具であり、もうひとつは左手付近から出土した垂飾と思われるイモガイの半截品である。この人骨は大坐骨切痕の形態から男性であることは確実で,大腿骨最大長の略測値から縄文時代人の平均値からは著しく逸脱する高身長(約180cm)が推定される。かなり特殊な地位にある人物であったことは疑いのないところであろう。」(注 この記述の後出版された有吉南貝塚発掘調査報告書では高身長は訂正されて158cm程度とされている。)

甕被葬人骨 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

イルカ下顎製装身具 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

4 イヌ・幼猪の埋葬
馬蹄形貝塚北側縁辺部の貝層下から検出された竪穴住居跡には,イヌ2体とイノシシ幼獣1体の計3体が埋葬されていた。柱穴内に埋葬されたものもありきわめて稀有な例といえる。

5 感想
有吉南貝塚が東北南部の影響を受けた集落であり、すぐ近くの有吉北貝塚がもしそれとは違うならば、隣接する2つの出自が異なる貝塚集落が生業を同じくして共存していたことになります。自分にとってはじめて知った驚くべき情報です。下総や上総にやってくる集団は全て西からやってきていると思い込んでいました。有吉北貝塚と有吉南貝塚の出自の違いや、そもそもなぜ同時期に隣接して2つの貝塚集落が繁栄したのか興味が深まります。
甕被り葬は大膳野南貝塚でも1体出土しています。甕被り葬とはどのような意味があるのか、今後調べたいと思います。WEBでざっと調べた範囲ではどこにもヒントがありません。近世の釜被り葬はハンセン病患者の埋葬方法でもありマイナスイメージが強いのですが、縄文時代の甕被り葬はどうなのでしょうか?

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