学習テーマについて 1
1 ブログ学習活動の経緯
「大膳野南貝塚学習の中間とりまとめ」の作成はそれまでの自分の学習を決算するような意味合がありました。その後ひきつづき、大膳野南貝塚で得た興味を周辺遺跡に投影して学習を深めるべく「村田川河口低地付近縄文集落の消長分析」学習活動をはじめました。
しかしその後、この中間とりまとめに千葉県縄文研究の最先端で活躍される西野雅人先生(千葉市埋蔵文化財調査センター所長)からコメントをいただくことができました。その結果、自分の学習がいかに井の中の蛙であったのかという身の程に気が付くことができるとともに、きわめて有益なアドバイスを多数いただくことができました。
西野雅人先生からいただいたアドバイスのうち主要なものは次の2点です。
・大膳野南貝塚で取り組んだテーマの多くは周辺の多くの遺跡の情報を総合して判断すべきであり、大膳野南貝塚だけの情報で結論を出すべきではない。
・漆喰貝層有無別竪穴住居の違いはそれがどのような社会状況(機能・活動等)に対応しているかという視点から検討すべきである。生業を異にする集団の違いとはみられない。
西野雅人先生に感謝します。
また「千葉県の歴史資料編」の旧石器・縄文時代事例266編を電子化データベース化して重力から解放されて自由に利用できるようになりました。その結果、縄文遺跡事例の知識を得る機会が飛躍的に増大し、自分が知らなかった興味深い多数事例の学習が実現し、学習上の視界が急速に広がりました。
こうした心理衝撃・専門家アドバイス・情報収集力増強という経緯の中で「村田川河口低地付近縄文集落の消長分析」学習活動が充実して、大膳野南貝塚学習で得た興味を発展させる新たな4つの興味(学習テーマ)を組み立てることができました。
ブログ学習活動の経緯
2 今後の学習テーマ
2-1 中期~後期・晩期の貝塚集落消長
次の疑問の解明に強い興味をおぼえます。
ア なぜ中期貝塚集落が衰滅したのか?
有吉北貝塚や有吉南貝塚が社会崩壊した理由に興味をおぼえます。
イ 大膳野南貝塚、小金沢貝塚、木戸作貝塚、上赤塚遺跡が堀之内式期に盛期を共にし、その間六通貝塚が縮小している理由は何か?
ウ 大膳野南貝塚、小金沢貝塚、木戸作貝塚、上赤塚遺跡が衰退する加曽利B式期以降六通貝塚が発展している理由はなにか?
集落消長は生業の環境や条件と深くかかわってと考えますから、おそらく生業の分析がこのテーマ検討の鍵になると推測します。
2-2 なぜ谷奥台地に貝塚集落が立地するのか?
中期有吉北貝塚、有吉南貝塚、後期六通貝塚、大膳野南貝塚、小金沢貝塚、木戸作貝塚は谷奥台地に立地します。中期草刈貝塚、後期菊間手永遺跡の様に海辺台地に立地するものもありますが多くの貝塚は谷奥台地に立地します。その理由を解明したいと考えます。貝塚の立地分析もそのメインは生業の分析と関わると考えます。
2-3 竪穴住居漆喰貝層有無別の理由
多遺跡の情報を収集・比較して、竪穴住居漆喰貝層有無別の理由がどのような社会状況(機能、活動、組織、集団)に対応するものなのか検討することにします。
漆喰は大膳野南貝塚でのみ確認されているので、厳密には竪穴住居貝層出土有無別が存在する理由の分析ということになります。
2-4 土器形式年代と海岸地形との関係
・技術的問題意識として、土器形式年代と既往資料で発表されている縄文時代海岸地形との対応関係を十分納得して理解できるようにしたいと考えています。
・また新たに生まれた土地の環境とその利用という意味で、後期・晩期に陸化した土地の様子や利用についても理解したいと考えています。
次の記事以降で4つの学習テーマについて本格学習開始前にじっくり考えて見ることにします。
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