2023年1月21日土曜日

花見川と二宮尊徳

 花見川よもやま話 第4話


Hanami River and Sontoku Ninomiya


Sontoku Ninomiya (Kinjiro Ninomiya) appears in the Inbanuma moat construction project during the Tenpo period. Sontoku Ninomiya is a rural reformer who is famous for his statue of him reading a book while walking with firewood on his back. I was surprised that Hanami Rover and Sontoku Ninomiya were connected, as I had little knowledge of history. I have tasted the real thrill of secret learning.


天保期印旛沼堀割普請に二宮尊徳(二宮金次郎)が登場します。二宮尊徳は薪を背負って歩きながら本を読む像で有名な農村改良家です。歴史知識の少ない自分は花見川と二宮尊徳が結びついて驚きました。秘かなる学習の醍醐味を味わいました。


花見川の歴史と言えば印旛沼堀割普請が最も有名な出来事であると言えます。江戸期の印旛沼堀割普請は享保、天明、天保と3回にわたって行われ、いずれも失敗に終わりました。しかし最後の天保期印旛沼堀割普請は防災、干拓だけでなく、舟運路開通という新たな意義を有するものでした。天保期印旛沼堀割普請はペリー来航前ですがすでに列強による外圧を意識した国際情勢のもとで、東北からの舟運を東京湾口を使わないで利根川-印旛沼-花見川経由で東京湾江戸城に導くという戦略的意義を内包する国家的大規模プロジェクトとなっていました。丁度その頃、アヘン戦争が勃発していて、日本もぼやぼやしているといつ列強の餌食になるかわからない状況に置かれていました。


天保期印旛沼堀割普請の計画図面 「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市)から引用

この天保期印旛沼堀割普請に脇役として二宮尊徳(二宮金次郎)が登場します。あの薪を背負って歩きながら本を読む像で有名な二宮尊徳が花見川学習に登場するのですから、歴史知識の少ない自分は驚きました。自分の知識の中で何ら関連性を意識していなかった二宮尊徳像と天保期印旛沼堀割普請が結びつくのですから、その瞬間の感情は表現し難い感動でした。学習の醍醐味を味わったということです。


二宮尊徳像

Wikipedia掲載画像引用


二宮尊徳像

Wikipedia掲載写真改変引用

農民の出であった二宮尊徳は荒廃した農村の復旧に力を発揮しその才能を世の中に認められていました。天保13年(1842)に天保改革の指導者であり印旛沼堀割普請の推進者である老中水野忠邦の信頼を得て、幕府の御普請役格に任ぜられました。その最初の仕事が「利根川分水路見分目論見御用」でした。二宮尊徳は共のもの重蔵を同行して10月21日に江戸を出発して現場に赴き、11月15日には江戸に帰りその後報告書を提出していて、短期間に効率的な作業をしています。次の孫引きは二宮尊徳が提出した報告書冒頭部分です。


利根川分水路堀割御普請見込之趣尋に付申上候書付 栗原東洋「印旛沼開発史 第1部上巻」(1972年)から引用

二宮尊徳の報告書内容は土木技術的な問題点を指摘して開削計画を立案するとともに、事業を成功させるためには農民の賛同を得ることが必要であり、そのために貧乏を克服するための長期にわたる施策を含んでいます。この報告書は20年以上の先までを見ているもので、幕府に採用されることはありませんでした。

なお、二宮尊徳が調査報告を求められる2年前の天保11年から、幕府は本格的な利根川分水路堀割普請の計画策定作業に着手しています。老中水野忠邦が二宮尊徳に調査報告をもとめた背景には、大規模プロジェクトの実施組織の中に対立や調整されていない状況があり、この対立をなんとか緩和し、できれば何らかの技術的名案はないものかと思案していたことがあるようです。(栗原東洋「印旛沼開発史 第1部上巻」(1972年)による)

天保期印旛沼堀割普請の中で二宮尊徳が果たした役割は脇役というか端役に過ぎないものがあります。しかし、荒廃地域復旧の地域開発専門家である二宮尊徳が登場するほどに、この普請は国家的見地からのビッグプロジェクトであったといえます。その後老中水野忠邦は失脚し多くの普請関係者が連座しますが、二宮尊徳は生き残り、日光神領の立て直しの命を受け活躍します。二宮尊徳の農村改良策(報徳仕法)は明治前期にかけて各地に広まります。


先日子どもたちと交流する機会がありました。その時、「花見川で染谷源右衛門以外に有名な人はいますか」という質問を受けました。染谷源右衛門は享保期印旛沼堀割普請の創始実行者で千葉市や八千代市小学校副読本に必ず登場する郷土の偉人です。予期せぬ質問に「有名人」という語句に反射的に反応してしまい二宮尊徳(二宮金次郎)と答えてしまいました。自分の子どもの頃は薪を背負って歩きながら本を読む銅像をよく見かけたと話すと、子どもたちは二宮尊徳を知っている様子でした。二宮尊徳が登場する漫画とかアニメがあるのでしょうか。

花見川で染谷源右衛門の次に有名な人はだれでしょうか。老中水野忠邦ということになるのでしょうか。自分の内なる有名人ランクとしては、二宮尊徳の次に明治期印旛沼計画のお雇い外人技師のデレーケが、その次に同じく明治期の渋沢栄一が、さらに印旛沼堀割普請を小説「天保図録」にかいた松本清張が、さらに印旛沼堀割普請を研究して「印旛沼開発史」にまとめた栗原東洋と続きます。花見川は単なるトリガーであり、もともと二宮尊徳、デレーケ、渋沢栄一、松本清張、栗原東洋に興味を持っている自分が存在しているということです。


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