3D model of the relationship between the estimated interface between the collapsed layer and the sloping shell layer and the Kasori EI pottery
For some reason, it seems that the northern slope shell layer is not used much during the Kasori EI period, which is the peak of the Ariyoshi Kita Shell Mound. From the same 3D distribution of pottery fragments, we could imagine how the pottery was thrown into the gully from the valley slope.
有吉北貝塚の盛期である加曽利EⅠ式期は、なぜか北斜面貝層をあまり利用していないようです。同一土器破片3D分布から、土器が谷津斜面からガリーに投げ込まれた様子を想像することができました。
1 崩落層と斜面貝層の推定境界面と加曽利EⅠ式土器との関係3Dモデル
有吉北貝塚北斜面貝層 崩落層と斜面貝層の推定境界面と加曽利EⅠ式土器との関係3Dモデル崩落層と斜面貝層の推定境界面:カラーグラデーション等高縞模様表現
貝層断面図:4番断面、7番断面、11番断面
加曽利EⅠ式土器:赤CUBE(19)
崩落層と斜面貝層の推定境界面と加曽利EⅠ式土器との関係3Dモデル画像1
崩落層と斜面貝層の推定境界面と加曽利EⅠ式土器との関係3Dモデル画像2
有吉北貝塚北斜面貝層 崩落層と斜面貝層の推定境界面と加曽利EⅠ式土器との関係3Dモデル動画
2 観察
観察結果1
観察結果2
・斜面貝層出土土器5点、崩落層出土土器2点あります。
・ガリー谷頭急斜面出土土器1点、ガリー運搬堆積層出土土器11点あります。
・土器出土と対応する層位は中峠式土器と似ています。
・加曽利EⅠ式土器で3D座標を取得できたものは全部で19点であり中峠式69点の約1/3と少なくなっています。北斜面貝層ではほぼこの割合で中峠式土器と加曽利EⅠ式土器が出土してます。またこの傾向は南斜面貝層でも同様です。
・加曽利EⅠ式期には北斜面貝層があまり利用されていなかったことは確実です。
・一方、発掘調査報告書の竪穴住居軒数をみると、加曽利EⅠ式期の軒数が最も多く、EⅠが集落最盛期のようです。斜面貝層から出土する加曽利EⅠ式土器の数と竪穴住居軒数の間の平仄が合わないので、重要な学習テーマとして、今後興味をもって検討を深めることにします。
3 加曽利EⅠ式153番土器の投棄場所(破壊地点)
2-1 参考 加曽利EⅠ式153番土器に関する発掘調査報告書の記載
加曽利EⅠ式153番土器
「153は井戸尻Ⅲ式と思われる資料である。内湾する口縁部は無文で、RL単節縄文を地文に3条の平行沈線による懸垂文が垂下する胴部文様帯とは1条の横走隆線によって画されている。器形的にはキャリパー形を呈する。」図版、記述ともに発掘調査報告書から引用。
2-2 加曽利EⅠ式153番土器の投棄場所(破壊地点)
加曽利EⅠ式153番土器の投棄場所(破壊地点)推定
加曽利EⅠ式153番土器の3破片を斜面(崩落層と斜面貝層の推定境界面)の等高縞模様を参考に最大傾斜方向に遡ると、斜面頂部付近で合流します。この合流場所が3破片が生まれた場所(153土器が破壊された場所)であると推定できます。つまりこの合流場所で土器が破壊され、3破片は長い年月を経て出土場所まで重力、流水の力、貝殻投棄など人為撹乱によって移動(転がり落ちた)と考えることができます。
加曽利EⅠ式153番土器の投棄方法の想像
加曽利EⅠ式153番土器は斜面(崩落層と斜面貝層の推定境界面)の頂部付近で投棄で破壊されたと推定できますが、その破壊方法は谷津斜面から投げ込んだと想像するのが合理的だと考えます。斜面(崩落層と斜面貝層の推定境界面)頂部にたどり着くのはエネルギーを要するので、その場所まで土器を持ってきて破壊したとは考え難いです。
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