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2017年7月8日土曜日

腕状枝イナウの分布

西根遺跡出土丸木現物を閲覧して、それが腕状枝イナウの特徴を具えていることを観察しました。
同時に北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)から、腕状枝イナウが見られるのはほぼ樺太のみで、北海道内では余市町に2例見られるほかは今のところ類例がないことも学習しました。
この観察・学習結果を分布図にしてみました。

腕状枝イナウの分布

参考 西根遺跡の位置

参考 腕状枝イナウ(現代アイヌ木製品)の分布

西根遺跡出土丸木(腕状枝イナウ)は縄文時代加曽利B式土器と一緒に出土していて、約3800年前頃の製品です。
一方、北海道、南樺太の腕状枝イナウは現代アイヌが作製した木製品です。
3800年という時間を越えて同じ特徴を具えた祭祀用木製品が作られています。
そして西根遺跡と北海道余市町とは約830㎞、西根遺跡と南樺太とは約1500㎞離れています。

腕状枝イナウが見られるのはほぼ樺太のみであると考えると、千葉県印西市西根遺跡で3800年前に存在した腕状枝イナウを使った縄文人祭祀が源流となり、変転を繰り返してその祭祀習俗の一つの枝分かれが現代南樺太アイヌの腕状枝イナウを使った祭祀である可能性が浮かび上がります。
従って、腕状枝イナウの分布図は縄文人文化とアイヌ文化の関係を知る上で興味深い情報を提供することになります。

2017年4月15日土曜日

「物送り場」としての竪穴住居祉

2017.04.14記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 獣骨出土の意味」では、竪穴住居跡から土器・石器・獣骨の出土する意味を次のように書きました。

「1 土器・石器の出土は主人が死亡して竪穴住居が廃絶した時、故人を送る祭祀で持ち込まれたお供え物であると考えます。その量は集落内における故人のステータスの高さに、比例すると考えます。

2 獣骨出土も故人を送る祭祀で集落社会が故人と供食した動物の骨を土器・石器とともに持ち込んだものであると考えます。」

一方、2017.04.13記事「河野廣道(1935):貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ 学習」でアイヌは自身の経済生活と関係あるすべての生活資料や器具を送ることを学びました。
アイヌは器具や家具・食器等に至るまで、不用のものや毀れたものは、全てヌササン(祭壇)の傍ら又はポンヌサ(小祭壇)の近傍にまとめて送るので、所かまわず捨てる様なことは決してしないということを学びました。

アイヌを大膳野南貝塚前期後葉集落の縄文人に置き換えて思考すると、次のような想定も可能になります。

竪穴住居主人が死亡してその竪穴住居で故人の送り祭祀が行われた。この時その竪穴住居にはイナウ(*)が立てられ、竪穴住居の一角はヌササンとなり、ヌササンの傍らが物送りの場となった。

故人が有力者であり送り祭祀が盛大であるほどヌササンも立派になり、同時にヌササン傍らの物送り場機能も盛大になり、多くの土器・石器・獣骨が送られた。

つまり、竪穴住居から出土する土器・石器・獣骨は故人送り祭祀の直接的お供え物ではなく、故人送り祭祀に伴う物送りの結果であるとして捉えることが可能であるということです。

有力者の竪穴住居ほど出土物が多いと考えますから、有力者の竪穴住居ほど物送り場としての機能が盛大になったと考えます。

有力者を盛大に送るためには、盛大な物送りが行われたと考えます。

これを逆に考えると、盛大な物送りの跡が見つかれば、つまり土器・石器・獣骨などの出土物が多ければ、その背後には人々の気持ちを盛大な物送りに駆り立てた本当の送り対象が存在していたということになります。

土器・石器・獣骨などの出土物が多ければ、それらの送りが行われたと思考するだけでは不十分であり、その背後に存在する本当の送り対象を見つける必要があります。

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参考 イナウ
inaw

アイヌの祭具。柳,ミズキなどを▶削掛け状にしたもので,イナウ作りは男の大切な仕事とされ,これを捧げて神々をまつる。本来は魔神を脅すための棒であったとも考えられる。捧げる神や時と場所により,材料や形が異なり,本数や組合せも用途によって多様である。
蛸島 直
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用

2016年11月30日水曜日

地名学習 6年間のふりかえり

6年間の趣味活動(ブログ活動)のふりかえりを行っています。

2016.11.19記事「ブログ花見川流域を歩く 6年間のふりかえり」参照

この記事では地名学習をふりかえります。

6年間の主な学習テーマ(対象)を時間順にならべてみました。

表の上が最近、下が最初です。

地名学習の主なテーマ



●これまでの学習で、花見川付近の個別地名の由来を考える中で古代起源の地名が多いことに気が付きました。

●角川千葉県地名大辞典付録小字リストを電子化してデータベースとして利用できるようになりました。

この結果、自分の地名学習が大いに深まりつつあります。

データを集めることに多大なエネルギーを使うのではなく、思考にエネルギーを使えるので、活動が効率的になりました。

●縄文・アイヌ・蝦夷(俘囚)関連地名に興味を深めています。

地名からみて古代房総には縄文人末裔と俘囚(蝦夷)の集落が存在していたと考えます。

そのような地名情報を遺跡発掘情報の中で確認することが自分の密かな大テーマとなっています。

以下は2016.06.02記事「千葉県のアイヌ語地名「メナ」」で掲載した図面です。

メナの分布

アイヌ語地名 小字「メナ」の分布

東北地方のナイ、ペツ地名の分布
瀬川拓郎(2016):「アイヌと縄文-もうひとつの日本の歴史-」(ちくま新書)から引用
(ナイ、ペツを使った集団とメナを使った集団が同じならば、房総に飛地的にその集団が残された可能性があります。)

このような図面から、縄文人末裔集落が古代房総に存在していたと仮説していて、古代学習に興味がそそられる要因の一つになっています。