ラベル ジャレド・ダイアモンド の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ジャレド・ダイアモンド の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年9月26日水曜日

学習テーマの検討その1 縄文中期~後晩期の貝塚集落消長

学習テーマについて 2

2018.09.24記事「ブログ学習活動の経緯と学習テーマ」の続きです。
縄文時代学習のテーマとして次の4つに取り組みたいと考えています。
1 中期~後期・晩期の貝塚集落消長
2 なぜ谷奥台地に貝塚集落が立地するのか?
3 竪穴住居漆喰貝層有無別の理由
4 土器形式年代と海岸地形との関係
このうち1を検討します。
このテーマは一言でいえば「中期大型貝塚がなぜ消滅し、後晩期大型貝塚がなぜ成立発展し、そしてなぜ衰退したのか」という3つの小テーマから構成されています。
このテーマの学習が進めば上記2~3のテーマもおのずと解決するような包括的な意味がある最も大切なものです。

1 事例学習から得た学習のヒント
「中期大型貝塚がなぜ消滅し、後晩期大型貝塚がなぜ成立発展し、そしてなぜ衰退したのか」という問題意識を確認した上で改めて「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」の関連遺跡事例を読み直してみましたが、なぜ消滅、あるいはなぜ成立したのかという点にかんする記述は皆無でした。しかし次の情報は自分の思考のヒントになるような気がしました。
1-1 貝塚形成や遺構形成の経緯が詳しく調査されている遺跡が多い。
中期大型貝塚の消滅の経緯と後期大型貝塚の成立の経緯を村田川河口低地付近で詳しく調べることは発掘調査報告書を閲覧すれば出来そうです。なぜ消滅したか、なぜ成立したかは別にして、経緯の事実は詳しく調べることができると考えますので、まず自分の手でデータを詳しく並べて検討してみることにします。

1-2 貝類乱獲及び資源保護の情報が調査されている遺跡がある。
有吉北貝塚の事例には「ハマグリは, 漁の盛んな時期, とくに加曽利EI式期に小型化が著しい。殻の成長は早いので,小型化は採取圧による年齢構成の若年化のためと考えられる。一方,加曽利EⅡ式期にはイボキサゴ漁などで混入したハマグリの稚貝をもう一度海へ戻すという資源の保護があったと推察される。この時期に若干大きなサイズの個体が増えたのはその効果とみられる。」と記述されていて乱獲とそれに対する保護の双方の情報が掲載されています。
草刈貝塚の事例には「ハマグリは3cm程度の小型貝を中心に採取しており、 乱獲による若年化の影響が強くみられる。」と記述されています。
六通貝塚の事例には「村田川水系の貝塚でハマグリのサイズをみると,中期貝塚では殻長3cm前後のきわめて小さな個体が中心であり,木戸作貝塚や本貝塚の後期前葉をみても中期とそれほど変わらない。これに対して,後期中葉頃からはかなり大きな個体が増え,後期後葉から晩期の貝層ではさらに顕著である。殻長5cmほどのハマグリが普通にみられ, 7~10cmほどの大型個体も少なくない。成長線分析によると中期では生後1年から1年半のものが中心であり,小型化は高い乱かくによる若年化によることがわかっている。本遺跡における後期後葉以降の大型化は,ハマグリの資源量に対して漁が減ったことを示す。このことは貝類への依存度が減ったことを表していると考えられる。」と記述されています。
これらの記述から、中期大型貝塚の時代と後期大型貝塚の後期前葉までは乱獲が行われ、場合によっては資源保護が図れましたが、後期中葉頃から乱獲が収まった(採貝活動が少なくなった)ことが推察できます。
このような資源の状況が中期大型貝塚の消滅と後晩期大型貝塚の成立繁栄に大きく関わるものであるかどうかは重要な検討ポイントであると考えます。

1-3 土地の荒廃(裸地化)を暗示する遺跡がある
有吉北貝塚では「北斜面貝層は,ほぼ加曽利EⅡ式期以外の混入物のない大規模な貝層である。この時期には台地上の遺構内貝層が少なく,崖崩れなどによる浸食の拡大をくい止めるように,集中的に廃棄が行われたようである。」という記述があります。断面図等をみるとガリー浸食防止土木工事跡のように推察できます。貝塚周辺の谷津斜面が裸地化したためにガリー浸食が発生し、集落存亡の危機に直面して斜面保護工を実施したと捉えられます。ガリー浸食が発生するほど植生が貧弱になっていたことから、集落近辺は燃料や建材として樹木がほとんど伐採しつくされていた状況が考えらえます。
森林乱伐と植生破壊は食料・燃料・建材等の資源の減少を招くだけでなく、土地の浸食、水問題(泉の枯渇)、鳥獣減少、土砂流入による沿岸域魚介類の減少等の連鎖反応を生じます。
このような森林資源破壊とそれによる環境破壊が中期大型貝塚消滅に関わっているのか、関係ないものであるのか検討する価値は大きいと思います。
たとえ食料は賄えても、燃料(燃焼エネルギー)が無くなればその場での集落運営は不可能です。

有吉北貝塚北斜面貝層平面図断面図 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
当時の切羽つまったガリー浸食防止土木工事跡と考えます。

1-4 他地方との交流を示す遺跡がある
有吉南貝塚では「有吉南貝塚の竪穴住居跡の特徴として,火床面を2面もつ複構造炉ともいうべき炉の存在とその出現頻度の高さがあげられる。そのほとんどは地床炉と埋甕炉の組み合せで構成されており,埋甕に使用されている土器の多くは東北地方南部を主要分布域とする大木式およびその影響を受けたものである。大木式文化圏に特徴的な複式炉との関係が考えられる。」という記述があります。
実信貝塚では「本貝塚から出土した土器群は,中期後半から晩期終末にかけてのものである。注目される資料として晩期終末を中心とする土器群がある。東北地方の大洞(おおぼあら)式系の土器群であり,このほかに,詳細な時期が不明の壺形土器や,稲妻状(Z字状)の意匠を有する粗製土器などがある。」という記述があります。
菊間手永遺跡では「図4-3は屋外埋設土器に用いられた土器であるが東北地方の後期前半に属する螢沢式土器であり,関東地方での出土例がきわめて稀なものである。このほかに,中部瀬戸内地域の後期前半に属する福田K2式土器も出土例が稀なものであり,注目される。」という記述があります。
これらの記述で示される他地方との交流が単なる一般的な交易・交流であるのか、それとも集落住民の心の支えとなるような交流であったのか、その違いはとても重要であると考えます。たとえ遠方であっても心の支えとなるような交流が絶たれると集落の勢いが無くなるということはあり得ると考えます。

2 学習方法
このようなヒントを活用して次のような学習を展開しようと思います。
2-1 千葉広域学習
千葉県全体を対象にして「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」事例、「同 考古4(遺跡・遺構・遺物)」の貝塚、西野雅人先生を始めとする研究者の論文等の学習をして学術界における最新知識を入手します。

2-2 村田川河口低地付近を対象とした発掘調査報告書分析学習
次のようなテーマを念頭において発掘調査報告書データの分析学習を行います。
・有吉北貝塚、有吉南貝塚、草刈貝塚等の消滅理由
・六通貝塚、大膳野南貝塚、小金沢貝塚、木戸作貝塚、上赤塚遺跡、菊間手永遺跡等の成立理由、発展理由
・大膳野南貝塚、小金沢貝塚、木戸作貝塚、上赤塚遺跡等の短期消滅理由
・六通貝塚、菊間手永遺跡等の長期継続理由、消滅理由

とくに中期遺跡(有吉北貝塚、有吉南貝塚、草刈貝塚等)消滅と後期遺跡(六通貝塚、大膳野南貝塚、小金沢貝塚、木戸作貝塚、上赤塚遺跡、菊間手永遺跡等)成立の関わりについて詳細な経緯、関連に着目して学習を進めることにします。

2-3 学習チェックリストとしてジャレド・ダイアモンド5つの社会崩壊潜在要因の活用
学習チェックリストとしてジャレド・ダイアモンドのつぎの5つの社会崩壊潜在要因を活用することとします。
1)自らが引き起こした環境・資源破壊の影響
2)気候変動の影響
3)近隣敵対集団の影響
4)友好的な交流相手の影響
5)問題に対する社会の対応の仕方

2017年2月18日土曜日

千葉県の貝塚学習 Ⅳ期貝塚集落崩壊の理由

2017.02.17記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代中期後葉~後期初頭」で書いた通り、Ⅳ期(縄文時代中期中葉)に建設された定住型貝塚集落が全て消滅したことを学習しました。

図書(「千葉県の歴史 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行))ではサラリと書いてありますが、その当時の房総の縄文社会が全面的に崩壊したのですから、大いに興味が湧きます。

Ⅳ期定住型貝塚集落の崩壊の理由は何か?

縄文社会そのものも最後には崩壊しますから、学習を進めればおそらくそれとの比較も行う必要があります。

話は大いに飛躍しますが、私が興味を持っている別のテーマである奈良平安時代開発集落も9世紀末に一挙に衰退します。崩壊といってもよいような状況だと思います。

考古歴史の学習をしていて、社会の崩壊・消滅に共通するような要因があるのかどうか気になります。

このような問題意識のなかで、たまたま書店でみかけて購入した次の図書の記述が、Ⅳ期定住型貝塚集落の崩壊理由推察のために参考になるかもしれないと考え、この記事にメモしておきます。

●ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)

ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)で扱っている「過去に消滅した数々の社会」

「過去に消滅した数々の社会」世界地図

●崩壊を招く5つの要因(ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)要約)

1 人が環境に与えた損傷(環境破壊)
特定の社会だけが環境の崩壊に見舞われる理由のなかには、原則的に、住民の並外れた無思慮か、環境のある側面の並外れた脆弱性が、あるいはその両方が含まれるものと思われる。

2 気候変動
人間の寿命が短く、文字や記録が無かった時代には、数十年規模の気候変動は深刻な問題だった。
数十年好適な気候の時代に作物の生産高や人口を増やそうとする傾向がある。
やがて好適な数十年が終わると、社会は支えきれる以上の人口をかかえ、新しい気候条件にふさわしくない生活習慣が定着していることに気づかされる。

3 近隣の敵対集団
歴史上の社会のほぼすべてが、地理的に近い他の社会をかかえ、少なくとも何らかの接触を持ってきた。
隣接する社会との関係は、ときに、あるいは常に、敵対的なものだったかもしれない。
社会に力があるあいだは、敵を退けることができるが、なんらかの理由でその力が弱まれば、敵に屈することになる。

4 近隣の友好集団
歴史上のほぼすべてが、近くに敵をかかえるのと同様、友好的な交易の相手をかかえている。
しばしば、その相手は敵と同一の集団であり、相互の関係は敵対と友好のあいだを揺れ動く。
大半の社会は、必需物資の輸入という形で、もしくは集団を束ねるための文化的絆という形で、近隣の友好的な社会にある程度まで依存している。
だから、交易相手が何らかの理由で弱体化して、必需物資や文化的な絆を供給できなくなると、結果的に当の社会も弱体化しかねないというリスクが生じる。

5 さまざまな問題への社会の対応
たとえば森林破壊の問題が発生しても、森林管理に成功して繁栄を続ける社会と、有効な管理策を施せず、結果として崩壊した社会がある。
社会の対応は、その政治的、経済的、社会的な制度や文化的な価値観によって異なる。
社会が問題を解決できるかどうか-そもそも解決を図ろうとするかどうか-は、制度や価値観しだいである。

・環境破壊、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手は、個々の崩壊した社会によって重要度が高かったり、低かったりする。
・環境問題への社会の対応はどの社会においても重大な要素となる。

この図書(「文明崩壊」)を読んだからといって、Ⅳ期定住型貝塚集落の崩壊の理由がわかることはありませんが、いろいろな示唆・触発を受け、自分の思考の幅を広げ深めるための参考になります。