図書(「千葉県の歴史 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行))ではサラリと書いてありますが、その当時の房総の縄文社会が全面的に崩壊したのですから、大いに興味が湧きます。
Ⅳ期定住型貝塚集落の崩壊の理由は何か?
縄文社会そのものも最後には崩壊しますから、学習を進めればおそらくそれとの比較も行う必要があります。
話は大いに飛躍しますが、私が興味を持っている別のテーマである奈良平安時代開発集落も9世紀末に一挙に衰退します。崩壊といってもよいような状況だと思います。
考古歴史の学習をしていて、社会の崩壊・消滅に共通するような要因があるのかどうか気になります。
このような問題意識のなかで、たまたま書店でみかけて購入した次の図書の記述が、Ⅳ期定住型貝塚集落の崩壊理由推察のために参考になるかもしれないと考え、この記事にメモしておきます。
●ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)で扱っている「過去に消滅した数々の社会」
「過去に消滅した数々の社会」世界地図
●崩壊を招く5つの要因(ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊 上下」(草思社文庫)要約)
1 人が環境に与えた損傷(環境破壊)
特定の社会だけが環境の崩壊に見舞われる理由のなかには、原則的に、住民の並外れた無思慮か、環境のある側面の並外れた脆弱性が、あるいはその両方が含まれるものと思われる。
2 気候変動
人間の寿命が短く、文字や記録が無かった時代には、数十年規模の気候変動は深刻な問題だった。
数十年好適な気候の時代に作物の生産高や人口を増やそうとする傾向がある。
やがて好適な数十年が終わると、社会は支えきれる以上の人口をかかえ、新しい気候条件にふさわしくない生活習慣が定着していることに気づかされる。
3 近隣の敵対集団
歴史上の社会のほぼすべてが、地理的に近い他の社会をかかえ、少なくとも何らかの接触を持ってきた。
隣接する社会との関係は、ときに、あるいは常に、敵対的なものだったかもしれない。
社会に力があるあいだは、敵を退けることができるが、なんらかの理由でその力が弱まれば、敵に屈することになる。
4 近隣の友好集団
歴史上のほぼすべてが、近くに敵をかかえるのと同様、友好的な交易の相手をかかえている。
しばしば、その相手は敵と同一の集団であり、相互の関係は敵対と友好のあいだを揺れ動く。
大半の社会は、必需物資の輸入という形で、もしくは集団を束ねるための文化的絆という形で、近隣の友好的な社会にある程度まで依存している。
だから、交易相手が何らかの理由で弱体化して、必需物資や文化的な絆を供給できなくなると、結果的に当の社会も弱体化しかねないというリスクが生じる。
5 さまざまな問題への社会の対応
たとえば森林破壊の問題が発生しても、森林管理に成功して繁栄を続ける社会と、有効な管理策を施せず、結果として崩壊した社会がある。
社会の対応は、その政治的、経済的、社会的な制度や文化的な価値観によって異なる。
社会が問題を解決できるかどうか-そもそも解決を図ろうとするかどうか-は、制度や価値観しだいである。
・環境破壊、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手は、個々の崩壊した社会によって重要度が高かったり、低かったりする。
・環境問題への社会の対応はどの社会においても重大な要素となる。
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