上谷遺跡の出土物等閲覧の中に付着物土器3点が入っていますので、閲覧を記録します。
1 閲覧した付着物土器
A144竪穴住居出土付着物土器
A145竪穴住居出土付着物土器
A157竪穴住居出土付着物土器
閲覧した付着物土器が出土した竪穴住居の位置
閲覧した3点の付着物土器はいずれも土器縁の一部に付着物が付いています。
発掘調査報告書の記載はタール状付着物あるいはタールとなっています。
この近くに漆風呂(*)と想定される特異な円形形状の掘立柱建物があり、一帯が漆業務ゾーンであったことを既に検討しています。
漆風呂…漆を塗った製品を湿度の高い状態で乾かす施設。
2016.10.03記事「上谷遺跡 漆風呂(漆乾燥施設)としての掘立柱建物の可能性」参照
2 付着物土器の筆跡
A157竪穴住居出土付着物土器(遺物番号3)について子細に観察して次にまとめました。
A157竪穴住居出土付着物土器(遺物番号3)観察結果
液体の付いた大筆(あるいは刷毛)と小筆を土器縁両側を利用してしごいた跡を観察することができます。
この様子から、漆液体を製品に塗っている最中に大筆(あるいは刷毛)及び小筆の漆液付着状況を調整するために、この土器縁で筆をしごいたと想定できます。
付着物土器の現物を閲覧して、それが漆工芸の現場で使われていた道具であったことを確認できました。
A144竪穴住居、A145竪穴住居出土付着物土器も同じであり、漆塗り用筆のしごき跡であると観察しました。
(A145竪穴住居出土付着物土器は出土後付着物を削っている様子が観察できますから、その成分の分析が行われているのかもしれません。)
2016年12月17日土曜日
2016年9月14日水曜日
上谷遺跡 漆工房群存在の可能性
上谷遺跡の馬具出土情報から牧存在の可能性を検討していて、その一環で赤彩土器と内黒土器の情報を整理しました。
2016.09.13記事「上谷遺跡 赤彩土器と内黒土器」参照
赤彩土器と内黒土器を直接牧に結びつけることは現時点ではできませんでした。
この情報整理の中で、5冊の発掘調査報告書を何回も関係ページをめくったのですが、その中で見過ごせない情報に遭遇しましたので、メモしておきます。
1 付着物土器
土器の中には付着物に関する情報が書いてあるものがあります。
そこで、付着物(固形物を意味すると考えられるもの)とススに関する土器の情報を整理してみました。
上谷遺跡 付着物土器出土遺構
付着物1遺構、タール状付着物5遺構、タール?1遺構、タール1遺構、漆状の付着物1遺構の9遺構(9点)が確認できます。
タール状付着物、タール?、タールは近隣遺跡で乾漆が行われており、またこの時代の下総国で漆が盛んであったことからタールではなく漆液の残存物であると考えます。
発掘観察者は黒い色からタールを連想したのでタールという言葉を使っただけで、タールそのものの可能性を別の情報等から察知していたとは考えません。
漆状の付着物はまさに観察した通り漆液の残存物であると考えます。
付着物という記述の正体はわかりませんが、漆液である可能性を否定できません。
次にスス付着土器出土遺構分布を示します。
上谷遺跡 スス付着土器出土遺構
スス付着土器は土器種類等から燈明皿によるもの、煮沸によるものなど多種類の要因が考えられます。
同時に、付着物土器出土遺構9のうち、6遺構からスス付着土器が出土します。
タール状付着物が漆であると考えると、漆を火の熱で温めて漆器工芸に使ったと考えられますから、付着物土器出土遺構でスス付着土器が同時に出土することは合理的に解釈できます。
2 漆工房に関する想像
こうした情報から、付着物土器の付着物が漆であると考えると、次のような漆工房群と漆木分布域を想像することができます。
漆工房集中区域の可能性と漆木分布域(想像)
このような状況、つまり奈良時代下総台地では自然の漆木が生息する場所は崖斜面林にしかなく、漆工房は台地崖林近くに成立したということは既に船尾白幡遺跡で検討しました。
なお、参考までに付着物土器出土遺構と掘立柱建物分布をオーバーレイしてみました。
付着物土器出土遺構と掘立柱建物
付着物土器出土遺構(竪穴住居)付近に掘立柱建物が存在するところが多くなっています。
特に崖林近くの付着物土器出土竪穴住居そばの崖ギリギリのところに掘立柱建物が存在するものがあります。
その掘立柱建物は漆工芸と無関係ではないと想像しますので、何かそのような結びつきを示す情報があるかどうか、今後検討したいと思います。
2016.09.13記事「上谷遺跡 赤彩土器と内黒土器」参照
赤彩土器と内黒土器を直接牧に結びつけることは現時点ではできませんでした。
この情報整理の中で、5冊の発掘調査報告書を何回も関係ページをめくったのですが、その中で見過ごせない情報に遭遇しましたので、メモしておきます。
1 付着物土器
土器の中には付着物に関する情報が書いてあるものがあります。
そこで、付着物(固形物を意味すると考えられるもの)とススに関する土器の情報を整理してみました。
上谷遺跡 付着物土器出土遺構
付着物1遺構、タール状付着物5遺構、タール?1遺構、タール1遺構、漆状の付着物1遺構の9遺構(9点)が確認できます。
タール状付着物、タール?、タールは近隣遺跡で乾漆が行われており、またこの時代の下総国で漆が盛んであったことからタールではなく漆液の残存物であると考えます。
発掘観察者は黒い色からタールを連想したのでタールという言葉を使っただけで、タールそのものの可能性を別の情報等から察知していたとは考えません。
漆状の付着物はまさに観察した通り漆液の残存物であると考えます。
付着物という記述の正体はわかりませんが、漆液である可能性を否定できません。
次にスス付着土器出土遺構分布を示します。
上谷遺跡 スス付着土器出土遺構
スス付着土器は土器種類等から燈明皿によるもの、煮沸によるものなど多種類の要因が考えられます。
同時に、付着物土器出土遺構9のうち、6遺構からスス付着土器が出土します。
タール状付着物が漆であると考えると、漆を火の熱で温めて漆器工芸に使ったと考えられますから、付着物土器出土遺構でスス付着土器が同時に出土することは合理的に解釈できます。
2 漆工房に関する想像
こうした情報から、付着物土器の付着物が漆であると考えると、次のような漆工房群と漆木分布域を想像することができます。
漆工房集中区域の可能性と漆木分布域(想像)
このような状況、つまり奈良時代下総台地では自然の漆木が生息する場所は崖斜面林にしかなく、漆工房は台地崖林近くに成立したということは既に船尾白幡遺跡で検討しました。
なお、参考までに付着物土器出土遺構と掘立柱建物分布をオーバーレイしてみました。
付着物土器出土遺構と掘立柱建物
付着物土器出土遺構(竪穴住居)付近に掘立柱建物が存在するところが多くなっています。
特に崖林近くの付着物土器出土竪穴住居そばの崖ギリギリのところに掘立柱建物が存在するものがあります。
その掘立柱建物は漆工芸と無関係ではないと想像しますので、何かそのような結びつきを示す情報があるかどうか、今後検討したいと思います。
登録:
投稿 (Atom)