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2017年4月27日木曜日

竪穴住居非構造柱穴の配列タイプ

大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居非構造柱穴の配列タイプ

1 近在竪穴住居の関連性検討結果
大膳野南貝塚前期後葉集落の竪穴住居に関して発掘調査報告書では4つのグループについてその位置近接性からその関連性を指摘し、「これらの住居には時期的な前後関係があるものと推定される。」と記述しています。
2017.04.18記事「複数竪穴住居の関連性検討」参照
その見立てについて順次検討してきましたが、その結果をまとめると次のようになります。

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 近在住居の関連性分析結果
発掘調査報告書のBについては完全に2グループにわけるべきであるという結果になりました。
またDグループも2つに分割することが今後の検討に役立つように感じました。

2 竪穴住居非構造柱穴の配列タイプ
上記関連性検討のなかで竪穴住居の非構造柱穴(発掘調査報告書の中で主柱穴、壁柱穴以外の説明をしていない柱穴)に分析して有用な情報を得ましたのでまとめておきます。

2-1 関連性の検討からはずれた竪穴住居の柱穴分類
発掘調査報告書で関連性が指摘されていない4つの竪穴住居について柱穴分類図を作成してみました。

J10号住居祉
説明の無い柱穴の中に建て替え主柱穴である可能性が感じられるものが含まれていて、非構造柱穴の配列パターンをイメージできませんでした。

J22号住居祉
主柱の建て替え毎の位置イメージが判らないことと、壁柱が明確に判らないので非構造中柱穴の配列パターンをイメージできません。

J42号住居祉
主柱の建て替え毎の位置イメージが判らないことと、壁柱が明確に判らないので非構造中柱穴の配列パターンをイメージできません。

J93号住居祉
主柱穴が囲む範囲内に非構造柱穴が存在しているのですが、その配列のパーターンをイメージできません。

2-2 全竪穴住居の非構造柱穴の配列タイプの整理
非構造柱穴の配列タイプを次の4つに分類して整理把握しました。

非構造柱穴配列タイプ1…線形の組み合わせで北方向を拝むことができる祭壇をイメージで
きるもの。
非構造柱穴配列タイプ2…テラス段差付近と主柱穴範囲内の双方2カ所以上に線形の祭壇をイメージできるもの。
非構造柱穴配列タイプ3…建物構造とは全く異なる意図的パターンで柱穴が密集するもの。
非構造柱穴配列タイプ4…パターンが読み取れないもの。

非構造柱穴配列タイプ1

非構造柱穴配列タイプ2

非構造柱穴配列タイプ3

非構造柱穴配列タイプ4

非構造柱穴配列タイプ4

非構造柱穴配列タイプの分布を地図に書き込むと次のようになります。

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居 非構造柱穴配列タイプ

非構造柱穴配列タイプとは竪穴住居廃絶時の故人送りに際して設置された祭壇であると想定しています。
その祭壇の姿が一定したものではなくいろいろなタイプがあるということは意外な発見になりました。
出自が同じならば祭壇の作り方は一定になるはずですから、集落住民の出自がかなりバラバラであったことが想定できます。
住民出自がバラバラであったということは出土土器の優勢形式が浮島式土器と諸磯式土器の2つに真半分に割れることからも想定できます。
大膳野南貝塚前期後葉集落の最初は関東地方の異なる各所から集まった縄文人で構成されたと想像します。


2017年4月16日日曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居形状

大膳野南貝塚前期後葉集落の竪穴住居の形状等の観察を始めます。

この記事では優勢土器形式別に竪穴住居面積と深さの平均を求めてみました。

大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居面積(㎡)

面積は竪穴住居を単純な楕円形と見立てて、長径×短径×π×1/4で算出しました。

大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居深さ(㎝)

優勢土器形式が浮島式の竪穴住居の方が諸磯式より面積も深さも大きく、土器・石器の出土量で見たように浮島式竪穴住居の方が優位で諸磯式竪穴住居の劣位な社会状況が観察できます。

参考 大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居 



2017年4月14日金曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 獣骨出土の意味

1 獣骨出土に関する発掘調査報告書の分析
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書では前期後葉集落の獣骨出土について次のような分析を行っています。
……………………………………………………………………
イノシシ
出土部位の偏りを見ると、上顎骨や下顎骨および遊離歯は多く出土しているが、四肢骨の出土量は少ない。
これはシカの場合も同様である。
シカの上腕骨遠位部にイヌの咬みキズが明瞭に残されている例があり写真に示した。
シカ 上腕骨遠位部(イヌの咬み痕多い)

これらの他にもイヌの咬みキズを持つ骨が多く見られることから、この遺跡のシカやイノシシの骨はイヌの餌にされていたと推測される。
四肢骨が少ないのは、それらがイヌに与えられたためであろう。
なお、骨に咬みキズを加えた動物が何であるかの判断は、ネズミでは切歯の形態、イヌ科では犬歯や上下の裂肉歯の形から推定したものである。
イヌは肉片の付いた骨を与えられても骨そのものを食べるのではなく、骨を齧って骨膜や軟骨・骨髄を食べるのであって、その結果、骨の腐食・消滅を促進していたことになる。

なお、J97号住居址出土のイノシシを主体とする動物骨の集中について、船橋市取掛西貝塚に見られるような儀礼的な取り扱いではないかという問題がある。
これについては、出土状態を見ると、J97号住居址の例では頭蓋骨や下顎骨の出土状態に意図的な配列が見られない。
不規則な散乱状態で出土しているように見える。
このことから、J97号住居址のイノシシやシカの出土例は、儀礼的な扱いを受けていないと判断した。

シカ
シカの骨では、イノシシと同様に頭部の骨に比べて四肢骨の出土量が少ない。
この点については、写真で示したようにイヌの咬みキズが多くのこされている上腕骨が出土していることから、イノシシとともにシカの肉付きの骨がイヌの餌になったためと思われる。
……………………………………………………………………
イノシシ、シカともに四肢は狩のパートナーである犬に与え、それ以外の部位について人が食べたこと、及び獣骨最多出土竪穴住居J97のイノシシ頭骨集中出土は儀礼的な扱いを受けていないことが分析結果として述べられています。

2 獣骨出土の意味
竪穴住居を対象に土器出土量と石器出土量を類型区分し、そこに獣骨出土量が判るように竪穴住居をプロットしてみました。

大膳野南貝塚 前期後葉集落 土器・石器出土量と獣骨出土量の関係

参考 大膳野南貝塚 前期後葉 獣骨出土量

この分析から次の事実が判ります。

1 土器出土量、石器出土量ともに多い竪穴住居は1軒だけ(J56)であるが、ここから獣骨は多量に出土する。
2 土器、石器ともに一定以上の出土量がある竪穴住居は11軒あるが、そのうち獣骨が多量に出土するのは1軒(J10)だけである。
3 土器は一定以上出土するが石器の出土がない竪穴住居は1軒だけ(J97)であるが、ここから獣骨が多量(最多)に出土する。
4 土器が極少あるいは完全に出土しないで、石器の出土もない竪穴住居は3軒あり、いずれも獣骨は出土しない。

この事実から獣骨出土の意味を次のようにイメージ(連想)します。
1 土器・石器の出土は主人が死亡して竪穴住居が廃絶した時、故人を送る祭祀で持ち込まれたお供え物であると考えます。その量は集落内における故人のステータスの高さに、比例すると考えます。

2 獣骨出土も故人を送る祭祀で集落社会が故人と供食した動物の骨を土器・石器とともに持ち込んだものであると考えます。

3 J56は土器・石器出土量が最も多く、集落リーダーの送り祭祀跡と考えると、そこから獣骨が多量に出土することは合理的に理解できます。

4 土器・石器ともに「有」の竪穴住居は全部で11軒あり、集落中堅構成員の送り祭祀跡であると考えます。この中で獣骨が多量に出土するJ10は集落中堅構成員の中でもリーダーに準じる身分の人間であったと考え、その準リーダーの送り祭祀では狩猟動物を供食し、他の構成員の送り祭祀では供食は少なかったあるいは無かったと考えることができます。

5 J97は石器という生業に関わる遺物が皆無であるにも関わらず、土器は中テン箱1箱出土していて、集落の中の特殊構成員の送り祭祀跡であると考えます。生業に関わる遺物(石器)をお供え物にしていない状況から故人がシャーマンであったと考えると、その送り祭祀で狩猟動物の供食が多数回行われて、獣骨出土が最多になったと考えることが可能です。

6 土器出土量が極少あるいは無、石器出土量無の竪穴住居3軒は故人送り祭祀がほとんど行われなかった竪穴住居であると考えます。故人の集落内身分が低かったり、集落が消滅した時の最後家族の住居であったと考えます。

2017年4月12日水曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 獣骨

大膳野南貝塚前期後葉集落の獣骨出土状況について学習します。

獣骨出土は6軒(J10、42、56、58、97、98)の住居で観察されています。
このうちJ42、58、98は極少の獣骨が出土し、J10、56、97からはイノシシ、シカを主体とする大量の獣骨が出土しています。
次に発掘調査報告書の記述を引用します。

J10号 竪穴住居
獣骨は住居中央の径約2 × 3 mの範囲から出土しており、総量は中テン箱で1 箱弱を数える。
出土層位は住居下層から中層(J10号住3 ・4 層)であり、諸磯b式古段階および浮島Ⅰ式土器が共伴する。
これらは住居の埋没が進行した過程で、凹地状となった住居跡地に廃棄されたものと推定される。
獣骨の分布状態はやや散漫で、とくに獣骨が集中している箇所はみられない。
獣骨の大半は破片資料で、保存状態は不良である。
同定された獣骨はイノシシ・シカで、最少個体数はイノシシ6 頭、シカ4 頭である。

J10号 獣骨出土状況
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J56号 竪穴住居
本住居は大膳野南前期集落では最大の住居で、平面規模は7.2×5.5m、深さは90㎝を測る。
 獣骨は住居中央の径約4.6×2.5mの範囲から完形個体を含む浮島Ⅱ~Ⅲ式土器群に伴って出土しており、総量は中テン箱で約4 箱を数える。
出土層位は住居最下層(J56号住東-西13層、南-北20層)で、住居埋没過程の比較的早い段階に土器とともに廃棄されたものと推定される。
獣骨の分布状態は濃密であるが、保存状態は不良で、大半の個体は骨体表面が磨滅している。
また、獣骨を含有する土層の厚さは約30㎝を測り、本址における獣骨廃棄は継続的に行われていた可能性が考えられる。
同定された獣骨はイノシシ・シカで、最少個体数はイノシシ5 頭、シカ4 頭である。

J56号 獣骨出土状況
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J97号 竪穴住居
獣骨は住居中央の径約1.6mの範囲に集中して出土した。獣骨の総量は中テン箱で約6 箱を数え、本遺跡の前期集落では最多となる。
出土層位は住居最下層に該当するハマグリ主体の混貝土層(J97号住4 層)であり、諸磯b式土器が共伴する。
これらは前述したJ56号住と同様に住居埋没過程の比較的早い段階に廃棄されたものと推定される。
獣骨の分布状態は極めて濃密で、復元可能な頭骨が複数個体含まれており、保存状態は良好である。
貝層の存在が獣骨の遺存状態に影響を与えたものと推定される。
獣骨はイノシシ・シカが主体で、最少個体数はイノシシ9 頭、シカ5 頭である。
また、イノシシ・シカ以外にイヌ4 点、タヌキ7点、ノウサギ2 点などが同定された。

J97号 獣骨出土状況
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

獣骨出土量(中テン箱数)を分布図にすると次のようになります。

大膳野南貝塚 前期後葉 獣骨出土量(中テン箱数)

J56とJ10から獣骨が出土することの意味については、これまでの土器や石器の出土状況からそれなりに説明できる(強い違和感なしに自分自身を納得させることはできる)と思います。

ところが獣骨出土が最大のJ97はこれまでの検討では獣骨多量出土をイメージできない竪穴住居です。強い違和感を覚える竪穴住居です。

次表に数値を示すように、J97は石器出土が完全にゼロの竪穴住居です。

大膳野南貝塚 前期後葉 獣骨出土量

J97号竪穴住居がなぜ獣骨出土量が最大になるのか?
さらにJ56、J10から獣骨が出土する理由や、他の竪穴住居から獣骨がほとんどあるいはまったく出土しない理由はなにか?
そもそも竪穴住居から獣骨が出土する意味はなにか?
次の記事で検討します。

2017年4月9日日曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器出土数分布

1 土器出土数のおさらい
大膳野南貝塚前期後葉集落の石器出土数分布を土器出土数分布と比較しながら考察するために、最初に土器出土数をおさらいします。

次の分布図は土器・石器出土量(中テン箱数)を示したものです。

大膳野南貝塚 前期後葉 土器・石器出土量(中テン箱数)

土器と石器を合わせたものですが、土器出土量に近似するデータとして利用できると考えます。
J56が特段に多いことが特徴となっています。

土器形式は浮島式土器と諸磯式土器が出土し、どちらかの形式が凌駕する竪穴住居が多いので、その凌駕する土器形式(主体形式)を次の分布図にプロットしました。
この分布図は当初は発掘調査報告書の記述を細かく分析して、文章の表現に忠実に従って作成したのですが(2017.04.02記事「大膳野南貝塚 浮島式土器と諸磯式土器」参照)、その後発掘調査報告書のまとめに形式優位性の記述がありましたので、そのまとめ記述に従い改訂したものです。

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体土器形式分布

空間的に浮島式土器と諸磯式土器が棲み分けているように観察できます。
土器・石器出土量が多い竪穴住居(J56、J72)は浮島式土器が主体の竪穴住居になります。

なお、参考までに土製品出土竪穴住居を示すと次のようになり、J56、J72竪穴住居が該当します。

大膳野南貝塚 前期後葉 土製品出土竪穴住居

上記の土器関連分布図と対照しながら石器出土分布を考察することにします。

2 石器出土分布
2-1 石器製品合計出土数
次の図は石器製品合計出土数の分布図です。

大膳野南貝塚 前期後葉 石器製品合計出土数

石器製品合計出土数分布は土器出土量分布と似た分布を示します。
竪穴住居主人が死亡してその竪穴住居が廃絶し、故人の送り祭祀をするときに供えられた土器の量と石器の量はほぼ相関するというイメージを持つことができました。
土器の量が増えれば、石器の量も増えるということになります。

2-2 狩猟関連石器出土数
次の図は尖頭器・石鏃合計出土数の分布図です。

大膳野南貝塚 前期後葉 尖頭器・石鏃合計出土数

この分布図もJ56、J72が多く土器出土分布と似ています。

2-3 動物加工関連石器出土数
次の図はスクレイパー・石錐・石匙・クサビ形土器合計出土数の分布図です。

大膳野南貝塚 前期後葉 スクレイパー・石錐・石匙・クサビ形土器合計出土数

この分布図も土器出土量分布とにているように観察できます。

2-4 漁撈関連石器出土数
次の図は軽石製品出土数の分布図です。

大膳野南貝塚 前期後葉 軽石製品出土数 

J58,J22の出土量が多く、その竪穴住居は諸磯式土器が主体の竪穴住居です。
浮島式土器主体の竪穴住居からも軽石製品は出土しています。

2-5 植物採集関連石器出土数
次の図は礫器・磨製石斧・打製石斧合計出土数の分布図です。

大膳野南貝塚 前期後葉 礫器・磨製石斧・打製石斧合計出土数

石斧の出土数は少ないのですが、浮島式土器竪穴住居から出土していないことが特徴です。

2-6 植物調理加工関連石器出土数
次の図は磨石・敲石・凹石・石皿・スタンプ状石器合計出土数の分布図です。

大膳野南貝塚 前期後葉 磨石・敲石・凹石・石皿・スタンプ状石器合計出土数

これらの石器の出土数の合計は浮島式土器竪穴住居より諸磯式土器竪穴住居の方が倍近く多くなります。
狩猟や動物加工関連石器とは明らかに異なる分布傾向を示します。

3 考察
浮島式土器竪穴住居であるJ56からの石器出土数が特段の多く、次いでJ72が多いことが判りました。
石器出土数では浮島式土器竪穴住居が諸磯式土器竪穴住居を大きく凌駕します。
石器の中で狩猟・動物加工関連石器の占める割合が多いので、浮島式土器竪穴住居が狩猟と関連が深いことがイメージできます。

一方、漁撈・植物採集・植物調理加工関連石器を見ると、諸磯式土器竪穴住居の方が浮島式土器竪穴住居より出土数が多く、狩猟・動物加工関連石器と逆の傾向を読み取ることが出来ました。

興味深い発見です。

浮島式土器竪穴住居と諸磯式土器竪穴住居では生業の重点が異なっていた可能性が浮かび上がりました。

土器、石器の出土量、メイン生業である狩猟関連石器の出土量、祭祀関連土製品の出土などから、浮島式土器竪穴住居が優位であり諸磯式土器竪穴住居が劣位である関係性を観察できます。

その優位-劣位関係が同時代に存在したものであるのか、時間の前後関係であるのか興味が湧きます。

剥片の検討は次の記事で行います。

……………………………………………………………………
参考
大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器出土数




2017年4月5日水曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 土製品

大膳野南貝塚縄文時代前期後葉集落の竪穴住居から出土した土製品を見てみました。

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 土製品

大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 土製品

大膳野南貝塚 前期後葉 土製品出土竪穴住居

2つの竪穴住居から合計5点の土製品が出土しています。

J56竪穴住居からミニチュア土器2点、脚付土器底部1点、玦状耳飾1点が出土しています。

J56竪穴住居は土器、獣骨が多量に出土し、人骨も出土していて前期後葉の最も注目すべき竪穴住居です。

この竪穴住居から祭祀に使われたと考えられるミニチュア土器、脚付土器と装身具である玦状耳飾が出土したことはこの竪穴住居の性格を考える上で重要な情報を提供していると考えます。

それらの出土物が竪穴住居の住人が使っていたものであるか、それとも竪穴住居廃絶後の祭祀で持ち込まれたものであるのか、完全断定できる情報はありません。

しかし多量の獣骨、多量の土器が住居廃絶後の祭祀で持ち込まれてたものと考えますので、同じように持ち込まれたものと考えます。

竪穴住居廃絶時の故人送り祭祀で、一般的な祭祀用具(ミニチュア土器、脚付土器)が送り用に破壊され納められたと考えると、送られた故人の属性が祭祀一般に関わるような人物であったと考えることが妥当です。

つまり、J56竪穴住居の主人で死亡した人物は集落内で祭祀を司っていた人物であると考えることができます。

祭祀を司っていた人物が死亡して送る(慰霊する)必要があるので、それにふさわしくするために祭祀道具を壊して、その場に置いたと考えます。

装身具である玦状耳飾りが出土したことも同様に考えます。

つまり故人が装身具をつけるにふさわしい身分や属性(リーダー性など)を持っていたので、その送り(慰霊祭祀)に際してその親族が大事な玦状耳飾を壊してその場に置いたのだと思います。

なお、ミニチュア土器や玦状耳飾を壊して(そのような犠牲を払って)故人を送る(慰霊)することが縄文人思考の原理であると考えますが、実際はほとんどの場合、既に壊れた物品を送りに使ったことが多かったのだと思います。送りは既に十分に形式化していたのだと思います。

土器の破壊も同様に、既に実用世界で欠けてしまった土器を使って、それをさらに破壊して送り行為としたのだと考えます。