縄文土器学習 41 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 19
加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.17の加曽利EⅡ式台付土器が三足土器であることの感想をメモします。
1 加曽利EⅡ式台付土器No.17が三足土器であることの観察
加曽利EⅡ式台付土器No.17の脚部
土器材質が擦れてむき出しになっている赤色部分とそれを区切る凹みが観察できます。この土器の器形表現は正確には台付土器ではなく、三足土器とするべきだと考えます。
加曽利EⅡ式台付土器No.17の写真
「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第3分冊(写真図版)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)から引用
脚部のつくりが丸みを帯びていて特徴的です。通常の加曽利E式土器の脚部はこのように丸みを帯びたつくりにはなっていません。
2 三足土器出土の事例
青森県今津遺跡、虚空蔵遺跡出土三足土器
WEBサイト「日本人の起源」から引用
これらの縄文時代三足土器は中国竜山文化の影響を受け、縄文人が見様見真似でデザインだけを当てはめて土器をつくったのではないかと言われています。
中国竜山文化では次のような鬲(れき)と甑(こしき)が出土しています。
鬲(れき)(下)と甑(こしき)(上)
『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用
鬲(三足土器)のデザインがふっくらしていることが特徴です。
鬲(三足土器)出土の竜山文化C14年代測定例では4600前頃から4000年前頃という値があり、加曽利E式土器の時期と重なることは確実です。
3 感想(空想)
No.17土器が丸みを帯びた三足土器であることから、加曽利E式土器の時代に中国の竜山文化の影響が列島縄文社会にあり、その影響が巡り巡って千葉に到来し、No.17土器が膨らんだ三足の土器というエキゾチックなデザインになったと空想します。
もしこの空想が当たっていれば、土器模様や他の遺物に中国竜山文化影響の痕跡を見つけることができるかもしれません。
あるいはこの土器は甑を上にのせる鬲として作られたのかもしれません。この土器を鬲として使うというサインが三足なのかもしれません。
2019年2月23日土曜日
加曽利EⅡ式台付土器の観察と感想
縄文土器学習 40 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 18
加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.17の加曽利EⅡ式台付土器を観察します。
No.17土器は鏡を利用して台の中を観察できるようになっています。
1 加曽利EⅡ式台付土器 No.17
加曽利EⅡ式台付土器 No.17
有吉北貝塚出土
2 発掘調査報告書における記述
No.17土器は縄文時代中期土坑(SK185)から出土していて、「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではつぎのように記述されています。
「SK185(第113図、図版42・155)8は台付深鉢で、沈線による横位の区画帯が上下4段に重層し、1・3段には刺突が加えられる。他の出土土器はいずれも小片である。土坑底面出土の8から、11群土器の時期に比定する。」
注 第11群・・・連弧文土器が衰退し、キャリパー形土器が盛行する段階の加曽利EⅡ式
出土土器挿図
発掘調査報告書から引用
出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用
3 観察と感想
3-1 器形と模様
発掘調査報告書記述のとおり「台付深鉢で、沈線による横位の区画帯が上下4段に重層し、1・3段には刺突が加えられ」ています。
3-2 台の様子と土器加熱法
台の様子
台の様子 別フィルター
台は3脚となっていて脚底部は赤くなっています。この赤色は土器本体材がむき出しになっている色です。3脚がこの土器の重量を支え、摩擦によって削られている様子を示しています。
赤く削られた周辺には白色の粉状の付着物が観察できます。白色粉状付着物は炉の中の灰あるい炉の中の粉末状破砕貝(漆喰)が土器表面の微細な溝に挟まった状態を示していると考えられます。
白色粉状付着物の分布からこの土器が炉の中でどの程度埋めて使われていたかを推定できます。
白色粉状付着物の土器表面分布から推定した炉における土器加熱法
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企画展会場風景
加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察をメモしています。この記事ではNo.17の加曽利EⅡ式台付土器を観察します。
No.17土器は鏡を利用して台の中を観察できるようになっています。
1 加曽利EⅡ式台付土器 No.17
加曽利EⅡ式台付土器 No.17
有吉北貝塚出土
2 発掘調査報告書における記述
No.17土器は縄文時代中期土坑(SK185)から出土していて、「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではつぎのように記述されています。
「SK185(第113図、図版42・155)8は台付深鉢で、沈線による横位の区画帯が上下4段に重層し、1・3段には刺突が加えられる。他の出土土器はいずれも小片である。土坑底面出土の8から、11群土器の時期に比定する。」
注 第11群・・・連弧文土器が衰退し、キャリパー形土器が盛行する段階の加曽利EⅡ式
出土土器挿図
発掘調査報告書から引用
出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用
3 観察と感想
3-1 器形と模様
発掘調査報告書記述のとおり「台付深鉢で、沈線による横位の区画帯が上下4段に重層し、1・3段には刺突が加えられ」ています。
3-2 台の様子と土器加熱法
台の様子
台の様子 別フィルター
台は3脚となっていて脚底部は赤くなっています。この赤色は土器本体材がむき出しになっている色です。3脚がこの土器の重量を支え、摩擦によって削られている様子を示しています。
赤く削られた周辺には白色の粉状の付着物が観察できます。白色粉状付着物は炉の中の灰あるい炉の中の粉末状破砕貝(漆喰)が土器表面の微細な溝に挟まった状態を示していると考えられます。
白色粉状付着物の分布からこの土器が炉の中でどの程度埋めて使われていたかを推定できます。
白色粉状付着物の土器表面分布から推定した炉における土器加熱法
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企画展会場風景
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