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2020年7月30日木曜日

千葉への土偶祭祀伝播経路

縄文土器学習 442

1 土偶祭祀について
2020.07.30記事「土偶急増期の地域分布」における検討のうち千葉への土偶祭祀伝播経路だけを抜き出してみました。
ここで土偶祭祀とは縄文中期に中央高地で顕著に観察できる地母神殺害再生神話に基づく特定の土偶祭祀のことです。この土偶祭祀は土偶(地母神)を最終的にはバラバラにして(模擬殺人、模擬死体解体)、幸を期待する場所に撒く(埋める)活動を伴います。
地母神殺害再生神話はニューギニアなどによく似た神話が存在していて、縄文中期頃にその始原的神話と活動が大陸から列島に伝わり、一方ニューギニア等アジア各地にも伝播したと推定されています。(吉田敦彦著「日本神話の源流」(講談社学術文庫)等による)

地母神神話が伝来する前の土偶はバラバラにすることを目的につくられたものではなく、その使い方(祭祀の仕方)の一例は出産時妊婦のお守りが想定されています。(上黒岩岩陰遺跡出土岩偶の使い方からの推定。)
土偶の形状も小さく、顔が無いものが多くなっています。

2 千葉への土偶祭祀伝播経路(学習仮説)

千葉への土偶祭祀伝播経路(学習仮説)
県別のグラフ(時期別土偶検出数)を並べると、新潟→長野→山梨→東京のピークが中期であり、東京に隣接する千葉のピークが後期であることから、大陸→新潟→長野→山梨→東京→千葉という伝播経路を学習仮説として設定することができます。


土偶急増時期からみた千葉への土偶祭祀伝播経路
地理院地図3Dモデル(色別標高図+白地図)
垂直倍率:×9.9
大陸→新潟→長野→山梨→東京→千葉

3 メモ
・地母神殺害再生神話に基づく土偶祭祀が大陸から到来した時(人集団が新潟にやってきた時)、同時に列島にはない技術、道具、デザイン等も伝わったと考えることが当然であると考えます。その土偶祭祀と一緒に渡来した技術、道具、デザイン等を特定することが大切です。

・中期中央高地は「縄文農耕」論発祥地です。農耕技術と土偶祭祀が結びついたものであるかどうか、既成概念を取り払い検証することにします。(現状では生活維持に関して意味がある程度の農耕はないと考えています。)

・中期から後期にかけて長野→山梨→東京→千葉と人集団が移動していると考えています。その人の移動には様々な要因が働いていると思いますが、その要因の重要なものとして、土偶祭祀集団の能動的・主体的移動があるのではないかと疑っています。
環境が劣悪になって逃散したということだけではなく、計画的・組織的移動があったのではないかと考えます。
集団でより環境の良い場所に移動する、つまり移動先の人々を追い払う新天地開発活動、征服を伴う開拓活動が土偶祭祀集団によって行われたのではないかと考えます。
極端にいえば、大陸から渡来した集団が在地の人々を集めながら勢力を増して、最後は海産物豊かな土地である千葉を獲得したのではないかと想像します。

2020年7月17日金曜日

山形土偶(地母神)の体の刻まれ方

縄文土器学習 426

2020.07.16記事「山形土偶(千葉市多部田貝塚) 観察記録3Dモデル」で山形土偶(地母神)が首を切られて、口から血の泡を吹き、目を白目にして殺害されている様子を観察しました。
同じ加曽利貝塚博物館の常設展にはほぼ完形と思われる山形土偶(加曽利貝塚南貝塚)が展示されていますので、そちらの方も3Dモデルを作成して、改めて観察してみました。

1 山形土偶(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル

山形土偶(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル
縄文後期加曽利B3式、千葉市加曽利貝塚南貝塚(Ⅴトレンチ)
撮影場所:加曽利貝塚博物館 常設展示
撮影月日:2020.07.14
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v.5.001 processing 39 images

展示の様子

特殊モード写真
顔面に赤彩が残っているようです。

動画

2 妊娠地母神(山形土偶)の体を切り刻んでいる様子

妊娠地母神(山形土偶)の体を切り刻んでいる様子
妊娠地母神の体を徹底して切り刻み殺害しています。
妊娠した腹を切り裂く線は以前は妊娠正中線を表現しているとのんびり考えていましたが、その線が乳房の間を通って首まで達していることが特徴です。他の中期以降土偶の多くにも、同じようにある首から腹までの線は全て妊娠腹を切り裂く様子を表現していると考えられます。
首切断線と妊娠腹切断線が刺突文で表現されているのは、この切断が特別重要であることを表現していると考えます。
頭蓋骨も割り、手足は文字通りバラバラにして体部は切り刻む徹底ぶりです。以前これらの切断線を衣服の様子を表現しているのではないだろうかと考えていたことが懐かしく思い出されます。

3 山形土偶の割り方
このほぼ完形山形土偶の割り方をみると、首、両手、両足、胴真二つで下の胴(妊娠部)はさらに細分であることがわかります。この土偶を壊した(殺した)女性は土偶に記した殺害設計図どおりに壊して(殺して)います。地母神神話どおりの活動が目の当たりに浮かび上がります。

4 地母神神話のイメージ
南北アメリカ大陸や南アジアの未開農耕民に現在でも伝わっている原始栽培民族共通の汎世界的神話で、ほぼ同じものが記紀神話にも登場します。今後この神話について学習を深めたいと思います。
次のように要約して理解しています。
ア 体から食べ物や貴重な宝を出す女がいる
イ (ねたみなどから)その女を殺す(さらにその女の一部を食べる)
ウ 女のバラバラになった体をいろいろなところに撒くとそこから作物が生え豊な実りがある
神話にはいろいろなパターンがあるようですが、基本は地母神を殺し、食い、残った死体破片をばらまくとそこから作物(有用な食べ物)が生まれるというパターンのようです。
地母神とは自然そのものであると考えます。
地母神を殺して食って死体をバラ撒いたということは、自然破壊していることの自覚であると理解します。
自然破壊したからこそ農耕で有用な食べ物を得られているという現実を述べた(正当化した)神話です。

5 縄文人の地母神神話
中期縄文人は海外から渡来した地母神神話を狭義「農耕」起源神話ではなく、採集活動、狩猟活動、漁業活動全ての食物獲得活動の起源神話として改変して摂取したものと空想します。
土偶祭祀の起源が農耕に対応するということは無いと考えます。
縄文人は真の農耕を起こせないのに地母神神話だけを所持するという特性をそなえることになりました。

なお社会で流行する実際の土偶祭祀では食糧獲得という枠をはるかに超えて、あらゆる事柄が祈願されていたと考えます。土偶祭祀は女性達の「諸願成就祈願」の場であったと空想します。