大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 45
1 詳細検討域1
2018.05.17記事「着目すべき貝・獣骨送り場土坑の抽出」で獣骨数出土が多い動物食関連送り場土坑を抽出し、祭祀性が強い場所として着目できることを検討しましたが、そのうち獣骨出土数最大の土坑がある南貝層について詳細検討します。
詳細検討域1
次に詳細検討域1の主な遺構を時期別に観察します。
2 称名寺式期
称名寺式期に存在した遺構
貝層・破砕貝・漆喰ブロックが出土する土坑3基が最初の称名寺式期に存在していたと観察できます。
413号土坑と415号土坑は称名寺式期末~堀之内1古式期に存在したJ77号竪穴住居祉の漆喰貼床の下から出土しています。
3つの送り場土坑が集中して存在するのですから、この付近は祭祀性の強い空間だったことは間違いありません。
3 称名寺式期末~堀之内1古式期
称名寺式期末~堀之内1古式期に存在した遺構
竪穴住居祉2軒が存在します。
J77号竪穴住居祉は漆喰貼床の下に床下墓坑が存在していて3歳前後幼児の骨が出土しています。また漆喰貼床の下から送り場土坑の413号と415号が出土しています。
J77号竪穴住居祉は南貝層を形成した集団の始祖家族の住居と考えられますが、その住居がすでに送り場土坑が存在する空間の上に建設されたことは住居建設場所の選定自体が祭祀性を帯びていて、始祖にふさわしい場所取りが行われたと考えます。
J77号竪穴住居祉家族(南貝層始祖家族)の子供が死にその遺骸を床下に埋葬したことは、J77号竪穴住居祉付近が子供の埋葬場所にふさわしい環境を形成したと考えられます。
4 堀之内1式期
堀之内1式期に存在した遺構
堀之内1式期には小児土器棺(周産期人骨出土)1、単独埋甕1、送り場土坑4が存在します。
単独埋甕は人骨が確認できなかったのでそのような名称になっていますが遺構の様子から小児土器棺と考えて間違いないと思われます。つまりJ77号竪穴住居の廃絶祭祀が行われた後、その住居床下墓坑から2m程の場所に小児が埋葬されたのです。恐らく南貝層家族集団にとってJ77号竪穴住居付近が子供埋葬ゾーンとして共通認識が形成されたのだと考えます。子供の埋葬は同じ場所にして「死んだ子供同士が仲良くできる」といった観念があったにちがいありません。(関連 子供と動物がともに埋葬されることもあります。2017.12.18記事「犬用廃屋墓」参照)
動物食関連送り場土坑254号は獣骨が277点出土し、それ以外にも土器、ハマグリ製貝刃、鹿骨製玉(装身具)が出土します。
この土坑は土坑墓であると想像します。人骨が出土しないので最後の決め手はありませんが、土坑形状が人骨出土1号土坑墓と似ていることと、装身具が出土することがそのような思考発生に関わっています。貝刃が出土することから子どもではなく成人が埋葬されたと考えます。埋葬形式は集骨であり、別の場所で人骨だけ残るように処理され、骨だけ持ち込まれ、その場所に破砕貝が被せられさらに何回かの祭祀活動で獣骨も置かれたと想像します。
動物食関連送り場土坑392号は獣骨が78点出土するほか、ハマグリ製貝刃が出土します。
この土坑も人骨は出土しませんが成人が埋葬された土坑墓であると想像します。
5 まとめ
詳細検討域1付近に子供が3人、大人が2人埋葬されていると想像しました。動物食関連送り場土坑はさらに存在しますから埋葬人数はもっと増えるかもしれません。これらの埋葬は偶然の所産ではなく南貝層家族集団の空間ゾーニング思考の所産です。
小児土器棺、土坑墓と想定した土坑、床下墓坑付竪穴住居全てが南貝層に覆われていますが、その事象から貝層(貝塚)の本義とは即ち人の送り場(埋葬施設)であると考えます。
2018年5月19日土曜日
2018年5月17日木曜日
着目すべき貝・獣骨送り場土坑の抽出
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 44
動物食関連送り場土坑という名称は生硬な表現ですから、記事表題は「貝・獣骨送り場土坑」としました。
1 着目すべき動物食関連送り場土坑の抽出
動物食関連送り場土坑のうち獣骨出土数が多い土坑に着目します。その土坑付近で獣食を伴う祭祀が盛んに行われた結果であると考えます。
動物食関連送り場土坑の獣骨出土数を棒グラフにして立体的に表現してみました。
動物食関連送り場土坑 獣骨数棒グラフ 1
数字は出土獣骨数(上位のみ記入)
動物食関連送り場土坑 獣骨数棒グラフ 2
獣骨数を記入した上位6位までの動物食関連送り場土坑に着目して、その様子を次の記事で検討することにします。
参考 獣骨数棒グラフの平面図
全期集成 動物食関連送り場土坑
2 考察
動物食関連送り場土坑のうち獣骨多数出土土坑の分布から人送りの集落におけるメイン空間の概略が判るような気がします。
獣骨数277と78の2つの土坑のある付近が南貝層の人送り祭祀メイン空間であることは確実ですが、南貝層全体が廃屋墓に覆われています。
獣骨数139の土坑は北貝層付近にありますが、この付近には土坑墓・廃土坑墓があります。この付近が人送りの一つの中心地であることは間違いないと考えます。
獣骨数125と57の土坑のある付近には廃屋墓はなく、土坑墓が2基存在しています。獣骨数の多い土坑は人骨こそ出土していませんが土坑墓そのものである可能性があります。
西貝層に近い獣骨35が出土した土坑の近くには単独埋甕があります。単独埋甕から人骨は見つかっていませんが単独埋甕だけでなく獣骨数の多い土坑も人送り(埋葬)の施設である可能性があります。
人骨こそ出土しません獣骨数の出土多い動物食関連送り場土坑は土坑墓ではないかと疑って次の記事で検討してみます。
獣骨数の多い動物食関連送り場土坑が土坑墓かもしれないという仮の推論を念頭に上記立体地図をみると、廃屋墓群の内側に土坑墓群が分布する構造が観察できます。
2018年3月15日木曜日
土坑墓
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 10
大膳野南貝塚後期集落の土坑について指標別に時期別分布の検討しています。これまでに指標「体積類型」、「平面形型」、「フラスコ状、円筒状」、「貝層、漆喰」、「小ピット」について検討しました。
この記事では指標「土坑墓」について検討します。
大膳野南貝塚後期集落から土坑墓1基と土坑墓の可能性のある土坑4基が検出されています。
1 土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑
時期別にその分布図を示します。
1-1 加曽利E4~称名寺古式期
土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑は検出されていません。
1-2 称名寺~堀之内1古式期
土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑は検出されていません。
大膳野南貝塚後期集落の土坑について指標別に時期別分布の検討しています。これまでに指標「体積類型」、「平面形型」、「フラスコ状、円筒状」、「貝層、漆喰」、「小ピット」について検討しました。
この記事では指標「土坑墓」について検討します。
大膳野南貝塚後期集落から土坑墓1基と土坑墓の可能性のある土坑4基が検出されています。
1 土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑
時期別にその分布図を示します。
1-1 加曽利E4~称名寺古式期
土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑は検出されていません。
1-2 称名寺~堀之内1古式期
土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑は検出されていません。
1-3 堀之内1式期
堀之内1式期
人骨を伴う土坑墓1基が検出されています。
土坑墓の平面図・断面図
発掘調査報告書から引用
土坑の形状は皿状であることが特徴です。副葬品として石斧が出土しています。
1-4 堀之内2式期
堀之内2式期
土坑形状と出土物から土坑墓の可能性があると考えられる土坑1基が検出されています。
1-5 堀之内2~加曽利B1式期
土坑墓及び土坑墓の可能性のある土坑は検出されていません。
1-6 加曽利B1~B2式期
加曽利B1~B2式期
土坑形状と出土物から土坑墓の可能性があると考えられる土坑が3基検出されています。
2 考察
土坑墓あるいはその可能性が濃厚な土坑は全て皿状あるいは浅い逆台形の断面形状です。
一方、集落中央部に列状に分布する土坑は土坑墓の可能性があると疑ってきていますが、その多くが浅い逆台形となっています。
これまでの土坑検討で断面形状はフラスコ状と円筒状のみを扱ってきましたが、浅い逆台形を含む総合的な断面形状類型区分をして考察することが大切であることに気が付きました。
指標に「断面形状」を加えて土坑墓(の可能性のあるもの)の抽出が可能になるようにしたいと思います。2017年7月6日木曜日
土坑平面型検討から生まれ出つつある仮説の芽 大膳野南貝塚
2017.07.04記事「大膳野南貝塚 後期土坑の平面型」のつづきです。
1 平面型の時期分布
4つに区分した土坑平面型の時期分布をみると次のようになります。
大膳野南貝塚 後期集落 時期別平面型別 土坑数
帰属時期不詳の土坑数が多いので決定的なことは判りませんが、集落が衰退する堀之内2式期以降は土坑の中に占める楕円形型の割合が増えます。
もし、集落衰退期に楕円形型土坑が増えると考えると、楕円形型という土坑平面形状に意味がある可能性が浮かび上がります。
2 平面型と土坑サイズ平均値
土坑サイズの検討は記事を改めて詳しく行います。
ここでは平面型と土坑サイズ平均値との関係を見てみます。
土坑平面型別平均面積
土坑面積は次の式で簡易的に求めました。
長径×短径×π÷4
円形型の平均平面積が最も小さくなります。
土坑平面型別平均深さ
平均深さは円形型が最も深くなります。
円形型土坑には深い土坑が数多く含まれているということです。
土坑平面型別平均体積
土坑面積×深さで簡易的に土坑体積を求めました。
平均体積も円形型が最も大きくなります。
円形型土坑の平均面積が一番小さいのに、平均深さや平均体積が大きい理由は、物を貯蔵する断面形フラスコ・円筒土坑の平面形が円形型であるからだと考えます。
円形型土坑の場合、楕円形・方形・その他と比べて、土坑容量に対する土坑内表面積の割合が最も小さくなります。つまり土坑内に染み出る地下水の量が最も少なくなります。
同時に土坑が外気と接触する面積(蓋の面積)が円形型が最も小さくなります。
土坑の平面形状を円形型にすれば染み出す地下水からの影響、外気から受ける影響を最も少なくすることができます。
物の品質を損なうことなく長期間保存するためには土坑の形状を円形にすれば有利であることは縄文人の常識であったと考えられます。
3 断面形フラスコ・円筒土坑の平面型
断面形フラスコ・円筒土坑の平面型を見てみました。
フラスコ・円筒土坑の平面型
モノの貯蔵用であると発掘調査報告書で記述しているフラスコ・円筒土坑は圧倒的に円形型となります。
4 貝層土坑の平面形
貝層土坑の平面型を見てみました。
貝層土坑の平面型
貝層土坑が特定の機能の結びつくものかどうかは発掘調査報告書では記述されていません。
しかし、貝層土坑も円形型の割合が平均値より大きく、モノの貯蔵に関わっていたものが多かった可能性を感じます。
5 考察 土坑に関する仮説の芽
モノの貯蔵には平面形が円形であることが有利であることが判り、その事例としてフラスコ・円筒土坑があることが判りました。この分布図を作ってみます。
また、貝層土坑も円形のものが多く、不確かですが漁業という生業に関わるモノの保管・保存装置ととりあえず仮定して、その分布図を作ってみます。
更に、フラスコ・円筒土坑及び貝層・漆喰土坑を除いた土坑分布図を作ってみます。
フラスコ・円筒土坑
貝層・漆喰土坑
フラスコ・円筒土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑
この3枚の分布図から次のような思考が生まれました。
土坑に関する仮説の芽になると考えます。
・フラスコ・円筒土坑は大局的にみて円形に分布する集落の外側と内側の双方に分布していて、分布の規則性を感じることができます。堅果類の貯蔵庫であったと推定します。
・貝層・漆喰土坑は集落の内側に分布していて、その場所は野外漆喰炉があるなど生業活動の場であったと考えられます。従って貝層・漆喰土坑は生業に関わる機能と持っていた可能性を感じます。
・フラスコ・円筒土坑と貝層・漆喰土坑を除く土坑の分布図をみると集落中央部や集落外を含めて分布し、列状になっていることが特徴です。
これらの土坑の平面形に楕円や方形その他が数多く含まれています。
これらの多くが土坑墓であったと考えると、土坑全体像を大局的に把握できるようになります。
発掘調査報告書では土坑墓1、土坑墓の可能性のある土坑4を指摘していますが、楕円形土坑を中心にして、他の平面を含めて3ケタの土坑墓が存在していると想定してみることにします。
土坑墓は列状に作られていったと考えます。
竪穴住居の近く、竪穴住居から離れた集落中央部、円形集落の外側に想定土坑墓が分布するので、その意味の違いなど考察すべき興味が生れる仮説の芽が生まれました。
1 平面型の時期分布
4つに区分した土坑平面型の時期分布をみると次のようになります。
大膳野南貝塚 後期集落 時期別平面型別 土坑数
帰属時期不詳の土坑数が多いので決定的なことは判りませんが、集落が衰退する堀之内2式期以降は土坑の中に占める楕円形型の割合が増えます。
もし、集落衰退期に楕円形型土坑が増えると考えると、楕円形型という土坑平面形状に意味がある可能性が浮かび上がります。
2 平面型と土坑サイズ平均値
土坑サイズの検討は記事を改めて詳しく行います。
ここでは平面型と土坑サイズ平均値との関係を見てみます。
土坑平面型別平均面積
土坑面積は次の式で簡易的に求めました。
長径×短径×π÷4
円形型の平均平面積が最も小さくなります。
土坑平面型別平均深さ
平均深さは円形型が最も深くなります。
円形型土坑には深い土坑が数多く含まれているということです。
土坑平面型別平均体積
土坑面積×深さで簡易的に土坑体積を求めました。
平均体積も円形型が最も大きくなります。
円形型土坑の平均面積が一番小さいのに、平均深さや平均体積が大きい理由は、物を貯蔵する断面形フラスコ・円筒土坑の平面形が円形型であるからだと考えます。
円形型土坑の場合、楕円形・方形・その他と比べて、土坑容量に対する土坑内表面積の割合が最も小さくなります。つまり土坑内に染み出る地下水の量が最も少なくなります。
同時に土坑が外気と接触する面積(蓋の面積)が円形型が最も小さくなります。
土坑の平面形状を円形型にすれば染み出す地下水からの影響、外気から受ける影響を最も少なくすることができます。
物の品質を損なうことなく長期間保存するためには土坑の形状を円形にすれば有利であることは縄文人の常識であったと考えられます。
3 断面形フラスコ・円筒土坑の平面型
断面形フラスコ・円筒土坑の平面型を見てみました。
モノの貯蔵用であると発掘調査報告書で記述しているフラスコ・円筒土坑は圧倒的に円形型となります。
4 貝層土坑の平面形
貝層土坑の平面型を見てみました。
貝層土坑の平面型
貝層土坑が特定の機能の結びつくものかどうかは発掘調査報告書では記述されていません。
しかし、貝層土坑も円形型の割合が平均値より大きく、モノの貯蔵に関わっていたものが多かった可能性を感じます。
5 考察 土坑に関する仮説の芽
モノの貯蔵には平面形が円形であることが有利であることが判り、その事例としてフラスコ・円筒土坑があることが判りました。この分布図を作ってみます。
また、貝層土坑も円形のものが多く、不確かですが漁業という生業に関わるモノの保管・保存装置ととりあえず仮定して、その分布図を作ってみます。
更に、フラスコ・円筒土坑及び貝層・漆喰土坑を除いた土坑分布図を作ってみます。
フラスコ・円筒土坑
貝層・漆喰土坑
フラスコ・円筒土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑
この3枚の分布図から次のような思考が生まれました。
土坑に関する仮説の芽になると考えます。
・フラスコ・円筒土坑は大局的にみて円形に分布する集落の外側と内側の双方に分布していて、分布の規則性を感じることができます。堅果類の貯蔵庫であったと推定します。
・貝層・漆喰土坑は集落の内側に分布していて、その場所は野外漆喰炉があるなど生業活動の場であったと考えられます。従って貝層・漆喰土坑は生業に関わる機能と持っていた可能性を感じます。
・フラスコ・円筒土坑と貝層・漆喰土坑を除く土坑の分布図をみると集落中央部や集落外を含めて分布し、列状になっていることが特徴です。
これらの土坑の平面形に楕円や方形その他が数多く含まれています。
これらの多くが土坑墓であったと考えると、土坑全体像を大局的に把握できるようになります。
発掘調査報告書では土坑墓1、土坑墓の可能性のある土坑4を指摘していますが、楕円形土坑を中心にして、他の平面を含めて3ケタの土坑墓が存在していると想定してみることにします。
土坑墓は列状に作られていったと考えます。
竪穴住居の近く、竪穴住居から離れた集落中央部、円形集落の外側に想定土坑墓が分布するので、その意味の違いなど考察すべき興味が生れる仮説の芽が生まれました。
登録:
投稿 (Atom)