西根遺跡に類似する土器多出遺跡として「土器塚」と呼ばれている遺跡が下総にありますが、たまたまパラパラめくっていた図書「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)に「土器塚」という項目が独立してありました。
「土器塚」の最初のページ 「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用
ざっと読むと、西根遺跡の特徴と瓜二つの特徴がいくつも出てきていますので、これをテキストにして、また参考文献を入手して短期集中学習をすることにします。
西根遺跡が土器塚の1類型であることは間違いないと考えます。
なお、文中や参考文献に戦前からの考古学者として和島誠一という名前が出てきます。和島誠一先生は私が大学で講義を受けたことがあり(*)、そうした親しみを憶える過去体験の記憶がよみがえったことも学習意欲を増進させます。
*2013.08.10記事「縄文土器を拾う」参照
この記事では参考文献を取り寄せる前の感想を記録しておきます。
参考文献を読む前と読んだ後の自分の思考の変化がどうなるか興味があります。
今考えている自分の思考(見立て)が参考文献研究成果摂取によって大幅改変することになるのか、それとも反対に自分の見立ての蓋然性の高さに自信を深めるのか、その双方・中間か。いずれのコースを歩むにしても自分の学習は深まるに違いないと期待しています。
1 土器塚の分布
図書には利根川沿岸1カ所と印旛沼流域6カ所の土器塚が紹介されています。
印旛沼付近の土器塚と西根遺跡
2 土器塚の特徴
図書では次のように土器塚研究をまとめています。
・形成時期が後期前半の堀之内2式から加曽利B3式期に限られる。
・土器塚は本来の縄文時代遺構である。
・分布が利根川下流から下総台地中央部に集中している。
・土器塚を残す遺跡は集落祉であると考えられる。しかも継続期間の長い大きな遺跡である点で共通している。
・詳しい調査が十分なされていないので土器塚の構造の違いはあるかもしれない。
・土器塚の形成年代や立地などの共通性を重視すると、縄文後期社会、わけても加曽利B式期を特徴付ける現象である可能性が高い。
3 西根遺跡との共通性と非共通性に関する感想
この論説の中にでてくる個別土器塚の特徴と西根遺跡とのあいだに次のような共通性を感じました。
●土器形式
加曽利B式土器がメインであるという点で土器塚と西根遺跡に時期と共通性があります。
●土器の精製・粗製別
粗製土器がメインであるという点で土器塚と西根遺跡に共通性があります。
●完形土器の欠如
復元すると完形土器がないという状況が土器塚と西根遺跡に共通します。(とりわけ重要な共通性であると考えます。土器塚も西根遺跡も機能喪失土器だけが出土していることになります。)
●出土状況の類似性
「煎餅を踏み潰したようにギッシリ詰まっている」状況が土器塚と西根遺跡で同じです。
●石器出土が少ない
土器塚も西根遺跡も石器出土が土器と比して極端に少ないようです。
また、土器塚と西根遺跡は次のような非共通性があります。
●立地地形
土器塚は全て台地上で西根遺跡は低地です。
●集落空間との関係性
土器塚は集落空間との関係性が(おそらく距離が近いので)明瞭であるようです。
西根遺跡は集落空間に付属するような遺跡ではありません。(西根遺跡は土器を丸木舟で運んできているので、検討無しに集落との関係を直接的に把握できません。なお、西根遺跡は特定1つの集落に対応するものではなく、近隣印旛沼南岸の集落群に対応する広域後背地を有する遺跡であると想像しています。)
4 学習の視点
次のような疑問を参考文献にぶつけながら学習を進めて、土器塚と西根遺跡の特性に迫りたいと思います。
・土器塚出土物の中に西根遺跡における祭祀関連出土物(イナウ、飾り弓、獣骨)と対応するような出土物があるのか。
・土器が意図的に壊されているか。(おそらく土器塚と西根遺跡は機能喪失土器を破壊する行為が祭祀のメインであったと考えます。)
・交通環境の中で土器塚をみるとどのような眺め(思考・想定)が生まれるか。
・祭祀・交流・イベントなどの機能を有する「現代でいえば神社みたいなもの」として土器塚をイメージすると、どのような不都合、好都合が考えられるか。
・施設空間廃絶祭祀が土器塚のベースにある(原点である)と考えられるか。(図書の記述を読むと、土坑の廃絶や道路交差点空間の付け替えなどがきっかけで土器塚が始まったといえるかどうか興味津々です。)
・土器塚相互の間に祭祀ネットワークなどの関連性を想定出来うるか。西根遺跡と土器塚の間に何らかの関連性を想定出来うるか。
2017年8月16日水曜日
2017年5月1日月曜日
大膳野南貝塚 縄文時代後期の学習開始
大膳野南貝塚の学習を早期(陥し穴)、前期後葉(集落)と進めてきましたが、いよいよ最盛期である堀之内1式期を含む中期末葉~後期中葉貝塚集落の学習に入ります。
1 学習項目
主な学習項目をリストアップすると次のようになります。
●竪穴住居
施設…大きさ・位置(貝塚、地形との関係)・柱穴等構造・漆喰床
出土物の量・種類…土器、石器、獣骨、人骨、貝ブロック、土製品、装飾品
●土坑
大きさ形状・位置・出土物
●屋外漆喰炉
●貝塚
●その他特記項目
土坑墓、小児土器棺、単独人骨、特殊な出土状態の獣骨
2 主要遺構の分布
主要遺構についてGIS空間データとしました。
これにより、竪穴住居・土坑等の個別データ(Excelデータ)をGISにプロットすることが可能となりました。
竪穴住居の分布
土坑の分布
貝層の分布
地点貝塚の分布
3 中期末葉~後期中葉の概要
「 発見された遺構は、竪穴住居址93軒、土坑墓1基、土坑264基、屋外漆喰炉8基、小児土器棺6基、単独埋甕12基、埋葬犬骨2体、鹿頭骨列1ヵ所などである。
検出された人骨は30体(住居内20体、土坑墓1体、土器棺6体、単独出土3体)を数える。
北・南・西貝層を除去した後に確認された貝層ブロックは大小160ヵ所を数え、このうち遺構に伴う貝層(地点貝塚)は78ヵ所(住居内26ヵ所、土坑内52ヵ所)である。
出土した遺物は土器、土製品、石器、骨角器、貝製品、人骨、獣骨、貝類などで、総量は中テン箱で約720箱を数える。
集落の成立時期は貝層が形成された時期より先行しており、中期末葉加曽利E4式期に属する住居が3軒検出されている。
続く後期初頭称名寺式期も小規模な集落が継続し、次段階の後期前葉堀之内式1式期に遺
構数が爆発的に増えて集落の最盛期を迎える。
堀之内1式期の遺構群は南北貝層直下で密に分布している一方、中央平坦面では分布がやや希薄になっており、集落の形態は環状集落に分類される。
その後、堀之内2式期になると集落は縮小傾向となり、続く後期中葉加曽利B1~2式期では住居と土坑が散見されるのみとなる。
なお、加曽利B3式期以降に属する遺構は検出されていない。
特筆される発見としては、称名寺式~堀之内2式期の遺構で検出された「漆喰」があげられる。
一部の住居の貼床・炉址および屋外炉などで検出された白色粘質土について分析を行った結果、生石灰(酸化カルシウム)を含有する方解石(炭酸カルシウム)が主成分であることが判明し、貝殻を素材として焼成→粉砕→加水の工程を経てペースト状にした「漆喰」と同様の物質であるとの所見が得られたものである。」
発掘調査報告書から引用
次の記事から中期末葉~後期中葉竪穴住居の検討を始めます。
1 学習項目
主な学習項目をリストアップすると次のようになります。
●竪穴住居
施設…大きさ・位置(貝塚、地形との関係)・柱穴等構造・漆喰床
出土物の量・種類…土器、石器、獣骨、人骨、貝ブロック、土製品、装飾品
●土坑
大きさ形状・位置・出土物
●屋外漆喰炉
●貝塚
●その他特記項目
土坑墓、小児土器棺、単独人骨、特殊な出土状態の獣骨
2 主要遺構の分布
主要遺構についてGIS空間データとしました。
これにより、竪穴住居・土坑等の個別データ(Excelデータ)をGISにプロットすることが可能となりました。
竪穴住居の分布
土坑の分布
貝層の分布
地点貝塚の分布
3 中期末葉~後期中葉の概要
「 発見された遺構は、竪穴住居址93軒、土坑墓1基、土坑264基、屋外漆喰炉8基、小児土器棺6基、単独埋甕12基、埋葬犬骨2体、鹿頭骨列1ヵ所などである。
検出された人骨は30体(住居内20体、土坑墓1体、土器棺6体、単独出土3体)を数える。
北・南・西貝層を除去した後に確認された貝層ブロックは大小160ヵ所を数え、このうち遺構に伴う貝層(地点貝塚)は78ヵ所(住居内26ヵ所、土坑内52ヵ所)である。
出土した遺物は土器、土製品、石器、骨角器、貝製品、人骨、獣骨、貝類などで、総量は中テン箱で約720箱を数える。
集落の成立時期は貝層が形成された時期より先行しており、中期末葉加曽利E4式期に属する住居が3軒検出されている。
続く後期初頭称名寺式期も小規模な集落が継続し、次段階の後期前葉堀之内式1式期に遺
構数が爆発的に増えて集落の最盛期を迎える。
堀之内1式期の遺構群は南北貝層直下で密に分布している一方、中央平坦面では分布がやや希薄になっており、集落の形態は環状集落に分類される。
その後、堀之内2式期になると集落は縮小傾向となり、続く後期中葉加曽利B1~2式期では住居と土坑が散見されるのみとなる。
なお、加曽利B3式期以降に属する遺構は検出されていない。
特筆される発見としては、称名寺式~堀之内2式期の遺構で検出された「漆喰」があげられる。
一部の住居の貼床・炉址および屋外炉などで検出された白色粘質土について分析を行った結果、生石灰(酸化カルシウム)を含有する方解石(炭酸カルシウム)が主成分であることが判明し、貝殻を素材として焼成→粉砕→加水の工程を経てペースト状にした「漆喰」と同様の物質であるとの所見が得られたものである。」
発掘調査報告書から引用
次の記事から中期末葉~後期中葉竪穴住居の検討を始めます。
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