大膳野南貝塚後期集落で住居壁が最初から無い竪穴住居が多数存在しているのではないかと疑問を持ちましたのでメモしておきます。
1 住居壁が検出されない竪穴住居の分布
覆土層が存在していない竪穴住居は住居壁が検出されない竪穴住居であり、次のように分布します。
竪穴住居 覆土層の有無
2 住居壁未検出の理由としての「後世の削平」に対する疑問
住居壁が検出されない竪穴住居は発掘調査報告書では他の遺構との重複などの理由の他は全て「後世の削平」によるとして説明されています。
しかし次のような疑問が生れます。
2-1 断面図上で確認できる「後世の削平」の不自然さ
台地面にある竪穴住居の多くは住居壁が検出されませんが、J57竪穴住居だけしっかりしている住居壁が検出していて、周辺の竪穴住居との違いが際立っています。そこで隣接するJ71竪穴住居、J100竪穴住居との断面図を比較してみました。
J57竪穴住居の住居壁だけ偶然後世の削平を免れたのか? 大膳野南貝塚発掘調査報告書のデータによる
J71とJ57の柱穴の間の距離は4m、J57とJ100の距離は3mです。そのような至近距離でJ57竪穴住居だけ住居壁がそっくり残り、J71とJ100では「後世の削平」で跡形もなく完全に失われたのは私には大変不自然なできごとのように感じられます。
少なくとも垂直方向の位置が下であるJ100竪穴住居に住居壁の一部が検出されてしかるべきです。J57竪穴住居と3mしかはなれておらず、かつその下方向にあるJ100竪穴住居住居壁を完全に除去するような後世の削平が行われた可能性は限りなくゼロに近いのではないかと考えます。もともとJ100竪穴住居に住居壁がなかったと考えられます。
台地面に広がる住居壁のない竪穴住居は「住居壁が完全に検出されないもの」ばかりであり、「住居壁の一部」「住居壁の極一部」が検出されたものはゼロです。
後世の削平で台地面の竪穴住居が破壊されたならば、住居壁が残るもの、住居壁が一部残るもの、住居壁が完全に残らないものが必ず生まれると思います。ところが大膳野南貝塚では住居壁が一部残るものが完全にゼロであることから、後世の削平により住居壁が失われたという発掘調査報告書の説明に疑問が生れます。もともと台地面では住居壁のない竪穴住居がほとんどであり、それがそのまま出土したのではないかという疑問が生れます。
2-2 貝層下遺構で確認できる「後世の削平」のあり得なさ
J123竪穴住居はその上部が南貝層に覆われた位置にありますが、周辺竪穴住居と違い住居壁が出土しません。
J123竪穴住居の位置
J123竪穴住居 住居壁未検出の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書のデータによる
J123竪穴住居 住居壁未検出の説明 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
発掘調査報告書では住居壁未検出について、「後世の削平および遺構重複等により住居壁は失われており・・・」と説明しています。
断面図C-C`のC付近にあるべき住居壁がないので、その理由を「後世の削平」として説明しています。
しかし、この付近の遺構はすべて南貝層に覆われていて、それを剥いで遺構を検出したのですから、「後世の削平」で住居壁が失われたという説明はあり得ません。J123竪穴住居の南側には最初から住居壁は無かったと言えます。
なお、周辺の竪穴住居の住居壁をみると北側(台地側)に存在していて、南側(谷底側)に存在しないものが多くなっています。これは斜面を利用して竪穴住居を建設した際の作り方がこうなっていたからです。後世の削平と関係ありません。
J123竪穴住居も遺構重複で失われた北側には住居壁があった可能性があります。
J123竪穴住居近傍における他竪穴住居住居壁の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書図面から作成
3 発掘調査報告書における「後世の削平」について
発掘調査報告書では、J123竪穴住居に限らず南貝層、北貝層下から出土した竪穴住居のうち住居壁が無いものは全て「後世の削平」により失われたと説明しています。貝層を剥いでその下にある遺構について「後世の削平」で説明することはあり得ないことです。このような説明から発掘調査報告書では次のような前提で記述が行われたと考えられます。
1 全ての竪穴住居は当初住居壁を持っていた
2 理由不明の住居壁未検出は「後世の削平」として全部一括説明する
このような前提で記述した結果、2-1で検討した通り台地平面上で「後世の削平」と考えると遺構出土状況が大変不自然であることが判明しました。全ての竪穴住居は当初住居壁を持っていたという大前提が間違っている可能性が濃厚です。また2-2で検討したとおり「住居壁未検出=後世の削平」という図式を機械的に当てはめた結果、後世の削平があり得ない場所でも「後世の削平」を強引に記述する間違いをしています。
こうした疑問から発掘調査報告書における「後世の削平」記述は、当該遺構における現場観察としての「後世の削平」情報が反映されたものではないと判断できます。
従って、「後世の削平」記述はすべて利用しないことが大切であると考えます。
なお、当然のことながら「後世の削平」という事象は大いに存在していたと考えます。しかし、残念ながらその様子を発掘調査報告書から汲み取ることはできないと考えます。
4 住居壁が最初から無い竪穴住居が存在していた可能性
発掘調査報告書の「後世の削平」記述を利用しないことにすると、俄然、住居壁が最初から無い竪穴住居の存在が浮かびあがります。住居壁が無いとは竪穴ではないのですから言葉としては「竪穴住居」ではなくなりますが、とりあえず住居壁の無い竪穴住居と呼ぶことにします。
台地面上の竪穴住居の多くが住居壁の無い竪穴住居であった可能性が濃厚になりました。
平らな台地面に本当に竪穴を掘ったら雨の時に排水不能になります。そうした側面から考えても平な台地面では竪穴のない住居が一般的であった可能性が濃厚です。
斜面上の竪穴住居は台地側に住居壁があり、谷底側に住居壁がない竪穴住居が一般的であった可能性が濃厚です。
大膳野南貝塚で住居壁の無い竪穴住居が有るならば、それは大膳野南貝塚だけの特殊事例とは考えづらいですから、必ずや近隣遺跡の台地面にあるはずです。今後調査したいと思います。
2018年7月17日火曜日
2018年2月25日日曜日
獣骨数統計の再集計
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 30
これまでの直近2記事で、「後世の削平」影響を加味して竪穴住居出土中テン箱数と石器数の再集計して、覆土層有竪穴住居を対象とすると、漆喰貝層有竪穴住居(漁民家族)の数値と漆喰貝層無竪穴住居(非漁民家族)の数値の差が縮まることなどから、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の見かけの数値に拘泥しないで、その2者の間に有意な差はないかもしれないと考察してきました。
この記事ではいささか機械的ですが上記と同じ作業を獣骨出土数に関して行い、獣骨出土数の特性を検討します。
なお、2018.01.09記事「獣骨出土数と漆喰貝層有無別竪穴住居との関係」で最初の検討を行っています。
1 「後世の削平」影響を加味しないこれまでの獣骨数統計
漆喰貝層有無別獣骨数(全竪穴住居対象)
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居では獣骨数が約380倍になります。
獣骨は土器や石器と異なり通常は土層中で消失するものですが、貝層に覆われれば残存する可能性が生まれるという特性がありますのでこのような結果になったと考えることができます。
「後世の削平」云々の前に覆土層に貝層が含まれているか否かが獣骨数出土の決定的要因であると直観できます。
漆喰貝層有無別竪穴住居分布(全竪穴住居対象)
2 「後世の削平」影響を加味した獣骨数統計(再集計)
漆喰貝層有無別獣骨数(覆土層有竪穴住居対象)
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居では獣骨数が約550倍となり、1とくらべてその差が大幅に拡大します。
漆喰貝層有無別竪穴住居分布(覆土層有竪穴住居対象)
3 考察
「後世の削平」の影響を取り除くと獣骨数は漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の間で開きが大幅に拡大します。
つまり、「後世の削平」がなければ獣骨数は実際の出土状況よりも漆喰貝層有竪穴住居でより大きくなることを意味します。
貝層が存在しなくても遺構に残る土器数(中テン箱数を関連指標とする)、石器数とは真逆の結果となりました。
この結果から、「後世の削平」以前の本来の遺跡では漆喰貝層有竪穴住居にもっと沢山の獣骨が含まれ、漆喰貝層無竪穴住居には最初からほとんど獣骨が含まれなかったという想定の蓋然性が極めて高いと考えることができます。
なお、この考察は漆喰貝層無竪穴住居が廃絶した当初に住居内に獣骨がほとんど残されなかったことを意味しません。漆喰貝層無竪穴住居でもその廃絶祭祀や廃屋墓利用が行われ、獣骨が多量に(漆喰貝層有竪穴住居と同じくらいに多量に)持ち込まれたことを否定できる情報はありません。
土器や石器出土状況から類推すると漆喰貝層無竪穴住居にも漆喰貝層有竪穴住居とおなじくらい獣骨が持ち込まれたと想定することが、見かけの統計とはかけ離れますが、合理的であると考えます。
漆喰貝層有竪穴住居で獣骨数が特段に多い竪穴住居の多くは廃屋墓(発掘調査報告書では廃屋墓と認定していないが、ヒト骨が出土するものを含む)であったことが既に判っています。
2018.01.12記事「獣骨多量出土竪穴住居は廃屋墓」参照
この検討から、漆喰貝層無竪穴住居でも同様の状況があったと想定しますが、その直接証拠はほとんど消えてしまったと想像します。
これまでの直近2記事で、「後世の削平」影響を加味して竪穴住居出土中テン箱数と石器数の再集計して、覆土層有竪穴住居を対象とすると、漆喰貝層有竪穴住居(漁民家族)の数値と漆喰貝層無竪穴住居(非漁民家族)の数値の差が縮まることなどから、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の見かけの数値に拘泥しないで、その2者の間に有意な差はないかもしれないと考察してきました。
この記事ではいささか機械的ですが上記と同じ作業を獣骨出土数に関して行い、獣骨出土数の特性を検討します。
なお、2018.01.09記事「獣骨出土数と漆喰貝層有無別竪穴住居との関係」で最初の検討を行っています。
1 「後世の削平」影響を加味しないこれまでの獣骨数統計
漆喰貝層有無別獣骨数(全竪穴住居対象)
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居では獣骨数が約380倍になります。
獣骨は土器や石器と異なり通常は土層中で消失するものですが、貝層に覆われれば残存する可能性が生まれるという特性がありますのでこのような結果になったと考えることができます。
「後世の削平」云々の前に覆土層に貝層が含まれているか否かが獣骨数出土の決定的要因であると直観できます。
漆喰貝層有無別竪穴住居分布(全竪穴住居対象)
2 「後世の削平」影響を加味した獣骨数統計(再集計)
漆喰貝層有無別獣骨数(覆土層有竪穴住居対象)
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居では獣骨数が約550倍となり、1とくらべてその差が大幅に拡大します。
漆喰貝層有無別竪穴住居分布(覆土層有竪穴住居対象)
3 考察
「後世の削平」の影響を取り除くと獣骨数は漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の間で開きが大幅に拡大します。
つまり、「後世の削平」がなければ獣骨数は実際の出土状況よりも漆喰貝層有竪穴住居でより大きくなることを意味します。
貝層が存在しなくても遺構に残る土器数(中テン箱数を関連指標とする)、石器数とは真逆の結果となりました。
この結果から、「後世の削平」以前の本来の遺跡では漆喰貝層有竪穴住居にもっと沢山の獣骨が含まれ、漆喰貝層無竪穴住居には最初からほとんど獣骨が含まれなかったという想定の蓋然性が極めて高いと考えることができます。
なお、この考察は漆喰貝層無竪穴住居が廃絶した当初に住居内に獣骨がほとんど残されなかったことを意味しません。漆喰貝層無竪穴住居でもその廃絶祭祀や廃屋墓利用が行われ、獣骨が多量に(漆喰貝層有竪穴住居と同じくらいに多量に)持ち込まれたことを否定できる情報はありません。
土器や石器出土状況から類推すると漆喰貝層無竪穴住居にも漆喰貝層有竪穴住居とおなじくらい獣骨が持ち込まれたと想定することが、見かけの統計とはかけ離れますが、合理的であると考えます。
漆喰貝層有竪穴住居で獣骨数が特段に多い竪穴住居の多くは廃屋墓(発掘調査報告書では廃屋墓と認定していないが、ヒト骨が出土するものを含む)であったことが既に判っています。
2018.01.12記事「獣骨多量出土竪穴住居は廃屋墓」参照
この検討から、漆喰貝層無竪穴住居でも同様の状況があったと想定しますが、その直接証拠はほとんど消えてしまったと想像します。
2018年2月21日水曜日
漆喰貝層有無別石器数統計の再集計
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 29
「後世の削平」影響を加味して竪穴住居出土石器数(石器合計数)を再集計してみました。
1 「後世の削平」影響を加味しないこれまでの石器数統計
「後世の削平」影響を加味して竪穴住居出土石器数(石器合計数)を再集計してみました。
1 「後世の削平」影響を加味しないこれまでの石器数統計
3 考察
「後世の削平」により覆土層が無くなった竪穴住居はほとんど石器出土がありませんが、その値はその遺構が持っていた本来の石器数を示すものではありませんから、それを統計の母数に含めると間違った統計になります。
その間違った統計が1です。
「後世の削平」により覆土層が無くなった竪穴住居を除いて、覆土層が有る(一部残った)竪穴住居だけを対象に石器数統計を再集計したものが2です。
この統計で石器数平均値をみると漆喰貝層有竪穴住居が12.7、漆喰貝層無竪穴住居が3.7となり約3.4倍の開きのある関係になります。
漆喰貝層有竪穴住居の石器数平均値はサンプル数が多く信頼できる(意味のある検討ができる)と考えます。ところが漆喰貝層無竪穴住居はその多くが覆土層無竪穴住居としてこの統計から除外されていてサンプル数が少なく信頼性が落ちます。
また、具体的にみると台地崖(急斜面)の竪穴住居が5軒もふくまれています。これらの竪穴住居は斜面林管理などに関わる可能性のあるもので、台地面の竪穴住居よりも社会ランクが低いことが想定されます。石器数は竪穴住居廃絶祭祀の規模や回数に比例すると考えられますから、台地崖(急斜面)の竪穴住居は最初から台地面のものより石器数が少ないと想定できます。従って、漆喰貝層無竪穴住居の石器数平均値は本来の値と比べて小さくなっている可能性が濃厚と想定します。
このような想定から、漆喰貝層有竪穴住居の石器数が多く、漆喰貝層無竪穴住居の石器数が少ないという見かけの統計がそのまま漆喰貝層有無別竪穴住居の特性であると確実に判断できる状況にはないと考えます。
なお、集落創始期の竪穴住居は石器数がその後の時期より特段に多いという着目すべきデータがあります。2018.02.06記事「集落創始期は狩猟と漁労の二股であった 大膳野南貝塚後期集落」参照
その集落創始期の竪穴住居で覆土層有で漆喰貝層無竪穴住居のサンプルが少ないので(1例のみ)漆喰貝層有竪穴住居の石器数が漆喰貝層無竪穴住居の石器数より見かけ上多くなっている可能性があります。
現段階では、見かけの統計数値は脇に置いて、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の石器数平均値の間には有意な差は無いかもしれないと想像して、検討を進めることにします。
「後世の削平」により覆土層が無くなった竪穴住居を除いて、覆土層が有る(一部残った)竪穴住居だけを対象に石器数統計を再集計したものが2です。
この統計で石器数平均値をみると漆喰貝層有竪穴住居が12.7、漆喰貝層無竪穴住居が3.7となり約3.4倍の開きのある関係になります。
漆喰貝層有竪穴住居の石器数平均値はサンプル数が多く信頼できる(意味のある検討ができる)と考えます。ところが漆喰貝層無竪穴住居はその多くが覆土層無竪穴住居としてこの統計から除外されていてサンプル数が少なく信頼性が落ちます。
また、具体的にみると台地崖(急斜面)の竪穴住居が5軒もふくまれています。これらの竪穴住居は斜面林管理などに関わる可能性のあるもので、台地面の竪穴住居よりも社会ランクが低いことが想定されます。石器数は竪穴住居廃絶祭祀の規模や回数に比例すると考えられますから、台地崖(急斜面)の竪穴住居は最初から台地面のものより石器数が少ないと想定できます。従って、漆喰貝層無竪穴住居の石器数平均値は本来の値と比べて小さくなっている可能性が濃厚と想定します。
このような想定から、漆喰貝層有竪穴住居の石器数が多く、漆喰貝層無竪穴住居の石器数が少ないという見かけの統計がそのまま漆喰貝層有無別竪穴住居の特性であると確実に判断できる状況にはないと考えます。
なお、集落創始期の竪穴住居は石器数がその後の時期より特段に多いという着目すべきデータがあります。2018.02.06記事「集落創始期は狩猟と漁労の二股であった 大膳野南貝塚後期集落」参照
その集落創始期の竪穴住居で覆土層有で漆喰貝層無竪穴住居のサンプルが少ないので(1例のみ)漆喰貝層有竪穴住居の石器数が漆喰貝層無竪穴住居の石器数より見かけ上多くなっている可能性があります。
現段階では、見かけの統計数値は脇に置いて、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の石器数平均値の間には有意な差は無いかもしれないと想像して、検討を進めることにします。
2018年2月18日日曜日
出土物統計の不適切考察記事について
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 27
「後世の削平」が結果として強選択的に働いた結果、漆喰貝層無竪穴住居の出土物が異常に少なく、漆喰貝層有竪穴住居の出土物が多いことに気が付きました。
これまで検討してきた中テン箱、石器、獣骨の統計の竪穴住居漆喰貝層有無別統計の考察の多くの部分が不適切なものであることに気が付きました。
また出土物時期別統計も覆土層有竪穴住居(遺構に遺物が残っている可能性のある竪穴住居)の数が時期別にアンバランスであることを確かめていませんでしたから不適切であったところが多くなっていると考えるようになりました。
参考 時期別漆喰貝層有無別 覆土層有竪穴住居軒数
母数(遺構に遺物が残っている可能性のある竪穴住居)の数が0、1、2のものが多く時期別比較が困難であることがこのグラフから判ります。
参考 時期別漆喰貝層有無別 覆土層無竪穴住居軒数
そもそも遺構に遺物が残っている可能性がほとんどない竪穴住居の軒数を示しています。
参考 時期別竪穴住居数
このグラフは大いに意味のある重要なグラフです。竪穴住居そのものの統計や分布を検討した結果からは重要な新知見が生れています。
しかしこのグラフを元に出土物の統計を作ったことが結果として不適切であり、その考察において必然的に間違いを生み出しました。
2017.11.29記事「大膳野南貝塚学習の再開」から2018.02.17記事「「後世の削平」が強選択的に働いた理由」までの50記事を読み直し、次の23記事に出土物統計の不適切考察がありましたので確認しておきます。
中テン箱、石器、獣骨関連統計に関する不適切考察記事
発掘調査報告書収録データの統計を作成し、その分析をしていく中で合理的な解釈ができない極端な数値に直面し、アーダコーダと苦悶しているなかで「後世の削平」の強選択性に気が付いたのですから、学習の質を1段階確実にレベルアップできたことになります。
多くの不適切考察を含む記事(間違い)を肥やしにして今後の学習の質を高めていくことにします。
……………………………………………………………………
不適切考察記事に関する対応
中テン箱、石器、獣骨などの出土物に関する検討が進行中であり、今後さらに自分の認識が向上すると思います。従って現時点で過去記事を訂正すると近い将来さらに再訂正が必要になる可能性もあります。従って過去記事は自分の学習記録そのものとして存置します。
なお、学習終了時点で学習結果とりまとめ(論説作成)を行い、自分の最終考察結果を公表することにします。
「後世の削平」が結果として強選択的に働いた結果、漆喰貝層無竪穴住居の出土物が異常に少なく、漆喰貝層有竪穴住居の出土物が多いことに気が付きました。
これまで検討してきた中テン箱、石器、獣骨の統計の竪穴住居漆喰貝層有無別統計の考察の多くの部分が不適切なものであることに気が付きました。
また出土物時期別統計も覆土層有竪穴住居(遺構に遺物が残っている可能性のある竪穴住居)の数が時期別にアンバランスであることを確かめていませんでしたから不適切であったところが多くなっていると考えるようになりました。
参考 時期別漆喰貝層有無別 覆土層有竪穴住居軒数
母数(遺構に遺物が残っている可能性のある竪穴住居)の数が0、1、2のものが多く時期別比較が困難であることがこのグラフから判ります。
参考 時期別漆喰貝層有無別 覆土層無竪穴住居軒数
そもそも遺構に遺物が残っている可能性がほとんどない竪穴住居の軒数を示しています。
参考 時期別竪穴住居数
このグラフは大いに意味のある重要なグラフです。竪穴住居そのものの統計や分布を検討した結果からは重要な新知見が生れています。
しかしこのグラフを元に出土物の統計を作ったことが結果として不適切であり、その考察において必然的に間違いを生み出しました。
2017.11.29記事「大膳野南貝塚学習の再開」から2018.02.17記事「「後世の削平」が強選択的に働いた理由」までの50記事を読み直し、次の23記事に出土物統計の不適切考察がありましたので確認しておきます。
中テン箱、石器、獣骨関連統計に関する不適切考察記事
発掘調査報告書収録データの統計を作成し、その分析をしていく中で合理的な解釈ができない極端な数値に直面し、アーダコーダと苦悶しているなかで「後世の削平」の強選択性に気が付いたのですから、学習の質を1段階確実にレベルアップできたことになります。
多くの不適切考察を含む記事(間違い)を肥やしにして今後の学習の質を高めていくことにします。
……………………………………………………………………
不適切考察記事に関する対応
中テン箱、石器、獣骨などの出土物に関する検討が進行中であり、今後さらに自分の認識が向上すると思います。従って現時点で過去記事を訂正すると近い将来さらに再訂正が必要になる可能性もあります。従って過去記事は自分の学習記録そのものとして存置します。
なお、学習終了時点で学習結果とりまとめ(論説作成)を行い、自分の最終考察結果を公表することにします。
2018年2月17日土曜日
「後世の削平」が強選択的に働いた理由
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 26
2018.02.15記事「「後世の削平」の影響が強く選択的に働いていることに気が付く」で漆喰貝層無竪穴住居に強選択的に「後世の削平」が働き、出土物が異常に少ない状況が生まれたことに気が付きました。この記事ではその理由を大局的に考えてみました。
1 覆土層一部残存竪穴住居と覆土層無竪穴住居の分布
覆土層一部残存竪穴住居(ブルー)と覆土層無竪穴住居(ベージュ)の分布
2 思考補助図の作成
覆土層一部残存竪穴住居と覆土層無竪穴住居のそれぞれの分布の重なり具合を大局的直観的に把握するための思考補助図としてそれぞれのバッファ図(距離5m)を作ってみました。竪穴住居から5m圏の土地は竪穴住居が受けた影響と同じ影響を受けたと仮想する図です。
思考補助図 覆土層一部残存竪穴住居のバッファ図(距離5m)
思考補助図 覆土層無竪穴住居のバッファ図(距離5m)
思考補助図 覆土層一部残存竪穴住居のバッファ図(距離5m)と覆土層無竪穴住居のバッファ図(距離5m)のオーバーレイ図
3 考察
覆土層無竪穴住居は台地面全域に分布していると捉えることができます。台地面全域が「後世の削平」の影響を受けたといえます。
ただし台地崖(急斜面)には覆土層無竪穴住居はありませんから覆土層をほとんど全て除去あるいは攪乱するという「後世の削平」は台地面だけであったことが判ります。
一方、覆土層一部残存竪穴住居は殆どが3つの貝層及びその近隣に分布しています。
これは耕作等の「後世の削平」が行われた際、貝層の存在が削平活動に対して物理的な抵抗となったためであると考えます。3つの貝層とその周辺には純貝層だけでなく破砕された貝殻と土が混ぜわさった混貝土層が広がり、通常の土より硬かったと想定できます。
覆土層一部残存竪穴住居はこのほか台地崖(急斜面)に分布していて、ここでは地形条件から台地面のような削平活動は無かったようですが、別の条件(斜面浸食等)により竪穴住居の一部が壊されています。
以上の大局的考察をまとめると次のようなります。
1 台地面の全域が「後世の削平」の対象となり、そこに存在した漆喰貝層無竪穴住居はほとんど全て覆土層が失われ、出土物は異常に少なくなった。
2 漆喰貝層有竪穴住居は台地面に存在し「後世の削平」の対象となったにもかかわらず、貝層が被覆していて、それが物理的抵抗力を持っていたため覆土層一部残存竪穴住居となったものが多い。従って出土物が多い竪穴住居が多い。
3 台地崖(急斜面)には漆喰貝層有竪穴住居は存在しないけれども漆喰貝層無竪穴住居は存在する。この地形の竪穴住居は覆土層一部残存竪穴住居となっている。
この考察が正しければ、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の出土物の統計的比較はかなり無理であると考えざるを得ません。
統計的比較ではなく、漆喰貝層無竪穴住居でもたまたま貝層に覆われたもの(例 J88号住)など断片的個別情報から漆喰貝層無竪穴住居の特性を類推する検討が重要になりそうです。
また、次のような今後の検討課題が浮かび上がりました。
1 「後世の削平」の具体的イメージ
耕作か?、いつごろか? 除去された覆土層はどこに移動したか?
2 縄文時代地形(貝層形成前と後の地形)の復元
発掘調査時点の地形測量結果と1960年代測量図地形がかなり異なります。縄文時代地形(貝層形成前と後の地形)のイメージを正確に復元して、それと竪穴住居分布との関係を精密に考察する必要があります。
3 貝層分布の検討
発掘調査報告書掲載貝層分布図(南貝層、北貝層、西貝層)は一定の基準で貝層分布を描いた1例であり、絶対的なものではないと考えます。もっと広く混貝土層が広がっていたようです。発掘調査報告書の遺構別記述や発掘状況写真等から貝層分布のイメージを検討してみます。
4 混貝土層の意味
貝殻を破砕してそれを土と混ぜて意図的に作った混貝土を竪穴住居覆土層や貝層形成に使ったようです。その意味について考察することが大膳野南貝塚集落の検討に大切です。
2018.02.15記事「「後世の削平」の影響が強く選択的に働いていることに気が付く」で漆喰貝層無竪穴住居に強選択的に「後世の削平」が働き、出土物が異常に少ない状況が生まれたことに気が付きました。この記事ではその理由を大局的に考えてみました。
1 覆土層一部残存竪穴住居と覆土層無竪穴住居の分布
覆土層一部残存竪穴住居(ブルー)と覆土層無竪穴住居(ベージュ)の分布
2 思考補助図の作成
覆土層一部残存竪穴住居と覆土層無竪穴住居のそれぞれの分布の重なり具合を大局的直観的に把握するための思考補助図としてそれぞれのバッファ図(距離5m)を作ってみました。竪穴住居から5m圏の土地は竪穴住居が受けた影響と同じ影響を受けたと仮想する図です。
思考補助図 覆土層一部残存竪穴住居のバッファ図(距離5m)
思考補助図 覆土層無竪穴住居のバッファ図(距離5m)
思考補助図 覆土層一部残存竪穴住居のバッファ図(距離5m)と覆土層無竪穴住居のバッファ図(距離5m)のオーバーレイ図
3 考察
覆土層無竪穴住居は台地面全域に分布していると捉えることができます。台地面全域が「後世の削平」の影響を受けたといえます。
ただし台地崖(急斜面)には覆土層無竪穴住居はありませんから覆土層をほとんど全て除去あるいは攪乱するという「後世の削平」は台地面だけであったことが判ります。
一方、覆土層一部残存竪穴住居は殆どが3つの貝層及びその近隣に分布しています。
これは耕作等の「後世の削平」が行われた際、貝層の存在が削平活動に対して物理的な抵抗となったためであると考えます。3つの貝層とその周辺には純貝層だけでなく破砕された貝殻と土が混ぜわさった混貝土層が広がり、通常の土より硬かったと想定できます。
覆土層一部残存竪穴住居はこのほか台地崖(急斜面)に分布していて、ここでは地形条件から台地面のような削平活動は無かったようですが、別の条件(斜面浸食等)により竪穴住居の一部が壊されています。
以上の大局的考察をまとめると次のようなります。
1 台地面の全域が「後世の削平」の対象となり、そこに存在した漆喰貝層無竪穴住居はほとんど全て覆土層が失われ、出土物は異常に少なくなった。
2 漆喰貝層有竪穴住居は台地面に存在し「後世の削平」の対象となったにもかかわらず、貝層が被覆していて、それが物理的抵抗力を持っていたため覆土層一部残存竪穴住居となったものが多い。従って出土物が多い竪穴住居が多い。
3 台地崖(急斜面)には漆喰貝層有竪穴住居は存在しないけれども漆喰貝層無竪穴住居は存在する。この地形の竪穴住居は覆土層一部残存竪穴住居となっている。
この考察が正しければ、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の出土物の統計的比較はかなり無理であると考えざるを得ません。
統計的比較ではなく、漆喰貝層無竪穴住居でもたまたま貝層に覆われたもの(例 J88号住)など断片的個別情報から漆喰貝層無竪穴住居の特性を類推する検討が重要になりそうです。
また、次のような今後の検討課題が浮かび上がりました。
1 「後世の削平」の具体的イメージ
耕作か?、いつごろか? 除去された覆土層はどこに移動したか?
2 縄文時代地形(貝層形成前と後の地形)の復元
発掘調査時点の地形測量結果と1960年代測量図地形がかなり異なります。縄文時代地形(貝層形成前と後の地形)のイメージを正確に復元して、それと竪穴住居分布との関係を精密に考察する必要があります。
3 貝層分布の検討
発掘調査報告書掲載貝層分布図(南貝層、北貝層、西貝層)は一定の基準で貝層分布を描いた1例であり、絶対的なものではないと考えます。もっと広く混貝土層が広がっていたようです。発掘調査報告書の遺構別記述や発掘状況写真等から貝層分布のイメージを検討してみます。
4 混貝土層の意味
貝殻を破砕してそれを土と混ぜて意図的に作った混貝土を竪穴住居覆土層や貝層形成に使ったようです。その意味について考察することが大膳野南貝塚集落の検討に大切です。
2018年2月15日木曜日
「後世の削平」の影響が強く選択的に働いていることに気が付く
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 25
漆喰貝層有無別に竪穴住居を観察すると出土物のみならず空間分布も全く異なり、それが2集団の共存であると推察しました。
しかし出土物の違いはあまりに極端であり、極端すぎて穏当な解釈やストーリーが浮かびません。そのような中で、もしかしたら「後世の削平」の影響が強く選択的に働いているのではないかと気がつきました。
2018.02.14記事「竪穴住居の漆喰貝層有無別検討に関する考察メモ」参照
早速、後世の削平について発掘調査報告書の記載と断面図等を93竪穴住居全部について読み返しました。
発掘調査報告書の記述から住居壁や覆土層の一部が残存している竪穴住居と住居壁と覆土層の双方が無し(ほとんど無し)の竪穴住居に区分できることが判りました。
その結果を次に示します。
1 住居壁や覆土層の一部が残存している竪穴住居
覆土層一部残存竪穴住居の分布
大膳野南貝塚後期集落では竪穴住居が完全な姿で残っている例は皆無です。覆土層が残っている竪穴住居でも全て後世の削平や攪乱、あるいは重複の影響を受けています。それもほとんどが大幅な影響を受けています。
その分布が上記地図であり、漆喰貝層有竪穴住居は貝塚円環構造に沿っています。
貝塚(南貝層、北貝層、西貝層)の存在が後世の削平から地下の竪穴住居を守ったように考えることが出来そうです。
漆喰貝層無竪穴住居は南側谷津斜面に集中していて、台地面のものはほとんどありません。谷津斜面の竪穴住居は恐らく生業の場としての斜面林の管理という出先的竪穴住居であると想定され、集落本体の漆喰貝層無竪穴住居ではないようです。
従って、漆喰貝層無竪穴住居は極めて強く、選択的に「後世の削平」の影響を受けていると考えられます。
2 住居壁や覆土層が無い竪穴住居
覆土層無竪穴住居の分布
貝層分布域は弱まりますが、台地面に分布する竪穴住居の殆んどが後世の削平の影響を受けて覆土層がありません。つまり竪穴住居の内部に置かれた遺物が後世に消失したということです。
貝層分布域を除く台地面の分布する竪穴住居のほとんどは漆喰貝層無竪穴住居ですから、後世の削平の影響は強く選択的に漆喰貝層無竪穴住居に働いたといえます。
参考 全竪穴住居の分布
3 統計
この関係の統計をグラフ化すると次のようになります。
漆喰貝層有無別覆土層残存有無別 竪穴住居軒数
4 考察
これまで、漆喰貝層有竪穴住居は出土物が多く漆喰貝層無竪穴住居が少ないことの解釈として漆喰貝層有竪穴住居は豊かで優位であり、漆喰貝層無竪穴住居は著しく貧しく劣位であるとイメージしてきました。
このイメージは強い歪みのあるデータから導き出したものであることが確認できました。
データの強い歪みをどれだけ補正できるか、思い通りことはできないかもしれませんが、いずれにしても再考察して大幅に集落イメージを改変することにします。
漆喰貝層有集団と漆喰貝層無集団が漁撈と主食確保という別生業で協働していたかもしれないと空想できるようになりました。
漆喰貝層有無別に竪穴住居を観察すると出土物のみならず空間分布も全く異なり、それが2集団の共存であると推察しました。
しかし出土物の違いはあまりに極端であり、極端すぎて穏当な解釈やストーリーが浮かびません。そのような中で、もしかしたら「後世の削平」の影響が強く選択的に働いているのではないかと気がつきました。
2018.02.14記事「竪穴住居の漆喰貝層有無別検討に関する考察メモ」参照
早速、後世の削平について発掘調査報告書の記載と断面図等を93竪穴住居全部について読み返しました。
発掘調査報告書の記述から住居壁や覆土層の一部が残存している竪穴住居と住居壁と覆土層の双方が無し(ほとんど無し)の竪穴住居に区分できることが判りました。
その結果を次に示します。
1 住居壁や覆土層の一部が残存している竪穴住居
覆土層一部残存竪穴住居の分布
大膳野南貝塚後期集落では竪穴住居が完全な姿で残っている例は皆無です。覆土層が残っている竪穴住居でも全て後世の削平や攪乱、あるいは重複の影響を受けています。それもほとんどが大幅な影響を受けています。
その分布が上記地図であり、漆喰貝層有竪穴住居は貝塚円環構造に沿っています。
貝塚(南貝層、北貝層、西貝層)の存在が後世の削平から地下の竪穴住居を守ったように考えることが出来そうです。
漆喰貝層無竪穴住居は南側谷津斜面に集中していて、台地面のものはほとんどありません。谷津斜面の竪穴住居は恐らく生業の場としての斜面林の管理という出先的竪穴住居であると想定され、集落本体の漆喰貝層無竪穴住居ではないようです。
従って、漆喰貝層無竪穴住居は極めて強く、選択的に「後世の削平」の影響を受けていると考えられます。
2 住居壁や覆土層が無い竪穴住居
覆土層無竪穴住居の分布
貝層分布域は弱まりますが、台地面に分布する竪穴住居の殆んどが後世の削平の影響を受けて覆土層がありません。つまり竪穴住居の内部に置かれた遺物が後世に消失したということです。
貝層分布域を除く台地面の分布する竪穴住居のほとんどは漆喰貝層無竪穴住居ですから、後世の削平の影響は強く選択的に漆喰貝層無竪穴住居に働いたといえます。
参考 全竪穴住居の分布
3 統計
この関係の統計をグラフ化すると次のようになります。
漆喰貝層有無別覆土層残存有無別 竪穴住居軒数
4 考察
これまで、漆喰貝層有竪穴住居は出土物が多く漆喰貝層無竪穴住居が少ないことの解釈として漆喰貝層有竪穴住居は豊かで優位であり、漆喰貝層無竪穴住居は著しく貧しく劣位であるとイメージしてきました。
このイメージは強い歪みのあるデータから導き出したものであることが確認できました。
データの強い歪みをどれだけ補正できるか、思い通りことはできないかもしれませんが、いずれにしても再考察して大幅に集落イメージを改変することにします。
漆喰貝層有集団と漆喰貝層無集団が漁撈と主食確保という別生業で協働していたかもしれないと空想できるようになりました。
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