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2022年7月3日日曜日

抽象文土器の文様について

 About the pattern of pottery of abstract pattern


I learned that the object drawn by the pattern of pottery of abstract pattern is not a salamander, but two large and small snakes. It was an epoch-making knowledge exchange for me.

I created a collection about pottery of abstract pattern in Sketchfab.


抽象文土器の文様が描いている対象がサンショウウオではなく、大小2匹のヘビであることを知りました。自分にとって画期的な知識入れ替えとなりました。

6月まで開催された山梨県立考古博物館企画展「心を描く縄文人」観覧で動物文や顔面把手について興味を深めました。この興味に関連して、次の論文を入手して抽象文土器、動物文(ヘビ、カエル、イノシシ)、顔面把手について学習を深めました。この記事ではその学習の中での抽象文土器に関する興味をメモしました。

今福利恵 2019 「勝坂式土器における動物文様と人体表現」「研究紀要」35 山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター

今福利恵 2020 「勝坂式土器における抽象文」「研究紀要」36 山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター

なお、上記研究紀要は山梨県立図書館と千葉市図書館の協力で千葉市図書館で閲覧コピーしました。2館に感謝します。

1 抽象文土器の名称

抽象文土器と呼ばれる土器文様はかつてサンショウウオ、ミヅチ、マムシ、ワニ、イルカなど多くの動物が推測されました。そのため、サンショウウオ文、みづち文、海獣文など多様な呼称で呼ばれました。特に著名考古学者がサンショウウオ説を唱えたこともあり、山椒魚そのものを表現していると誤解されることがありました。しかしその後の諸研究によりヘビが大小2匹表現されているという考えにいたっています。著者は誤解されないように抽象ヘビ文という呼称を2019年論文では使っています。

2 抽象文土器の時期的な位置付け

抽象文(抽象ヘビ文)は貉沢3期から藤内3期まで継続してそこでピタリと終焉し、藤内4期から多様な形状のヘビ文が井戸尻3期頃まで継続します。


動物意匠の変遷

今福利恵(2019)「勝坂式土器における動物文様と人体表現」から引用


参考 中期編年図

山梨県立考古博物館企画展「心を描く縄文人」展示リーフレットから引用

3 抽象文の概況


抽象文の概況

今福利恵 2020 「勝坂式土器における抽象文」から引用

4 抽象文土器の分布


抽象文土器の分布

今福利恵 2020 「勝坂式土器における抽象文」から引用

5 抽象文の成立過程

初源期の抽象文が誕生した過程をみると、既存の勝坂式土器懸垂文に三角形の頭部と太めで長い体部に細い尾部からなるおそらくヘビの表現をあわせることを厳密に順守してきています。その過程の中でU形抽象文とC形抽象文が合成したUc形抽象文(定形的抽象文)が生まれます。こうした時間的変遷から定形的抽象文はヘビ2体の抽象文が重なったものであることが判明しました。

6 感想

これまで抽象文土器と呼ばれる土器の文様は間違いなくサンショウウオが表現されているものと理解してきていました。その理解が完璧に否定され、新しい知識を得ることができました。まことに痛快です。

7 これまでに作成した抽象文土器3Dモデル

これまで次の5点(6土器)の抽象文土器3Dモデルを作成してきています。

1 動物意匠文付土器(勝坂Ⅲ式)(船橋市ユルギ松遺跡) 観察記録3Dモデル

撮影場所:八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」

撮影月日:2021.11.02

2 抽象文深鉢形土器(茅野市東風呂遺跡)2点 観察記録3Dモデル

撮影場所:尖石縄文考古館 

撮影月日:2020.03.13 

3 縄文中期前半抽象文深鉢形土器(茅野市辻屋遺跡)A 観察記録3Dモデル 

撮影場所:尖石縄文考古館 

撮影月日:2019.09.13 

4 縄文中期前半抽象文深鉢形土器(茅野市辻屋遺跡)B 観察記録3Dモデル 

撮影場所:尖石縄文考古館 

撮影月日:2019.09.13 

5 縄文中期前半抽象文深鉢形土器(茅野市辻屋遺跡)C 観察記録3Dモデル 

撮影場所:尖石縄文考古館 

撮影月日:2019.09.13 

これら5点の3Dモデルを観察しやすくするために自分のSketchfabサイト内に集めて抽象文土器collectionを作成しました。


抽象文土器collectionの画面



2022年5月20日金曜日

加曽利E式土器 文様

 Kasori E type pottery pattern


The 3D model of 22 Kasori E type pottery was developed with GigaMesh Software Framework and painted in a pattern. Looking at the thumbnail collection, I am curious about why multiple patterns coexist. Is the difference in pattern the difference in origin?


加曽利貝塚博物館令和3年度企画展「あれもE…」展示土器のうち3Dモデルを作成した22器について、GigaMesh Software Frameworkで展開して、文様に色塗りした画像のサムにネイル集を作成しました。この資料を見て思い浮かぶ感想をメモしました。

1 GigaMesh Software Frameworkによる3Dモデル展開と文様塗色 画像サムネイル


GigaMesh Software Frameworkによる3Dモデル展開と文様塗色 画像サムネイル

縄文施文域を緑透過色で表現しています。塗色していないものが1点、塗色の色使いが少し異なるものが1点ありますので、今後追補作業をすることにします。

画像サムネイルの順番は次の資料と同じです。


加曽利E式土器型式大きさ文様

2 文様に関する感想

2-1 意匠充填系土器について

・意匠充填系土器の文様の最大の特徴は大きな渦巻文やそれに通じる大きな円文や楕円文のようです。

・意匠充填系土器が4つの型式で出現するので加曽利E式期から称名寺式期まで継続して使われた基本的な文様であることが判ります。意匠充填系土器の文様が変異変化したと考えられるものが加曽利EⅤ式、称名寺式に出現するのでこの文様は加曽利E式期を生き延び、称名寺式の文様に自らを変化させながら同化していった(影響を与えた)と考えることができます。

・意匠充填系土器がA(容量特大)、C(容量中)で出現するので、特大土器に特徴的な文様であるという考えは成り立たないようです。つまりどのような用途の土器にも使われて汎用性のある文様であると考えることができそうです。

・意匠充填系土器には器形が口がすぼまったもの(キャリパー形)が多いので、器形と文様の相関がありそうです。器形-文様のセットが存在するとすれば、そのセットはどうしてできたのか(どのような事象と相関しているのか)興味が湧きます。

2-2 入組系横位連携弧線文土器について

・入組系横位連携弧線文土器が3つの型式で出現します。加曽利EⅢ式期にもこの文様はありますから、意匠充填系土器と同じように加曽利E式期から称名寺式期まで継続して使われた基本的な文様であることがわかります。

・入組系横位連携弧線文土器がA(容量特大)、B(容量大)、C(容量中)、D(容量小)で出現します。このことから、入組系横位連携弧線文土器は土器のある大きさに限定されない文様であることが判ります。

・称名寺式期に入組系横位連携弧線文のデザインをあしらったデザインがみられ、注目できます。文様そのものを描いたというよりも、立体空間の中で入組系横位連携弧線文土器を客観視した時にみることができる意匠(例えば画像に焼き付けた時の意匠)が描かれています。

・入組系横位連携弧線文土器は器形がラッパ形(非キャリパー形)のものばかりであり、文様と器形の相関がありそうです。

2-3 対向系横位連携弧線文土器について

・対向系横位連携弧線文土器は加曽利EⅢ式とEⅣ式に出現します。EⅤ式と称名寺式に出現しないのは展示物選定の際の事情によるたまたまのことなのか、文様としての盛衰に関係するのか、興味が湧きます。

2-4 その他

・意匠充填系とJ字文が同時に描かれる土器があり、同時期同空間同一人が異なる文様を描いていて、使っていたことがわかります。

・両耳壺の文様は一般的文様ではなく、湧泉記号(用途を特定する記号)を描いていると考えます。

2-5 妄想

以前大膳野南貝塚発掘調査報告書を詳しく分析学習した時、前期後葉集落のことですが、浮島式土器が優勢の竪穴住居と諸磯式土器が優勢の竪穴住居、浮島式土器と諸磯式土器が半々に出土する竪穴住居がありました。その解釈として、浮島式土器を使う数家族、諸磯土器を使う数家族、婚姻により双方の土器を使う数家族が一つの集落を形成していると考えました。その時、土器型式と出自は密接に関連している可能性を学びました。

この過去の学習を踏まえると、意匠充填系土器を使う系統の家系、入組系横位連携弧線文土器を使う系統の家系など系統の違う(出自の違う)家系が複数存在していて、それらが相互に婚姻関係をもって地域社会が成り立っていた可能性を考えることができるかもしれません。複数並立して存在する土器文様はそれをつくる家族の出自に関連しているのかもしれません。


2020年12月28日月曜日

縄文中期箆状腰飾に関する考察メモ その2 超仮説 縄文中期箆状骨器の文様と千葉縄文人世界観の対応

 縄文骨角器学習 4

2020.12.28記事「縄文中期箆状腰飾に関する考察メモ その1 船橋市高根木戸遺跡出土酷似製品」で上下三角噛合陰刻文様が風景を描写していて、「大」字刺突文様は天上の祖先の姿を描写していると思考しましたが、この思考がさらに発展しましたのでメモします。

1 超仮説 縄文中期箆状骨器の文様と千葉縄文人世界観の対応

千葉市有吉南貝塚出土イルカ骨製箆状腰飾と船橋市高根木戸遺跡出土刺突文・彫刻骨角製品に共通する二つの文様が千葉縄文人世界観を表現していると考えました。


超仮説 縄文中期箆状骨器の文様と千葉縄文人世界観の対応

2 メモ

縄文人は白い雲が浮かぶ青い空に天上界が存在し、それは地上界とは逆向きの世界であり、死んだ祖先が生活していると考えていたと想像します。

そのような千葉縄文人世界観が箆状骨器に刻まれていると考えます。

東京湾漁場を含む豊かな千葉の土地を、祖先に誓って、あるいは祖先の力を借りて、自ら守るという決意がこの文様に刻まれていると考えます。