2022年5月20日金曜日

加曽利E式土器 文様

 Kasori E type pottery pattern


The 3D model of 22 Kasori E type pottery was developed with GigaMesh Software Framework and painted in a pattern. Looking at the thumbnail collection, I am curious about why multiple patterns coexist. Is the difference in pattern the difference in origin?


加曽利貝塚博物館令和3年度企画展「あれもE…」展示土器のうち3Dモデルを作成した22器について、GigaMesh Software Frameworkで展開して、文様に色塗りした画像のサムにネイル集を作成しました。この資料を見て思い浮かぶ感想をメモしました。

1 GigaMesh Software Frameworkによる3Dモデル展開と文様塗色 画像サムネイル


GigaMesh Software Frameworkによる3Dモデル展開と文様塗色 画像サムネイル

縄文施文域を緑透過色で表現しています。塗色していないものが1点、塗色の色使いが少し異なるものが1点ありますので、今後追補作業をすることにします。

画像サムネイルの順番は次の資料と同じです。


加曽利E式土器型式大きさ文様

2 文様に関する感想

2-1 意匠充填系土器について

・意匠充填系土器の文様の最大の特徴は大きな渦巻文やそれに通じる大きな円文や楕円文のようです。

・意匠充填系土器が4つの型式で出現するので加曽利E式期から称名寺式期まで継続して使われた基本的な文様であることが判ります。意匠充填系土器の文様が変異変化したと考えられるものが加曽利EⅤ式、称名寺式に出現するのでこの文様は加曽利E式期を生き延び、称名寺式の文様に自らを変化させながら同化していった(影響を与えた)と考えることができます。

・意匠充填系土器がA(容量特大)、C(容量中)で出現するので、特大土器に特徴的な文様であるという考えは成り立たないようです。つまりどのような用途の土器にも使われて汎用性のある文様であると考えることができそうです。

・意匠充填系土器には器形が口がすぼまったもの(キャリパー形)が多いので、器形と文様の相関がありそうです。器形-文様のセットが存在するとすれば、そのセットはどうしてできたのか(どのような事象と相関しているのか)興味が湧きます。

2-2 入組系横位連携弧線文土器について

・入組系横位連携弧線文土器が3つの型式で出現します。加曽利EⅢ式期にもこの文様はありますから、意匠充填系土器と同じように加曽利E式期から称名寺式期まで継続して使われた基本的な文様であることがわかります。

・入組系横位連携弧線文土器がA(容量特大)、B(容量大)、C(容量中)、D(容量小)で出現します。このことから、入組系横位連携弧線文土器は土器のある大きさに限定されない文様であることが判ります。

・称名寺式期に入組系横位連携弧線文のデザインをあしらったデザインがみられ、注目できます。文様そのものを描いたというよりも、立体空間の中で入組系横位連携弧線文土器を客観視した時にみることができる意匠(例えば画像に焼き付けた時の意匠)が描かれています。

・入組系横位連携弧線文土器は器形がラッパ形(非キャリパー形)のものばかりであり、文様と器形の相関がありそうです。

2-3 対向系横位連携弧線文土器について

・対向系横位連携弧線文土器は加曽利EⅢ式とEⅣ式に出現します。EⅤ式と称名寺式に出現しないのは展示物選定の際の事情によるたまたまのことなのか、文様としての盛衰に関係するのか、興味が湧きます。

2-4 その他

・意匠充填系とJ字文が同時に描かれる土器があり、同時期同空間同一人が異なる文様を描いていて、使っていたことがわかります。

・両耳壺の文様は一般的文様ではなく、湧泉記号(用途を特定する記号)を描いていると考えます。

2-5 妄想

以前大膳野南貝塚発掘調査報告書を詳しく分析学習した時、前期後葉集落のことですが、浮島式土器が優勢の竪穴住居と諸磯式土器が優勢の竪穴住居、浮島式土器と諸磯式土器が半々に出土する竪穴住居がありました。その解釈として、浮島式土器を使う数家族、諸磯土器を使う数家族、婚姻により双方の土器を使う数家族が一つの集落を形成していると考えました。その時、土器型式と出自は密接に関連している可能性を学びました。

この過去の学習を踏まえると、意匠充填系土器を使う系統の家系、入組系横位連携弧線文土器を使う系統の家系など系統の違う(出自の違う)家系が複数存在していて、それらが相互に婚姻関係をもって地域社会が成り立っていた可能性を考えることができるかもしれません。複数並立して存在する土器文様はそれをつくる家族の出自に関連しているのかもしれません。


2 件のコメント:

  1. フォローさせて頂いて勉強します。私も我が家の隣の小さな自然河川・薬師川に愛着をもって、あれこれ訪ね歩いています。

    返信削除
  2. 匿名さん コメントありがとうございます。川の源流がどうなっているのか、それが小さな川でも、暗渠みたいになっていても、現場で調べだすと興味が湧いてきます。不思議です。自分はその興味が発展して、巡り巡って、縄文まで来てしまいました。

    返信削除