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2023年11月27日月曜日

大膳野南貝塚の竪穴住居の漆喰炉と漆喰貼床

 The stucco furnace and stucco floor of the pit dwelling in Daizenno Minami Shell Mound


Some of the late-period pit dwellings in Daizenno Minami Shell Mound had stucco furnaces and stucco floors, while others did not, and I have long been interested in what these differences mean. Therefore, I decided to analyze the excavation survey report data in detail again, deepen my thinking about its meaning, and enjoy learning.


大膳野南貝塚の中期末~後期竪穴住居には漆喰炉や漆喰貼床が有るものと、無いものがあり、その違いが何を意味するのか以前から興味をもっています。そこで、発掘調査報告書データを再度詳細分析して、その意味することについて、思考を深めて、学習を楽しんでみることにします。

1 大膳野南貝塚の位置


大膳野南貝塚の位置

千葉県千葉市緑区おゆみ野中央九丁目19番

2 中期末~後期竪穴住居に見られる漆喰炉や漆喰貼床

大膳野南貝塚の中期末~後期竪穴住居は93軒ありますが、このうち38軒に漆喰炉や漆喰貼床が検出していて、千葉縄文遺構の一つの顕著な特徴となっています。


漆喰炉

大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用


漆喰貼床

大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

漆喰炉や漆喰貼床のあるほとんど全ての竪穴住居覆土からは貝層が検出します。遺物も沢山出土します。一方漆喰炉や漆喰貼床のない竪穴住居からの貝層検出はほとんどなく、遺物出土も大変貧弱です。

そこで竪穴住居を漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居に区分して、その2種竪穴住居が併存する意義についての思考を楽しむことにします。

3 漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居の分布


漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居の分布

青が漆喰貝層【有】竪穴住居

ベージュが漆喰貝層【無】竪穴住居


漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居の統計

漆喰貝層【有】竪穴住居は38軒、漆喰貝層【無】竪穴住居は55軒

4 時期別の漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居


時期別の漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居

中期末~後期集落は加曽利EⅣ式~称名寺式期にはじまり、堀之内1式期にピークを迎え、加曽利B1式期まで継続します。集落創始期、ピーク期である堀之内1式期、衰退した堀之内2式期では漆喰貝層【有】竪穴住居軒数と漆喰貝層【無】竪穴住居軒数が近い数値になっていることが特徴です。

つまり、漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居は同時に存在していたことがわかります。

5 集落ゾーニングからみた漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居


集落ゾーニングからみた漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居

貝層、地点貝層、漆喰貝層【有】竪穴住居、屋外漆喰炉、漆喰・貝層出土土坑などの分布をみると、環状分布となります。漆喰貝層【無】竪穴住居はこの環状分布の内側と外側に分布しています。漆喰貝層【無】竪穴住居は集落生活基本ゾーンから外れた場所に分布していることがわかります。

6 漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居が存在する意義について

5年前の検討では漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居に別の集団が居住していたのではないだろうかと想定しました。その想定は専門家ご指導により否定されました。

そこで、この度の検討は5年前の学習を踏み台にして、分析を精緻にして、より蓋然性の高い想定を得るべく、思考を楽しむことにします。

6 メモ

・竪穴住居柱穴分布図をみると、漆喰貝層【有】竪穴住居は壁柱だけでなく主柱もしっかりしていて建物が頑丈であるように感じます。一方、漆喰貝層【無】竪穴住居は柱穴分布図から粗末な作りのように感じます。この「感じ」をデータにできるか検討することにします。

・漆喰貝層【有】竪穴住居は炉がしっかり構築されています。一方、漆喰貝層【無】竪穴住居は地床炉で粗末です。炉がどれだけしっかりしているか、それとも粗末であるのか、データにしてみることにします。

・その他にも幾つかの指標で漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居を見てみることにします。

・漆喰貝層【有】竪穴住居と漆喰貝層【無】竪穴住居の関係は定住と非定住、母屋と離れ、住民と来訪者(来客、流れ者)、近隣集落の間での相互労働交換活動などで捉えられるか、思考を楽しむことにします。


2018年7月4日水曜日

竪穴住居祭壇の様相

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 7 竪穴住居祭壇の様相

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「7 竪穴住居祭壇の様相」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。
なお、他の項目と違い、どれが祭壇であるかという事実がかならずしも明確ではありません。そのため学習は空想次元になりましたので、ここでは主に課題の列挙をもってまとめとします。

1 前期集落竪穴住居の祭壇 検討課題
1-1 テラス付竪穴住居
前期集落からテラス付竪穴住居が2軒見つかっています。J56竪穴住居は南東壁際に最大幅1mのテラスが、J97竪穴住居はテラスが全周しています。

J56竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この竪穴住居からヒト骨1点(踵骨)が出土しています。また完形・半完形土器23個体分(浮島式21、諸磯式1、北白川Ⅱ式系1)を含む土器片多数、ミニチュア土器2点、脚付土器底部1点、玦状耳飾1点、獣骨4箱、石器277点が出土しています。

J97竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この住居から獣骨が918点出土していてハマグリ主体の混貝土層に被覆されています。また器形復元可能な土器2点(諸磯b式)を含む土器片が中テン箱1箱出土しています。土器片には浮島Ⅱ式がともないます。

出土物の状況からJ56竪穴住居は浮島式土器を使う集団の、J97竪穴住居は諸磯式土器を使う集団のそれぞれの祭祀主導者(=リーダー)の住居であり、テラスは祭祀主導者住居特有の施設であり、つまり特別な祭壇であると想像します。この想像の検証を今後の課題とします。

1-2 炉
前期集落竪穴住居の炉は全て地床炉です。規模は長径20~80cmで深さは10cm内外を浅く掘りくぼめています。
小林達雄(「縄文の思考」ちくま新書、2008)によれば縄文時代竪穴住居の炉は灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなく、心を温め、心の目印となる象徴性、聖性がその役割であったということですから、この説に従えば炉は全ての竪穴住居に備わっている「火が燃え続ける祭壇」の一種であると捉えることが可能です。


1-3 説明のない柱穴
大膳野南貝塚発掘調査報告書の個別竪穴住居記述ではすべての柱穴に番号をふり、その意味を主柱穴、壁柱穴等として説明しています。しかしその説明がない柱穴が存在します。説明の無い柱穴とはその意義が直観できない柱穴ということになりますから、補助構造柱かもしれませんし、モノをつるす掛け具かもしれません。しかし、説明のない柱穴を詳しく分析すると住居内で東西方向の成分を暗示する例が多くみられることから補助構造柱や掛け具ではない機能の示唆を受けます。このような思考からJ50竪穴住居では説明の無い柱穴が祭壇の跡ではないだろうかと空想しました。

J50竪穴住居の空想 素写真は大膳野南貝塚発掘調査報告書による
J50竪穴住居では説明のない柱穴が新段階主柱穴を巧みに避けるように、かつ東西成分をつくるように配置されていることから、まだ建物が残っている時、家内に作られた祭壇施設であると空想しました。
このような祭壇に関する空想の是非を今後の検討課題とします。

2 後期集落竪穴住居の祭壇 検討課題
2-1 炉
炉は全ての竪穴住居に備わっている「火が燃え続ける祭壇」の一種であると捉えることが可能ならば、炉構造の根本的な違いは炉にまつわる祭祀(祈り、呪文)の違いを表現している可能性があります。後期集落では竪穴住居93軒のうち37軒が漆喰炉、56軒が地床炉・土器囲炉となっています。

漆喰炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

土器囲炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

漆喰炉と地床炉・土器囲炉の分布
漆喰炉のある竪穴住居で覆土層が残っているものは全て漆喰や貝層が出土します。ところが地床炉・土器囲炉のある竪穴住居から漆喰や貝層は全く出土しません。また貝製品(貝刃など)の出土も漆喰炉のある竪穴住居に完全に限られます。漆喰炉と地床炉・土器囲炉の違いは生業の違い・集団の違いを示していて、それは炉にまつわる祭祀(祈り、呪文)そのものの違いを表していると考えることができます。
なお、これまでの検討で漆喰炉のある竪穴住居(漆喰貝層有竪穴住居)住人が上層階層、地床炉・土器囲炉のある竪穴住居(漆喰貝層無竪穴住居)住人が下層階層であると考えてきています。

2-2 漆喰貼床
漆喰貼床のある竪穴住居が4軒見つかっています。漆喰貼床そのものが祭壇であるとは言えないかもしれませんが、漆喰炉と漆喰貼床がつくる純白性は祭祀空間を演出する重要な要素であったと考えます。

漆喰貼床 J34竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
漆喰貼床は南貝層のJ104竪穴住居(称名寺式期)とJ77竪穴住居(称名寺~堀之内1古式期)、北貝層のJ34竪穴住居(称名寺式期)とJ43竪穴住居(堀之内1式期)です。漆喰貼床の時期が集落最初期頃(称名寺式期頃)が多いので、漆喰貼床は南貝層と北貝層に入植した集落始祖家族が残した祭祀空間であると考えます。

J104竪穴住居とJ77竪穴住居の位置
南貝層のJ77竪穴住居は張出部が北側を向き漆喰貼床がありますが、その後その竪穴住居を起点にして南側に竪穴住居が連続して作られています。なお後代竪穴住居の張出部は南側に変化しています。

J34竪穴住居とJ43竪穴住居の位置
北貝層のJ34竪穴住居も張出部が北側を向き漆喰貼床がありますが、ここでもJ34を起点にしてその南側に後代竪穴住居が連続して作られています。それらの後代竪穴住居の張出部は南側に変化しています。

J77竪穴住居とJ34竪穴住居の張出部が北を向くという特異な点と後世代の住居の張出部が180度変化して南を向くという特徴が同じであることから、漆喰炉・漆喰貼床を伴う特別の祭祀(祈り、呪文)がJ77竪穴住居とJ34竪穴住居で共有されていて、その影響がそれぞれ後世代に及んだと解釈します。
竪穴住居張出部が最初北向きであったのは狩猟民の北極星信仰に関わるのではないかと想像します。後世代の張出部が南向きになるのは、海に出るための利便や日光の採り入れなどの実利面による変更であり、北極星信仰そのものは捨てないので張出部と住居中央(炉)を結ぶ線分の南北性は保ったのだと想像します。
張出部の方向は漆喰貝層有竪穴住居では南又は北のものが多く、漆喰貝層無竪穴住居ではかなりばらばらになっています。漆喰貝層有竪穴住居住人と漆喰貝層無竪穴住居住人の祭祀(祈り、呪文)の違いがここにも表現されていると考えます。

張出部の方向

2-3 説明のない柱穴
前期集落と同様に竪穴住居の説明の無い柱穴を調べると、例えばJ67竪穴住居(廃屋墓)では人骨の背後にイナウ(祭祀用木柱)で構成される祭壇を空想することができました。

J67竪穴住居説明のない柱穴検討

J67竪穴住居 祭壇空想 北方向を臨む
このような空想的検討が結果として生きていくものになるのか、それとも無意味なものになるか、その結果がわかるまで学習を深めることとします。

……………………………………………………………………
次の資料を公開しました。(2018.07.06)

pdf資料「竪穴住居祭壇の様相 要旨

pdf資料「竪穴住居祭壇の様相

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

2018年5月22日火曜日

別解釈 小児土器棺と送り場土坑が集中する例

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 46

1 2018.05.19記事に関する疑念
20180520記事「重要学習課題 貝殻・漆喰、獣骨・焼骨、土器破片」は後から読み直してみると自分が書いたとは思えないような的確性・合理性を感じます。自画自賛とはこのことです。
さて、この記事を書いてから2018.05.19記事「小児土器棺と送り場土坑が集中する例」を読み直すと、記事内容が「少し違うぞ!」という感想を持ちます。
上記記事について次のような疑念をもちました。
1 最初に送り場土坑が存在していて、その場所を選んでその土坑を潰して南貝層始祖家族が竪穴住居を建設するという流れは大変不自然です。
すでに土坑のある場所に竪穴住居を建設する例は大膳野南貝塚後期集落では稀です。
2 J77竪穴住居の漆喰貼床の下の墓坑は床下墓坑として扱うのに、同じく漆喰貼床下の土坑413号(破砕貝出土)と土坑415号(漆喰ブロック出土)を無視するのは円満な思考とは到底言えません。
発掘調査報告書のJ77竪穴住居の記述では土坑413号、土坑415号は文章でも図面でも全く出てきません。
層位的関係は床下墓坑も土坑413号、415号も全く同じです。ですから同じに扱うことがスタートであり、最初から無視する理由はありません。
3 発掘調査報告書では漆喰貼床について生活空間における実用施設と考えているフシが感じられます。しかし、漆喰貼床は焼けて硬くなっていますが、生活空間の床であったと考えるのは無理があります。漆喰が床全面を満遍なく覆っているわけでもありません。他に3軒の漆喰貼床竪穴住居がありますが、J43竪穴住居では床に埋甕があり、J104竪穴住居では同じく床に土坑がありそれらとの関連で廃絶時に漆喰が貼られたと観察できます。J34竪穴住居は柱穴が無くなってから漆喰が貼られています。
漆喰貼床は廃絶祭祀においてつくられたものであると考えることが合理的です。

このような疑念から次のような別解釈をしてみました。

2 J77竪穴住居付近の別解釈

ステージ1
最初に南貝層始祖家族の入植があったと考えます。(J77竪穴住居)

ステージ2
J77竪穴住居が廃絶してから、その場所に墓坑(発掘調査報告書で床下墓坑とされているもの)、土坑413号、415号が建設されたと考えます。出土物に人骨はありませんが、2つの土坑ともに土坑墓であると空想します。
墓坑と土坑あわせて3つが営まれたあと、その上を漆喰貼床し、住居を燃やし、貝層で覆うという祭祀があったと想定します。

ステージ3
その後J77竪穴住居付近は小児埋葬関連祭祀ゾーンとして活用されたと考えます。

3 別解釈の要点
この記事で喋りたい事柄は、漆喰貼床とは実用の床ではなく、廃絶時祭祀活動で作られた見かけの床、一時的床であるということです。
またJ77竪穴住居の床下墓坑とは廃絶住居の床面に掘られた墓坑であり、人がその上で生活していたものではないということです。
土坑413号、土坑415号から人骨は出土していませんが、墓坑である可能性があります。

4 参考

2018.05.19記事「小児土器棺と送り場土坑が集中する例」の思考