2018年7月4日水曜日

竪穴住居祭壇の様相

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 7 竪穴住居祭壇の様相

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「7 竪穴住居祭壇の様相」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。
なお、他の項目と違い、どれが祭壇であるかという事実がかならずしも明確ではありません。そのため学習は空想次元になりましたので、ここでは主に課題の列挙をもってまとめとします。

1 前期集落竪穴住居の祭壇 検討課題
1-1 テラス付竪穴住居
前期集落からテラス付竪穴住居が2軒見つかっています。J56竪穴住居は南東壁際に最大幅1mのテラスが、J97竪穴住居はテラスが全周しています。

J56竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この竪穴住居からヒト骨1点(踵骨)が出土しています。また完形・半完形土器23個体分(浮島式21、諸磯式1、北白川Ⅱ式系1)を含む土器片多数、ミニチュア土器2点、脚付土器底部1点、玦状耳飾1点、獣骨4箱、石器277点が出土しています。

J97竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この住居から獣骨が918点出土していてハマグリ主体の混貝土層に被覆されています。また器形復元可能な土器2点(諸磯b式)を含む土器片が中テン箱1箱出土しています。土器片には浮島Ⅱ式がともないます。

出土物の状況からJ56竪穴住居は浮島式土器を使う集団の、J97竪穴住居は諸磯式土器を使う集団のそれぞれの祭祀主導者(=リーダー)の住居であり、テラスは祭祀主導者住居特有の施設であり、つまり特別な祭壇であると想像します。この想像の検証を今後の課題とします。

1-2 炉
前期集落竪穴住居の炉は全て地床炉です。規模は長径20~80cmで深さは10cm内外を浅く掘りくぼめています。
小林達雄(「縄文の思考」ちくま新書、2008)によれば縄文時代竪穴住居の炉は灯かりとりでも、暖房用でも、調理用でもなく、心を温め、心の目印となる象徴性、聖性がその役割であったということですから、この説に従えば炉は全ての竪穴住居に備わっている「火が燃え続ける祭壇」の一種であると捉えることが可能です。


1-3 説明のない柱穴
大膳野南貝塚発掘調査報告書の個別竪穴住居記述ではすべての柱穴に番号をふり、その意味を主柱穴、壁柱穴等として説明しています。しかしその説明がない柱穴が存在します。説明の無い柱穴とはその意義が直観できない柱穴ということになりますから、補助構造柱かもしれませんし、モノをつるす掛け具かもしれません。しかし、説明のない柱穴を詳しく分析すると住居内で東西方向の成分を暗示する例が多くみられることから補助構造柱や掛け具ではない機能の示唆を受けます。このような思考からJ50竪穴住居では説明の無い柱穴が祭壇の跡ではないだろうかと空想しました。

J50竪穴住居の空想 素写真は大膳野南貝塚発掘調査報告書による
J50竪穴住居では説明のない柱穴が新段階主柱穴を巧みに避けるように、かつ東西成分をつくるように配置されていることから、まだ建物が残っている時、家内に作られた祭壇施設であると空想しました。
このような祭壇に関する空想の是非を今後の検討課題とします。

2 後期集落竪穴住居の祭壇 検討課題
2-1 炉
炉は全ての竪穴住居に備わっている「火が燃え続ける祭壇」の一種であると捉えることが可能ならば、炉構造の根本的な違いは炉にまつわる祭祀(祈り、呪文)の違いを表現している可能性があります。後期集落では竪穴住居93軒のうち37軒が漆喰炉、56軒が地床炉・土器囲炉となっています。

漆喰炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

土器囲炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

漆喰炉と地床炉・土器囲炉の分布
漆喰炉のある竪穴住居で覆土層が残っているものは全て漆喰や貝層が出土します。ところが地床炉・土器囲炉のある竪穴住居から漆喰や貝層は全く出土しません。また貝製品(貝刃など)の出土も漆喰炉のある竪穴住居に完全に限られます。漆喰炉と地床炉・土器囲炉の違いは生業の違い・集団の違いを示していて、それは炉にまつわる祭祀(祈り、呪文)そのものの違いを表していると考えることができます。
なお、これまでの検討で漆喰炉のある竪穴住居(漆喰貝層有竪穴住居)住人が上層階層、地床炉・土器囲炉のある竪穴住居(漆喰貝層無竪穴住居)住人が下層階層であると考えてきています。

2-2 漆喰貼床
漆喰貼床のある竪穴住居が4軒見つかっています。漆喰貼床そのものが祭壇であるとは言えないかもしれませんが、漆喰炉と漆喰貼床がつくる純白性は祭祀空間を演出する重要な要素であったと考えます。

漆喰貼床 J34竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
漆喰貼床は南貝層のJ104竪穴住居(称名寺式期)とJ77竪穴住居(称名寺~堀之内1古式期)、北貝層のJ34竪穴住居(称名寺式期)とJ43竪穴住居(堀之内1式期)です。漆喰貼床の時期が集落最初期頃(称名寺式期頃)が多いので、漆喰貼床は南貝層と北貝層に入植した集落始祖家族が残した祭祀空間であると考えます。

J104竪穴住居とJ77竪穴住居の位置
南貝層のJ77竪穴住居は張出部が北側を向き漆喰貼床がありますが、その後その竪穴住居を起点にして南側に竪穴住居が連続して作られています。なお後代竪穴住居の張出部は南側に変化しています。

J34竪穴住居とJ43竪穴住居の位置
北貝層のJ34竪穴住居も張出部が北側を向き漆喰貼床がありますが、ここでもJ34を起点にしてその南側に後代竪穴住居が連続して作られています。それらの後代竪穴住居の張出部は南側に変化しています。

J77竪穴住居とJ34竪穴住居の張出部が北を向くという特異な点と後世代の住居の張出部が180度変化して南を向くという特徴が同じであることから、漆喰炉・漆喰貼床を伴う特別の祭祀(祈り、呪文)がJ77竪穴住居とJ34竪穴住居で共有されていて、その影響がそれぞれ後世代に及んだと解釈します。
竪穴住居張出部が最初北向きであったのは狩猟民の北極星信仰に関わるのではないかと想像します。後世代の張出部が南向きになるのは、海に出るための利便や日光の採り入れなどの実利面による変更であり、北極星信仰そのものは捨てないので張出部と住居中央(炉)を結ぶ線分の南北性は保ったのだと想像します。
張出部の方向は漆喰貝層有竪穴住居では南又は北のものが多く、漆喰貝層無竪穴住居ではかなりばらばらになっています。漆喰貝層有竪穴住居住人と漆喰貝層無竪穴住居住人の祭祀(祈り、呪文)の違いがここにも表現されていると考えます。

張出部の方向

2-3 説明のない柱穴
前期集落と同様に竪穴住居の説明の無い柱穴を調べると、例えばJ67竪穴住居(廃屋墓)では人骨の背後にイナウ(祭祀用木柱)で構成される祭壇を空想することができました。

J67竪穴住居説明のない柱穴検討

J67竪穴住居 祭壇空想 北方向を臨む
このような空想的検討が結果として生きていくものになるのか、それとも無意味なものになるか、その結果がわかるまで学習を深めることとします。

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次の資料を公開しました。(2018.07.06)

pdf資料「竪穴住居祭壇の様相 要旨

pdf資料「竪穴住居祭壇の様相

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

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