縄文後期イナウ似木製品の観察と解釈例 7
2018.08.19記事「縄文後期イナウ似木製品は鳥の造形物」でイナウ似木製品は鳥を造形していると解釈しましたが、その意味を考察します。
縄文後期イナウ似木製品が鳥の造形であるとする解釈
イナウ似木製品の出土状況は次の写真の通りで、破壊された多量の土器、枝の燃え殻、多量の焼骨と一緒に出土します。これらの出土物が意味するものととイナウ似木製品が鳥の造形であることを関連付けて分析することが大切であると考えます。
イナウ似木製品の出土状況
これまでの検討で多量の破壊土器は堅果類アク抜き用土器の廃用土器をこの場で破壊した土器送りであり、それは堅果類収穫の感謝や増収祈願の祭祀であったことを想定しました。
焚火の跡と多量の焼骨は飾り弓出土とも関連して獣送りの跡であり、イオマンテ類似活動が行われ獣を食し、焼骨をつくった祭祀の跡であることを想定しています。
これからの祭祀のうち鳥を造形したイナウ似木製品は堅果類収穫祭祀と関連するのではないかと考えました。狩猟祭祀ではイノシシやシカの骨が焼骨となっていて鳥は明らかに狩猟のメイン対象ではないので、鳥造形と狩猟祭祀を結びつけるのは困難です。
鳥造形と堅果類収穫祭祀は鳥が堅果類をもたらす使者であると縄文人が考えていたとすると密接に結びつきます。
鳥が夏にやってきて堅果類の実を木々にもたらし、その結果秋に豊かな堅果類収穫があるという物語をイナウ似木製品は表現していると考えられます。
B面は夏に鳥がやってきて木々に堅果類の実をもたらしている様子を、A面はやってきた鳥が梢にとまりさえずり、堅果類が育っていく様子を見守っている様子を表現していると考えることができます。
夏にやってくる鳥は縄文人がだれでもその来訪を知ることができるホトトギスであると考えます。初夏に来訪したホトトギスが昼夜を分かたず飛びながら、あるいは梢でけたたましい声で鳴く様子からそれと堅果類が木々で育っていく様子を重ね合わせたのだと考えます。
イナウ似木製品は堅果類収穫感謝あるいは堅果類増収祈願の祭具であり、それにふさわしい鳥の造形をほどこしたのだと思います。
イナウ似木製品は祭壇を構成するような祭具(祈願具)として使われたのではないかと考えます。
このような考えで西根遺跡の収穫祭祀全体をまとめると次のようになります。
西根遺跡における収穫祭祀全体像(想定)
なお、発掘調査報告書では多量の生活用土器が出土しているのに祭祀用土器がただの1点も出土しないことが特記されています。その意味は野外における収穫関連祭祀では「祭祀用土器」が使われないで、祭具としてイナウ似木製品や飾り弓が使われたと考えると合点がゆきます。「祭祀用土器」は住居内における「生と死」「出産、育児」「もがり、葬送」「病気と健康」「祖先との交流」など生業と離れた分野の祭祀専用であったのかもしれないと考え、学習を深めることにします。
2018年8月20日月曜日
2017年7月10日月曜日
西根遺跡出土祭祀用飾り弓の閲覧
千葉県教育委員会所蔵の西根遺跡出土飾り弓を閲覧しました。
1 西根遺跡出土縄文時代飾り弓
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓スケッチ
発掘調査報告書「印西市西根遺跡」から引用
発掘調査報告書では「杭」の検討はありませんが、飾り弓は漆関係資料の項で次の通り詳細に検討されています。
縄文時代飾り弓出土は千葉県ではじめてです。
飾り弓は芯持ちの丸木材(アジサイ属)を胎とし、全面に樹皮を巻き付けた上で、赤色漆をさらに全体にぬり重ねています。
樹皮素材はほぼ均等で平滑な表面を有する幅1㎝にも満たない帯状のものです。
赤色顔料は蛍光X線分析の結果によればベンガラ(赤色酸化鉄)と判断されます。
樺巻材の上にまずは全面に漆が塗布され、その上にベンガラ漆が1層塗られたことが観察できました。
炭素14年代測定結果では実年代に補正した値としてBC1890~1735年となっていて縄文時代後期の範囲に完全に収まり、発掘時の所見(加曽利B式土器期の遺物)を支持しています。
発掘調査報告書では飾り弓に漆が使われ、他に漆パレットとしての土器出土、土器補修に漆が使われていることなどの状況から、縄文時代西根遺跡付近で漆の木が豊富であったことが記述されています。
しかし、なぜ飾り弓が出土するのか、飾り弓は何に使われていたのかなどの意義(意味)についての言及はありません。
2 飾り弓の意義
赤く漆で染め上げた飾り弓ですから祭祀用の弓であったことは確実であると考えます。
飾り弓の近くで腕状枝イナウ(発掘調査報告書では「杭」)も出土しています。
また近くには土器第一集中点があり、その場所は獣骨集中出土域でもあります。
獣骨重量グラフと飾り弓出土地点
このような近傍同時代出土物から飾り弓は土器第1集中地点における祭祀で使われた祭祀用具であったと考えます。
具体的にはアイヌのイオマンテのような獣を送る儀式が行われ、その場で飾り弓が象徴的に使われたと推定します。腕状枝イナウもその時一緒に使われたと考えます。
イオマンテに類似する儀式の後、獣は火で焼かれて調理されて食されたと考えられます。
出土獣骨が全て焼かれて砕片になっているのでこのような推測が可能となります。
参考 出土獣骨
発掘調査報告書から引用
なお、獣骨には頭骨が少なく、また幼獣のものが多いという特徴があると記述されています。
頭骨が少ないのは、アイヌイオマンテと同じく頭骨だけ祭壇に飾ったからであり、焼いていないので残らなかったからであると考えられます。
幼獣の骨が多いは、アイヌが子クマを育て、そのクマをイオマンテで送るのと類似した事象があったと考えると納得することができます。
土器集中地点はイオマンテ類似祭祀が行われた場であり、飾り弓はその祭祀で使われた祭具であると考えます。
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参考
飾り弓出土地点
西根遺跡 獣骨重量グラフ
1 西根遺跡出土縄文時代飾り弓
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓
千葉県教育委員会所蔵
西根遺跡出土縄文時代飾り弓スケッチ
発掘調査報告書「印西市西根遺跡」から引用
発掘調査報告書では「杭」の検討はありませんが、飾り弓は漆関係資料の項で次の通り詳細に検討されています。
縄文時代飾り弓出土は千葉県ではじめてです。
飾り弓は芯持ちの丸木材(アジサイ属)を胎とし、全面に樹皮を巻き付けた上で、赤色漆をさらに全体にぬり重ねています。
樹皮素材はほぼ均等で平滑な表面を有する幅1㎝にも満たない帯状のものです。
赤色顔料は蛍光X線分析の結果によればベンガラ(赤色酸化鉄)と判断されます。
樺巻材の上にまずは全面に漆が塗布され、その上にベンガラ漆が1層塗られたことが観察できました。
炭素14年代測定結果では実年代に補正した値としてBC1890~1735年となっていて縄文時代後期の範囲に完全に収まり、発掘時の所見(加曽利B式土器期の遺物)を支持しています。
発掘調査報告書では飾り弓に漆が使われ、他に漆パレットとしての土器出土、土器補修に漆が使われていることなどの状況から、縄文時代西根遺跡付近で漆の木が豊富であったことが記述されています。
しかし、なぜ飾り弓が出土するのか、飾り弓は何に使われていたのかなどの意義(意味)についての言及はありません。
2 飾り弓の意義
赤く漆で染め上げた飾り弓ですから祭祀用の弓であったことは確実であると考えます。
飾り弓の近くで腕状枝イナウ(発掘調査報告書では「杭」)も出土しています。
また近くには土器第一集中点があり、その場所は獣骨集中出土域でもあります。
獣骨重量グラフと飾り弓出土地点
このような近傍同時代出土物から飾り弓は土器第1集中地点における祭祀で使われた祭祀用具であったと考えます。
具体的にはアイヌのイオマンテのような獣を送る儀式が行われ、その場で飾り弓が象徴的に使われたと推定します。腕状枝イナウもその時一緒に使われたと考えます。
イオマンテに類似する儀式の後、獣は火で焼かれて調理されて食されたと考えられます。
出土獣骨が全て焼かれて砕片になっているのでこのような推測が可能となります。
参考 出土獣骨
発掘調査報告書から引用
なお、獣骨には頭骨が少なく、また幼獣のものが多いという特徴があると記述されています。
頭骨が少ないのは、アイヌイオマンテと同じく頭骨だけ祭壇に飾ったからであり、焼いていないので残らなかったからであると考えられます。
幼獣の骨が多いは、アイヌが子クマを育て、そのクマをイオマンテで送るのと類似した事象があったと考えると納得することができます。
土器集中地点はイオマンテ類似祭祀が行われた場であり、飾り弓はその祭祀で使われた祭具であると考えます。
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参考
飾り弓出土地点
西根遺跡 獣骨重量グラフ
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