佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」を学習しました。
2017.03.16記事「学習 佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」」参照
その結果縄文時代陥し穴が全て罠猟として使われた可能性が高いことを学習しました。
2017.03.17記事「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」参照
同時に、上記図書では規模の大きな追い込み猟(集団猟)と規模の小さな罠猟(個人猟)の組み合わせが狩猟の一般的姿であると何度も書いていて、縄文時代狩猟についても次の記述の通り、特にシカ猟に着目すると罠猟(陥し穴猟)はむしろ補完的であり、メインの猟法は追込み猟であることを暗示しています。
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参考 佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」の縄文時代狩猟の組み合わせに関する記述
北方狩猟民の民族誌にみる罠猟
●民族考古学の視点
陥し穴に関する民族誌例は世界中の狩猟採集民や農耕民に見られることはこれまでも繰り返し述べてきた。
その意味で陥し穴は極めて普遍的な文化要素である。
従って適応システムの構造的対比という民族考古学的視点を採用しなければ、どのような解釈にも類似資料は見いだせることになる。
このような視点から見て陥し穴猟の構造を探るために、以下のような理由から北方狩猟民のシカ等の偶蹄目狩猟に注目する。
第一に、縄紋時代の狩猟システムは生態的には中緯度温帯狩猟採集民に相当するが、これに対応する現生狩猟採集民の民族誌はほとんど存在せず、わずかに北アメリカ先住民の民族誌資料に留まる。
この民族誌資料でも、集団狩猟の方法は南方よりも北方の狩猟採集民と共通する要素が多い。
第二に、縄紋時代の土器型式構造から推測される社会構造の動的安定性から見て、縄紋時代の狩猟システムは臨機的な個人・小集団狩猟を中心とする南方的なものに留まったと考えるよりも、より組織化された狩猟法に重きを置く北方型の狩猟システムにまで発達したと推定する方が合理的である。
第三に、縄紋時代の動物食糧の主体はシカとイノシシであり、陥し穴猟はこの両者を主要な狩猟対象とした狩猟システムの一部を形成すると考えられることから、シカ類を中心とする偶蹄目の組織的狩猟法の発達する北方民族例の検討は重要と考えられる。
第四に、先述したオズワルト等の検討によれば、熱帯の穀物農耕民・根菜農耕民や一部の温帯の狩猟採集民の陥し穴利用は昆虫・小動物・鳥用の小型のものが多く、縄紋期の陥し穴とは規模の点で相違する。
一部の大型獣用の陥し穴は農地防御用を主としている。
やや北方の温帯狩猟採集民や亜極北・極北の狩猟民はもっぱらシカ・トナカイを狩猟対象としており、より組織的である。
従って陥し穴の規模と構造から考えても、北方狩猟民型により近いのではないかと考えられる。
●北方狩猟民のシカの追い込み猟
北方狩猟採集民の居住する環境は広大であるが、より南の諸地域に比べて比較的単純である。
北極海を取り巻くツンドラ帯の南には森林ツンドラが分布し、さらに南にはタイガが広がっている。
東西の差よりも南北の環境格差が大きく、グリーンランドからユーラシア北方・北アメリカにかけての東西の差異は驚くほど小さい。
北方狩猟民はツンドラ帯ではトナカイを、森林帯ではエルク・ヘラジカ・アカシカ・シカ等を主に狩猟しており、狩猟対象獣の生態行動によく適応した狩猟法を発達させている。
この地域の狩猟法には非常に広範囲に共通する特徴が多い。
北方狩猟民は高度に発達した集団猟を行い、個人猟は補完的に行っていると考えられる。
彼等の主要な狩猟法はトナカイやエルク等の追い込み猟による大量捕獲である。
代表的な猟としては、シベリアにおけるポポールカ猟があり、同種の猟法はグリーンランドから北アメリカまで広範囲に見られる。
二本一組の木柵列・丸太列・石柱列・石積列等によって獣群を水辺に誘導し、水中に追い込んで動きがにぶったところを船上より撲殺・射殺・刺殺する方法である。
ツンドラか森林かで誘導施設(石か木か)に変異があり、単純に追い落とすだけのものから、逃亡防止用の射手や罠を誘導施設の途中に配置するなどの変異はあるが、シカ類の捕獲にはもっとも有効である。
ポポールカ猟と並んで北方狩猟民に大変よく使われる狩猟法は、ポポールカ猟と基本的な仕組みは同じで、追い込む先におり・囲い・大規模な窪地・狭い通路等を設けたり、崖の上から追い落とす方法である。
追い込み先の施設は必要上数メートル以上の規模をもたねばならず、縄紋の陥し穴のような小型の陥し穴が選択されることはまずない。
岩手県九戸郡山形村で観察された列島の民俗例に見られる追い込み猟でも、追い込み先に使用された穴の規模は径7メートル、深さ3~4メートルと報告されている。
これらの狩猟に使われる誘導施設の長さは通常数キロメートル単位の規模であるが、70キロメートルにもおよぶ例も報告されている(図54、55)。
いずれも大規模な追い込み猟であり、北方狩猟民にとってはもっとも重要な狩猟法のひとつであるが、さらに重要な点は、これらが罠や個人猟と無関係に存在しているわけではなく、むしろ両者が一体となって狩猟システムを構成している点である。
大規模な追い込み猟は群生し集団で移動するシカ類の生態行動に高度に適応した狩猟法であり、従って普通は越冬地への移動といったシカ類の集団移動の時に最も効果が発揮される。
このことは追い込み猟には季節性があり、他の時期や資源の獲得のためには罠猟や個人猟と相補的関係をもたねばならないことを意味している。
なおより温帯の狩猟民も、対象となる獣はバイソンや山ヤギのように異なるが追い込み猟を行っていた記録があり、先史時代には温帯でも追い込み猟が行われていたことは確実である。
図54
図55
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この図書の著者は縄文時代狩猟は集団猟としての追い込み猟と個人猟としての陥し穴罠猟から構成されると考えています。
しかし残念ながら縄文時代追い込み猟の記述はこの図書には全くありません。
ですからこの図書を最初にうっかりして読んでいたときは、縄文時代の猟は陥し穴罠猟だけから構成されているように錯覚してしまいました。
(そのように錯覚したので、追い込み猟自体を否定されたように受け止め、この図書の考えを受け入れるのに心理的抵抗が生まれ、時間もかかりました。)
縄文時代追い込み猟に関わる遺跡・遺構・遺物が見つかっていないから、(これまでの研究がないから)この図書では縄文時代追込み猟の記述がないのだと想像します。
大膳野南貝塚の学習を進めていく上で、縄文時代早期頃の狩猟はメインの集団追込み猟とサブの個人陥し穴罠猟から構成されていたと仮説することにします。
これまで私は、陥し穴の検討をすれば、陥し穴が使われていた頃の狩猟の全貌が判ると考えていたのですが、それは間違いだと気が付きました。
陥し穴の検討から直接導くことができるのは、それが使われていた頃の狩猟の一部事象だけであるということです。
広域的な陥し穴の検討から、間接的に集団追込み猟の情報が得られないものか、興味深く検討してみることにします。
2017年3月19日日曜日
2017年3月17日金曜日
陥し穴は罠猟か追い込み猟か
2017.03.13記事「大膳野南貝塚 陥し穴猟は待伏猟か追込猟か」で大膳野南貝塚の縄文時代早期後半頃と考えられる陥し穴が追込み猟で使われてきたという推測を書きました。
一方入手した良書佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)では「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という設問を立て、罠猟と追い込み猟の違いを説明して、縄文時代の陥し穴は全て罠猟でつかわれたと結論付けています。
自分の想定と真っ向から異なる専門家所見に宗旨替えすべきかどうか、検討してみました。
1 陥し穴の罠施設としての認識
陥し穴は動物をだまして穴に落とす施設であることが基本であると考えます。
追ってきた動物を誘導柵等で陥し穴に落とすということを考えると、陥し穴をカムフラージュしていても、跳ねて逃げている動物が陥し穴を飛び越してしまう確率があります。
つまり追ってきた動物を確実に捉える施設としては大きな弱点があります。
一方、罠施設としてカムフラージュした陥し穴を利用すれば動物を捕捉できる確率が高まります。
図書でいうように縄文時代の陥し穴は、それに誘導柵を併設して罠施設として利用したと考えることに納得します。
これまでの考え…陥し穴の追込み猟利用…から図書の考え…陥し穴の罠猟利用…に宗旨替えすることにします。
2 民族誌情報の尊重
民族誌情報で陥し穴を利用した追込み猟で陥し穴を利用した例がほとんど無いという情報を尊重することにします。
陥し穴に誘導柵を併設して構える世界の罠猟について学習を深めることにします。
ノルウェーの誘導石垣を伴う陥し穴猟(シカ猟)
この図書のルーデワ猟の記述に着目します。
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さらに興味深い例としては、極東地域の探検家として著名なアルセーニエフによって報告された、シホテ=アリニ山地で20世紀初頭(1906年)に行われていたルーデワ猟である。
ルーデワは、長大な誘導柵と罠として陥し穴を組み合わせた罠猟で、長いものでは24キロメートルの間に74の陥し穴が設置されていたと報告されている。
さらに重要な点は、筆者等によって1995~6年に調査されたジャコウジカのフカ猟と全く同じと思われる誘導柵猟をもアルセーニエフがルーデワと呼んでいる点である。
ルーデワとは、長大な誘導柵を伴う罠猟を指したらしく、使われた罠が括り罠か陥し穴かは関係ないと認識されていたのであろう。
実はこのルーデワの陥し穴は、筆者等の聞き取り調査によれば、土地の人間によって新しい時期に中国方面から導入された新式の罠である可能性が高いと思われる。
筆者等の調査によれば、もともとこの地域には陥し穴の存在は伝承されておらず、新しくもたらされた陥し穴というのは長軸2メートル程度の方形で坑底面に何本もの槍を突き刺したものであったり、または土坑上面に×字状の切れ目をいれた板で覆ったものであったらしい。
以上のことからわかるのは、誘導柵と罠を組み合わせた罠猟では、罠の部分は効率性等によってかなりたやすく変換可能な構造的特徴を有することである。
誘導柵と罠の組み合わせた使用が肝要なのであって、罠の種類に拘泥することが問題なのではない。
従ってこうした狩猟の技術構造研究では、システムの内実の把握と変換可能な要素の識別が重要となる。
そしてこの罠猟の技術構造のうち仕掛け弓やくくり罠等を陥し穴に置換すれば、縄紋時代の陥し穴猟の技術構造を解釈するモデルとなりうるのではないかというのが筆者の仮説である。
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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この図書によれば、次のカリブーの誘導柵を伴う罠猟の罠をくくり罠から陥し穴に置換すれば、縄文時代の陥し穴猟を解釈できることになります。
カリブーの誘導柵を伴う罠猟
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
3 大膳野南貝塚の陥し穴の再解釈
これまで大膳野南貝塚の陥し穴は追い込み猟として利用されていたとイメージしてきましたが、罠猟であるとイメージしなおして、主な過去記事について順次検討し直して新たな記事とします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)
4 千葉市内野第1遺跡陥し穴列の再解釈
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」等で検討した縄文時代陥し穴列についても、追い込み猟解釈から罠猟解釈に解釈変更して記事を書きなおします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)
参考 ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」掲載図版
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自分としてはかなり大きな宗旨替えとなりました。
以前鳴神山遺跡(奈良平安時代遺跡)の直線道路について、その解釈について宗旨替えしましたが、今回はそれ以上の解釈変更です。
2015.12.25記事「鳴神山遺跡道路遺構に対する疑問 4」参照
一方入手した良書佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)では「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という設問を立て、罠猟と追い込み猟の違いを説明して、縄文時代の陥し穴は全て罠猟でつかわれたと結論付けています。
自分の想定と真っ向から異なる専門家所見に宗旨替えすべきかどうか、検討してみました。
1 陥し穴の罠施設としての認識
陥し穴は動物をだまして穴に落とす施設であることが基本であると考えます。
追ってきた動物を誘導柵等で陥し穴に落とすということを考えると、陥し穴をカムフラージュしていても、跳ねて逃げている動物が陥し穴を飛び越してしまう確率があります。
つまり追ってきた動物を確実に捉える施設としては大きな弱点があります。
一方、罠施設としてカムフラージュした陥し穴を利用すれば動物を捕捉できる確率が高まります。
図書でいうように縄文時代の陥し穴は、それに誘導柵を併設して罠施設として利用したと考えることに納得します。
これまでの考え…陥し穴の追込み猟利用…から図書の考え…陥し穴の罠猟利用…に宗旨替えすることにします。
2 民族誌情報の尊重
民族誌情報で陥し穴を利用した追込み猟で陥し穴を利用した例がほとんど無いという情報を尊重することにします。
陥し穴に誘導柵を併設して構える世界の罠猟について学習を深めることにします。
ノルウェーの誘導石垣を伴う陥し穴猟(シカ猟)
この図書のルーデワ猟の記述に着目します。
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さらに興味深い例としては、極東地域の探検家として著名なアルセーニエフによって報告された、シホテ=アリニ山地で20世紀初頭(1906年)に行われていたルーデワ猟である。
ルーデワは、長大な誘導柵と罠として陥し穴を組み合わせた罠猟で、長いものでは24キロメートルの間に74の陥し穴が設置されていたと報告されている。
さらに重要な点は、筆者等によって1995~6年に調査されたジャコウジカのフカ猟と全く同じと思われる誘導柵猟をもアルセーニエフがルーデワと呼んでいる点である。
ルーデワとは、長大な誘導柵を伴う罠猟を指したらしく、使われた罠が括り罠か陥し穴かは関係ないと認識されていたのであろう。
実はこのルーデワの陥し穴は、筆者等の聞き取り調査によれば、土地の人間によって新しい時期に中国方面から導入された新式の罠である可能性が高いと思われる。
筆者等の調査によれば、もともとこの地域には陥し穴の存在は伝承されておらず、新しくもたらされた陥し穴というのは長軸2メートル程度の方形で坑底面に何本もの槍を突き刺したものであったり、または土坑上面に×字状の切れ目をいれた板で覆ったものであったらしい。
以上のことからわかるのは、誘導柵と罠を組み合わせた罠猟では、罠の部分は効率性等によってかなりたやすく変換可能な構造的特徴を有することである。
誘導柵と罠の組み合わせた使用が肝要なのであって、罠の種類に拘泥することが問題なのではない。
従ってこうした狩猟の技術構造研究では、システムの内実の把握と変換可能な要素の識別が重要となる。
そしてこの罠猟の技術構造のうち仕掛け弓やくくり罠等を陥し穴に置換すれば、縄紋時代の陥し穴猟の技術構造を解釈するモデルとなりうるのではないかというのが筆者の仮説である。
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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この図書によれば、次のカリブーの誘導柵を伴う罠猟の罠をくくり罠から陥し穴に置換すれば、縄文時代の陥し穴猟を解釈できることになります。
カリブーの誘導柵を伴う罠猟
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
3 大膳野南貝塚の陥し穴の再解釈
これまで大膳野南貝塚の陥し穴は追い込み猟として利用されていたとイメージしてきましたが、罠猟であるとイメージしなおして、主な過去記事について順次検討し直して新たな記事とします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)
4 千葉市内野第1遺跡陥し穴列の再解釈
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」等で検討した縄文時代陥し穴列についても、追い込み猟解釈から罠猟解釈に解釈変更して記事を書きなおします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)
参考 ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」掲載図版
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自分としてはかなり大きな宗旨替えとなりました。
以前鳴神山遺跡(奈良平安時代遺跡)の直線道路について、その解釈について宗旨替えしましたが、今回はそれ以上の解釈変更です。
2015.12.25記事「鳴神山遺跡道路遺構に対する疑問 4」参照
2017年3月16日木曜日
学習 佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」
WEBで縄文時代陥し穴について情報を渉猟していると佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)という図書にたどり着き、購入してみました。
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)
この図書では過去及び現在の狩猟民の調査を行い、特に多摩ニュータウンにおける縄文時代陥し穴の調査研究を通して、「縄文時代陥し穴が罠猟として使われたものであり、追い込み猟でつかわれたものではない」という結論を導いています。
この図書のメインテーマはまさに「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という点にあるように感じます。
これまで、このブログでは大膳野南貝塚の陥し穴の使われ方を追込猟として想定してきていますから、自分の考えと真正面から異なる結論をこの図書では詳細に説明しています。
この図書の内容が自分が知りたいことばかりでありとても充実しているので、それだけに、説明通りであり自分が宗旨替えするのか、あるいは宗旨替えは必要でないだけの情報が発掘調査報告書分析で用意できているのか、どちらかの選択を強引に迫られているようで、ハラハラドキドキします。
学習の醍醐味の瞬間です。
この記事では図書の「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という小見出しと「追い込み猟での陥し穴の使い方」という小見出しの部分を引用して、著者の論点を整理します。
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陥し穴は罠猟か追い込み猟か
今村は、陥し穴の狩猟法を罠と追い込み猟の二種に弁別し、単独または少数の陥し穴を配置性に乏しく設置した場合には罠としての性格を、列状配置の多くには追い込み猟の可能性を認めている。
その他多くの研究者はより単純にどちらかの機能を想定しているようであり、大規模な列状配置のタイプには後者説の採用が一般的なようである。
しかしながらいずれにしてもその根拠は不明瞭で、「このような大規模な陥し穴群を単なる罠として作るには大変(=無駄)」だからといった素朴な印象=感慨の域を脱する論拠は見あたらない。
陥し穴資料自体の属性分析は細を穿つのと対照的である。
しかしながら民族考古学の立場から見た場合、先史狩猟採集民にとって罠か追い込みかといった問題は狩猟システムの根幹、従って活動系全体を評価するきわめて根本的な問題となる。
この問題の評価は、今後の陥し穴研究の進展が、狩猟システム研究に止揚していくのかどうかを分岐する重要な研究課題なのである。
そしてこうした狩猟システムの研究には、民族考古学研究が方法としてもっとも重要になろう。
陥し穴の全てが罠である可能性が高いことは、現生民族誌例やこれまでの筆者の民族考古学的調査から明らかである。
その根拠は次節において詳述する。
罠猟と追い込み猟のもっとも大きな違いはその運用にある。
追い込み猟は大規模な集団猟であることから、この猟を行う時には他の生業の実行を困難にすることが普通である。
つまり他に重要な生業がない時期か、他の生業を一定程度犠牲にしてもそれに見合う成果が期待される場合に実行可能となる。
肉や毛皮の質が向上し見通しのきいた森の中でも猟がしやすくなる等通常猟にもっとも適する時期と考えられる秋~晩秋は、木の実が繁りサケ等も遡上するので他の生業も本格化していることが多く、集団の労力の割り振りが生業スケジュールの上で問題となる。
現代人の感覚では不釣り合いに思われるような大規模な罠を製作・実行する意義はまさにここにある(図49)。
追い込み猟と比べて罠は、掛ける時期とは異なる時期からあらかじめ時間をかけて製作することが可能である。
従って、比較的少人数でも多くの猟果を期待できる大規模な罠は製作可能である。
何よりも猟の瞬間にその場にいなくともよいので、他の活動スケジュールとの調整が容易となる点が優れている。
一般に先史人の狩猟採集活動では、季節的変動に適応した資源開発の行動システムを構築していることが知られているが、その際もっとも重要な問題は時間の管理time budgetingである。
資源開発行動における時間の管理の精緻化は、適応システムの形態とその高度化を保証するのである。
そして罠の導入は、まさに時間管理の側面からもより効率的なリスク回避戦略として位置づけられよう。
追い込み猟での陥し穴の使い方
これら北方狩猟民のシカの追い込み猟では陥し穴が主な捕獲装置として使われることはない。
たとえ使用される場合でも、誘導柵・列の途中に切れ目を設け、群から離れて単独で逃げる獣を対象に付帯的に設置されている例しか認められない。
また逆に、長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではないことが重要である(図55)。
つまり重要なことは、こうした民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能しているということである。
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難でありまた、せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくないのである。
従って縄紋の陥し穴は罠であり、陥し穴猟の展開は罠猟としての陥し穴猟の発達と考える方が現実的である(図56)。
文・図ともに佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
……………………………………………………………………
著者は陥し穴が罠か追い込みかという問題は狩猟民を評価する根本的な問題であると認識した上で、次のような理由から、縄文時代の陥し穴は全て罠であった可能性が高いと結論づけています。
1 時間管理の有利性
陥し穴を罠として使えば、時間管理上、猟の最盛期に猟にかける時間を減らして、他の生業にかける時間を増やすことができる。
・季節前の準備が可能
・捕獲の瞬間にその場にいなくてもよい
2 少人数でも多数罠を用意できる
多数の罠を用意することによって、罠猟は少人数でも多くの猟果を期待できる。
3 民族誌では陥し穴は罠として機能
民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能している。
・北方狩猟民のシカ追い込み猟で陥し穴が主な捕獲装置として使われることは無い。
・長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではない。
4 追い込まれた動物は陥し穴に落ちにくい
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難である。
5 陥し穴では大量捕獲できない
せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくない。
これらの理由にはそれぞれうなずけるものがありますから、まさに宗旨替えを迫られてしまいます。
次の記事で、大膳野南貝塚の例で、この考えを受け入れるべきか否か検討します。
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)
この図書では過去及び現在の狩猟民の調査を行い、特に多摩ニュータウンにおける縄文時代陥し穴の調査研究を通して、「縄文時代陥し穴が罠猟として使われたものであり、追い込み猟でつかわれたものではない」という結論を導いています。
この図書のメインテーマはまさに「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という点にあるように感じます。
これまで、このブログでは大膳野南貝塚の陥し穴の使われ方を追込猟として想定してきていますから、自分の考えと真正面から異なる結論をこの図書では詳細に説明しています。
この図書の内容が自分が知りたいことばかりでありとても充実しているので、それだけに、説明通りであり自分が宗旨替えするのか、あるいは宗旨替えは必要でないだけの情報が発掘調査報告書分析で用意できているのか、どちらかの選択を強引に迫られているようで、ハラハラドキドキします。
学習の醍醐味の瞬間です。
この記事では図書の「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という小見出しと「追い込み猟での陥し穴の使い方」という小見出しの部分を引用して、著者の論点を整理します。
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陥し穴は罠猟か追い込み猟か
今村は、陥し穴の狩猟法を罠と追い込み猟の二種に弁別し、単独または少数の陥し穴を配置性に乏しく設置した場合には罠としての性格を、列状配置の多くには追い込み猟の可能性を認めている。
その他多くの研究者はより単純にどちらかの機能を想定しているようであり、大規模な列状配置のタイプには後者説の採用が一般的なようである。
しかしながらいずれにしてもその根拠は不明瞭で、「このような大規模な陥し穴群を単なる罠として作るには大変(=無駄)」だからといった素朴な印象=感慨の域を脱する論拠は見あたらない。
陥し穴資料自体の属性分析は細を穿つのと対照的である。
しかしながら民族考古学の立場から見た場合、先史狩猟採集民にとって罠か追い込みかといった問題は狩猟システムの根幹、従って活動系全体を評価するきわめて根本的な問題となる。
この問題の評価は、今後の陥し穴研究の進展が、狩猟システム研究に止揚していくのかどうかを分岐する重要な研究課題なのである。
そしてこうした狩猟システムの研究には、民族考古学研究が方法としてもっとも重要になろう。
陥し穴の全てが罠である可能性が高いことは、現生民族誌例やこれまでの筆者の民族考古学的調査から明らかである。
その根拠は次節において詳述する。
罠猟と追い込み猟のもっとも大きな違いはその運用にある。
追い込み猟は大規模な集団猟であることから、この猟を行う時には他の生業の実行を困難にすることが普通である。
つまり他に重要な生業がない時期か、他の生業を一定程度犠牲にしてもそれに見合う成果が期待される場合に実行可能となる。
肉や毛皮の質が向上し見通しのきいた森の中でも猟がしやすくなる等通常猟にもっとも適する時期と考えられる秋~晩秋は、木の実が繁りサケ等も遡上するので他の生業も本格化していることが多く、集団の労力の割り振りが生業スケジュールの上で問題となる。
現代人の感覚では不釣り合いに思われるような大規模な罠を製作・実行する意義はまさにここにある(図49)。
追い込み猟と比べて罠は、掛ける時期とは異なる時期からあらかじめ時間をかけて製作することが可能である。
従って、比較的少人数でも多くの猟果を期待できる大規模な罠は製作可能である。
何よりも猟の瞬間にその場にいなくともよいので、他の活動スケジュールとの調整が容易となる点が優れている。
一般に先史人の狩猟採集活動では、季節的変動に適応した資源開発の行動システムを構築していることが知られているが、その際もっとも重要な問題は時間の管理time budgetingである。
資源開発行動における時間の管理の精緻化は、適応システムの形態とその高度化を保証するのである。
そして罠の導入は、まさに時間管理の側面からもより効率的なリスク回避戦略として位置づけられよう。
追い込み猟での陥し穴の使い方
これら北方狩猟民のシカの追い込み猟では陥し穴が主な捕獲装置として使われることはない。
たとえ使用される場合でも、誘導柵・列の途中に切れ目を設け、群から離れて単独で逃げる獣を対象に付帯的に設置されている例しか認められない。
また逆に、長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではないことが重要である(図55)。
つまり重要なことは、こうした民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能しているということである。
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難でありまた、せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくないのである。
従って縄紋の陥し穴は罠であり、陥し穴猟の展開は罠猟としての陥し穴猟の発達と考える方が現実的である(図56)。
文・図ともに佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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著者は陥し穴が罠か追い込みかという問題は狩猟民を評価する根本的な問題であると認識した上で、次のような理由から、縄文時代の陥し穴は全て罠であった可能性が高いと結論づけています。
1 時間管理の有利性
陥し穴を罠として使えば、時間管理上、猟の最盛期に猟にかける時間を減らして、他の生業にかける時間を増やすことができる。
・季節前の準備が可能
・捕獲の瞬間にその場にいなくてもよい
2 少人数でも多数罠を用意できる
多数の罠を用意することによって、罠猟は少人数でも多くの猟果を期待できる。
3 民族誌では陥し穴は罠として機能
民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能している。
・北方狩猟民のシカ追い込み猟で陥し穴が主な捕獲装置として使われることは無い。
・長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではない。
4 追い込まれた動物は陥し穴に落ちにくい
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難である。
5 陥し穴では大量捕獲できない
せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくない。
これらの理由にはそれぞれうなずけるものがありますから、まさに宗旨替えを迫られてしまいます。
次の記事で、大膳野南貝塚の例で、この考えを受け入れるべきか否か検討します。
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