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2019年1月2日水曜日

千葉県遺跡分布地図帳 陥し穴、人骨、丸木舟、翡翠、琥珀

私家版千葉県遺跡DB地図帳 20 陥し穴、人骨、丸木舟、翡翠、琥珀

私家版千葉県遺跡DBの全レコード(20130)を分布図を通じて概観する活動を行っています。この記事では項目(フィールド)「遺構・遺物」の記載内容で陥し穴、人骨、丸木舟、翡翠、琥珀を含む遺跡の分布図を例として作成してみました。

1 陥し穴、人骨、丸木舟、翡翠、琥珀の分布
私家版千葉県遺跡DB地図帳 陥し穴分布 101

参考 縄文時代草創期遺跡と陥し穴分布

参考 縄文時代草創期遺跡と有舌尖頭器出土遺跡
 
私家版千葉県遺跡DB地図帳 人骨分布 102

参考 千葉県人骨出土貝塚 地形立地分類

私家版千葉県遺跡DB地図帳 丸木舟分布 103

参考 「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)掲載「丸木舟の出土地」

私家版千葉県遺跡DB地図帳 翡翠分布 104

私家版千葉県遺跡DB地図帳 琥珀分布 105

2 メモ
・陥し穴は縄文早期に流行った罠猟ですが、東京神奈川では陥し穴と仕掛弓(有舌尖頭器が遺物として対応)という罠猟分布域と縄文草創期隆線文土器遺跡分布が一致し、その立地特性は旧石器時代遺跡と異なる地形を強く選択しているという研究があります。(「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)収録「関東南西部の縄文時代草創期の様相 安藤広道」)
ブログ芋づる式読書のメモ2018.12.24記事「遺跡の立地
ブログ芋づる式読書のメモ2018.10.31記事「関東南西部の縄文時代草創期の様相
・陥し穴分布図は縄文草創期から早期頃の罠猟の立地特性を知るうえで貴重な検討資料とすることができ、東京神奈川と千葉の比較検討に役立ちます。
・DBから人骨出土遺跡を難無く作成することができ、その情報をたとえば貝塚遺跡に絞り込めば、貝塚と葬送の関係分析の基礎資料とすることができます。
2018.11.28記事「千葉県貝塚 遺構遺物検索例(人骨)
・丸木舟でDBを検索すると64遺跡を抽出することができ、これまでに確認されている丸木舟出土遺跡122の半分の情報を得ることができます。
2018.10.30記事「遺跡DB感想 丸木舟
・翡翠(大珠)、琥珀という出土物が記載されている遺跡分布図も作成することができます。自分はこのような分布図をみたことがありませんから価値があると考えます。
・翡翠は威信財と言われますが、翡翠分布図から有用な意味を汲み取ることが出来るかどうか、今後の検討が楽しみです。
・琥珀は銚子付近で採れ、その周辺に分布しますが木更津付近に飛地的に分布する遺跡群が気になります。


2017年3月29日水曜日

千葉県 陥し穴と炉穴の関係

参考学習として、千葉県の陥し穴分布と炉穴分布の関係を考察してみました。

1 千葉県 陥し穴分布ヒートマップ

千葉県 陥し穴分布ヒートマップ
半径パラメータ5㎞、輪郭をトレース

陥し穴の時期はデータベース(ふさの国文化財ナビゲーション)で中近世の「シシ穴」を別建てにしていますから、ほとんど全て縄文時代のものであると考えます。

陥し穴の時代区分

2 千葉県 炉穴分布ヒートマップ

千葉県 炉穴分布ヒートマップ
半径パラメータ5㎞、輪郭をトレース

炉穴の時期はほとんど縄文時代早期であると考えます。

炉穴の時代

3 陥し穴と炉穴の関係

陥し穴と炉穴のヒートマップ対照図

陥し穴分布ヒートマップの赤色地域を炉穴分布ヒートマップに白点線でプロットしてみました。

陥し穴が赤色で炉穴も赤色の地域(A)は縄文時代早期の狩猟好適地を示していて、その場所に狩猟に従事した人々の生活があり、獲得した動物の干し肉や燻製を作成した場所であると想定できます。

陥し穴が赤色で炉穴は黄色や青色の地域(B)は縄文時代早期には未開発で、縄文時代前期以降に新規開発された狩猟好適地であると考えます。

陥し穴は黄色や青色で炉穴が赤色の地域(C)は縄文時代早期に、主に狩猟以外の生業に従事した人々の生活の場所であり、海産物や堅果類などの産物を乾燥させ保存食品を作った場所であると考えます。



2017年3月27日月曜日

千葉県 陥し穴分布ヒートマップ

2017.03.26記事「千葉県 陥し穴分布」で千葉県の陥し穴分布図を作成し、それを旧石器時代遺跡分布図と比較して考察しました。

点情報の分布の様子を把握し、比較するということは大きな特徴を大ざっぱに説明することになり、客観性が乏しくなるので、この記事では陥し穴分布図と旧石器時代遺跡分布図のヒートマップを作成して、それに基づいて、改めて考察します。

1 千葉県 陥し穴分布ヒートマップ

千葉県 陥し穴分布ヒートマップ

半径パラメータ5㎞でヒートマップを作成しました。ドットプロット情報を等高線図のような平面分布図に集約したことになります。

半径5㎞圏に存在する陥し穴数を計算して、その数が多いところが赤、少ないところが青とした5段階評価を行い分布図にしたものです。

分布図の粗密を相対的に5段階区分したということです。

陥し穴分布は縄文時代狩猟好適地の分布であると考えますから、赤色地域付近は縄文時代の有数な狩猟好適地で、その分布は千葉県中央部に存在します。

2 旧石器時代遺跡分布ヒートマップとの比較

千葉県 旧石器時代遺跡分布ヒートマップ

半径パラメータ5㎞です。

旧石器時代の狩猟好適地は下総台地各所に点在しています。

縄文時代狩猟好適地の分布とは大いにその特性が異なります。

旧石器時代には下総台地各所に動物が生息していて、その狩が生業として成立していたのですが、縄文時代の狩が生業として成立する地域の主要部は千葉県中央部付近に限定されてしまったということです。

縄文時代にはオーバーキルで動物生息数が減少して台地での狩猟が徐々に困難になり、山に近い村田川付近の台地だけが主要な狩場になったと考えます。

3 千葉県中央部付近のヒートマップ比較

千葉県中央部付近のヒートマップ比較

千葉県中央部付近のヒートマップを比較すると、旧石器時代には赤(狩猟好適地)であったけれども縄文時代にはそこから外れた地域(A)と、旧石器時代には赤ではなかったけれども縄文時代には赤になった地域(C)が存在します。

A地域は貝塚集落地域として開発されたので狩猟地域から外れ、C地域はおそらく縄文時代に狩猟地域として新たに開発した地域であると考えます。

2017年3月21日火曜日

大膳野南貝塚 狩猟モデルの投影

2017.03.20記事「縄文時代狩猟モデル(仮説)」で学習促進のための自分専用縄文時代狩猟モデル(仮説)の作成をメモしました。

早速このモデルを大膳野南貝塚陥し穴作成時代(縄文時代早期を想定)に投影して、そのころの狩の様子を想像してみました。

1 大膳野南貝塚付近の追い込み猟ポイントの想定

大膳野南貝塚付近 縄文時代追い込み猟ポイントの想定

下総台地が東京湾水系によって開析され谷壁が切り立っている谷頭に追い込み猟ポイントを投影することができました。

追い込み猟は台地面と谷頭の地形の変換が急激であるほど効率的であると考えますので、浅い谷は追い込み猟に適さないと考えます。

また、台地面とは繋がらない丘陵開析谷域は動物を集めることができませんから追い込み猟は行われなかったと考えます。

動物を追い込むのに不都合な方向の谷も追い込み猟には使われなかったと考えます。

なお、上図から大膳野南貝塚発掘区域は大金沢支谷A谷、B谷、C谷の3つの追い込み猟フィールドであったことが判ります。

2 陥し穴長軸方向から想像する誘導柵列

A谷追い込み猟に対応する誘導柵列を陥し穴長軸方向から推察してみました。

大膳野南貝塚 A谷追い込み猟 陥し穴長軸方向から想像する誘導柵列

33の陥し穴のうち8つの陥し穴の長軸方向から狭い台地を分断するような誘導柵列を想像しました。

このような誘導柵列を活用して、勢子と犬の共同作業としてのA谷追い込み猟が行われたと考えます。

A谷の谷底には追い込んだ動物を仕留める捕獲装置が設置されていたと考えます。

誘導柵列の所々に設置した陥し穴は、追い込み猟で使うのではなく、日常的罠猟として使われたと考えます。

誘導柵の主な効用は集団追い込み猟であり、陥し穴罠猟は誘導柵を副次的に利用して行われたと考えます。

B谷C谷追い込み猟に対応する誘導柵列は次のように推察できます。

大膳野南貝塚 B谷C谷追い込み猟 陥し穴長軸方向から想像する誘導柵列

13の陥し穴長軸方向から狭い台地を通路のように区画する誘導柵列を想像しました。

この誘導柵列の意義と陥し穴との関係はA谷追い込み猟と同じように考えることができます。

なお、想像した誘導柵が全て同時に存在したとは、陥し穴が全て同時に存在したと考えないのと同じように、考えません。

誘導柵は立木にツタを使って作るなどの場合が多かったと考えますから構造物とは言えない部分が多く、遺構としては残りずらいと考えます。

なお、陥し穴の長軸方向が誘導柵方向に略一致するという仮定でモデルを投影していますが、それで本当によいのか、詳しい情報はもっていません。

2017年3月17日金曜日

陥し穴は罠猟か追い込み猟か

2017.03.13記事「大膳野南貝塚 陥し穴猟は待伏猟か追込猟か」で大膳野南貝塚の縄文時代早期後半頃と考えられる陥し穴が追込み猟で使われてきたという推測を書きました。

一方入手した良書佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)では「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という設問を立て、罠猟と追い込み猟の違いを説明して、縄文時代の陥し穴は全て罠猟でつかわれたと結論付けています。

自分の想定と真っ向から異なる専門家所見に宗旨替えすべきかどうか、検討してみました。

1 陥し穴の罠施設としての認識

陥し穴は動物をだまして穴に落とす施設であることが基本であると考えます。

追ってきた動物を誘導柵等で陥し穴に落とすということを考えると、陥し穴をカムフラージュしていても、跳ねて逃げている動物が陥し穴を飛び越してしまう確率があります。

つまり追ってきた動物を確実に捉える施設としては大きな弱点があります。

一方、罠施設としてカムフラージュした陥し穴を利用すれば動物を捕捉できる確率が高まります。

図書でいうように縄文時代の陥し穴は、それに誘導柵を併設して罠施設として利用したと考えることに納得します。

これまでの考え…陥し穴の追込み猟利用…から図書の考え…陥し穴の罠猟利用…に宗旨替えすることにします。

2 民族誌情報の尊重

民族誌情報で陥し穴を利用した追込み猟で陥し穴を利用した例がほとんど無いという情報を尊重することにします。

陥し穴に誘導柵を併設して構える世界の罠猟について学習を深めることにします。

ノルウェーの誘導石垣を伴う陥し穴猟(シカ猟)

この図書のルーデワ猟の記述に着目します。
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さらに興味深い例としては、極東地域の探検家として著名なアルセーニエフによって報告された、シホテ=アリニ山地で20世紀初頭(1906年)に行われていたルーデワ猟である。
ルーデワは、長大な誘導柵と罠として陥し穴を組み合わせた罠猟で、長いものでは24キロメートルの間に74の陥し穴が設置されていたと報告されている。
さらに重要な点は、筆者等によって1995~6年に調査されたジャコウジカのフカ猟と全く同じと思われる誘導柵猟をもアルセーニエフがルーデワと呼んでいる点である。
ルーデワとは、長大な誘導柵を伴う罠猟を指したらしく、使われた罠が括り罠か陥し穴かは関係ないと認識されていたのであろう。
実はこのルーデワの陥し穴は、筆者等の聞き取り調査によれば、土地の人間によって新しい時期に中国方面から導入された新式の罠である可能性が高いと思われる。
筆者等の調査によれば、もともとこの地域には陥し穴の存在は伝承されておらず、新しくもたらされた陥し穴というのは長軸2メートル程度の方形で坑底面に何本もの槍を突き刺したものであったり、または土坑上面に×字状の切れ目をいれた板で覆ったものであったらしい。
以上のことからわかるのは、誘導柵と罠を組み合わせた罠猟では、罠の部分は効率性等によってかなりたやすく変換可能な構造的特徴を有することである。
誘導柵と罠の組み合わせた使用が肝要なのであって、罠の種類に拘泥することが問題なのではない。
従ってこうした狩猟の技術構造研究では、システムの内実の把握と変換可能な要素の識別が重要となる。
そしてこの罠猟の技術構造のうち仕掛け弓やくくり罠等を陥し穴に置換すれば、縄紋時代の陥し穴猟の技術構造を解釈するモデルとなりうるのではないかというのが筆者の仮説である。
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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この図書によれば、次のカリブーの誘導柵を伴う罠猟の罠をくくり罠から陥し穴に置換すれば、縄文時代の陥し穴猟を解釈できることになります。

カリブーの誘導柵を伴う罠猟
佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用

3 大膳野南貝塚の陥し穴の再解釈

これまで大膳野南貝塚の陥し穴は追い込み猟として利用されていたとイメージしてきましたが、罠猟であるとイメージしなおして、主な過去記事について順次検討し直して新たな記事とします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)

4 千葉市内野第1遺跡陥し穴列の再解釈
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」等で検討した縄文時代陥し穴列についても、追い込み猟解釈から罠猟解釈に解釈変更して記事を書きなおします。(煩雑になるので、過去記事そのものの訂正は行いません。)

参考 ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」掲載図版

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自分としてはかなり大きな宗旨替えとなりました。
以前鳴神山遺跡(奈良平安時代遺跡)の直線道路について、その解釈について宗旨替えしましたが、今回はそれ以上の解釈変更です。
2015.12.25記事「鳴神山遺跡道路遺構に対する疑問 4」参照


2017年3月16日木曜日

学習 佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」

WEBで縄文時代陥し穴について情報を渉猟していると佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)という図書にたどり着き、購入してみました。

佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)

この図書では過去及び現在の狩猟民の調査を行い、特に多摩ニュータウンにおける縄文時代陥し穴の調査研究を通して、「縄文時代陥し穴が罠猟として使われたものであり、追い込み猟でつかわれたものではない」という結論を導いています。

この図書のメインテーマはまさに「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という点にあるように感じます。

これまで、このブログでは大膳野南貝塚の陥し穴の使われ方を追込猟として想定してきていますから、自分の考えと真正面から異なる結論をこの図書では詳細に説明しています。

この図書の内容が自分が知りたいことばかりでありとても充実しているので、それだけに、説明通りであり自分が宗旨替えするのか、あるいは宗旨替えは必要でないだけの情報が発掘調査報告書分析で用意できているのか、どちらかの選択を強引に迫られているようで、ハラハラドキドキします。

学習の醍醐味の瞬間です。

この記事では図書の「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という小見出しと「追い込み猟での陥し穴の使い方」という小見出しの部分を引用して、著者の論点を整理します。

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陥し穴は罠猟か追い込み猟か
今村は、陥し穴の狩猟法を罠と追い込み猟の二種に弁別し、単独または少数の陥し穴を配置性に乏しく設置した場合には罠としての性格を、列状配置の多くには追い込み猟の可能性を認めている。
その他多くの研究者はより単純にどちらかの機能を想定しているようであり、大規模な列状配置のタイプには後者説の採用が一般的なようである。
しかしながらいずれにしてもその根拠は不明瞭で、「このような大規模な陥し穴群を単なる罠として作るには大変(=無駄)」だからといった素朴な印象=感慨の域を脱する論拠は見あたらない。
陥し穴資料自体の属性分析は細を穿つのと対照的である。

しかしながら民族考古学の立場から見た場合、先史狩猟採集民にとって罠か追い込みかといった問題は狩猟システムの根幹、従って活動系全体を評価するきわめて根本的な問題となる。
この問題の評価は、今後の陥し穴研究の進展が、狩猟システム研究に止揚していくのかどうかを分岐する重要な研究課題なのである。
そしてこうした狩猟システムの研究には、民族考古学研究が方法としてもっとも重要になろう。

陥し穴の全てが罠である可能性が高いことは、現生民族誌例やこれまでの筆者の民族考古学的調査から明らかである。
その根拠は次節において詳述する。

罠猟と追い込み猟のもっとも大きな違いはその運用にある。
追い込み猟は大規模な集団猟であることから、この猟を行う時には他の生業の実行を困難にすることが普通である。
つまり他に重要な生業がない時期か、他の生業を一定程度犠牲にしてもそれに見合う成果が期待される場合に実行可能となる。
肉や毛皮の質が向上し見通しのきいた森の中でも猟がしやすくなる等通常猟にもっとも適する時期と考えられる秋~晩秋は、木の実が繁りサケ等も遡上するので他の生業も本格化していることが多く、集団の労力の割り振りが生業スケジュールの上で問題となる。
現代人の感覚では不釣り合いに思われるような大規模な罠を製作・実行する意義はまさにここにある(図49)。

追い込み猟と比べて罠は、掛ける時期とは異なる時期からあらかじめ時間をかけて製作することが可能である。
従って、比較的少人数でも多くの猟果を期待できる大規模な罠は製作可能である。
何よりも猟の瞬間にその場にいなくともよいので、他の活動スケジュールとの調整が容易となる点が優れている。

一般に先史人の狩猟採集活動では、季節的変動に適応した資源開発の行動システムを構築していることが知られているが、その際もっとも重要な問題は時間の管理time budgetingである。
資源開発行動における時間の管理の精緻化は、適応システムの形態とその高度化を保証するのである。
そして罠の導入は、まさに時間管理の側面からもより効率的なリスク回避戦略として位置づけられよう。

追い込み猟での陥し穴の使い方
これら北方狩猟民のシカの追い込み猟では陥し穴が主な捕獲装置として使われることはない。
たとえ使用される場合でも、誘導柵・列の途中に切れ目を設け、群から離れて単独で逃げる獣を対象に付帯的に設置されている例しか認められない。
また逆に、長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではないことが重要である(図55)。

つまり重要なことは、こうした民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能しているということである。
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難でありまた、せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくないのである。
従って縄紋の陥し穴は罠であり、陥し穴猟の展開は罠猟としての陥し穴猟の発達と考える方が現実的である(図56)。
文・図ともに佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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著者は陥し穴が罠か追い込みかという問題は狩猟民を評価する根本的な問題であると認識した上で、次のような理由から、縄文時代の陥し穴は全て罠であった可能性が高いと結論づけています。

1 時間管理の有利性
陥し穴を罠として使えば、時間管理上、猟の最盛期に猟にかける時間を減らして、他の生業にかける時間を増やすことができる。
・季節前の準備が可能
・捕獲の瞬間にその場にいなくてもよい

2 少人数でも多数罠を用意できる
多数の罠を用意することによって、罠猟は少人数でも多くの猟果を期待できる。

3 民族誌では陥し穴は罠として機能
民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能している。
・北方狩猟民のシカ追い込み猟で陥し穴が主な捕獲装置として使われることは無い。
・長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではない。

4 追い込まれた動物は陥し穴に落ちにくい
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難である。

5 陥し穴では大量捕獲できない
せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくない。

これらの理由にはそれぞれうなずけるものがありますから、まさに宗旨替えを迫られてしまいます。

次の記事で、大膳野南貝塚の例で、この考えを受け入れるべきか否か検討します。

2017年3月15日水曜日

大膳野南貝塚 発掘面の黒斑点列は陥し穴誘導柵か

千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編の発掘現場写真をじっくり眺めていると、いくつかの陥し穴の周辺類似位置に黒斑点列が観察できます。

もしかしたら意味のある情報かと考えて、とりあえずメモしておきます。

陥し穴29号を例に黒斑点を示します。

陥し穴29号写真 1
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編から引用

陥し穴29号 私が観察した黒斑点列
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編から引用加筆

陥し穴29号付近写真 2
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編から引用
9号炉穴は発掘作業途中

陥し穴29号付近2 私が観察した黒斑点列
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編から引用加筆
9号炉穴は発掘作業途中

この黒斑点列を地図に示すと次のようになります。

陥し穴29号付近の黒斑点列

黒斑点は無数にあります。私が着目したものだけではありません。

黒斑点は垂直に切った断面で垂直方向に延びていますから、木や竹を刺した跡あるいは木の根の跡などであると考えます。

黒斑点列は、私がそこにあることを期待して観察したために、観察できた可能性もあります。つまりあまり意味のない偶然の情報である可能性もあります。

一方、発掘調査ではサイズの関係で発掘対象とならなかった穴であり、事情が許せば調査対象にすべき遺構であったものかもしれません。

プロットした黒斑点列に実体と意味があるとすれば、次のように解釈できる陥し穴誘導柵であった可能性があります。

陥し穴29号と長い誘導柵がセットで存在していた可能性

なお、陥し穴29号の平面形状が動物を追う方向に進む船の形のようになっています。

つまり陥し穴29号は動物が落ちる方向を想定して前後が異なる線形をしています。

他の陥し穴にも同様に平面形状前後が異なるものがかなり見られます。

このことから、陥し穴は付近を自由に徘徊している動物が隠された罠としての穴にたまたま落ちることを想定してつくられたものではなく、追われて逃げる方向の定まった動物が落ちるように設計されていると考えることができます。


参考 陥し穴29号
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編から引用

参考 陥し穴29号の位置
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書の第Ⅳ分冊写真図版編から引用加筆


2017年3月10日金曜日

大膳野南貝塚 陥し穴

大膳野南貝塚の陥し穴について学習します。

1 陥し穴の記述

発掘調査報告書における陥し穴の概要は次のように説明されていて、他には33基の図版を伴う詳細記載が行われています。

それ以外にまとめにおける考察はありません。
……………………………………………………………………
調査区内から検出された陥し穴は33基を数える。
分布は、調査区北端部を除く調査区全域に散在する状態で、可視的には規則性は看取できない。
陥し穴という遺構の性格上、詳細な時期は特定し難いが、覆土中の遺物は早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が主体であった。
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
……………………………………………………………………

2 陥し穴のタイプと分布及び動物捕獲想像

次に陥し穴の図版と写真をまとめてみました。

陥し穴

陥し穴写真

陥し穴は逆木を設置して動物殺傷力を強化したと考えられるタイプと、スリットタイプの2つに分類できるようです。

番号の色を逆木設置タイプは赤で、スリットタイプは青で区別してみました。

なお、出土土器細片の年代を図中にメモしました。

逆木設置タイプとスリットタイプの動物捕獲方法は次の図のようにイメージできるようです。

陥し穴による動物捕獲想像図
「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用

陥し穴は動物の進行方向に長軸方向を合わせて設置している様子がこの想像図から判ります。

陥し穴の分布は次のようになります。

陥し穴の分布

3 陥し穴の時期

陥し穴から早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土していますが、次の理由から前期後葉において陥し穴は既に廃絶していたと考えます。

次の図は陥し穴と前期後葉遺構の分布図をオーバーレイしたものです。

陥し穴の分布と前期後葉竪穴住居・土坑の分布

前期後葉の竪穴住居と土坑の分布から、遺跡発掘区域はほぼ全域集落域になっています。

集落の真ん中に陥し穴を設置することはあり得ません。

陥し穴から前期後葉土器細片が出土したということは、陥し穴の存在した場所の上に、前期後葉の時期に土器細片が偶然落ちたという事象に過ぎないと考えます。

陥し穴の時期は早期後半がメインではないかと想像します。

4 陥し穴の長軸方向から推測する狩ルート

陥し穴の長軸方向を図示すると次のようになります。

陥し穴の長軸方向

陥し穴は動物を追い立てる方向に長軸方向を合わせていると考えられますから、上記長軸方向分布図から次のような狩ルートを推測できます。

陥し穴の長軸方向から推測する動物追い詰めルート

大金沢支谷に沿って追い詰めるルート、台地中央を追うルート、旭谷に沿って追い詰めるルートの3つが想定できます。

旭ルートはダイナミックに動物を追い詰めています。

……………………………………………………………………
参考メモ 陥し穴に祭祀がないこと

全体の1/3にあたる11基の陥し穴からは早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土しています。

炉穴の土器出土状況とは全く異なることが確認できます。

つまり、意識的に陥し穴に土器を埋めたという事例が皆無であるということです。

当たり前といえば当たり前ですが、炉穴や竪穴住居や土坑のグループと陥し穴は、縄文人の見る目が全く異なっていたことが推察できます。

炉穴や竪穴住居や土坑はその空間(施設)が祭祀に関わるのに、陥し穴は祭祀に関わらないということです。

縄文人の心性からみて、人工空間(施設)に祭祀に関わるようなものと、そうでないものの2種類あるということです。

学習初心者にとっては、このような当たり前のことも新鮮で重要なこととして捉えることができました。


2017年2月5日日曜日

大膳野南貝塚 遺構分布概要 縄文時代早期

大膳野南貝塚発掘調査報告書で作成されている遺構分布図を通しで見てみて、自分なりに遺跡概要のイメージを深めつつあります。

詳しい分析的検討の前に全体像を見てみます。

この記事では「1草創期~前期中葉の遺構と遺物」で掲載されている縄文時代早期遺構分布図を概観して自分なりの問題意識、検討課題を整理してメモしました。

1 遺構の位置データ取得

縄文時代早期遺構分布図をGISにプロット(貼り付け)し、その画面で遺構別(炉穴、陥し穴別)にその位置をプロットしたレイヤを作成しました。

大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 遺構分布図のGISプロットと遺構位置データ取得

この作業の後、遺構別レイヤをcsv形式で出力すると、位置データを取得できます。


陥し穴レイヤのcsv出力結果

このcsvファイルをExcelに読み込み、陥し穴番号毎にデータを記入すれば、そのデータの分布図をGIS上で作成することができます。

今回の学習で行うGIS分析の最も基本的作業となります。

2 炉穴分布図

大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 炉穴分布図

7か所の炉穴が分布しますが、平坦面中央付近の2つの炉穴と斜面に分布する3つの炉穴の違いが気になります。

とりあえず、これまでの旧石器時代学習等の印象から次のような作業仮説を設け、詳しい検討における使い捨ての道具としたいと思います。

【作業仮説】

平坦面中央の炉穴(2カ所)

平坦面中央の炉穴は少なくとも、そのそばに分布する陥し穴を使った狩と両立しないことは確かです。

旧石器時代のブロックは平坦面中央から出土してます。

旧石器時代の狩は動物を追いかけ台地面から崖に落とし、狩ったと考えます。

狩の後(活動の区切りがついた後)、台地面で食料が続く限りキャンプしたと考えます。

このように考えると、平坦面中央の炉穴は旧石器時代と同じように崖を使った狩を行った縄文人のキャンプ跡であり、時代的に斜面の炉穴より古いものであると考えます。

斜面の炉穴(5カ所)

斜面の炉穴は平坦面に分布する陥し穴と両立できる関係にあると思います。

動物を追って陥し穴に落とすという狩場(狩施設のある空間)から離れ、かつ、地形上(高度上)動物から見えない位置にあります。

斜面の炉穴は陥し穴を使った縄文人のキャンプ地であり、それ以前の地形(崖)だけを使った狩より新しい時代の進化した狩形式であると考えます。

2 陥し穴分布図

大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 陥し穴分布図

陥し穴が平坦面と斜面の双方の分布していることが気になります。

平坦面の陥し穴と斜面の陥し穴ではその狩方法が違うのではないだろうかと考えます。

陥し穴は細長い形式のものが多いのですが、その長軸方向を見ると特定方向のものが平坦面に群として分布しています。

特定の方向性を備える陥し穴群

特定の方向は、動物を追ってきて、障害物等で陥し穴に動物を追い詰めていた活動の方向性を示していると考えることができます。

つまりこの付近の台地中央部から南南西の方向に動物を追ってきて、狭まった台地平坦面(大膳野南貝塚遺跡付近)に陥し穴施設を設けておき、そこで仕留めたのだと思います。

旧石器時代には崖から落として仕留めていたのですが、縄文時代になると陥し穴という狩施設を設けるという進歩があったのだと思います。

同時に、特定の方向性は陥し穴の利用がアクティブな活動を物語っています。

たまたま通る動物が落ちるという趣旨ではなく、追ってきた動物を仕留める場という意味が長軸の方向性から読み取ることができます。

なお、群として陥し穴があるのですが、それぞれ別の時間に別の人々によって利用されたものであると予想します。

施設として陥し穴群(列)を作った例の学習は千葉市内野第1遺跡で行ったことがあります。

ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」など

参考 千葉市内野第1遺跡の土壙列(落とし穴列)の工夫の相違
新旧土壙列の狩における工夫の相違を説明した図



次の記事では縄文時代前期後葉の遺構分布について概観してみます。