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2022年7月24日日曜日

考古学講座「百年の論争 縄文農耕論の今」受講

 Participation in the archeology course "Hundred Years of Controversy: Now of Jomon Farming Theory"


On July 23, 2022, I attended the 4th "Hundred Years of Controversy: Now of Jomon Agricultural Theory" (Lecturer: Mr. Seiji Nakayama, Director of Minami-Alps City Furusato Cultural Tradition Center) did. I was able to hear the latest results of Jomon pottery indentation analysis by the replica method, and deepened my awareness of the significance of Jomon soybeans.


2022年7月23日に山梨県立考古博物館令和4年度考古学講座第4回「百年の論争 縄文農耕論の今」(講師:南アルプス市ふるさと文化伝承館館長中山誠二先生)をオンラインで受講しました。レプリカ法による縄文土器圧痕分析の最新成果を聞くことができ、縄文ダイズの意義について問題意識を深めることができました。

1 講座の概要

次の項目だてで、判りやすいパワポを使って詳しく興味深い話が展開しました。

1 縄文時代の生業と縄文農耕論

2 利用植物の検証:21世紀の新展開

3 縄文時代のマメ科植物の利用

4 縄文時代のマメは栽培植物か?

5 マメ科植物の生育環境

なお、事前に3ページ資料の配布(ダウンロード)がありました。

2 特に興味を持った事柄

2-1 栽培化によるダイズ形状拡大のスピードは中国・朝鮮より日本が速い

栽培化によるダイズ形状拡大のスピードは本家筋の大陸(中国・朝鮮)より日本の方が速い(より早期にダイズが大きなった)そうです。その情報から、ダイズ栽培起源地説の一つに日本列島説が浮上しています。ワクワクするような情報です。


ダイズの栽培起源地説

2-2 ツルマメ群落の採集イメージ

ツルマメ群落の採集イメージは次のような絵で示され、必ずしも農耕空間=定型的な畑は必要ないという趣旨の話が有りました。


ツルマメ群落の採集イメージ

中山誠二著「マメと縄文人」(同成社)から引用


二次植生帯の環境モデルと植物の栽培管理

中山誠二著「マメと縄文人」(同成社)から引用

3 感想

ツルマメ群落採集イメージの話を聞いて、栽培管理に関する興味が深まりました。畑遺構は無い可能性が大であるけれどもツルマメ群落が継続して利用されてきたということです。栽培が社会に与えた影響がどのようなものであったのか、学習を深めたいと思います。


2022年7月10日日曜日

考古学講座「環境変動と八ヶ岳山麓の縄文社会」受講

 Participation in archeology course "Environmental change and Jomon society at the foot of Mt. Yatsugatake"


On July 9, 2022, an archeology course "Environmental Change and Jomon Society at the Foot of Mt. Yatsugatake" (Lecturer: Professor Yumi Ikuyama, Hokuto City Board of Education) was held online and attended.

It was a very interesting lecture about the fact that cooling promoted technological development, and it was a great learning stimulus.


2022年7月9日に山梨県立考古博物館令和4年度考古学講座第3回「環境変動と八ヶ岳山麓の縄文社会」(講師:北杜市教育委員会生山優実先生)がオンラインで開催され、受講しました。寒冷化が技術開発を促進したという内容で大変興味深い講演で、大いに学習刺激を受けました。

1 講座の概要

次の3点について詳しいデータを活用しながら判りやすく丁寧に説明し、最後の結論は魅力的なものでした。

1 縄文時代における気候変動

2 縄文時代前期後葉から中期初頭の考古学的事象の変化

3 八ヶ岳山麓に暮らす人々の対応

なお、事前に6ページ資料をダウンロードすることが出来ました。

2 講演で特に興味を持った事柄

講演で自分が特段に興味をもった事柄を羅列的にメモします。

2-1 講演の趣旨と結論

講演の趣旨と結論は次のように理解しました。魅力的な結論です。

5800年前頃に寒冷化があり、自然環境が変化し(狩猟動物が少なくなり)、それに対応して中部高地縄文社会では衰退的地域と発展的地域に分化した。発展的地域では自然環境変動に対応して植物資源管理(いわば農耕のはじまりのような技術開発)が行われた。この植物資源管理は周辺地域に波及してその後の中期社会発展の基礎となった。この歴史から、環境変化(寒冷化)が単に社会衰退をもたらすのではなく、逆に社会を刺激して発展の契機になる。

2-2 縄文中期前半頃の中部高地社会の地域消長

環境変動と社会の対応という点ではいくつかの疑問(より深く巨大な興味)があるので、それはひとまず脇においておき、興味が率直に深まったのは中部高地社会の地域分化的消長です。

講演内容をざっくり次のように理解しました。


地域区分


年代 配布資料から引用

・遺跡数、住居址数をみると、寒冷化のピーク頃(諸磯b)は諏訪地域と西麓地域は減少傾向であった。一方東南麓地域は大幅な増加傾向であった。特に2八ヶ岳南麓地区が顕著である。

・石器組成をみると各地域ともに石鏃割合大・打製石斧割合小(狩猟中心社会)から石鏃割合小・打製石斧割合大(採集中心社会)に転じている。しかし、その転換期が東南麓地域では人口増加した諸磯bであるのに対して、諏訪地域と西麓地域では遅れて諸磯cであった。

・以上のデータから諸磯b期頃は環境変動に対して適応できない地域(諏訪地域、西麓地域)と適応できた地域(東南麓地域、とりわけ2八ヶ岳南麓地区)があった。その後環境適応技術は諏訪地域や西麓地域にも波及したといえる。

・環境適応技術とは打製石斧に消長される植物採集・栽培技術である。堅果類増産技術とそれに関連して副産物的に生まれたマメ栽培技術である。

2-2 5800年前頃の気候変動

講演では5800年前(諸磯b)の寒冷化を示す資料として野尻湖湖底堆積物分析データが提示されました。講演でも質問が出ましたが、このデータについてモヤモヤした感想が生まれます。

提示された年平均気温データの数値をillustratorの計測機能を使って読み取ると次のようになります。


年平均気温の変化 配布資料から引用追記

ア 気温低下時期

グラフ上の気温低下は6200年前頃です。その後4970年頃まで横這いです。5800年前頃気温低下があったという議論とは400年のズレがあります。400年くらいのズレは考古学では誤差の内と考えてもよいと思いますが、講演者の最初の「最近では年単位での把握も夢ではない」などのグリーンランドや年縞堆積物の話とは平仄の違いを感じます。

イ 年平均気温1.2度低下の意味

5800年前の年平均気温低下は(グラフ計測上では)1.2度です。気温低下1.2度で様々な環境変化が生まれ、縄文社会がそれに対応して行くということは一般論では理解できます。しかし、現代気候変動における年平均気温変化の影響を考えると、1.2度低下のインパクトが狩猟中心社会が成り立たなくなって、植物管理社会に移行する程のものであるかどうか疑問が生まれます。

2-3 マメの栽培

土器圧痕レプリカ法でマメの栽培が判明してきたというお話は大変興味深く、これから学習すべき重要課題であると感じました。先日山梨県立考古博物館を観覧した際に、売店で次の図書を購入したのですが、購入入手自体を失念していたことを思い出し、みつけてページをめくってみました。


中山誠二著「マメと縄文人」

マメ栽培は縄文中期社会にどのような意義があったのか、その技術は中部高地オリジナルか、その技術は各地に伝播したのか、その生産技術と土器文様に関係があるのかなど疑問・興味が膨らみます。

次の山梨県立考古博物館考古学講座「百年の論争 縄文農耕論の今」(7月23日)が楽しみです。

3 感想

寒冷化と考古事象の関係というテーマは自分にとって刺激的なものです。数年前からの学習で次のような感想をもっているからです。

・寒冷化データは実はまだ十分に解析されていない。

・それにもかかわらず考古事象と寒冷化データを強引に結びつけようとする動きがある。

・その動きをみると考古事象と寒冷化データを強引に予定調和的に対応させているように感じる。

今回講演で大いに刺激を受けましたので、学習を加速したいと思います。


詳しい情報を判りやすく丁寧に解説していただいた生山優実先生に感謝申し上げます。


2022年6月19日日曜日

考古学講座「煮炊きに使われない縄文土器」受講

 Take the archeology course "Jomon pottery not used for cooking"


Yamanashi Prefectural Archaeological Museum Reiwa 4th Year Archeology Course 2nd "Jomon Pottery Not Used for Cooking" (Lecturer: Professor Yuki Iwanaga, Yamanashi Prefectural Buried Cultural Property Center) was held online on June 18, 2022. Did. Make a note of the outline and impressions. The lecturer's talk ranged from buried pottery, wessel with handles for suspension, pottery with perforated collar to the cultural space division of the archipelago in the middle of the Jomon period.


2022年6月18日に山梨県立考古博物館令和4年度考古学講座第2回「煮炊きに使われない縄文土器」(講師:山梨県埋蔵文化財センター岩永祐貴先生)がオンラインで開催され、受講することができました。その概要と感想をメモします。

1 講座の概要

次の5点について数十枚の判りやすいPowerPoint画像でお話がありました。

ア 土器を研究して何を知りたいか

イ 埋甕

ウ 釣手土器

エ 有孔鍔付土器

オ 今後の展望

なお、事前に4ページの資料をダウンロードして読むことができました。

2 講演要点メモと感想

自分が特に興味を持った事柄と感想をメモします。

2-1 土器を研究して何を知りたいか

縄文土器研究の概念について説明がありました。小林達雄の様式・型式・形式の説明があり、この説明に続いて、岩永先生の問題意識が3点にわたってありました。

・社会・集落はかならず複数型式が共存するが、それはどのようなものか。

・通婚圏のような具体的な集団・人の移動について。

・特定の土器(大木式)を受け入れた地域と拒む地域の差。

→岩永先生の問題意識が鮮明ですから、次の埋甕、釣手土器、有孔鍔付土器の話がとても判りやすく、また興味が深まりました。

2-2 埋甕


山梨県立考古博物館常設展の埋甕コーナー

・長野県域が主分布域である唐草文土器の影響が、山梨県域で偏在的である様子が述べられ、興味を持ちます。長野県富士見町の立場川を境にその東部では唐草文土器の流入は少なくなり、八ヶ岳南麓では小型に変容する。一方、釜無川右岸域では大型でオリジナルに近い唐草文土器がある。そして、山梨県内では埋甕に唐草文土器が使われるのも釜無川右岸域だけである。

・このような情報から八ヶ岳南麓域と釜無川右岸域では集団差がありそうである。このような研究進展により集団単位を見出す可能性がある。

→以上の発表は私の興味を強く刺激します。できれば空間地理的ポンチ絵があると非専門家にとってよりわかりやすいものになると考えました。

2-3 釣手土器


山梨県立考古博物館企画展「心を描く縄文人」に展示された釣手土器

・釣手土器は顔面把手土器の顔面把手だけが独立して成立したことが判ってきている。

・釣手土器の出土状況は、山梨では住居埋土内が多く、長野では床面出土が多く、北陸では遺構外からほとんど出土している。

・使用方法が空間的伝播の過程で変化している可能性がある。

→釣手土器に関する詳しい情報を聞くことができましたので、今後学習を深めたいと思います。

2-4 有孔鍔付土器


山梨県立考古博物館常設展に展示されている有孔鍔付土器

・酒造具説、太鼓説、貯蔵具説があるが、変遷と使用痕から太鼓説は否定できる。

・有孔鍔付土器に注口が付いたものが出土している。

→有孔鍔付土器に関する詳しい説明を初めて聞き、大変参考になりました。太鼓説が専門家の中で受け入れられているようだという自分の感想を是正する必要があります。

・八ヶ岳周辺に縄文中期に釣手土器や有孔鍔付土器、埋甕の儀礼を司った集団が存在し、そこに南東北から何らかの縄文文化(生業関連、どんぐりアク抜き技術?)が到来した。

→縄文中期文化の大局観を空間地理的ポンチ絵とともに知ることができ、大変参考になりました。

3 総合感想

海外旅行先でいままで気が付かなかった日本の特性に気が付くことがありますが、同じように、今回web講演会で千葉縄文中期に関する覚醒がありました。今回web講演最後の縄文中期文化大局観図を見て、千葉縄文社会の縄文中期大局的位置付けを直観できました。縄文中期の千葉社会を考える際、南東北と中部高地双方の影響を考えなくては片手落ちになるということです。

素晴らしい学習機会を提供していただいた、岩永祐貴先生と山梨県立考古博物館に感謝します。