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2018年5月28日月曜日

埋葬土坑と貯蔵土坑 2

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 49

動物食関連送り場土坑(貯蔵庫ではない土坑で貝や獣骨が出土する土坑)のうち獣骨数がとりわけ多い土坑付近の様子を観察しています。
この記事では西貝層近くですが、西貝層から少し離れた独立埋甕が集中する付近を観察します。

1 詳細検討域4

詳細検討域4

2 称名寺式期から堀之内2式期頃までの様子

称名寺式期から堀之内2式期頃までの様子
この付近は開発行為による削平のため出土物が少なく時期の特定が困難な地域です。遺構の時期は称名寺式期(称)、堀之内1式期(堀1)、堀之内2式期(堀2)が1つづつで、他は堀(堀之内式期)、後(後期)、不(縄文時代)になっており時期別検討ができないので、称名寺式期から堀之内2式期頃の様子として一括して扱います。
独立埋甕1~3から人骨出土はありませんが、人骨出土が確認できる独立埋甕が他の場所にあるので、独立埋甕は小児土器棺であると考えます。この付近に動物食関連送り場土坑164、168が存在していて、164土坑からは獣骨が35と多く出土します。
164、168は埋葬施設と把握することが合理的な思考であると考えます。
165、158土坑もその形状から埋葬に関連していると想像できます。
一方161、160、159土坑は貯蔵土坑であり、159土坑は165土坑と2m程しか離れていませんから隣接しているといえます。しかし貯蔵土坑、埋葬土坑ともにグループで存在していて、そのグループが混在していないのが特徴です。
集落主要部(北貝層付近、南貝層付近)から離れていて、土地利用をする上で空間的余裕があるので、なかば自動的にゾーニンされたのだと想像します。

2018年5月25日金曜日

埋葬土坑と貯蔵土坑が隣接する事例

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 48

動物食関連送り場土坑(貯蔵庫ではない土坑で貝や獣骨が出土する土坑)のうち獣骨数がとりわけ多い土坑付近の様子を観察しています。
この記事では北貝層近くですが、北貝層と他の竪穴住居から少し離れた独立的竪穴住居(J16)付近を観察します。

1 詳細検討域3

詳細検討域3

2 称名寺式期

称名寺式期
土坑4基が存在します。
253と51は送り場土坑で、ともに人骨出土はありませんが、51はこれまでの学習から埋葬土坑そのもののように感得します。
90、89は貯蔵土坑ですが隣接しているので1つの土坑が建て替えられた結果を示していると考えられます。

3 堀之内1式期

堀之内1式期
竪穴住居2軒と多数の土坑存在が確認できます。
J16竪穴住居の廃絶祭祀は濃厚に行われていますから、その住人の生活も活発であったと推察できます。
そして、J16竪穴住居から数m以内の至近域に多くの土坑が配置されているように観察できますから、J16と土坑との間に関連性があると考えることが自然の成り行きだと考えます。
J15竪穴住居からの出土物はほとんどありませんが、J15と34、33土坑との関係があるかもしれません。34土坑からは獣骨が57出土しています。
J16竪穴住居を取り巻くように至近距離にある土坑に貯蔵土坑88、82が存在するとともに人骨出土土坑墓(墓1、集骨葬)、形態から埋葬施設であると想定できる73土坑が「一緒に」存在していることに着目します。
特に土坑墓(墓1)は貯蔵土坑82に「切られて」います。土坑墓(墓1)(古)→貯蔵土坑82(新)の関係にあります。
J16竪穴住居の住民が土坑墓(墓1)を建設し、その後それに隣接して貯蔵土坑82を建設したことがわかります。
J16竪穴住居住民は家族が死んでその墓を住宅から3m程のところにつくり、その後その墓の存在を十分に認識した上で、墓となりに貯蔵土坑をつくり生活に利用したことになります。
縄文人は生活空間の中に墓をつくっていたことがわかります。

4 堀之内2式期

堀之内2式期
141土坑から獣骨が125点出土しています。141土坑は埋葬施設の可能性があります。

5 加曽利B2式期

加曽利B2式期
141土坑を切って32土坑が建設されています。その出土遺物に装身具が含まれることなどから32土坑は埋葬施設であると想定できます。
141土坑の建設時期(堀之内2式期)と32土坑の建設時期(加曽利B2式期)の間には長い時間がありますが、32土坑建設時にその場所が先祖の送り場(貝層や獣骨がある場所…たぶん埋葬地)であることは事前にわかっていたに違いありません。
おそらく、先祖の墓や送り場、祭祀の場所の一部を壊して新たな墓・送り場・祭祀場をつくることは縄文時代では許容される、あるいは逆に推奨されることであったと考えられます。先祖の祀りの場(空間)を踏襲することは縄文人にとって当然であり、むしろ美徳であったに違いありません。
廃絶祭祀が濃密に行われた竪穴住居が少しだけ残されて次代の住居となっている例が沢山あり、送り場土坑も同じように扱われたと考えます。

2018年4月24日火曜日

貯蔵土坑平面断面図の観察 その2

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 29

貯蔵・保存穴として推定した63基土坑の深さを深いものから浅いものに順番に並べて観察したみました。そのうち深さが大きいもの半分の観察結果は2018.04.23記事「貯蔵土坑平面断面図の観察」で書きました。この記事ではそれ以外の半分の浅いものについて観察します。
なお、ここで観察しているのは一次用途(土坑建設時の用途)に着目して観察しています。一次用途が貯蔵土坑であっても二次用途(土坑廃絶時の用途)が送り場となるものが多くありますが、その検討は別途行います。

貯蔵土坑 深さ0.5m~0.99m その2

貯蔵土坑 深さ0.5m~0.99m その3

貯蔵土坑 深さ0.5m以下
規模の大きな貯蔵土坑には次の5つの特徴を観察することができました。
1 深い土坑がある。
2 平面形状は円形やそれに近いものが多い。
3 出入口が備わっているものが多い。
4 くびれが備わっているものが多い。
5 底部に排水溝が備わっているものが多い。排水溝は底部中央にピット状になっているものと、底部縁辺円周溝として備わっているもの(断面図図示は不明瞭なものが多いが中央部が盛り上がっているので排水機能を看取できる)の2種類がある。

深さが1mより浅くなるとその特徴が明らかに不明瞭になります。
総合的に判断して貯蔵土坑と推定したにも関わらず平面形状では203、271、259a、54、11は異形です。
また出入口、くびれ、排水溝という特徴を読み取れないものが増えます。
一方柱穴と考えられるピットを備えたものが含まれます。
平面・断面的に異形のもの、柱穴を備えたものは送り場土坑にごく普通に見られますから、上記推定貯蔵土坑には送り場土坑が含まれているかもしれません。一次用途について、貯蔵土坑と送り場土坑の境を明瞭にひくことは今後の課題です。

2018年4月23日月曜日

貯蔵土坑平面断面図の観察

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 28

貯蔵・保存穴として推定した63土坑の平面断面図を深さの深いものから浅いものに順番に並べて観察してみました。

貯蔵土坑 深さ2m以上

貯蔵土坑 深さ1.5m~1.99m

貯蔵土坑 深さ1.0m~1.49m その1

貯蔵土坑 深さ1.0m~1.49m その2

貯蔵土坑 深さ0.5m~0.99m 一部
貯蔵土坑には次の5つの特徴があるようです。
1 深い土坑がある。(最深土坑は185号土坑で2.66m)
2 平面形状は円形やそれに近いものが多い。
3 出入口が備わっているものが多い。(上図に図示)
4 くびれが備わっているものが多い。(上図に図示)
5 底部に排水溝が備わっているものが多い。排水溝は底部中央にピット状になっているものと、底部縁辺円周溝として備わっているもの(断面図図示は不明瞭なものが多いが中央部が盛り上がっているので排水機能を看取できる)の2種類がある。(上図に図示)

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参考 kj法結果と貯蔵土坑

kj法で分類した結果に貯蔵土坑(赤丸)をプロットした図
kj法でタンブラータイプ、鍋タイプと分類したものは結果としてほとんど全て貯蔵土坑であると推定しました。