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2018年7月1日日曜日

埋葬の様相

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 6 埋葬の様相

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「6 埋葬の様相」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。

1 人骨出土遺構・場所
大膳野南貝塚発掘調査報告書を対象に人骨出土遺構・場所情報を悉皆的に調査した結果を次に示します。

大膳野南貝塚 人骨出土状況

大膳野南貝塚
●出土時期
出土人骨は前期集落竪穴住居覆土層のものを除くと全て後期集落のものです。 
●出土人骨体数
出土人骨のうち発掘調査報告書で検討されているものは骨点数が多いものを中心に30体、「散乱骨」等の理由で検討されていないものは24体になり、合計54体になります。54体のうち周産期~幼児期人骨は9体となります。
●出土遺構
人骨出土遺構は竪穴住居、土坑、埋甕、遺構外(露地、貝層中)と多様になっています。
遺構別に人骨体数をカウントすると竪穴住居25体、土坑3体、埋甕6体、遺構外(露地、貝層中)20体となります。
竪穴住居は15軒から人骨が出土し、14軒は廃絶竪穴住居における埋葬つまり廃屋墓です。1軒は床下墓坑が備わった竪穴住居ですが、後述のとおりこれも竪穴住居廃絶後に設置された廃屋墓の可能性があります。
人骨出土土坑3基のうち2基(1号土坑墓、404号土坑)は埋葬施設としてつくられた土坑(土坑墓)と考えられますが、1基(382号土坑)はフラスコ形貯蔵土坑であり、廃絶貯蔵土坑が埋葬施設として利用された廃土坑墓です。
人骨が出土した埋甕は6基あり、全て周産期~幼児期人骨が出土している小児土器棺です。なお人骨未出土単独埋甕が12基出土していて、これらも出土場所等から小児土器棺と推定できます。
遺構外(露地、貝層中)から出土した人骨が20体となり、廃屋墓に次ぐ体数となります。埋葬施設を伴わない埋葬遺体が多いことから後期集落社会に階層が存在していて、下層住民が露地(貝層中)に埋葬されていたことを暗示しています。
埋葬施設が廃屋墓、土坑墓、廃土坑墓、小児土器棺、露地と多岐にわたることもまた、階層の存在など後期集落社会が複雑な社会であったことを物語っています。

2 集骨葬と非集骨葬
出土人骨のうち、J88竪穴住居(加曽利E4~称名寺古式期、漆喰貝層無竪穴住居)と1号土坑墓(漆喰貝層未検出)の2例だけが集骨葬となっています。

J88竪穴住居 集骨人骨出土の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

1号土坑墓 集骨人骨出土の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
集骨葬とは遺体をいったん腐らせて皮や肉を除去して骨だけにして、その骨を形式に則り積み上げたもので、再葬したものです。
この集骨葬の2遺構からは漆喰貝層が出土していません。

一方、大膳野南貝塚から出土する人骨で埋葬様式が判るものは上記2例を除くとすべて伸展葬等の非集骨葬で、漆喰貝層が出土します。

伸展葬の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
伸展葬等人骨の多くに齧痕がついていることから、遺体は長期の殯(もがり)を経てミイラ化し(その間にネズミに齧られる)、そのミイラ化した遺体を廃屋墓に持ち込んで埋葬したと考えられます。

参考 齧痕の記述 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・編集

参考 人骨の齧痕

集骨葬であるか、それとも伸展葬等の非集骨葬であるかという埋葬様式の違いは文化とルーツの違いを明瞭に表現しています。つまり漆喰貝層無竪穴住居住人と漆喰貝層有竪穴住居住人は異なる文化とルーツを持つ別集団であることを示しています。
大膳野南貝塚後期集落は漆喰貝層有無を指標に分割できる2集団から構成されていたことが判明しました。

3 正式埋葬とオマケ埋葬
竪穴住居の埋葬を観察すると正式に埋葬されたと見えるものと、後からオマケに埋葬したと捉えることが出来るものがありますので、記録しておきます。

大膳野南貝塚 竪穴住居の人骨出土状況
竪穴住居から出土する人骨の多くは床面直上から出土し、その上を貝層が覆います。遺体を竪穴住居床面に安置してその上を貝層で覆うことにより埋葬したものと観察できます。
ところが覆土層から人骨が出土する例があります。
●J9竪穴住居 犬埋葬覆土から出土する周産期人骨

J9竪穴住居
J9竪穴住居のほぼ中央床面直上から2号犬骨が出土します。この竪穴住居は最初は犬の埋葬墓として使われたことは確実です。ところが犬骨を覆う貝層から周産期人骨が出土しました。犬占用廃屋墓の覆土途中に周産期人骨を埋葬しています。
J95竪穴住居では床面直上から周産期人骨が出土し貝層に覆われていますから、周産期遺体といえども廃竪穴住居を占用して埋葬墓とすることはあるのです。
J9竪穴住居の例は犬墓にオマケに人骨が埋葬されたと捉えることができます。

●J79竪穴住居 竪穴側壁近くの覆土から出土する成人骨
J79竪穴住居側壁すぐの覆土から成人骨が出土しました。

J79竪穴住居
人骨の腕骨の位置等から、途中まで覆土で覆われた廃竪穴住居の縁から穴に人体が落とされた状況を推測することができます。多くの廃屋墓の人骨位置は住居中央部ですから、この人骨の扱いは「ぞんざい」です。竪穴住居廃絶プロセスの中でオマケに埋葬されたと捉えることができます。

●J74竪穴住居 覆土層から出土する女性成人骨
J74竪穴住居の床面から女5体、男(青年)1体の人骨が出土していて、女性に関わる廃屋墓となっています。死亡時期や死亡理由の異なる遺体が長期の殯を経て、ある時一斉にミイラ6体としてこの廃竪穴住居に持ち込まれ埋葬されたものと推測できます。この竪穴住居覆土下層から女性成人骨が出土していて、発掘調査報告書では番外骨として記述されています。この女性番外骨は他の6体とは異なる埋葬となっています。他の6体と比較すれば明らかに粗雑な埋葬となります。オマケとして埋葬された人骨であると捉えることができます。

以上の例から竪穴住居床面に遺体(ミイラ)を安置する正式埋葬の外に、覆土層にオマケのようにぞんざい行う埋葬も存在することが判明しました。正式埋葬とオマケ埋葬という違いが存在する理由は、後期集落社会が上下関係を厳しく統制する階層社会であったことによると考えられます。後期集落の社会関係複雑性が正式埋葬とオマケ埋葬の併存から偲ばれます。

4 J77竪穴住居床下墓坑について
J77竪穴住居の小児骨出土墓坑は漆喰貼床の下から出土しているので竪穴住居廃絶前に設置されたものであり、床下墓坑として扱われています。

J77竪穴住居床下墓坑 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・塗色
しかし、漆喰貼床が竪穴住居廃絶祭祀における行為であると考えると人骨出土墓坑の築造は竪穴住居廃絶後である可能性も生まれます。
漆喰貼床が実用生活空間における床ではなく、その純白性を用いた竪穴住居廃絶祭祀における活動であると考えるとJ77竪穴住居付近の遺構は次のように変遷した可能性もあります。

ステージ1

ステージ2
J77竪穴住居と墓坑・2つの土坑が重複しています。漆喰貼床が廃絶祭祀の一環の行為と仮定すると次のようなプロセスを考えることができます。
J77竪穴住居の廃絶→墓坑・2つの土坑築造による祀り→漆喰貼床による祀り→建物を焼く祀り→貝層による覆土

ステージ3
J77竪穴住居付近はその廃絶後小児埋葬ゾーンとして活用されています。

5 人骨出土遺構・場所と貝層・地点貝層

人骨出土遺構・場所と貝層・地点貝層
人骨出土竪穴住居はほとんどが漆喰貝層有竪穴住居であり、その分布は貝層・地点貝層と重なります。漆喰貝層有竪穴住居を廃屋墓として埋葬された人々は集落の上層階層であったと考えられます。
一方単独人骨・ヒト骨として遺構外に埋葬された人々は集落の下層階層であったと考えられます。その分布は貝層・地点貝層域とその近辺になります。単独人骨・ヒト骨で貝層・地点貝層とは全く無関係の場所に分布するものが皆無であることから、上層階層(漆喰貝層にかかわる階層)による下層階層への規制・統制が強力であったことが判ります。

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次の資料を公開しました。(2018.07.02)

pdf資料「埋葬の様相 要旨

pdf資料「埋葬の様相

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

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追記 (2018.07.04)
この記事の「4 J77竪穴住居床下墓坑について」で考えた可能性、つまり漆喰貼床が廃絶祭祀の際に行われた行為であるという可能性はその後発掘調査報告書を詳しく読み直した結果「ない」と判断しました。竪穴住居廃絶前に床下墓坑が作られ、その後漆喰貼床が行われた(つまり生活空間の中で漆喰貼床が行われた)と読み取りました。
記事の訂正を一つ一つ行うと学習経過(思考発展経過)が判らなくなるので、この記事の訂正は行いません。pdf資料は修正しました。

2017年12月26日火曜日

殯(モガリ)におけるミイラ作成

大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 17

2017.12.21記事「大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 まとめ」の中でピックアップした人骨齧痕の意味について考察します。

1 人骨齧痕の記載と統計
人骨齧痕の記載と一覧表を示します。

齧歯類齧痕の記述例
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

大膳野南貝塚出土人骨 齧歯類の齧痕
大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成

竪穴住居出土人骨のうち周産期~3歳・小児のものを除く16事例のうち齧痕のあるものは13事例であり8割を越えます。
発掘調査報告書ではこの事情について次のように検討しています。
「保存状態の良好な住居祉人骨の出土状況を確認したところ、いずれも解剖学的に自然な位置を保持していたことから一次葬と判断されたが、それらの関節で看取された小規模な骨の移動や骨体に残された齧歯類の齧痕から、死後白骨化するまで遺体の周囲に空隙が存在したか、あるいは遺体の覆土が薄かったと推察された。」

2 人骨齧痕の意味
発掘調査報告書の検討では埋葬後の空隙の存在とか薄い覆土という特殊的な状況を想定していますが、8割を超える人骨に齧痕があることから齧痕ができる状況が一般的状況であったと推察できます。
サハリンアイヌの習俗等から縄文時代に殯(モガリ)におけるミイラ作成が埋葬前に存在していたと考えることが合理的です。
遺体は殯小屋(おそらく居住住居とは別の空家)で長期(1年以上)にわたってミイラとなり(あるいは腐って白骨化し)、その間に齧歯類に食われ、骨に齧痕がついたものと考えます。
殯がおわるとミイラはその場で埋葬されたり、別の空家に集められて合同の埋葬がおこなわれたりしたものと想定します。

J40竪穴住居 竪穴住居から人骨1体出土
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J40竪穴住居が殯小屋であり、かつ埋葬の場でもあったと想像します。

J74竪穴住居 竪穴住居から人骨7体出土
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

死亡時期が異なり別の場所で殯がおこなわれたミイラも含めて遺体6体がJ74竪穴住居に集められて合同埋葬され、覆土層の途中にも別の1体が埋葬されたと想像します。

なお人骨79号住は覆土中層から出土していますが齧痕があります。
遺体が覆土中層に埋葬された後、人骨がネズミに齧られるという状況を想定することはほとんど不可能です。従ってこの例は覆土中層に埋葬された遺体がすでにネズミに齧られたミイラであったことを物語っています。つまり別の場所にある殯小屋で殯が行われ、最後の埋葬がJ79竪穴住居でおこなわれたと考えることができます。

J79竪穴住居 人骨の状況