大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 42
大膳野南貝塚後期集落の土坑一次用途を次のように分類して考察を進めています。
・貯蔵土坑
・特殊用途土坑(屋根付き土坑)
・動物食関連送り場土坑
・植物食関連送り場土坑
・トイレあるいは植物食関連土坑
・土坑墓
・柱穴
この記事では特殊用途土坑(屋根付き土坑)について考察します。
1 特殊用途土坑(屋根付き土坑)の分布
特殊用途土坑(屋根付き土坑)
特殊用途土坑(屋根付き土坑)は3基観察できます。
2 北貝層の特殊用途土坑(屋根付き土坑)
特殊用途土坑(屋根付き土坑)と屋外漆喰炉関係図
特殊用途土坑(屋根付き土坑)と屋外漆喰炉の直線距離は5m程で近接しています。
屋外漆喰炉では漆喰炉に埋め込んだ甕に漁で得た貝を入れ、火で加熱してハマグリなどは貝の蓋を開けて実を固め、イボキサゴなどは実を固め、食用部分の取り出しを容易にするとともに保存に適した状態に加工していたと考えられます。
参考 屋外漆喰炉の様子 1号屋外漆喰炉 発掘調査報告書から引用
埋め込んだ甕に、底があるものと無いものがあり、底があるものならスープも採れますが底の無いものはスープは採れません。最初から底のない甕を設置している例があることから屋外炉で貝を加熱する主目的が二枚貝の蓋開けと二枚貝・巻貝の実の固め・保存用加工にあったことが判ります。
屋外漆喰炉で加熱して実を固めて取り出した食用部分は天日干しにして保存食品にしたものと考えられます。
天日干しする際には突然の雨に際して製品を避難させる施設が必要ですが、それが特殊用途土坑(屋根付き土坑)の一つの機能であったと考えられます。干し貝をしている最中に雨があった場合、貝の実を特殊用途土坑の軒下に避難させたと考えます。
また、完成した干し貝の貯蔵は通常の貯蔵土坑では雨に濡れて製品の品質が落ちますから特殊用途土坑(屋根付き土坑)に貯蔵したものと考えられます。干し貝完成品の一時貯蔵が特殊用途土坑(屋根付き土坑)のメイン機能であったと考えます。
干し貝専用の一時的貯蔵土坑があるということから、生活の場である竪穴住居には貯蔵しきれないだけの多量の干し貝を作っていたことが明らかになります。
なお、特殊用途土坑(屋根付き土坑)は魚介類加工場に存在するのですから、単純な干し貝一時貯蔵だけでなく、クサヤ・塩辛などの発酵食品をつくっていた多機能施設であると考える方が合理的です。
2 西貝層の特殊用途土坑(屋根付き土坑)
特殊用途土坑(屋根付き土坑)
特殊用途土坑(屋根付き土坑)の周辺には屋外漆喰炉や魚介類加工を暗示する燃焼にかかわる土坑はみつかりませんでした。
3 参考 南貝層の屋外漆喰炉付近の様子
南貝層屋外漆喰炉付近
南貝層屋外漆喰炉付近に特殊用途土坑(屋根付き土坑)をイメージできるような土坑が存在するか調べましたが、該当するような土坑はみつかりませんでした。
2018年5月14日月曜日
2018年5月13日日曜日
近接して存在する貯蔵土坑から読み取れること
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 41
1 近接して存在する貯蔵土坑の分布
貯蔵土坑の分布をよく観察すると近接して存在しているものが多くみられます。その意味を検討してみました。次の図は土坑中央部から半径2.5mの円を描き、隣の土坑の円と重なったところを抽出したものです。つまり隣の土坑まで5m以内で近接するものを抽出した地図です。
貯蔵土坑 5m以内で近接するもの
5m以内で近接する土坑は全部で15カ所あります。
2 近接して存在する貯蔵土坑例の観察
近接して存在する土坑のうち4カ所について具体的に観察してみます。
近接する貯蔵土坑の例1
214土坑を切ってタンブラー状土坑(典型的なフラスコ土坑)が存在しているので旧式貯蔵土坑が高機能土坑に建て替えられた様子が観察できます。
211土坑は容量2㎥以上の大型土坑で西貝層家族集団のメイン貯蔵庫であると推定できます。211土坑と215土坑は規模が違うので対応する集団規模が異なると考えられ、同時に存在していたのではないかと推察します。
もし同時に存在していたと考えると、この付近が貯蔵土坑ゾーンという土地利用ゾーンであったことになります。
近接する貯蔵土坑の例2
称名寺式期の貯蔵土坑と堀之内式期(詳細時期は不明)の貯蔵土坑が集中しています。
この付近が集落開始期と集落成長期に貯蔵土坑ゾーンという土地利用ゾーンとして集落の人々に認識されていたことがわかります。
178土坑を切って177土坑が存在していますから、小型貯蔵土坑が規模の大きな貯蔵土坑に建て替えられたことになります。
近接する貯蔵土坑の例3
この例も規模の小さな156土坑が規模の大きな155土坑に建て替えられています。
近接する貯蔵土坑の例11
この例は切った切られた関係がないので194土坑と190土坑の時間的関係は不明ですが、これほど近接して大小の類似土坑が存在することから規模の小さな194土坑が規模の大きな190土坑に建て替えられたと推測できます。
3 近接して存在する土坑に関する考察
・称名寺式期および堀之内1式期は集落が発展した時期ですから人口が急増した時期です。そのため一度つくった貯蔵土坑の容量が足りなくなり、より大型で高機能土坑を建て替えたことが多かったと考えられます。
・貯蔵土坑を使っていると湿気やカビなどの庫内環境の劣化や出入口及び庫内の崩れなどが生れて貯蔵性能が逓減し、あるいは維持管理の手間が急増し、最後は使えなくなると考えられます。つまり耐用年数が決まっていると考えられます。したがって貯蔵土坑の建て替えは集落が続く限り永続したと考えられます。
・貯蔵土坑が設置される場所(サイト)は集落土地利用の中である程度限定されていたと考えられます。集落土地利用ゾーンニングの観念が集落開始期から堀之内2式期頃まで、つまり貝塚形成期間は受け継がれていたと想像します。
4 貯蔵土坑と竪穴住居が重複する例
貯蔵土坑と竪穴住居が重複する例を分布図で観察してみました。
貯蔵土坑 竪穴住居と重複するもの
6カ所で貯蔵土坑と竪穴住居の重複が観察されました。
それぞれの箇所を詳しく調べるとすべて貯蔵土坑(古)→竪穴住居(新)の関係と判断できます。
人口急増の中で竪穴住居立地条件のよい場所にある貯蔵土坑を別の場所に移設して、その場所に竪穴住居を建設したことが想定できます。
また、一度貯蔵土坑を建設するとその建設家族に土坑付近土地空間の占有権が発生し、そこに竪穴住居を建設しやすいという事情もあったと推測します。
1 近接して存在する貯蔵土坑の分布
貯蔵土坑の分布をよく観察すると近接して存在しているものが多くみられます。その意味を検討してみました。次の図は土坑中央部から半径2.5mの円を描き、隣の土坑の円と重なったところを抽出したものです。つまり隣の土坑まで5m以内で近接するものを抽出した地図です。
貯蔵土坑 5m以内で近接するもの
5m以内で近接する土坑は全部で15カ所あります。
2 近接して存在する貯蔵土坑例の観察
近接して存在する土坑のうち4カ所について具体的に観察してみます。
近接する貯蔵土坑の例1
214土坑を切ってタンブラー状土坑(典型的なフラスコ土坑)が存在しているので旧式貯蔵土坑が高機能土坑に建て替えられた様子が観察できます。
211土坑は容量2㎥以上の大型土坑で西貝層家族集団のメイン貯蔵庫であると推定できます。211土坑と215土坑は規模が違うので対応する集団規模が異なると考えられ、同時に存在していたのではないかと推察します。
もし同時に存在していたと考えると、この付近が貯蔵土坑ゾーンという土地利用ゾーンであったことになります。
近接する貯蔵土坑の例2
称名寺式期の貯蔵土坑と堀之内式期(詳細時期は不明)の貯蔵土坑が集中しています。
この付近が集落開始期と集落成長期に貯蔵土坑ゾーンという土地利用ゾーンとして集落の人々に認識されていたことがわかります。
178土坑を切って177土坑が存在していますから、小型貯蔵土坑が規模の大きな貯蔵土坑に建て替えられたことになります。
近接する貯蔵土坑の例3
この例も規模の小さな156土坑が規模の大きな155土坑に建て替えられています。
近接する貯蔵土坑の例11
この例は切った切られた関係がないので194土坑と190土坑の時間的関係は不明ですが、これほど近接して大小の類似土坑が存在することから規模の小さな194土坑が規模の大きな190土坑に建て替えられたと推測できます。
3 近接して存在する土坑に関する考察
・称名寺式期および堀之内1式期は集落が発展した時期ですから人口が急増した時期です。そのため一度つくった貯蔵土坑の容量が足りなくなり、より大型で高機能土坑を建て替えたことが多かったと考えられます。
・貯蔵土坑を使っていると湿気やカビなどの庫内環境の劣化や出入口及び庫内の崩れなどが生れて貯蔵性能が逓減し、あるいは維持管理の手間が急増し、最後は使えなくなると考えられます。つまり耐用年数が決まっていると考えられます。したがって貯蔵土坑の建て替えは集落が続く限り永続したと考えられます。
・貯蔵土坑が設置される場所(サイト)は集落土地利用の中である程度限定されていたと考えられます。集落土地利用ゾーンニングの観念が集落開始期から堀之内2式期頃まで、つまり貝塚形成期間は受け継がれていたと想像します。
4 貯蔵土坑と竪穴住居が重複する例
貯蔵土坑と竪穴住居が重複する例を分布図で観察してみました。
貯蔵土坑 竪穴住居と重複するもの
6カ所で貯蔵土坑と竪穴住居の重複が観察されました。
それぞれの箇所を詳しく調べるとすべて貯蔵土坑(古)→竪穴住居(新)の関係と判断できます。
人口急増の中で竪穴住居立地条件のよい場所にある貯蔵土坑を別の場所に移設して、その場所に竪穴住居を建設したことが想定できます。
また、一度貯蔵土坑を建設するとその建設家族に土坑付近土地空間の占有権が発生し、そこに竪穴住居を建設しやすいという事情もあったと推測します。
2018年5月12日土曜日
疑問 竪穴住居漆喰貝層有無の意義
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 40
竪穴住居から漆喰貝層が出土するか否かが集団の違いに対応するかどうか疑問を抱いています。
竪穴住居の分布
2018.05.08記事「送り場等として再利用された貯蔵土坑の分布特性」では次のように書きました。
「3 竪穴住居の漆喰貝層あり、なし区分は祭祀環状空間との関わりで廃絶後に生まれる事象であることから、その区分は集団等の別とは関係しない可能性が強いと考えます。(これまで逆に集団等の違いがあると疑っていました。) 」
しかし、この記述は不十分でしたので否定することにします。貝層の出土は廃絶後覆土層に投げ込まれたものですから廃絶後に生まれた事象ですが、漆喰貼床、漆喰炉は竪穴住居が生活に利用されていた時期に設置されたものだからです。
漆喰と貝層出土は強く相関し、空間的には祭祀環状空間に分布します。
竪穴住居の漆喰貝層あり、なしは集団の違いに対応するというこれまでの考えを踏襲することにします。
2018.02.27記事「新発見 貝塚における異なる生業2集団の共存 大膳野南貝塚後期集落」参照
ただし、これまでは漆喰貝層あり竪穴住居の集団と漆喰貝層なし竪穴住居の集団の2つが直接集落を構成するようにイメージしていたのですが、貯蔵土坑の検討から下図にあるように集落を直接構成するのは3つの家族集団であることがわかったのですから集落構成イメージを少し変更する必要があります。
貯蔵土坑に関する作業仮説
2018.05.07記事「貯蔵土坑と竪穴住居との関係」参照
疑問として思考停止するのではなく、結果として間違ってもよいから作業仮説を立てて学習を進める立場から集落構成イメージを次のように推定します。
大膳野南貝塚後期集落の構成(推定)
漆喰貝層あり竪穴住居家族は漁労・狩猟・採集を生業とする家族で集落内で主導的役割を果たし、漆喰貝層なし竪穴住居家族は狩猟・採集を生業とする家族で集落内で追従的役割を果たしていたと推定しました。推定根拠の一つとして漆喰貝層なし竪穴住居が祭祀環状空間から外れた中空ゾーンや谷津斜面に分布することをあげます。
また漆喰貝層あり竪穴住居家族と漆喰貝層なし竪穴住居家族の埋葬方式が異なりますので、恐らくルーツが異なる集団であると想像します。
想像に想像を重ねれば3つの貝層別集団の中で、漆喰貝層あり竪穴住居家族集団と漆喰貝層なし竪穴住居家族集団は生業の特色を生かして相互協力関係・補完関係にあったものと推定します。同時に祭祀における優劣関係も明白であったと推定しますが支配-非支配という関係でないことは漆喰貝層なし竪穴住居によって南北貝層が分断されている(漆喰貝層なし竪穴住居を移転させることができない)ことからもわかります。
竪穴住居から漆喰貝層が出土するか否かが集団の違いに対応するかどうか疑問を抱いています。
竪穴住居の分布
2018.05.08記事「送り場等として再利用された貯蔵土坑の分布特性」では次のように書きました。
「3 竪穴住居の漆喰貝層あり、なし区分は祭祀環状空間との関わりで廃絶後に生まれる事象であることから、その区分は集団等の別とは関係しない可能性が強いと考えます。(これまで逆に集団等の違いがあると疑っていました。) 」
しかし、この記述は不十分でしたので否定することにします。貝層の出土は廃絶後覆土層に投げ込まれたものですから廃絶後に生まれた事象ですが、漆喰貼床、漆喰炉は竪穴住居が生活に利用されていた時期に設置されたものだからです。
漆喰と貝層出土は強く相関し、空間的には祭祀環状空間に分布します。
竪穴住居の漆喰貝層あり、なしは集団の違いに対応するというこれまでの考えを踏襲することにします。
2018.02.27記事「新発見 貝塚における異なる生業2集団の共存 大膳野南貝塚後期集落」参照
ただし、これまでは漆喰貝層あり竪穴住居の集団と漆喰貝層なし竪穴住居の集団の2つが直接集落を構成するようにイメージしていたのですが、貯蔵土坑の検討から下図にあるように集落を直接構成するのは3つの家族集団であることがわかったのですから集落構成イメージを少し変更する必要があります。
貯蔵土坑に関する作業仮説
2018.05.07記事「貯蔵土坑と竪穴住居との関係」参照
疑問として思考停止するのではなく、結果として間違ってもよいから作業仮説を立てて学習を進める立場から集落構成イメージを次のように推定します。
大膳野南貝塚後期集落の構成(推定)
漆喰貝層あり竪穴住居家族は漁労・狩猟・採集を生業とする家族で集落内で主導的役割を果たし、漆喰貝層なし竪穴住居家族は狩猟・採集を生業とする家族で集落内で追従的役割を果たしていたと推定しました。推定根拠の一つとして漆喰貝層なし竪穴住居が祭祀環状空間から外れた中空ゾーンや谷津斜面に分布することをあげます。
また漆喰貝層あり竪穴住居家族と漆喰貝層なし竪穴住居家族の埋葬方式が異なりますので、恐らくルーツが異なる集団であると想像します。
想像に想像を重ねれば3つの貝層別集団の中で、漆喰貝層あり竪穴住居家族集団と漆喰貝層なし竪穴住居家族集団は生業の特色を生かして相互協力関係・補完関係にあったものと推定します。同時に祭祀における優劣関係も明白であったと推定しますが支配-非支配という関係でないことは漆喰貝層なし竪穴住居によって南北貝層が分断されている(漆喰貝層なし竪穴住居を移転させることができない)ことからもわかります。
2018年5月11日金曜日
疑問 環状集落中空ゾーンの意義
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 39
2018.05.08記事「送り場等として再利用された貯蔵土坑の分布特性」を書いて次の2つの大きな疑問を意識しました。
1 大膳野南貝塚という環状集落の中央部分の広場はどのような意義を持つか?
2 竪穴住居の漆喰貝層あり、なしの区分は本当に集団と関係がないか?
2つの疑問ともに大膳野南貝塚学習を進める上で根本的な課題であると感じますので、土坑学習に没頭して忘れてしまっては元も子もないので、取り急ぎメモします。
この記事では1についてメモします。
1 中空ゾーンの存在
廃屋墓、土坑墓等の葬祭関連遺構の分布は環状になっていて、その中央部分は中空になっています。この領域を中空ゾーンと呼ぶことにします。
廃屋墓・土坑墓等
環状集落によってはこのゾーンに土坑墓が集中している例があり、それを念頭に土坑を良く調べましたが大膳野南貝塚では中空ゾーンに「めぼしい」遺構は見つかりません。
2 参考 装身具出土遺構
人骨は出土しないけれどもその土坑が土坑墓である決め手として、そこから装身具が出土していることをもって論をすすめている検討例もあります。そうした検討例を参考に大膳野南貝塚の装身具出土遺構を調べてみました。
装身具出土竪穴住居・土坑
中空ゾーンからは装身具は出土していません。
中空ゾーンは葬祭の場ではないようです。
3 中空ゾーンの意義
竪穴住居・土坑分布図に中空ゾーンをプロットしたみました。
竪穴住居・土坑
中空ゾーンは漆喰貝層なし竪穴住居に囲まれているように観察できます。またその中央部分(”ゾーン”の字の付近)には列状に土坑(植物食関連送り場土坑、トイレあるいは植物食関連送り場土坑)が分布します。
この分布図だけから中空ゾーンの意義を論証できることはありませんが、空想をすることはできます。学習を進める上で後に間違いであることがわかるにしても何も考えないより少しでも考えておくほうがよいに決まっています。
そこで浮かんできた中空ゾーンの意義に関する空想をメモします。
中空ゾーンがあまり意味の無い空間であったとは到底考えられません。他の遺跡でこのゾーンに土坑墓が集中配置されている例があるからです。
また環状構造を作っておいて、その中央部分が無意味であるはずはありません。
廃屋墓を観察すると多人数でかつ性別年齢が異なる人が埋葬されている例があります。この埋葬は特定時期にほぼ同時に死亡したのではなく、バラバラの時期に別の事情で死亡した人が別の場所で殯が行われ(ミイラ化され)、ある特定の時期に同時に廃屋墓に持ち込まれたと考えました。
2017.12.26記事「殯(モガリ)におけるミイラ作成」参照
廃屋墓はあくまで最後の埋葬地であり、その前に長期間にわたる(半年~1年~2年?)ミイラ作成場所(殯の場所)が必要です。
その場所は居住している竪穴住居であるとは考えづらいことです。
またその場所を集落の外や谷津であると考えることも縄文人の死者に対する気持ちに反するように感じます。
そのミイラ作成場所(殯の場所)こそ中空ゾーンだったのではないかと空想します。
404号土坑(ヒト骨出土土坑、植物食関連送り場土坑)は深さ13cmの浅い土坑ですが、ここからヒト頭骨細片1点が出土していて、浅い土坑がミイラ作成場所と関連していた可能性を暗示しています。
2018.05.08記事「送り場等として再利用された貯蔵土坑の分布特性」を書いて次の2つの大きな疑問を意識しました。
1 大膳野南貝塚という環状集落の中央部分の広場はどのような意義を持つか?
2 竪穴住居の漆喰貝層あり、なしの区分は本当に集団と関係がないか?
2つの疑問ともに大膳野南貝塚学習を進める上で根本的な課題であると感じますので、土坑学習に没頭して忘れてしまっては元も子もないので、取り急ぎメモします。
この記事では1についてメモします。
1 中空ゾーンの存在
廃屋墓、土坑墓等の葬祭関連遺構の分布は環状になっていて、その中央部分は中空になっています。この領域を中空ゾーンと呼ぶことにします。
廃屋墓・土坑墓等
環状集落によってはこのゾーンに土坑墓が集中している例があり、それを念頭に土坑を良く調べましたが大膳野南貝塚では中空ゾーンに「めぼしい」遺構は見つかりません。
2 参考 装身具出土遺構
人骨は出土しないけれどもその土坑が土坑墓である決め手として、そこから装身具が出土していることをもって論をすすめている検討例もあります。そうした検討例を参考に大膳野南貝塚の装身具出土遺構を調べてみました。
装身具出土竪穴住居・土坑
中空ゾーンからは装身具は出土していません。
中空ゾーンは葬祭の場ではないようです。
3 中空ゾーンの意義
竪穴住居・土坑分布図に中空ゾーンをプロットしたみました。
竪穴住居・土坑
中空ゾーンは漆喰貝層なし竪穴住居に囲まれているように観察できます。またその中央部分(”ゾーン”の字の付近)には列状に土坑(植物食関連送り場土坑、トイレあるいは植物食関連送り場土坑)が分布します。
この分布図だけから中空ゾーンの意義を論証できることはありませんが、空想をすることはできます。学習を進める上で後に間違いであることがわかるにしても何も考えないより少しでも考えておくほうがよいに決まっています。
そこで浮かんできた中空ゾーンの意義に関する空想をメモします。
中空ゾーンがあまり意味の無い空間であったとは到底考えられません。他の遺跡でこのゾーンに土坑墓が集中配置されている例があるからです。
また環状構造を作っておいて、その中央部分が無意味であるはずはありません。
廃屋墓を観察すると多人数でかつ性別年齢が異なる人が埋葬されている例があります。この埋葬は特定時期にほぼ同時に死亡したのではなく、バラバラの時期に別の事情で死亡した人が別の場所で殯が行われ(ミイラ化され)、ある特定の時期に同時に廃屋墓に持ち込まれたと考えました。
2017.12.26記事「殯(モガリ)におけるミイラ作成」参照
廃屋墓はあくまで最後の埋葬地であり、その前に長期間にわたる(半年~1年~2年?)ミイラ作成場所(殯の場所)が必要です。
その場所は居住している竪穴住居であるとは考えづらいことです。
またその場所を集落の外や谷津であると考えることも縄文人の死者に対する気持ちに反するように感じます。
そのミイラ作成場所(殯の場所)こそ中空ゾーンだったのではないかと空想します。
404号土坑(ヒト骨出土土坑、植物食関連送り場土坑)は深さ13cmの浅い土坑ですが、ここからヒト頭骨細片1点が出土していて、浅い土坑がミイラ作成場所と関連していた可能性を暗示しています。
2018年5月8日火曜日
送り場等として再利用された貯蔵土坑の分布特性
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 38
貯蔵土坑のうち再利用(二次利用)されているものは24基あり土坑全部63基の38%にあたります。再利用の内訳は廃土坑墓・送り場1基、送り場22基、巨大柱穴1基となります。
詳しくはすでに2018.04.30記事「貯蔵土坑の二次利用 廃土坑墓・送り場・巨大柱穴」で分析しています。
この記事では再利用された貯蔵土坑の分布特性について検討します。
次の図は再利用土坑を図示したものです。
貯蔵土坑の二次用途
この図から二次用途のある貯蔵土坑だけを抽出していみます。
二次用途のある貯蔵土坑
二用途のある貯蔵土坑の分布が漆喰貝層あり竪穴住居の分布と相関するように環状分布として観察できます。
この環状分布に似ている遺構として動物食関連送り場土坑(貝や獣骨等が出土する送り場と推定した土坑)をあげることができます。
その動物食関連送り場土坑を分布図に一緒に書き込んでみました。
二次用途のある貯蔵土坑及び動物食関連送り場土坑
送り場等として再利用された土坑、動物食関連送り場土坑、漆喰貝層あり竪穴住居の分布が似ているのは偶然ではなく、その環状の空間が祭祀空間であったために必然的に分布する空間が重なったのだと考えます。
この環状分布と無関係と考えられる遺構として植物食関連送り場土坑(貝や獣骨等が出土しない送り場土坑…主食残飯や灰の送り場(捨て場))があります。またトイレ又は植物食関連土坑があります。送り場等として再利用された土坑の分布特性を浮き彫りにするために、これらの分布を重ねてみました。
二次用途のある貯蔵土坑及び動物食関連送り場土坑と植物食関連送り場土坑
二次用途のある貯蔵土坑及び動物食関連送り場土坑とトイレ又は植物食関連送り場土坑
これらの図から分布という観点から遺構種類をみると貝層分布をベースとする環状に分布するものと、環状とは無関係に集落全体に分布するものの2つがあることが判ります。
二次用途のある貯蔵土坑は環状に分布し、その環状空間は縄文人が祭祀空間としてイメージしていた場所であると考えます。
祭祀性が濃い遺構を分布図として集成すると次のようになり、個々遺構分布では観察できない明瞭な環状空間が出現します。
主要祭祀性関連遺構集成
貝層
地点貝層
廃屋墓
漆喰貝層出土竪穴住居
単独人骨
土坑墓
単独埋甕
小児棺
貯蔵土坑(二次用途送り場)
貯蔵土坑(二次用途廃土坑墓等)
動物食関連送り場土坑
一方祭祀性が薄い遺構分布を例示すると次のようになり、集落空間に一様の分布するように観察できます。
貝層分布と相関しない遺構の例
漆喰貝層が出土しない竪穴住居
植物食関連土坑
トイレ又は植物食関連土坑
貯蔵土坑(二次用途のないもの)
特殊土坑
上の「主要祭祀性関連遺構集成」図を下の「貝層分布と相関しない遺構の例」図と比較していろいろなことが判明しますが、この記事では次の4点をメモします。
1 集落住人が代々共通してイメージを引き継いだゾーニングとしての祭祀環状空間の存在が判ります。
2 竪穴住居、貯蔵土坑などは必ずしも祭祀環状空間に合わせて建設していないけれども、祭祀環状空間に存在する竪穴住居、貯蔵土坑はその廃絶後送り場、廃屋墓など祭祀の場として使われたものが多かったと考えられます。
3 竪穴住居の漆喰貝層あり、なし区分は祭祀環状空間との関わりで廃絶後に生まれる事象であることから、その区分は集団等の別とは関係しない可能性が強いと考えます。(これまで逆に集団等の違いがあると疑っていました。)
打ち消しの理由は2018.05.12記事「疑問 竪穴住居漆喰貝層有無の意義」参照
4 同じ送り場土坑でも動物食関連土坑と植物食関連土坑の分布特性が全く異なることから動物食(貝・魚介類・獣)がご馳走であり、口にする回数が少ないのであり、それだけ祭祀の場にふさわしい食事であったことが判ります。
貯蔵土坑のうち再利用(二次利用)されているものは24基あり土坑全部63基の38%にあたります。再利用の内訳は廃土坑墓・送り場1基、送り場22基、巨大柱穴1基となります。
詳しくはすでに2018.04.30記事「貯蔵土坑の二次利用 廃土坑墓・送り場・巨大柱穴」で分析しています。
この記事では再利用された貯蔵土坑の分布特性について検討します。
次の図は再利用土坑を図示したものです。
貯蔵土坑の二次用途
この図から二次用途のある貯蔵土坑だけを抽出していみます。
二次用途のある貯蔵土坑
二用途のある貯蔵土坑の分布が漆喰貝層あり竪穴住居の分布と相関するように環状分布として観察できます。
この環状分布に似ている遺構として動物食関連送り場土坑(貝や獣骨等が出土する送り場と推定した土坑)をあげることができます。
その動物食関連送り場土坑を分布図に一緒に書き込んでみました。
二次用途のある貯蔵土坑及び動物食関連送り場土坑
送り場等として再利用された土坑、動物食関連送り場土坑、漆喰貝層あり竪穴住居の分布が似ているのは偶然ではなく、その環状の空間が祭祀空間であったために必然的に分布する空間が重なったのだと考えます。
この環状分布と無関係と考えられる遺構として植物食関連送り場土坑(貝や獣骨等が出土しない送り場土坑…主食残飯や灰の送り場(捨て場))があります。またトイレ又は植物食関連土坑があります。送り場等として再利用された土坑の分布特性を浮き彫りにするために、これらの分布を重ねてみました。
二次用途のある貯蔵土坑及び動物食関連送り場土坑と植物食関連送り場土坑
二次用途のある貯蔵土坑及び動物食関連送り場土坑とトイレ又は植物食関連送り場土坑
これらの図から分布という観点から遺構種類をみると貝層分布をベースとする環状に分布するものと、環状とは無関係に集落全体に分布するものの2つがあることが判ります。
二次用途のある貯蔵土坑は環状に分布し、その環状空間は縄文人が祭祀空間としてイメージしていた場所であると考えます。
祭祀性が濃い遺構を分布図として集成すると次のようになり、個々遺構分布では観察できない明瞭な環状空間が出現します。
主要祭祀性関連遺構集成
貝層
地点貝層
廃屋墓
漆喰貝層出土竪穴住居
単独人骨
土坑墓
単独埋甕
小児棺
貯蔵土坑(二次用途送り場)
貯蔵土坑(二次用途廃土坑墓等)
動物食関連送り場土坑
一方祭祀性が薄い遺構分布を例示すると次のようになり、集落空間に一様の分布するように観察できます。
貝層分布と相関しない遺構の例
漆喰貝層が出土しない竪穴住居
植物食関連土坑
トイレ又は植物食関連土坑
貯蔵土坑(二次用途のないもの)
特殊土坑
上の「主要祭祀性関連遺構集成」図を下の「貝層分布と相関しない遺構の例」図と比較していろいろなことが判明しますが、この記事では次の4点をメモします。
1 集落住人が代々共通してイメージを引き継いだゾーニングとしての祭祀環状空間の存在が判ります。
2 竪穴住居、貯蔵土坑などは必ずしも祭祀環状空間に合わせて建設していないけれども、祭祀環状空間に存在する竪穴住居、貯蔵土坑はその廃絶後送り場、廃屋墓など祭祀の場として使われたものが多かったと考えられます。
打ち消しの理由は2018.05.12記事「疑問 竪穴住居漆喰貝層有無の意義」参照
4 同じ送り場土坑でも動物食関連土坑と植物食関連土坑の分布特性が全く異なることから動物食(貝・魚介類・獣)がご馳走であり、口にする回数が少ないのであり、それだけ祭祀の場にふさわしい食事であったことが判ります。
2018年5月7日月曜日
貯蔵土坑と竪穴住居との関係
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 37
時期別に貯蔵土坑と竪穴住居との関係を分析しました。
ただし貯蔵土坑のデータは詳細時期は称名寺式期、堀之内1式期、加曽利B2式期だけしかありません。その他の時期のデータは「堀之内式期」「後期」「不明(縄文時代)」などの中に含まれていると考えられます。
従って詳細時期を通覧して検討することはできません。
データの多い称名寺式期と堀之内1式期の検討がメインになります。
1 称名寺式期
称名寺式期貯蔵土坑
貯蔵土坑が調査域南西隅に集中し、かつその場所は主な竪穴住居から離れていることが大変特徴です。
このような特徴はその後の堀之内1式期ではみられません。
この特徴は前期集落の竪穴住居と土坑分布の関係と似ているように考えます。
前期集落土坑
前期集落土坑のうち南西域に集中している土坑のほとんどはオニクルミ核などが出土し貯蔵土坑であると考えられています。その場所から竪穴住居は離れています。
前期集落では集落内土地利用区分が行われ、竪穴住居域と貯蔵土坑群とは別の場所にゾーニングされていたと考えました。その理由として衛生上の環境維持などがあると考察しました。
称名寺式期貯蔵土坑の集中立地も同じように土地利用ゾーニングの思考があり、前期集落と似た場所に貯蔵土坑が作られたと考えます。その理由はやはり衛生環境保持であったと想像します。
2 堀之内1式期
堀之内1式期貯蔵土坑
堀之内1式期は集落最盛期です。この図に表現されている土坑及び竪穴住居は堀之内1式期として特定されたデータだであり、「堀之内式期」「後期」「不明(縄文時代)」などとして把握されたデータの多くが堀之内1式期のものであると考えます。
そこで堀之内1式期のデータを含む「堀之内式期」土坑図と後期集落全部のデータを含む「後期」土坑図を作成してみました。
堀之内式期土坑
後期土坑
後期土坑のデータは後期集落発掘データの全てが含まれ、かつ集落最盛期である堀之内1式期の状況と近似していると考えることができます。
そのデータの様子から、堀之内1式期の検討を後期全期データで行ってみました。
検討では後期土坑の図から想像できる状況を作業仮説としてまとめました。
大膳野南貝塚 後期集落 貯蔵土坑に関する作業仮説
●後期全期の土坑と竪穴住居分布が堀之内1式期(集落最盛期)の実勢と近似していると想定できる。
●3つの貝層(南貝層、北貝層、西貝層)に対応した3つの家族集団が存在したと想定できる。
●3つの家族集団はそれぞれ超大型(容積2㎥以上)貯蔵土坑を所持していたと想定する。(集団全体の食糧管理用、2基づつあるのは建て替えの結果で、同時運用は1基であると想定する。)
●3家族集団の超大型貯蔵土坑の位置はそれぞれの集団が利用していた堅果類採集テリトリーに近い場所であると想定する。
●3家族集団は大型(容積1㎥以上2㎥未満)や中小型土坑(容積1㎥未満)も親族・家族単位で所持していて、その場所は竪穴住居に近い場所であったと想定する。
●集団全体の食糧管理(超大型土坑)と親族・家族単位の食糧管理(大型、中小型土坑)が併存していたのは食糧不足時の相互融通(食糧配布の平等性)のためであった可能性がある。(超大型土坑建設は家族集団としてのリスク管理行為であった可能性がある。)
超大型土坑の位置は3家族集団の食糧採集テリトリーを次のように空想すると合理的に説明できます。
3家族集団の食糧採集テリトリーの空想
3 加曽利B2式期
加曽利B2式期貯蔵土坑
2つの竪穴住居の中間に位置するように観察できます。
ただし貯蔵土坑のデータは詳細時期は称名寺式期、堀之内1式期、加曽利B2式期だけしかありません。その他の時期のデータは「堀之内式期」「後期」「不明(縄文時代)」などの中に含まれていると考えられます。
従って詳細時期を通覧して検討することはできません。
データの多い称名寺式期と堀之内1式期の検討がメインになります。
1 称名寺式期
称名寺式期貯蔵土坑
貯蔵土坑が調査域南西隅に集中し、かつその場所は主な竪穴住居から離れていることが大変特徴です。
このような特徴はその後の堀之内1式期ではみられません。
この特徴は前期集落の竪穴住居と土坑分布の関係と似ているように考えます。
前期集落土坑
前期集落土坑のうち南西域に集中している土坑のほとんどはオニクルミ核などが出土し貯蔵土坑であると考えられています。その場所から竪穴住居は離れています。
前期集落では集落内土地利用区分が行われ、竪穴住居域と貯蔵土坑群とは別の場所にゾーニングされていたと考えました。その理由として衛生上の環境維持などがあると考察しました。
称名寺式期貯蔵土坑の集中立地も同じように土地利用ゾーニングの思考があり、前期集落と似た場所に貯蔵土坑が作られたと考えます。その理由はやはり衛生環境保持であったと想像します。
2 堀之内1式期
堀之内1式期貯蔵土坑
堀之内1式期は集落最盛期です。この図に表現されている土坑及び竪穴住居は堀之内1式期として特定されたデータだであり、「堀之内式期」「後期」「不明(縄文時代)」などとして把握されたデータの多くが堀之内1式期のものであると考えます。
そこで堀之内1式期のデータを含む「堀之内式期」土坑図と後期集落全部のデータを含む「後期」土坑図を作成してみました。
後期土坑
後期土坑のデータは後期集落発掘データの全てが含まれ、かつ集落最盛期である堀之内1式期の状況と近似していると考えることができます。
そのデータの様子から、堀之内1式期の検討を後期全期データで行ってみました。
検討では後期土坑の図から想像できる状況を作業仮説としてまとめました。
大膳野南貝塚 後期集落 貯蔵土坑に関する作業仮説
●後期全期の土坑と竪穴住居分布が堀之内1式期(集落最盛期)の実勢と近似していると想定できる。
●3つの貝層(南貝層、北貝層、西貝層)に対応した3つの家族集団が存在したと想定できる。
●3つの家族集団はそれぞれ超大型(容積2㎥以上)貯蔵土坑を所持していたと想定する。(集団全体の食糧管理用、2基づつあるのは建て替えの結果で、同時運用は1基であると想定する。)
●3家族集団の超大型貯蔵土坑の位置はそれぞれの集団が利用していた堅果類採集テリトリーに近い場所であると想定する。
●3家族集団は大型(容積1㎥以上2㎥未満)や中小型土坑(容積1㎥未満)も親族・家族単位で所持していて、その場所は竪穴住居に近い場所であったと想定する。
●集団全体の食糧管理(超大型土坑)と親族・家族単位の食糧管理(大型、中小型土坑)が併存していたのは食糧不足時の相互融通(食糧配布の平等性)のためであった可能性がある。(超大型土坑建設は家族集団としてのリスク管理行為であった可能性がある。)
超大型土坑の位置は3家族集団の食糧採集テリトリーを次のように空想すると合理的に説明できます。
3家族集団の食糧採集テリトリーの空想
3 加曽利B2式期
加曽利B2式期貯蔵土坑
2つの竪穴住居の中間に位置するように観察できます。
2018年5月6日日曜日
ブログヘッダ画面画像の更新
ブログヘッダ画面画像を更新しましたので説明します。
ブログヘッダ画面更新後の画像
花見川堀割部付近の地形立体画像を国土地理院サイトの「地理院地図」で作成し使いました。
地理院地図→機能→3D→大(2048×2048)で作成した物です。
地理院地図3D機能で作成した原画
ヘッダ画面は原画をPhotoshopで明るさ・コントラストを調整して切り抜いたものです。
更新前の画像と比べると地形が精細にかつ明瞭に(デフォルメして)判るようになりました。
更新前ブログヘッダ画面画像
更新後画像はこれまでこのブログで扱ってきた地形成因(花見川河川争奪)や印旛沼堀割普請の様子を説明するために判りやすい画像となっています。
更新後画像に投影できる自然地理的・歴史的事象の例
ブログヘッダ画面更新後の画像
花見川堀割部付近の地形立体画像を国土地理院サイトの「地理院地図」で作成し使いました。
地理院地図→機能→3D→大(2048×2048)で作成した物です。
地理院地図3D機能で作成した原画
ヘッダ画面は原画をPhotoshopで明るさ・コントラストを調整して切り抜いたものです。
更新前の画像と比べると地形が精細にかつ明瞭に(デフォルメして)判るようになりました。
更新前ブログヘッダ画面画像
更新後画像はこれまでこのブログで扱ってきた地形成因(花見川河川争奪)や印旛沼堀割普請の様子を説明するために判りやすい画像となっています。
更新後画像に投影できる自然地理的・歴史的事象の例
2018年5月4日金曜日
大型貯蔵土坑の整形仕上げの違い
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 36
●この記事の最後部を修正しました。(2018.05.06)
2018.05.02記事「大型貯蔵土坑の空間分析 その1」で作成した大型貯蔵土坑空間分布図をよくみると整形仕上げの違いが顕著な特徴として観察できますので興味を深めながら検討します。
大型貯蔵土坑整形仕上げの違いを類別すると次のようにA、B、Cと3つに分けて捉えることができます。
大型貯蔵土坑仕上げ類似性
A、B、Cの違いの観察図は次の通りです。
概算容量2㎥以上の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
整形仕上げAは大型土坑の中でもさらに大型のものが多くかつ仕上げが丁寧で円や曲線・直線の形状を巧みに使って内壁がなめらかな空間を作っています。底には原則ピットがありませんから「エラ」もありません。Aは北貝層と西貝層付近に主に分布していて全て台地面に分布しています。オーバーハングした部分をもつフラスコ状土坑の典型が含まれています。仕上げデザインに成熟性が感じられます。時期は堀之内1式期のものがメインです。
整形仕上げBは底にピットとその上部内壁に「エラ」があるのが特徴です。「エラ」に簀子のような棚をつくり、その上にモノを貯蔵したと考えられます。「エラ」下のピットは内壁から染み出す水の溜であると考えられます。BはAと較べると内壁に凸凹があり仕上げが雑です。Aと同じくオーバーハングした部分をもちフラスコ状と分類できますが仕上げデザインが未熟に感じられます。Bは南貝層付近でかつ斜面に分布しているのが特徴です。時期は堀之内1式期のものがメインです。
整形仕上げCは鍋状土坑ですが底が平でかつ内壁の仕上げが雑です。集落南西部に集中して分布していて、その場所は3つの貝層からは離れているように感じられます。また前期集落の竪穴住居群から離れた土坑集中域に一致する場所でもあります。さらに称名寺式期土坑が含まれています。
以上の観察から土坑整形仕上げ技術はAの方がB、Cより高く感じられます。
Cは集落開始期のものが含まれ土坑建設技術が未熟である時期のものと考えると、集落最盛期(堀之内1式期)には大型貯蔵土坑デザイン(形状・仕上げ)に関してAとBという2流派が存在していたように捉えることができます。
A流派は台地面という良好な土地条件の場所に土坑を建設しているので貯蔵活動では集落内主流です。
一方B流派は斜面という劣悪な場所に土坑を建設していて(だから「エラ」とピットを備えている)、貯蔵活動では集落内で劣位です。
AとBが集落集団とどのように関わるのか強く興味をそそられます。
集落最盛期(堀之内1式期)には貯蔵土坑がそれを利用する家族(集団)の竪穴住居(群)からあまり離れていない場所に作られたと想定すると、次のような仮説候補を持つとことができるかもしれません。
仮説候補
大型貯蔵土坑A流派…集落構成主要家族集団群(集落本流の家族集団群)
大型貯蔵土坑B流派…南貝層周辺家族集団の一つ(集落を構成する家族集団の一つ)
仮説候補
大型貯蔵土坑A流派…漆喰貝層なし竪穴住居家族集団…堅果類や植物の採集をメイン生業とする家族集団
大型貯蔵土坑B流派…漆喰貝層あり竪穴住居家族集団…漁業をメイン生業とする家族集団
この仮説候補がより確からしい仮説になれば、大膳野南貝塚後期集落は2つの異なる生業集団が共存していた社会としてより明確にイメージできるようになります。
さらに2つの異なる生業集団の集落内相互協力補完関係の有無などの検討も興味対象になります。
……………………………………………………………………
大型貯蔵土坑Aのうち7基は二次用途として送り場として利用されていて貝層が出土していますから漆喰貝層あり竪穴住居家族集団と無関係であると考えることができません。
AとBを漆喰貝層あり、なし竪穴住居家族集団と結びつけることは最初から間違っていました。
漆喰貝層あり竪穴住居と漆喰貝層なし竪穴住居の違いの意味が、集団の違いであるのか、単なる祭祀に関わる空間位置の違いであるのか、今ひとつ自分が確信を持てる仮説を作れていません。そうした状況のなかで生れた錯誤でした。
●この記事の最後部を修正しました。(2018.05.06)
2018.05.02記事「大型貯蔵土坑の空間分析 その1」で作成した大型貯蔵土坑空間分布図をよくみると整形仕上げの違いが顕著な特徴として観察できますので興味を深めながら検討します。
大型貯蔵土坑整形仕上げの違いを類別すると次のようにA、B、Cと3つに分けて捉えることができます。
大型貯蔵土坑仕上げ類似性
A、B、Cの違いの観察図は次の通りです。
概算容量2㎥以上の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
整形仕上げAは大型土坑の中でもさらに大型のものが多くかつ仕上げが丁寧で円や曲線・直線の形状を巧みに使って内壁がなめらかな空間を作っています。底には原則ピットがありませんから「エラ」もありません。Aは北貝層と西貝層付近に主に分布していて全て台地面に分布しています。オーバーハングした部分をもつフラスコ状土坑の典型が含まれています。仕上げデザインに成熟性が感じられます。時期は堀之内1式期のものがメインです。
整形仕上げBは底にピットとその上部内壁に「エラ」があるのが特徴です。「エラ」に簀子のような棚をつくり、その上にモノを貯蔵したと考えられます。「エラ」下のピットは内壁から染み出す水の溜であると考えられます。BはAと較べると内壁に凸凹があり仕上げが雑です。Aと同じくオーバーハングした部分をもちフラスコ状と分類できますが仕上げデザインが未熟に感じられます。Bは南貝層付近でかつ斜面に分布しているのが特徴です。時期は堀之内1式期のものがメインです。
整形仕上げCは鍋状土坑ですが底が平でかつ内壁の仕上げが雑です。集落南西部に集中して分布していて、その場所は3つの貝層からは離れているように感じられます。また前期集落の竪穴住居群から離れた土坑集中域に一致する場所でもあります。さらに称名寺式期土坑が含まれています。
以上の観察から土坑整形仕上げ技術はAの方がB、Cより高く感じられます。
Cは集落開始期のものが含まれ土坑建設技術が未熟である時期のものと考えると、集落最盛期(堀之内1式期)には大型貯蔵土坑デザイン(形状・仕上げ)に関してAとBという2流派が存在していたように捉えることができます。
A流派は台地面という良好な土地条件の場所に土坑を建設しているので貯蔵活動では集落内主流です。
一方B流派は斜面という劣悪な場所に土坑を建設していて(だから「エラ」とピットを備えている)、貯蔵活動では集落内で劣位です。
AとBが集落集団とどのように関わるのか強く興味をそそられます。
集落最盛期(堀之内1式期)には貯蔵土坑がそれを利用する家族(集団)の竪穴住居(群)からあまり離れていない場所に作られたと想定すると、次のような仮説候補を持つとことができるかもしれません。
仮説候補
大型貯蔵土坑A流派…集落構成主要家族集団群(集落本流の家族集団群)
大型貯蔵土坑B流派…南貝層周辺家族集団の一つ(集落を構成する家族集団の一つ)
……………………………………………………………………
この記事掲載当初の次の文章は廃棄します。(2018.05.06)
……………………………………………………………………
大型貯蔵土坑Aのうち7基は二次用途として送り場として利用されていて貝層が出土していますから漆喰貝層あり竪穴住居家族集団と無関係であると考えることができません。
AとBを漆喰貝層あり、なし竪穴住居家族集団と結びつけることは最初から間違っていました。
漆喰貝層あり竪穴住居と漆喰貝層なし竪穴住居の違いの意味が、集団の違いであるのか、単なる祭祀に関わる空間位置の違いであるのか、今ひとつ自分が確信を持てる仮説を作れていません。そうした状況のなかで生れた錯誤でした。
2018年5月2日水曜日
大型貯蔵土坑の空間分析 その1
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 35
大型貯蔵土坑の空間分布図を作成しました。
概算容量2㎥以上の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
断面図及び時期、二次利用について分布図として眺めてみると分布図を作成しなければ決してわからない集落の様子が浮かび上がってきています。
上記3枚の分析図を使って大型貯蔵土坑の分析を次の項目等について順次行います。
●南貝層・北貝層・西貝層に対応するかのような土坑分布と貝層の存在しない南西隅の土坑分布がみられること。
●土坑形状(土坑内部の仕上がり詳細)の違いが分布の違いと対応しているようにみえる箇所があること。
●時期の違い(称名寺式期と堀之内1式期)と分布の違いに対応があるように見えること。
●二次利用(送り場、廃土坑墓)が集中している区域があるように見えること。
大型貯蔵土坑の空間分布図を作成しました。
概算容量2㎥以上の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
断面図及び時期、二次利用について分布図として眺めてみると分布図を作成しなければ決してわからない集落の様子が浮かび上がってきています。
上記3枚の分析図を使って大型貯蔵土坑の分析を次の項目等について順次行います。
●南貝層・北貝層・西貝層に対応するかのような土坑分布と貝層の存在しない南西隅の土坑分布がみられること。
●土坑形状(土坑内部の仕上がり詳細)の違いが分布の違いと対応しているようにみえる箇所があること。
●時期の違い(称名寺式期と堀之内1式期)と分布の違いに対応があるように見えること。
●二次利用(送り場、廃土坑墓)が集中している区域があるように見えること。
2018年5月1日火曜日
土坑一次用途推定結果の分布図
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 34
1 土坑学習の延長
土坑の学習を一度通しで行ったのですが、「そうだったんだ」と感動を持って縄文社会を理解する点で不全感があったため3月2日「土坑の再検討 予察」記事から土坑の再学習を行っています。3月一杯で終える予定でしたが、終わらず、4月末まで学習期間を延ばしました。しかし4月に入ると土坑データの操作分析技術(土坑データベースの構築とそれと連携したGIS空間分析技術)が自分にしては大いに向上し、「そうだったんだ」と感動できるようなことが多くなり、さらに多くの新しい発見がありそうな状況が生まれています。
そこで土坑学習をある程度満足できるまで、さらに延長することにします。
2 土坑一次用途の推定結果の空間分布
kj法により土坑形状を分類し、それに基づいて土坑一次利用の推定を行ってきていて、そのうち貯蔵土坑についての学習を深めている最中ですが、これまで土坑一次用途推定結果の空間分布を把握していなかったので、参考までに分布図を掲載します。
一次用途の推定 貯蔵土坑の分布
一次用途の推定 屋根付き特殊用途土坑の分布
一次用途の推定 柱穴
3 任意条件による土坑分布図作成技術の獲得
File Makerによる私家版土坑データベースの情報をQGISにインポートして任意条件による土坑分布図が即座につくれるようになりましたので、土坑空間分析が効率化しています。
任意条件(例 貯蔵土坑-容積1㎥以上2㎥未満-鍋状)のデータを抽出するQGISクエリ演算式
任意条件で抽出したデータをファイル化した分布図
3月まではこのようなQGIS操作ができなかったので、このような分布図を即座につくることはできませんでした。
次の記事から貯蔵土坑学習を再開します。
1 土坑学習の延長
土坑の学習を一度通しで行ったのですが、「そうだったんだ」と感動を持って縄文社会を理解する点で不全感があったため3月2日「土坑の再検討 予察」記事から土坑の再学習を行っています。3月一杯で終える予定でしたが、終わらず、4月末まで学習期間を延ばしました。しかし4月に入ると土坑データの操作分析技術(土坑データベースの構築とそれと連携したGIS空間分析技術)が自分にしては大いに向上し、「そうだったんだ」と感動できるようなことが多くなり、さらに多くの新しい発見がありそうな状況が生まれています。
そこで土坑学習をある程度満足できるまで、さらに延長することにします。
2 土坑一次用途の推定結果の空間分布
kj法により土坑形状を分類し、それに基づいて土坑一次利用の推定を行ってきていて、そのうち貯蔵土坑についての学習を深めている最中ですが、これまで土坑一次用途推定結果の空間分布を把握していなかったので、参考までに分布図を掲載します。
一次用途の推定 貯蔵土坑の分布
一次用途の推定 屋根付き特殊用途土坑の分布
3 任意条件による土坑分布図作成技術の獲得
File Makerによる私家版土坑データベースの情報をQGISにインポートして任意条件による土坑分布図が即座につくれるようになりましたので、土坑空間分析が効率化しています。
任意条件(例 貯蔵土坑-容積1㎥以上2㎥未満-鍋状)のデータを抽出するQGISクエリ演算式
任意条件で抽出したデータをファイル化した分布図
3月まではこのようなQGIS操作ができなかったので、このような分布図を即座につくることはできませんでした。
次の記事から貯蔵土坑学習を再開します。
登録:
投稿 (Atom)