大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 41
1 近接して存在する貯蔵土坑の分布
貯蔵土坑の分布をよく観察すると近接して存在しているものが多くみられます。その意味を検討してみました。次の図は土坑中央部から半径2.5mの円を描き、隣の土坑の円と重なったところを抽出したものです。つまり隣の土坑まで5m以内で近接するものを抽出した地図です。
貯蔵土坑 5m以内で近接するもの
5m以内で近接する土坑は全部で15カ所あります。
2 近接して存在する貯蔵土坑例の観察
近接して存在する土坑のうち4カ所について具体的に観察してみます。
近接する貯蔵土坑の例1
214土坑を切ってタンブラー状土坑(典型的なフラスコ土坑)が存在しているので旧式貯蔵土坑が高機能土坑に建て替えられた様子が観察できます。
211土坑は容量2㎥以上の大型土坑で西貝層家族集団のメイン貯蔵庫であると推定できます。211土坑と215土坑は規模が違うので対応する集団規模が異なると考えられ、同時に存在していたのではないかと推察します。
もし同時に存在していたと考えると、この付近が貯蔵土坑ゾーンという土地利用ゾーンであったことになります。
近接する貯蔵土坑の例2
称名寺式期の貯蔵土坑と堀之内式期(詳細時期は不明)の貯蔵土坑が集中しています。
この付近が集落開始期と集落成長期に貯蔵土坑ゾーンという土地利用ゾーンとして集落の人々に認識されていたことがわかります。
178土坑を切って177土坑が存在していますから、小型貯蔵土坑が規模の大きな貯蔵土坑に建て替えられたことになります。
近接する貯蔵土坑の例3
この例も規模の小さな156土坑が規模の大きな155土坑に建て替えられています。
近接する貯蔵土坑の例11
この例は切った切られた関係がないので194土坑と190土坑の時間的関係は不明ですが、これほど近接して大小の類似土坑が存在することから規模の小さな194土坑が規模の大きな190土坑に建て替えられたと推測できます。
3 近接して存在する土坑に関する考察
・称名寺式期および堀之内1式期は集落が発展した時期ですから人口が急増した時期です。そのため一度つくった貯蔵土坑の容量が足りなくなり、より大型で高機能土坑を建て替えたことが多かったと考えられます。
・貯蔵土坑を使っていると湿気やカビなどの庫内環境の劣化や出入口及び庫内の崩れなどが生れて貯蔵性能が逓減し、あるいは維持管理の手間が急増し、最後は使えなくなると考えられます。つまり耐用年数が決まっていると考えられます。したがって貯蔵土坑の建て替えは集落が続く限り永続したと考えられます。
・貯蔵土坑が設置される場所(サイト)は集落土地利用の中である程度限定されていたと考えられます。集落土地利用ゾーンニングの観念が集落開始期から堀之内2式期頃まで、つまり貝塚形成期間は受け継がれていたと想像します。
4 貯蔵土坑と竪穴住居が重複する例
貯蔵土坑と竪穴住居が重複する例を分布図で観察してみました。
貯蔵土坑 竪穴住居と重複するもの
6カ所で貯蔵土坑と竪穴住居の重複が観察されました。
それぞれの箇所を詳しく調べるとすべて貯蔵土坑(古)→竪穴住居(新)の関係と判断できます。
人口急増の中で竪穴住居立地条件のよい場所にある貯蔵土坑を別の場所に移設して、その場所に竪穴住居を建設したことが想定できます。
また、一度貯蔵土坑を建設するとその建設家族に土坑付近土地空間の占有権が発生し、そこに竪穴住居を建設しやすいという事情もあったと推測します。
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