2011年11月21日月曜日

oryzasan氏に返答します

oryzasan氏から2011.11.19にいただいたコメントに返答します。

Oryzasanです。議論の進み方が早く、なかなかついて行けず、申し訳ありません。「3期(河川争奪後~普請前)の地形」の図、「印旛沼開発工事前の地形横断」についていくつか思うことがあるのですが、とりあえず質問させてください。

①この図は右が西、左が東でいいのですね。

図に東西を入れ忘れて、申し訳ございません。
右が西、左が東です。
混乱を避けるためこのブログでは、現在の花見川の流向(北→南)を基準にして、下流方向を向いて断面図を作成します。

②右側の。印旛沼開発工事前の地形横断現在の地形横断よりも上に出ている部分は現在は無いということですか。
その根拠(どこかで述べられているのかもしれませんが探せませんでした)を示して下さい。

断面線右端の高度差は図に書き込んだ高度から0.88mになります。
この差分の意味は不明です。

解釈例として
1 掘削等土地改変の結果による
2 測量精度誤差
例 大正時代測量の精度誤差による影響
3 断面図作成方法上の精度誤差
例 等高線高度を比較するという方法が内包する精度誤差による影響


③印旛沼開発工事前の地形横断の断面の下の地層、武蔵野ローム層と立川ローム層は段丘面まで、立川ローム層は古柏井川の川底まで地表面と平行に続いているのでしょうか。
④常総粘土層はどうなっていると考えられますか。

3期(河川争奪後~普請前)の地形横断の地層について、無理矢理につじつま合わせ的に空想すれば、私は次の絵のように考えていることになるかと、結果的に思います。


⑤武蔵野ローム層降灰以前の地表面の地形断面はどうなっていたのですか。

次の図のように空想します。


⑥⑤のような谷状の凹地は、古柏井川の浸食によって生じたのでしょうか。

そう考えます。

以上よろしくお願いします。

oryzasan氏の論文でいろいろ勉強させていただき、その結果を勝手に当てはめているだけです。
希望的空想にすぎないのですが、何も考えないよりはましだと思い、強引に絵をかきました。

現場での地質学的証拠集めの必要性を痛感します。
特に、段丘面の対比が正確になされなければ何も始まらないと思っています。

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