成因仮説5
2011.11.20記事で説明した花見川河川争奪の成因仮説である地理的位置仮説の確からしさを検討するために、印旛沼水系(勝田川、古柏井川、高津川)の谷地形を俯瞰してみました。
下の図にあるように、古柏井川の上流付近にE地点を設定し、(任意に設定した)A地点からの河川距離を求めると、5.4㎞でした。
そこで、A地点から5.4㎞の距離にある、B、C、D(*)、F、G、Hの各地点を設定し、その地点における谷形状の概略を把握しました。
*D地点のみ5.0㎞地点(芦太川の延長がA地点から5.2㎞しかないため)
検討ポイントの設定
この結果を見ると、北高津川、芦太川、横戸川は河川の規模が貧弱で、A地点から5.4㎞の地点で浅い谷になっています。
最終氷期の海面低下(侵食基準面の低下)に起因する下刻作用(V字谷形成)の下流からの波及は及んでいません。
高津川、古柏井川、宇那谷川、小深川の4河川がV字谷になっており、谷幅(谷壁上端線間の幅)は宇那谷川>古柏井川>小深川>高津川の順になっています。
この順に河川の侵食力の強さを表しているものと考えられます。
宇那谷川がこの流域では本流筋で、ナンバー2が古柏井川であることが確認できます。
そして、V字谷の部分が東京湾側水系に一番近いのが古柏井川です。
このような情報から河川争奪成因仮説としての地理的位置仮説の確からしさを感じました。
なお、古柏井川の谷幅(谷壁上端線間の幅)として計測した値は、実際は大正6年測量地図から現在の花見川の谷幅を計測しています。
現在の花見川の谷幅が、争奪される前の古柏井川と異なるならば、この計測は意味がありません。
しかし、現在の花見川の谷幅は、古柏井川の谷幅を基本的に踏襲していると考えるので、このような計測をしました。
現在の花見川の谷幅の値は犢橋川合流付近で210m、花島付近で250m、柏井付近で270mであり、北に向かって広がることから、争奪される前の谷幅が争奪後も基本的には維持されているという仮説を支持しています。
柏井から犢橋川合流部までの花見川河道の基本形(特に谷幅)が古柏井川によってつくられたという考えについては改めて検討します。
また、古柏井川が河川争奪されたとき、そこがV字谷だったからというのが地理的位置仮説ですが、そうならば、河川争奪ポイントのさらに上流にあったはずの浅い谷である古柏井川の本当の源流はどこにあったのか、どうなったのか、という問題も当然生じます。
この問題も改めて検討します。
河川争奪を考える上で、この地域が陸化した後の谷の発達を、第1に、何度か繰り返された侵食基準面の低下による下刻作用の上流方向への波及と関連付け、第2に、印旛沼側と東京湾側の波及のタイムラグについて考えることが求められているようです。
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