花見川流域の小崖地形 その97 (千葉県北部地形の学習 2)
2014.01.12記事「印旛沼筋=古利根川旧流路説を誘発したキーワード」で杉原(1970)論文の中に「名残川」というキーワードがあるため、そのキーワードから誘発されて印旛沼筋=古利根川旧流路説が生れたというストーリーを述べました。
地形的には、地図をよく見れば、おそらく誰でも、古利根川の分流が流れたという方向の反対の方向に河川が流れたと直感することになります。
この記事では、杉原(1970)論文掲載の地質柱状図を学習して、上記問題を考えてみます。
次の図は杉原(1970)論文掲載地形分類図と下総下位面柱状図です。(原図はモノクロでもう少し精細なデータですが、ここでは理解しやすくするために「千葉県の自然誌」掲載のカラー版図版を使います。)
杉原(1970)論文掲載地形分類図と下総下位面柱状図の位置
この図には印旛沼筋の地質検討に関連する5箇所のポイントに印を付けてあります。
この5箇所のポイントの柱状図を標高に対応させて配置し直してみました。
印旛沼筋の柱状図を標高に対応して配置した図
地層の状況は柱状図180、197、169と柱状図162、227に分けて考えることができると直感します。
柱状図180、197、169は竜ケ崎砂層+常総粘土層+下末吉ローム層を合わせた層厚が5mほどあります。
ところが、柱状図162は1mほど、柱状図227は2.5mほどです。
柱状図180、197、169は下総上位面分布域(陸域)の外側に位置していて、地層が堆積していく環境が強かったことを示していると思います。
一方、柱状図162、227は下総上位面分布域(陸域)の内側に位置していて、地層が堆積していく環境があまり強くなかったことを示していると思います。
つまり、柱状図180、197、169は平野的環境を、柱状図162、227は相対比較的に山地的環境を表現しています。
柱状図180、197、169の地形面及び竜ケ崎砂層基底面が低く、柱状図162、227のそれが高いのは100%地殻変動(関東造盆地運動)によるものであると考えることは現実的ではないと思います。
地形面形成当時においても、柱状図180、197、169付近の標高は低く、柱状図162、227付近の標高は高かったと考えることが、柱状図から読み取れる平野的環境と山地的環境の差に整合的です。
一般論から云えば、印旛沼筋の谷津は山地的環境から平地的環境に流れたと考えることができます。
地質柱状図から言えることは、地形から言えるのと同じように、印旛沼筋は北西方向に向かって(手賀沼方向に向かって)流れたということです。
杉原(1970)の地質柱状図から判明する印旛沼筋の流れと、現在の流れの方向が真逆ですから、印旛沼筋河川争奪仮説を考えざるを得ません。
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