大変暖かい朝で、昨晩の雨のためか空気が湿っていて、靄がかかったようになっています。
潤っているという感じを受けて、快適で落ち着いた雰囲気になります。
路上の水たまりから潤い感を感じ、歩きにくさよりむしろ歓迎したい心境です。
風景の色はパステルカラーになっています。
コジュケイのけたたましい鳴き声が途切れなくあちこちから聞こえます。
花見川堀割の縁から西岸を望む
花見川風景
花見川風景
花見川風景
弁天橋から下流
弁天橋から上流
横戸緑地の梅林
白梅
花びらに残った水滴が印象的です。
紅梅
花びらに残った水滴が印象的です。
海老川(Ebigawa) 乱歩(Ranpo) です。
返信削除お久振りです。
クーラーさんのおっしゃるように、関東に春1番が吹いてから、
寒さが和らいだように感じます。
小生の住んでいる近くの公園にある河津桜も5日くらい前に開花しました。
今回は、利根川放水路(昭和放水路)というものを、
つい最近知りましたので、お伝えしようと思います。
既にご存知でしたらすいません。
花見川と谷津干潟の意外な関係です。
一見無関係のように見えますが、関係していたということです。
利根川放水路(昭和放水路)(以降、利根川放水路と表現します)は、
利根川から手賀沼、印旛沼を結び、花見川の西側に、
放水路をとおすというものです。
7案あり、ひょっとしたら花見川も含めると8案だったのかも知れません。
その中の1つには、花見川の西隣の芦太川の谷津を
とおすという案もあります。
その利根川放水路の痕跡が今も残っているところがあるので、
紹介したいと思います。
その痕跡の一部は、県船高校野球部のグラウンドです。
このグラウンドの西側の道路をとおるとき、いつもなんでここは、
人工的に掘られてるんだろうと疑問に思っていました。
生徒の声がうるさいと困るから、わざと掘り下げたのかなぁと。
グラウンドの西側道路を南に延長し、谷津干潟の西端辺りで東京湾に出るという計画です。
花見川、または、利根川放水路の絡みで谷津干潟の埋め立てを見極めていたのです。
利根川放水路で花見川と谷津干潟が関係していたのです。
花見川が完成したので利根川放水路はまぼろしに終わりました。
利根川放水路のルートは、花見川の工事中にどんどん宅地化していき用地買収が
難しくなっていったようです。
利根川放水路の計画中止は、ネットの情報では2005年らしいのですが、
花見川の完成から30年以上を要するというのも不思議なものです。
花見川の完成で用済みとなった谷津干潟ですが、
埋め立てないでいるうちに、下水が流れ込み悪臭がしていたようです。
そこに干潟を綺麗にしようという1人の活動家が現れ
環境保護と自然保護の声が強まり埋め立てを免れました。
今では、野鳥の楽園という表現も見受けられます。
なぜ、谷津干潟だけ埋め立てられずに残ったのか、長年疑問に思ったものが、
「県船高校野球部のグラウンド」 --> 「利根川放水路」 というキーワードで解決でき
胸がスッキリしました。
う~ん、という事は、三番瀬(さんばんぜ)もそういう事かと地図を見てみたら、
やはり、(江戸川)放水路が絡んでいそうですね。
これまた、胸がスッキリしました。
無駄な事をしたのは、2020東京オリンピックのエンブレムと競技場
だけではないという事も痛感してしまいました。
利根川放水路を作りかけてしまったのに、完成していないのですから。
作りかけとしては、成田空港の近くにも、成田新幹線の遺構?が残っています。
高速道路の千葉東JCTも、東金から千葉方面を走ると、これは、建設中か?
みたいなものがありますね。
計画に多少の「無駄」は、付き物なのでしょうか。
■参考資料
●利根川放水路
http://usi.mods.jp/blog/archives/102 永久堡塁の記述もあります
http://blogs.yahoo.co.jp/sugar_shack2007/2197359.html
http://www.geocities.jp/ynydw981/html/doboku/tonegawahousuiro.html
http://www.t-hi.jp/?p=61266
http://blog.livedoor.jp/sohsai/archives/51980377.html
http://www.ceic.info/news/n176-200/n184.html
「滝口さんと船橋の地名を歩く」P64~P69
●千葉運河(利根川放水路とは関係がありません)
http://www.tanken.com/boso.html
●船橋地名(利根川放水路とは関係がありません)
http://www.city.funabashi.chiba.jp/charm/other/p009904.html#funabashi
海老川(Ebigawa) 乱歩(Ranpo) さん こんにちは
返信削除お久しぶりです。
コメントありがとうがございます。
利根川放水路(昭和放水路)の工事跡がこのように土地に刻まれて地形や構造物で残っていることは初めて知りました。
私は、千葉の前は西船橋に住んでいたので、海老川乱歩さんのコメントに大いに刺激を受けます。
紹介していただいたサイトも見させていただき、興味が沸きます。
以前、利根川放水路計画時点では、そのルートを7案をつくり、検討したというこを読んだことがあるので、資料を読み返してみました。
海老川乱歩さんのおっしゃる通り、7案の中に花見川筋を活用したものがあります。
資料では、当時の検討で、地勢的、治水技術的には花見川ルートが最も妥当だと判っていたのですが、その場所が陸軍習志野演習場と下志津演習場の間を通ることになり、到底指を触れることができないため、最初からあきらめて、次善の策として船橋ルートを執ったと書いてありました。
また、船橋ルートで掘削した土を臨海部の埋め立てに使ったということも資料に書いてありました。
谷津干潟は利根川放水路の出口ですから、戦前には埋め立て対象外の土地だったと思います。
現在の治水計画を知るうえで、また土地に刻まれた歴史を探訪する上で、大変興味深い情報を提供していただきありがとうございます。
船橋に出た時に放水路跡を歩いてみたいと思います。