Jomon people's hobby of collecting rare items
I asked Dr. Shinobusawa of the Ichihara City Board of Education four questions about the pendant made by Polychaeta tube and got answers. From that answer, I thought that this relic was one of the hobby collections in Jomon beachcombing.
12月始めまで加曽利貝塚博物館で特別展として開催されていた「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されていたゴカイ棲管製垂飾(市原市根田祇園原貝塚)が気になり、12月18日加曽利博縄文講座で講師の忍澤成視先生に(後日メール)質問をしました。その回答をいただき、学習参考になるだけでなく、自分の思考が大いに刺激されましたので、メモしておきます。
2021.12.16記事「ゴカイ棲管製垂飾の観察」
2021.12.19記事「加曽利貝塚博物館 縄文講座 「祇園原貝塚」の受講」
1 質問1 ゴカイ棲管製垂飾の材料は露頭で拾ってきた生痕化石としての棲管ではなく、浜辺で拾ってきた(当時の)現生棲管であると確認してよいか?
【ご回答】
後者、「海岸打ち上げ物の採集品」と考えています。祇園原貝塚からは、タカラガイ、イモガイ、ツノガイ、アマオブネなど、南房総特有の海岸漂着物起源の装飾品が少なからず出土しており、近隣の西広貝塚はその後の調査で膨大な数量の当該製品が見つかったため、市原の縄文人が強い意識で採集していたと考えています。これらにまぎれて、ゴカイ棲管も拾ってきたものと思います。
●感想
このゴカイ棲管は他の比較的珍しく装飾品として使うことができる海岸打ち上げ物と一緒に採集してきた品と考えられるとのご判断です。その判断は祇園原貝塚だけでなく、近隣の西広貝塚出土物からも裏打ちされた専門的なものです。祇園原貝塚縄文人は今で言うビーチコーミングをしていたということです。イルカやクジラ遺体など有用物だけでなく、美しいモノ、珍しいモノも微小なモノを含めて拾っていたということです。
2 質問2 ゴカイ棲管の破片はこの製品以外に貝塚から沢山出土しているのか、この製品だけか?
【ご回答】
市原市内ではこれ以外に類例はありません。また、他市の遺跡でも同様に稀な存在です。
●感想
ゴカイ棲管は干潟で特段に珍しいものではないと思います。大きさ・形状とか硬軟を無視すれば、むしろ普通にみられるものであると言っていいのではないかと思います。そのゴカイ棲管が1つだけ出土したという意味を次のように考えます。
「祇園原貝塚の縄文人達はビーチコーミングをいつもしていた。拾ってくるものは人によって違うものが含まれていた。多くの人はゴカイ棲管を見て興味を示さないが、ある縄文人Aさんはゴカイ棲管に興味を持ち拾い、集落に持ち込んだ。」
つまり縄文人は現代人と同じく、人により興味が異なり、たまたま縄文人
Aさん1人がゴカイ棲管に興味をもったので、それが遺物として残ったと考えます。ゴカイ棲管が干潟で特別珍品だったから1つだけしか出土していないというわけではないと考えます。
ゴカイ棲管が1つだけしか出土していないという情報は、逆説的には、多くの縄文人が興味を示さないゴカイ棲管について興味を持った少数の人がいたということを示しています。つまり、縄文人趣味心の多様性を示しているのだと考えます。
3 質問3 この製品が単なる自然遺物ではなく、「確かに人が加工した遺物」であるという確認はどのような特徴で判るのか?(自分には展示物を見て「確かに人の手が加わった」と確認できる様子が判りませんでした。)
【ご回答】
当該品には明確な加工痕跡はありません。しかし形状が管状をしており、ツノガイや動物の長管骨を加工した「管玉」状の装身具と似ていることから、同様の用途に用いられたのではと考えています。当初は「大型のツノガイ」と認識して報告書に掲載したのですが、後に貝類の専門家からツノガイではなくゴカイ棲管と判明しました。
●感想1
このゴカイ棲管は展示コーナー別分類でいえば垂飾になりますが、遺物分類的には自然遺物になるのだと思います。加工痕跡も使用痕跡も無いようです。また形状も垂飾にふさわしい整形的な形状ではありません。
ゴカイ棲管のオルソ投影「上から」
このゴカイ棲管の硬さが気になります。指でつまんで少し力を入れると「グシャ」とつぶれてしまうような感じを受けます。人体に付ける垂飾としては到底使えないのではないだろうかと気になります。
●感想2
このゴカイ棲管は破片であり、破片となる前の製品が存在していたのかもしれません。質問4ご回答のあるように「屈曲するなどした形態」など珍しいモノで加工された垂飾だったのかもしれません。
4 質問4 自分は、ゴカイを食料として使っていた(珍重していた・・・だから垂飾にした)と想定しますが、忍澤先生はどのようなご感想を持つでしょうか?
【ご回答】
縄文人が生物であるゴカイそのものにどのような意識をもっていたかはわかりませんが、自然界のあらゆる方面に意識を働かせていた彼らにとって特別な存在だった可能性もあります。棲管は、カルシウム成分が凝固してできた産物で、その形状は可変性ですので、特に「屈曲するなどした形態」のものに興味をもった可能性があります。そのような出土事例をどこかの遺跡発掘調査報告書で見た記憶があります。
●感想
忍澤先生講演では、縄文人はあらゆる生き物を食料とする柔軟性があったから、縄文社会が長く継続発展したとの見解が述べられました。その見解に刺激されて、現代日本人はゴカイを食しませんが、縄文人は食していたかもしれないと空想します。webを調べると、ベトナム料理にはゴカイ料理があります。意外と美味しいかもしれません。
5 総合感想
忍澤先生ご回答を参考にして、自分はつぎのように想像します。
ゴカイ棲管はある縄文人(Aさん)の趣味心で珍しいものとして拾われ、集落に持ち込まれた。そしてAさんにとっては自慢の品であり、保管されたのだと考えます。その時、住居内で飾られた…糸で吊るされ、垂れて飾られた…かもしれません。そうした経過により結果として貝塚に残ったのだと思います。
ゴカイ棲管はある縄文人(Aさん)のビーチコーミングにおける趣味コレクションの一つだったと空想的に結論付けます。
忍澤先生の詳しいご回答、情報提供にあらためて感謝申し上げます。
お陰で学習と思考を大いに楽しむことができました。
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