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2020年3月22日日曜日

加曽利EⅢ式土器観察のふりかえり

縄文土器学習 382

現在、加曽利貝塚博物館E式土器企画展(終了)の展示土器について学習しています。この記事では2020.02.03記事「加曽利EⅢ式土器学習のポイント」からはじめた加曽利EⅢ式土器観察学習をふりかえり、とりまとめます。

1 観察土器の種類
加曽利貝塚博物館開催企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」(2019.11.16~2020.03.01)展示土器のうち、すでに観察した注口土器を除くEⅢ式深鉢形土器24点について観察記録3Dモデルを作成し、またGigaMesh Software Frameworkによる文様浮彫展開写真を作成して観察しました。
観察土器の主な種類はキャリパー形土器、意匠充填系土器、横位連携弧線文土器です。

観察した加曽利EⅢ式深鉢の種類
なお、器形や模様という土器型式分類とは別に、同じ「深鉢」と呼ばれる土器でも口唇部が肥大化してラッパ形をしていて、片口が付いている土器もあり、用途に応じた分類考察も重要であることを感じました。

2 意匠充填系土器と横位連携弧線文土器の出自
論文「加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)」では意匠充填系土器と横位連携弧線文土器のそれぞれの出自について、いずれも連弧文土器とキャリパー形土器との接触により成立したと考察しています。

意匠充填系土器と連弧文土器
加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)から引用

横位連携弧線文土器と連弧文土器
加納実(1994):加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-、貝塚博物館紀要第21号(千葉市立加曽利貝塚博物館)から引用

連弧文土器は加曽利EⅡ式期に房総でも盛行した土器です。

参考 中期後葉の土器編年案と連弧文土器の位置づけ
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

また、小林達雄編「総覧縄文土器」では連弧文土器について、「おそらくは曽利式土器が関東地方に波及していく中で、加曽利E式と曽利式に由来する要素が転写、複合されて生成したものと考えられる。」と考察しています。

以上の加納実考察と小林達雄編「総覧縄文土器」考察から、次のような状況を想像します。
1 山梨県付近に中心をもつ曽利式土器が関東地方に影響を及ぼした。
2 そのプロセスの中で多摩地方などを中心に連弧文土器が生まれ、加曽利EⅡ式期に房総にも伝わった。
3 加曽利EⅢ式期にキャリパー形土器が連弧文土器の影響を受けて、意匠充填系土器や横位連携弧線文土器が生まれた。(逆に表現すると、房総に伝わった連弧文土器がキャリパー形土器に吸収され、その過程で意匠充填系土器や横位連携弧線文土器が生まれた。)

加曽利貝塚博物館の加曽利E式土器に関するパンプレットでEⅢ式期だけいわゆるキャリパー形ではない土器(下図で赤点で囲む)ができてきますが、この土器は横位連携弧線文土器ということになると思います。

加曽利E式土器パンフレットに出てくる横位連携弧線文土器(赤点だ囲む)
加曽利貝塚博物館パンフレットから引用加筆

3 感想
曽利式土器そのもの及び連弧文土器が房総の遺跡で満遍なく一定の割合でみられることから、房総の人々は曽利式土器や連弧文土器にも「幸福をあやかった」のだと思います。
「幸福をあやかる」本尊は加曽利E式土器ですが、キリスト教徒でもない現代日本人がクリスマスを愛するように、房総縄文人は曽利式土器や連弧文土器を時々愛用したのだと思います。

2020年2月24日月曜日

加曽利EⅢ式のキャリパー形土器例

縄文土器学習 354

加曽利貝塚博物館E式土器企画展の展示土器について学習しています。
2020.02.23記事「加曽利EⅢ式土器学習のポイント」で加曽利EⅢ式土器が次の3種から構成されていることを知りました。

加曽利EⅢ式土器の3つの種類
ア キャリパー形土器
イ 意匠充填系土器
ウ 横位連携弧線文土器

このうちキャリパー形土器として例示して、3Dモデルも掲載した加曽利EⅢ式深鉢(佐倉市内田端山越遺跡)企2について観察します。(企2はこのブログの整理番号、以下同様)

1 加曽利EⅢ式深鉢(佐倉市内田端山越遺跡)企2の展開写真
土器が黒く3Dモデルでも詳しく観察することに苦労します。そこで3Dモデルから展開写真を作成して観察しました。展開写真はそれを作成する専門ソフトであるGigaMesh Software FrameworkとPhotoshopの機能を利用して立体性を読み取りやすくしたものを特別に作成しました。

加曽利EⅢ式深鉢(佐倉市内田端山越遺跡)企2の展開写真

加曽利EⅢ式深鉢(佐倉市内田端山越遺跡)企2の展示状況写真

2 比較のためのEⅡ式キャリパー形土器展開写真の作成
比較のために加曽利EⅡ式深鉢(四街道市南作遺跡)企19の展開写真を作成しました。

加曽利EⅡ式深鉢(四街道市南作遺跡)企19の展開写真
企19土器の3Dモデルは2020.02.02記事「加曽利EⅡ式土器観察 企19 内面展開写真も」に掲載しています。

加曽利EⅡ式深鉢(四街道市南作遺跡)企19の展示状況写真

3 EⅢ式(企2)とEⅡ式(企19)の比較
加曽利EⅢ式土器としてのキャリパー形土器の特徴は加曽利EⅡ式土器と対照して、次のように整理されています。
1 口縁部文様帯と胴部文様帯を区別する明瞭なヨコ一次区画効果(稲田1972) の減少
2 口縁部主文様(渦巻文)と副文様(区画文)の一体化
3 胴部懸垂文と口縁部文様の癒着
4 胴部の縣垂文効果を有する無文部が拡大し、本来‘‘地”の部分であった縄文部に懸垂文効
果が移行
5 懸垂文を描出する沈線が縄文部の上端で連結し、懸垂文効果が完全に縄文部によって描出される。
(加納実(1995):下総台地における加曽利EⅢ式期の諸問題-集落の成立に関する予察を中心に-、千葉県文化財センター研究紀要16 から引用)

このうち加曽利EⅢ式深鉢(佐倉市内田端山越遺跡)企2は次のような特徴を観察することができます。
1 口縁部文様帯と胴部文様帯を区別する境界部(隆起線)が折れ曲がり、同時にその隆起線が不鮮明になり半ば消失しているように観察できます。EⅡ式に見られる明瞭なヨコ一次区画効果が減少しているといえます。
2 渦巻文が退化して口唇部に小突起としてその名残をとどめているようです。渦巻文が退化して区画文に吸収されているような状況として観察できます。

この観察をEⅡ式(企19)との対照で示すと次のようになります。

EⅢ式(企2)とEⅡ式(企19)の比較