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2022年11月18日金曜日

有吉北貝塚北斜面貝層 器台はどこに?

 North Slope Shell Layer of Ariyoshi Kita Shell Mound  Where is the pedestal?


The excavation survey report photo collection shows the excavation of the pedestal. But there is no description. The pedestal excavated as a ritual implement tells us that the northern slope shell layer is a ritual space.


発掘調査報告書写真図版集には器台出土が写っています。しかし記載は一切ありません。祭具としての器台出土は北斜面貝層が祭祀的空間であることを物語っています。

1 器台出土の状況写真


器台出土の状況写真 キャプション Ⅱ-52 P層

(発掘調査報告書掲載写真をPhotoshopニューラル機能によりカラー化)

この写真は天井部があらかた欠損した器台が出土した様子であることに間違いないと考えます。(写真右上の土器破片状のものがもしかしたら天井部に該当するかもしれないと気になります。)

しかし、この写真以外に器台に関する記載は発掘調査報告書中に皆無です。

発掘調査報告書全3冊を何度も隈なく捜索しましたが、器台に関する情報・記載は見つかりませんでした。

この写真以外の情報は発掘調査報告書にはありませんが、器台が北斜面貝層Ⅱ-52グリッドのP層から出土したことは事実であるとして、以下の考察をメモします。

2 器台出土位置及び層位


器台出土位置


器台出土層位

これまでの検討で器台は加曽利EⅡ式(第10・11群)土器であると考えられます。


第2断面貝層時期区分

3 参考 加曽利EⅡ式器台例


千葉市中野僧御堂遺跡出土器台

加曽利貝塚博物館2018年度企画展「あれもE・・・」展示

4 器台出土の意義

4-1 貝層から器台が出土することは珍しい

器台用途について興味をもって学習したことがありますが、その自分の限られた学習範囲では、器台出土場所は竪穴住居や竪穴住居周辺であり、貝層から出土した例はこれまで知りません。器台が祭祀道具であることは確実ですが、その祭祀とは屋内祭祀をイメージしていましたので、器台出土場所が竪穴住居やその周辺であることは当然であると理解していました。しかし、北斜面貝層から器台が出土したことは貝層と祭祀の関係を示唆する事象として珍しいのではないだろうかと考えます。

4-2 廃棄ではない可能性

写真を見ると器台は天井こそ欠損していますが、それ以外は丸々残存しているようです。つまり斜面の上から投棄されて破片になったものではなく、完形品がそのままこの場所付近に持ち込まれたと考えることができます。

4-3 北斜面貝層で祭祀が行われた1つの証拠としての器台

完形品が持ち込まれたことから、この器台は廃棄されたものではなく、祭祀のための実用道具としてこの場に持ち込まれたと考えることができます。

この器台を使ってこの場所で祭祀が執行された可能性が濃厚です。この場所でこの器台を使って祭祀が行われた傍証として同じⅡ-52グリッドからイタボガキ製貝輪と磨製石斧が出土し、隣の(2m離れた)Ⅱ-53グリッドからイノシシ顎骨出土をあげることができます。


イタボガキ製貝輪と磨製石斧 Ⅱ-52グリッド

(発掘調査報告書掲載写真をPhotoshopニューラル機能によりカラー化)


イノシシ顎骨 Ⅱ-53グリッド

(発掘調査報告書掲載写真をPhotoshopニューラル機能によりカラー化)

器台、イタボガキ製貝輪、磨製石斧、イノシシ顎骨などが密集して出土した状況から、つぎのような活動を想像することができます。

この器台のあった場所付近にはイナウで構成される木製祭壇があり、その木製祭壇にはイノシシ頭骨が飾られ、また宝物としてのイタボガキ製貝輪や宝刀としての磨製石斧が飾られ、その祭壇の前に器台が据えられ、祭祀が執行されたと想像します。

・器台の用途学説学習は今後進めたいと思います。(過去の器台観察では、器台は香り発生材料を火であぶる装置のようだと想像しています。)


2019年3月26日火曜日

器台「大麻炙り台」仮説

縄文土器学習 75 器台の検討 5

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(2018.10.20~2019.03.03)に展示されていた2点の加曽利E式器台を主な対象として、器台にまつわる学習を行っています。
この記事では器台の用途について予備的な考察をします。

1 器台の用途に関する諸説
器台の用途について手持ち資料やWEB検索で調べてみました。器台(台形土器)の写真はちらほら見つかりますが、その用途に関する検討資料は下記小田原市「曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点」関連資料以外はほとんどみつかりませんでした。

雑駁な情報収集ですが、私が得た器台用途説をまとめると次のようになります。
1 お供え物をした台(専門家から受けた説明)
2 土器の製作台(小田原市「曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点」関連資料)
3 大麻の炙り台(荒木ブログの仮説)

2 「お供え物をした台」説検討
この説を詳しく検討した資料は見つかりませんでした。この説の説明を専門家から受けましたが、そのような説があるという話であり、自信をもった説明ではありませんでした。
何を乗せて、どのような状況でお供え物をしたのか、器台形状・模様・出土状況等の情報からイメージすることができません。この説の適否を判断できる材料がありません。

3 「土器の製作台」説検討
3-1 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点における「土器の製作台」説 
曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点では台形土器が12点出土していて、同時に焼成粘土塊、ミニチュア土器、文様が雑な土器が出土していることから土器づくりのムラであったことを想定し、台形土器を土器製作台として有力視しています。台形土器の上で土器づくりをするイメージ写真なども作られています。

参考 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点出土台形土器
「曽我遺跡群―大磯丘陵に営まれた縄文集落と曽我氏の遺跡―」(小田原市教育委員会)から引用

参考 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点出土台形土器
「曽我遺跡群―大磯丘陵に営まれた縄文集落と曽我氏の遺跡―」(小田原市教育委員会)から引用

3-2 曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点関する検討
・土器づくりのムラという発想がそもそも間違っているような気がします。どこのムラでも土器づくりが行われていて、特定のムラが土器づくりを専門的(専業的)に行っていたことはないと考えます。
・焼成粘土塊と台形土器を結びつけるなら、その場所で台形土器が沢山つくられたと考えることもできます。
・ミニチュア土器と台形土器を結びつけるなら、その場所が祭祀的な空間であったと考えることもできます。
・台形土器の多くは上面が窪んでいます(上記写真8、9など)。この窪みは土器製作に適しません。もしこの窪みのある台形土器の上で土器を製作したら、出来上がった土器底面が湾曲します。そのような底面湾曲土器は使い勝手がとても悪くなるはずです。底面湾曲土器が多数存在し、その湾曲の程度が台形土器の窪みと一致するなら台形土器が土器製作台であることが証明されます。
・器台(台形土器)のほとんどに透かし穴が開いています。台形土器を土器製作台と考えると透かし穴の存在(機能)を直接説明することはできません。

上記の検討、特に上面湾曲が土器製作の邪魔になることから「土器の製作台」説には疑問を持ちます。

3 「大麻の炙り台」説検討

広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台
千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影・公開許可による。

中野僧御堂遺跡出土加曽利EⅡ式器台
千葉県立房総の村の撮影・掲載許可及び千葉市立加曽利貝塚博物館の撮影協力による。

・広ヶ作遺跡出土加曽利EⅣ式器台(以下H器台と略称)の上面窪み中央部に蒸発痕を想起させるような喫水線様模様が存在しています。また中野僧御堂遺跡出土加曽利EⅡ式器台(以下N器台と略称)はわざわざ上面を削って窪みを深めています。これらの情報から器台上面窪みは微量の液体を受ける機能を持っていると考えます。
・H器台は全体が被熱しているように観察できます。N器台は内面上部にススと思われる付着があるように見えます。また双方とも壁面に窓があります。これらの情報から器台は熾火のある炉の上に置かれ、上面に置いたモノを熱する装置であったと考えます。
・上面に置いたモノは熱せられることによって少量の液体が出るものであったと考えます。
・上面上に置いたモノが大麻の葉・花穂(生体あるいは乾燥)であったと考えると、器台を祭祀に使う覚醒作用期待香炉として捉えることができます。香炉といっても大麻を燃やすのではなく、大麻成分を蒸発気化させる装置です。
・大麻(縄文の縄に使う麻)は縄文時代に栽培されていたと言われ、たとえ栽培されていなくても極普通に存在した実用植物です。

現代社会にあっては大麻吸引は害毒ですが、縄文時代にあっては大麻蒸気吸引は祭祀執行や痛み・苦痛の緩和に重要な役割を果たしていたと空想します。
空想に空想を重ねれば、大麻蒸気吸引により作用する幻覚症状で死んだ人との会話が可能となったり、出産における苦痛緩和に使われたと考えます。

4 感想
・器台用途の検討は小田原市曽我谷津岩本遺跡第Ⅱ地点におけるもの以外に触れることができませんでした。
・今後さらに情報収集して器台用途について専門家がどのように考えているのか知り、それらを踏まえて思考を深めたたいと考えます。
・「大麻の炙り台」説は素人空想の所産ですが、器台用途検討に意義がある仮説になるものと期待します。
・実用植物としての大麻(縄に使う麻)についても学習を深めることにします。
れきはくデータベース「日本の遺跡出土大型植物遺体データベース」で「アサ、縄文時代」で検索すると25件ヒットします。(記述のあるものは全て種子・果実)

2019年3月1日金曜日

船橋市海老ケ作貝塚出土器台の観察

縄文土器学習 50

船橋市の飛ノ台史跡公園博物館に海老ケ作貝塚出土器台が展示されていますので観察しました。

1 海老ケ作貝塚出土器台

海老ケ作貝塚出土器台
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

海老ケ作貝塚出土器台
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

海老ケ作貝塚出土器台
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示

加曽利E式期のものであると考えられます。

2 観察

海老ケ作貝塚出土器台の観察
・全体の概形は加曽利貝塚博物館企画展展示器台2種と似ていて、お椀を伏せたような形で孔があいています。海老ケ作貝塚出土器台は大きな楕円孔が4つ開いています。
・器台上面付近が黒くなっていて、器台の利用に関わる色であるのかどうか知りたいところです。
・上面の中央付近の凹んだ部分が白っぽくなっています。この色もこの器台の利用(液体の蒸発気化装置)に関わるものであるかどうか知りたいところです。
・上面と側面がなす角の部分が他の部分と比べて摩耗が進んでいます。器台の利用により「何か」が擦れることが多く、摩耗したものと考えられます。その「何か」は摩耗の様子から土器のような固いものではないと直観します。
・側面上部の黒くなっている部分とそうでない部分の境目付近に同じ形状のキズが連続します。キズは円周方向に細長くなっています。器台作成時にできたキズではなく、利用時にできたキズのように観察できます。
・孔を通して器台内部の様子を見ようとしましたが、設置位置の関係で観察できませんでした。
・孔を通して「海老ケ作2次」の文字が見えました。
・観察結果は器台の利用が単純な少量液体蒸発ではなく、他の「何か」を使ってその機能を実現しているように暗示されます。

3 別の海老ケ作貝塚出土器台
文献をみると海老ケ作貝塚から展示器台とは別に3点の器台が出土していますので紙上観察してみます。

3-1 海老ケ作貝塚出土器台 ア

海老ケ作貝塚出土器台 ア
「船橋市の遺跡 船橋市史資料(二)」(船橋市発行)から引用
展示器台と形状が大きく異なります。お椀型ではありません。また孔も大きなものが2つとなっています。

3-2 海老ケ作貝塚出土器台 イ

海老ケ作貝塚出土器台 イ
「船橋市の遺跡 船橋市史資料(二)」(船橋市発行)から引用
写真を見る限り器台下部が丸ごと欠損しているようです。引用図書には「脚部が山状に連続するもので、穴を穿った器台とは異なるものである。」(第2次)と書いてありますが間違いだと思います。

3-3 海老ケ作貝塚出土器台 ウ

海老ケ作貝塚出土器台 ウ
「船橋市の遺跡 船橋市史資料(二)」(船橋市発行)から引用

海老ケ作貝塚出土器台 実測図 ウ
「船橋市の遺跡 船橋市史資料(二)」(船橋市発行)から引用
器台内面に弧状模様が沈線で描かれています。
「半円状のマドは全部で5コと推測」されています。
器台内面が一般土器外面に該当するという自分の作業仮説を支持する遺物です。

参考 器台に関する作業仮説