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2018年4月11日水曜日

ギリシャ壺投げと印西市西根遺跡土器破壊

1 ギリシャコルフ島の壺投げ
4月7日の日テレNEWS24というニュース専門TVチャンネルでギリシャコルフ島の「壺投げ」という行事を紹介していました。

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用
ナレーションでは古くから行われているイースター(復活祭)の行事で、ワインつくりに使った古い壺を捨て、新しい壺を使うことに由来するが、詳しいことは判っていないとのことでした。
現在では多くの観光客を集めて盛大に圧巻の土器破壊行為を楽しんでいます。
赤く塗られた大きな土器が次々と建物から投げ落とされ、最後に見物客がその破片を拾いご利益を願うとのことでした。

2 印西市西根遺跡の土器破壊
現代ギリシャ壺投げ行事ニュースを見て、心性の奥底で通底していると考えられる類似活動が千葉県印西市西根遺跡で存在していたと思考したことがありますので紹介します。

西根遺跡縄文時代遺構 谷底から出土したおびただしい破壊土器片 西根遺跡発掘調査報告書から引用

西根遺跡縄文時代遺構 谷底から出土したおびただしい破壊土器片 西根遺跡発掘調査報告書から引用
千葉県印西市の戸神川谷津にある西根遺跡から縄文時代加曽利B1式土器がおびただしく出土しています。使用完形土器がその場で破壊されたものです。

破壊土器片から復元された巨大土器
火炎跡、スス、コゲが残っています。

土器密集域程土器が粉々に破壊されていた様子を示す1m×1mグリッドデータ

巨大土器が破壊された様子の空想
補修しながら大事に使ってきた土器を一挙に破壊して、土器が破壊された時の音・振動・ほこり・破片飛散などの瞬間を縄文人も楽しんでいた、興奮していたと空想しました。

西根遺跡の縄文時代遺構は多数集落が一緒に行った広域堅果類収穫祭における廃用土器送りであり、新品土器を用意できた背景のもとでのお祭りであると想像しました。

ギリシャは葡萄酒の発酵、西根遺跡は堅果類のアク抜き煮沸という違いはありますが、食料生産必需土器が廃用になった時、それを大胆に破壊して土器を送る(土器の精霊を解放する)という行為が共通しています。そしておそらく、土器破壊行為の中で人々が興奮を味わうというお祭り気分の存在も共通していると考えます。
人類共通の土器送り心性が存在しているように考えました。

3 「土器送り」心性の例
西根遺跡では奈良時代遺構でも廃用墨書土器破壊が観察されます。

廃用墨書土器破壊の様子
川の岸辺から水面めがけて投げ込んで墨書土器を破壊した様子が観察されます。

西根遺跡周辺の奈良・平安時代集落遺跡の竪穴住居の多くからその覆土層に破壊土器、破壊墨書土器が出土していて、土器送りは奈良・平安時代では極めて一般的な習俗であったと考えられます。

現代でも自宅で亡くなった人を葬儀に出すとき玄関で茶碗を割る風習が残っていて、その風習のルーツは土器送りであると考えます。
花見におけるかわらけ投げのルーツも土器送りにあると考えます。

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参考
祈りの空間 戸神川谷津の隠された秘密にせまる-西根遺跡 縄文~近世の自分流学習-

2017年8月29日火曜日

土器破壊(土器送り)のポジティブさ 西根遺跡のポジティブさ 土器塚学習8

土器塚学習を進めてきて、自分の考えが大いに変化しました。

精細な土器塚観察を行っている阿部芳郎さんの諸論文を読んで、土器塚、西根遺跡土器集中がトチの実など主食堅果類の収穫祭の跡であると気が付きました(仮説しました)。
学習した諸論文にはそのような仮説は全く書いてないのですが、自分が気が付いた(仮説した)ということです。

この仮説を持つことにより、土器破壊(土器送り)のポジティブさ、西根遺跡のポジティブさを強く感じるようになったのでメモしておきます。

土器破壊という土器送り(壊れた土器、持ち主がいなくなった土器を破壊することにより土器の精霊を土器から解放する行為)はこれまでネガティブな印象で捉えていました。

土器破壊という縄文時代土器送りの影響が現代まで伝わっている民俗の一つに、自宅から出棺する際の茶碗割りがあります。葬送とも結びついた民俗であり、自分にとってはネガティブな印象の知識になります。

土器破壊(土器送り)が行われる場所は、必ずそれにふさわしい空間そのものを送る場所でもあります。なにもない野原で土器送りをすることはあり得ません。
廃絶炉穴における土器送り、廃絶竪穴住居における土器送り、廃絶ミナトにおける土器送りなどの対応が必ず存在することが必然です。
このようにこれまで思考してきました。

ところが土器送り(土器破壊)が収穫祭の一環で行われた祭祀行為であると気が付くと、同じ事象が全てポジティブに捉えられるようになります。

廃用土器を破壊して土器の精霊を解放する行為があるならば、必ずやその背後に既にその廃用土器の代わりの新品土器が存在していることを意味します。廃用土器より大きくて高機能な土器に違いありません。
つまり土器破壊とはその土器以上の高品質土器の可能性のある新品土器が既につくられていて稼働していることを物語っています。
土器破壊とは「土器が破壊されてむなしい」というネガティブな連想ではなく、「新品土器が用意された」というポジティブな連想で捉えるべきものであるのです。

土器破壊(土器送り)が行われる廃絶施設(空間)についても同じことが言えます。
土器破壊(土器送り)が行われた廃絶炉穴は、別に新設炉穴が建設されたから古い炉穴を廃絶し、その祭祀として土器破壊(土器送り)をしたのです。
壊れた土器が出土する炉穴の背後には新設炉穴の活用と新品土器による食物加工調理活動が実在するのです。
廃絶竪穴住居における破壊土器出土も同じです。その出土情報から(故人に関連する新家族の)新竪穴住居と新品土器を使った主食加工調理活動の実在を読み取ることができるのです。
廃絶ミナトにおける破壊土器出土も(つまり西根遺跡も)、その出土情報から新設ミナトの活用と新品土器による堅果類主食化活動の実在を読み取ることができるのです。

捉えた事象は同じも、ネガティブな印象で語るのと、ポジティブな印象で語るのでは、ほとんど正反対の仮説になります。

西根遺跡(縄文時代)学習用作業仮説として「ミナト施設送りとしての土器送り・イオマンテ」を書いてきましたが、この表題をポジティブに説明し直すと、「廃絶ミナト送りとしての土器送りによる新ミナト設置のお祝いと収穫祭」ということになります。

西根遺跡は新たにミナトが設定された(生まれた)お祝いを兼ねた収穫祭が本質ですが、表面は廃絶ミナト送りや土器送りです。

西根遺跡の土器出土状況
「印西市西根遺跡-県道船橋印西線埋蔵文化財調査報告書-」(平成17年)から引用
この破壊土器と同じ数の新品土器が集落で既に使われていた

2017年8月27日日曜日

土器破壊の意味…収穫祭 土器塚学習6

図書「千葉県の歴史 資料編 考古4 (遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)の「土器塚」の項の学習の一環として文献「阿部芳郎(2002):遺跡群と生業活動からみた縄文後期の地域社会、縄文社会を探る(学生社)」を学習しました。

1 粗製土器はアク抜きなどの食料加工道具
その中で粗製土器は食料加工の道具であることを学びました。
2017.08.25記事「低地水場の堅果類加工場 土器塚学習5」参照

これまで粗製土器で煮炊きをしていたことは漠然と知っていましたが、この図書で粗製土器が「下ごしらえ用」の土器であることに意識が向き、著者が編集している図書「考古学の挑戦」(岩波ジュニア新書)や「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県)などの関連する部分を読んでみました。

考古学の挑戦(岩波ジュニア新書)

これらの図書を読んで加曽利B式土器が集落人口を養う主食を賄うための堅果類アク抜き装置であることを知りました。
トチの実をはじめ各種ドングリをそれぞれの方法でアクを抜くときの重要なステップにおける煮沸用容器が加曽利B式土器です。
「秋に一斉に実を落とす堅果類を一度に加工して、大量にアク抜きなどの下ごしらえを行なうという集約的な食料加工」(阿部芳郎、縄文社会を探る)で使われたのが加曽利B式土器で、そのうちおおきなものは70リットルにもなります。

西根遺跡出土大型粗製加曽利B式土器(容量69.7リットル)千葉県教育委員会所蔵
・第4集中地点
・壺A3
・口径35.7㎝、底径8.8㎝、器高74.1㎝、重量12.2㎏、容量69.7l
・残存度90%
・被熱、底面外面下端が摩滅

2 粗製土器破壊の意味…収穫祭
1の学習をしていて、突然自分の思考が変化しました。得た各種知識を自分なりに統合した瞬間があったということです。
思考の変化は一挙に全体的に生まれたのですが、それを文章にすると長くなるでしょうから、箇条書きにして記録します。

・粗製土器を使ってトチの実など堅果類をアク抜きして食料をつくることは、それで主食を生み出すのだから、縄文人が生きてゆきさらに繁栄するためには最重要活動であった。
・トチの実などの収穫はやさしいことであったが、アク抜き技術は当時のハイテク技術であり、専門的活動であった。
・アク抜き技術というハイテク技術(ソフト技術)は粗製土器づくり(ハード技術)と結びついた専門的な技術であった。
・収穫した多量のトチの実などのアク抜きによる食糧化は労働集約的であり、一族郎党が集団で取り組んだ。(狭い意味での集落を越えて広域的な労働作業だった。)
・アク抜き技術(ソフトと土器づくり)と一時的労働集約活動を担ったのは一族郎党のリーダー(頭領)であった。主要集落のリーダーがそれに該当する。
・夏から秋にかけて多量のトチの実などを収穫し、粗製土器をつかって新実によるおいしい食糧を食べられるようになった段階で、縄文人は収穫祭を行った。
・収穫祭では壊れた粗製土器にそれまでの効用を感謝してそれを破壊し土器の精霊を解放した(土器を送った)。
・破壊した土器は祭場近くに積み上げた。(土器塚)
・収穫祭ではご馳走の獣肉などもふるまわれた。(獣骨出土…西根遺跡)
・収穫祭会場や土器塚には祭壇(イナウ)が設けられていた。(イナウ出土…西根遺跡)
・収穫祭は一族郎党リーダーが取り仕切り、一族郎党が参加した。(主要集落で収穫祭が行われ、周辺集落からも参加した)

このように考えると土器塚や西根遺跡の土器集中の意味を自分なりに合理的に捉えることができます。
土器塚や西根遺跡土器集中は収穫祭の跡であったという思考です。
粗製土器が食糧増産ハイテク技術の一環であることから特別視され、壊れたものは丁寧に破壊された(送られた)という思考です。

土器塚や西根遺跡土器集中における破壊された土器片現物の背後には、それに代わる既に稼働している新品粗製土器の存在を見る(透視する)ことができます。新品粗製土器で多量のトチの実などをアク抜きして食料増産している集落の姿も見る(透視する)ことができます。

破壊された土器片の大量出土が主食確保収穫祭の跡であると考えると、土器塚の解釈は土器塚が集落にあるのでそれで出来そうです。
一方、西根遺跡では集落から離れているのでその解釈は単純ではありません。
西根遺跡ではこれまでミナト廃絶祭祀、翡翠入手と関連付けて考えてきていますが、土器破壊が収穫祭-ミナト廃絶-翡翠入手というストーリーになるか、じっくり検討します。

土器塚はローカルな収穫祭跡、西根遺跡は印旛浦広域の収穫祭跡という収穫祭の階層性も検討視野に入ります。


2017年8月18日金曜日

土器を壊すことにより土器を送る 縄文時代西根遺跡と土器塚

土器塚学習に入る前に、西根遺跡で強く仮説している「土器破壊」についてまとめておきます。
西根遺跡も周辺土器塚も土器破壊によって土器を送っていたと考えます。

1 西根遺跡出土土器の割れ方
2017.07.12記事「西根遺跡の土器壊れ方観察」、2017.07.13記事「西根遺跡の土器の壊れ方観察2」で書いたとおり西根遺跡出土土器で観察したものは破片の様子から全て人為的に壊していると結論づけることができます。

観察例

観察例

上記記事では、一部が欠けたりして使えなくなった機能喪失土器(まだバラバラになっていない土器の姿を残している廃用土器)が西根遺跡にもちこまれて、破壊されたと考えて、次のような考察を行いました。

5点の土器は残存度の割りに土器破片が小さく、土器破片に元の姿を想起させるような大判のものがありません。
この壊れ方から、全てほぼ完形に近い土器を人為的に破壊して元の形が思い出せないようにしたものであると考えます。
元の姿に決して戻れないレベルまで壊すことによって、土器送りを行ったものと考えます。
西根遺跡の土器は全てほぼ完形に近い姿で持ち込まれ、祭祀の場で人為的に徹底して壊されたと考えます。
・西根遺跡の土器は残存度の高いものが多いことから、完形に近い姿で持ち込まれたと考えます。
・西根遺跡の土器の壊れ方が進んでいること(細片になっていること)と破片出土状況(破片が散逸していない状況)から自然的要因(流水や地象)による破壊は考える必要がないと考えます。

3つの土器ともに土器の完形姿を残すような大型片はなく、破片の集合から元の形を想起することが困難です。
このように、完形姿に近い土器を出土場所で徹底的に壊した理由は土器が何らかの機能を残して再利用される可能性を完全に排除する意思が働いたからだと考えられます。
土器の残片の中にカーブした部分や輪や凹んだ部分が残れば、モノを入れたり、モノを覆ったりする機能が残ってしまいます。リサイクル品としての機能が残ってしまいます。
それでは土器を完全に送ることができないという心理が働いたのだと思います。
土器を完全に送るため、自分の心と齟齬が生れない丁寧な送りをするために、土器を徹底して壊したのだと考えます。

2 西根遺跡の「土器片大きさと土器密集度の逆相関」
西根遺跡では土器が密集する場所(大型土器が多く、獣骨が分布する祭祀中心地)ほど土器片の大きさが小さくなっています。
2017.06.25記事「西根遺跡に持ち込まれた土器は全て破壊されたか」参照

1m×1mグリッドあたり土器重量と1破片あたり重量

祭祀が熱心に行われた場所ほど土器破壊が熱心だったことがデータとして明らかになりました。

(注 発掘時における土器破壊の可能性
上記データがあまりにもドラスティックなので、発掘現場をしらないため私は重機の影響等の存在を疑い関係者にお伺いしたところ、発掘では重機は使用せず、発掘作業で土器が破壊されたような状況は無いと教えていただきました。)

3 アイヌ「物神の霊送り」と土器破壊の通底性
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版会)ではアイヌ儀礼における「物神の霊送り」でつぎのように記述しています。
その他の細々とした道具類も、使用に耐えなくなる、あるいは役割を終えると霊送りを行う。その際、どこかに傷をつけることで、霊魂が抜け出して神界へ戻ることができるという。
アイヌのこのような思考と西根遺跡土器破壊で想定した思考は原始時代に遡る思考という点で通底していると考えます。

4 土器を壊すことにより土器を送る
上記1、2のデータと3の情報から西根遺跡の土器は全て現場で破壊されたものと考えます。
土器塚も同じ状況であると想定して土器塚学習を始めます。

……………………………………………………………………
5 参考 西根遺跡発掘調査報告書における土器破壊記述
西根遺跡発掘調査報告書ではつぎのような記述があります。
「ただし、打ち欠いて廃棄している例が若干みられ、…」

次の2つの理由からこのような控えめな記述になったと考えます。
1 現場発掘担当者、土器復元担当者、報告書執筆担当者が異なることによる
現場発掘担当者、土器復元担当者、報告書執筆担当者が同一人であれば土器が全て人為的に破壊された可能性を感じると思います。
2 流水営力イメージの誤解
報告書執筆担当者が縄文時代後期の戸神川地形環境(海の河口部)についての情報を所持していれば、流水営力による土器破壊や移動は極めて限定されることから、土器の人為的破壊に意識が向いたと考えます。
発掘関係者は現在戸神川の流水を誤ってそのままイメージしてしまうととともに、その流水営力についてもあまりにも過大に想像してしまったのだと考えます。

2017年7月13日木曜日

西根遺跡の土器の壊れ方観察2

西根遺跡出土縄文時代土器(加曽利B式土器)の壊れ方観察を2017.07.12記事「西根遺跡の土器壊れ方観察」に引き続き行います。
この記事では特大土器を観察します。

1 第122図361番土器
・第4集中地点
・深鉢E2
・口径37.0㎝、底径11.3㎝、器高62.5㎝、容量36.9l
・残存度80%
・被熱

第122図361番土器外観1
千葉県教育委員会所蔵

第122図361番土器外観2
千葉県教育委員会所蔵

●観察結果
残存度80%にもかかわらず、破片は小さく土器の姿を想起させるほどの大判破片は存在しません。
完形姿に近い機能喪失土器を苦労して持ち込み、出土場所で人為的に壊したものと考えられます。

2 第133図437番土器
・第4集中地点
・壺A3
・口径35.7㎝、底径8.8㎝、器高74.1㎝、重量12.2㎏、容量69.7l
・残存度90%
・被熱、底面外面下端が摩滅

第133図437番土器外観1
千葉県教育委員会所蔵

第133図437番土器外観2
千葉県教育委員会所蔵

●観察結果
残存度90%にもかかわらず、破片は小さいものが多く土器の姿を想起させるほどの大判破片は存在しません。
完形姿に近い機能喪失土器を苦労して持ち込み、出土場所で人為的に壊したものと考えられます。

3 第144図491番土器
・第4集中地点
・深鉢B2a
・口径38.0㎝、底径9.1㎝、器高54.0㎝、容量35.3l
・残存度50%
・被熱

第144図491番土器外観1
千葉県教育委員会所蔵

第144図491番土器外観2
千葉県教育委員会所蔵

●観察結果
残存度50%。破片は小さいものが多く土器の姿を想起させるほどの大判破片は存在しません。
完形姿に近い機能喪失土器を苦労して持ち込み、出土場所で人為的に壊したものと考えられます。

4 考察
3つの土器ともに土器の完形姿を残すような大型片はなく、破片の集合から元の形を想起することが困難です。

このように、完形姿に近い土器を出土場所で徹底的に壊した理由は土器が何らかの機能を残して再利用される可能性を完全に排除する意思が働いたからだと考えられます。

土器の残片の中にカーブした部分や輪や凹んだ部分が残れば、モノを入れたり、モノを覆ったりする機能が残ってしまいます。リサイクル品としての機能が残ってしまいます。
それでは土器を完全に送ることができないという心理が働いたのだと思います。

土器を完全に送るため、自分の心と齟齬が生れない丁寧な送りをするために、土器を徹底して壊したのだと考えます。