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2011年6月4日土曜日

花見川の語源7 アイヌ語源説の取り下げ

8ハナワ
8-1近傍の花輪の例
 千葉市中央区にも花輪町があることを最近知りました。「絵で見る図で読む千葉市図誌上」(千葉市発行)によれば、江戸時代には小花輪村と呼ばれていて、その後蘇我町大字小花輪となり、蘇我町が千葉市に合併したときに花輪町となったと書いてあります。また町名の由来として、「江戸時代には『小花輪村』とある。地形的に小さな台地の突出部に集落が位置したところから呼ばれたと推定される。」と記述されています。

8-2ハナワの意味
 ハナワの意味が「山のさし出たる所。また、土の高く盛り上がった小高い所。高地。」(日本国語大辞典、小学館)であることは問題ないと思います。
 検見川の花輪、千葉市中央区の小花輪、船橋の花輪(インターチェンジ)全てが台地突出部の地形名称としてハナワ由来の地名だと思います。

8-3ハナワの語源
 ハナワがなぜ「山のさし出たる所。また、土の高く盛り上がった小高い所。高地。」を意味するのか、日本国語大辞典第16巻(小学館)に語源説が掲載されていますので、転載します。

はなわ【塙】語源説
(1)ハナノハ(山觜端)の義か〔大言海〕
(2)ハニハ(埴輪)の義。高地の中段からは必ず埴が出ることから〔新編常陸国誌-方言=中山信名〕
(3)アイヌ語で上の平らな丘の意のパナワから〔雪国の春=柳田國男〕
(4)ハニフの転か〔俚言集覧〕
(5)山の鼻を廻る所の意で、ハナワ(鼻廻)の義か〔東雅〕
(6)ハナワ(端回)の義〔松屋筆記〕
(7)山の岬のさし出た所を人の鼻になずらえたもの〔上津軽の花=菅江真澄〕

8-4柳田國男のアイヌ語起源説に対する疑問
 これまでこのブログでは次に示す柳田國男の説によりハナワの語源を説明してきました。
「このハナワなどはアイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。アイヌ語のPana-waはPena-waに対する語で、ワは「より」、パナは下、ペナは上である。パナワとはすなわち『下から』という意味である。日当たりがよく、遠見がきいて、水害を避けつつ水流水田を手近に利用しうる地勢だから、人が居住に便としたに相違ない。」

 柳田の説ではアイヌ語Pana-waからハナワが生まれたのですが、その時のハナ(Pana)は端や鼻の意味ではありません。「下から」という意味です。(ちなみに、アイヌ語で鼻はetuエトゥというそうです。)それにも関わらず、一旦うまれたハナワからハナが生まれ猪鼻や竹の花などに使われるようになったことになります。少し苦しいです。ハナは端、鼻であり、人面の重要な部分の言葉であり、それがこのような経緯で生まれた言葉であるとはにわかに信じられません。

8-5日本語としてのハナワの語源的理解
 日本語としては、ハナワ=端(鼻)+回(曲)と素直に解釈することが出来ます。

 「わ」(回・曲)を次の日本語辞書のとおり自然に解釈すればハナワの意味は問題なく理解できます。

国語大辞典(小学館)用例略
わ【回・曲】
山裾・川・海岸などのまがりくねったあたり。他の語の下に付けて用いることもある。「浦回(うらわ)」「川回(かわわ)」など。

 8-3で紹介した語源説でいえば「(6)ハナワ(端回)の義」が一番しっくりします。

8-6ハナの語源の断片的情報
 私がハナワについて、柳田國男のアイヌ語起源説に魅力を感じたのは、ハナワが縄文時代から使われてきた言葉である可能性が高くなるからです。
 しかし、8-4で検討したように、どうもアイヌ語起源説は採用できない状況に変化しました。

 狩猟社会(縄文時代)だからこそ、地形の特徴を言葉で表現して仲間同士で伝えあう必要があったのだと思います。地形判別の能力と知識が狩猟生活を送るに当たって必須であったと思います。「あそこにはまがりくねった台地の縁(=台地の突出部)がある」という縄文人の会話でハナワが用いられたと見立てます。ハナワは農耕社会(弥生時代)になって初めて生まれた言葉ではないと見立てます。

 このような問題意識でいるとき、小泉保「縄文語の発見」(本の紹介をブログ「ジオパークを学ぶ」に掲載)を読みました。この中の学説紹介事例に次のようなものがありました
村上七郎「日本語の誕生」(1979)の説の紹介
タガログ語(現在はフィリピンの公用語)の「あご」と日本語の「鼻」が同じ南方祖形(想定語)の「分岐して突き出たもの」に由来している。
 この引用は断片的情報をつまみ食い的に示したものですが、ハナが縄文語形成以前に日本列島に持ち込まれた言葉であると言語学者が論じているものであり、示唆に富んでいます。

8-7参考 縄文語に関する背景知識
 小泉保「縄文語の発見」の中では縄文語成立までの経緯について次のように論じています。

 1万2千年前の氷河期が終わったあと、南方のスンダランドに住んでいた原アジア人が北上して日本列島に移住したという仮説に立つ。そうすると、タミル語、ビルマ系、カンボジア系、インドネシア系、オーストロネシア系、アイヌ語などの言語要素が日本列島に持ち込まれ、お互いに競合するうちに傑出してきた原縄文語に吸収融和した。

 そして小泉保は原縄文語が現代の琉球諸方言、九州方言、関西方言、関東方言に連続的に繋がっていることを論理的、実証的に示しています。その中で「弥生時代に弥生語なるものがすべての縄文諸語を一掃しこれと入れ替わったと憶測する必要はない。」と強調しています。

            小泉保「縄文語の発見」より転載

8-8感想
 ハナワという言葉は縄文時代から使われてきたと、小泉保「縄文語の発見」を読んで強く確信するようになりました。知識が増えて、物事の先が見えるということはうれしいことです。
 しかし、このブログで柳田國男のアイヌ語源説を昨日まで、何回も力説してきて、今日それを取り下げるので、恥ずかしいという感情もあります。
 今現在、3割「はずかしい」、7割「うれしい」という感情配分になっています。
(花見川の語源 おわり)

追記(2011.6.5)
花見川流域に新たに「花輪」と「塙」の地名を見つけました。
畑町の花見川左岸台地に字「花輪」があります。
犢橋町の犢橋川右岸台地に字「塙名木」と字「塙下」があります。字「塙名木」は字「名木」の隣で別の史料には「塙ハ」「はなは」という記述がありますので、ここが本来の「塙」だと思います。字「塙下」はこの台地の下の犢橋川谷津の谷底平野にあります。
これで花見川流域に検見川の花輪を加えて、ハナワ地名を合計3箇所見つけました。

2011年6月2日木曜日

花見川の語源6

7ハナシマ
7-1ハナ
 ハナは柳田國男の解釈を踏襲します。(花見川の語源3花見川の語源4など参照)

 ハナの一般的意味は日本語としては端であり、物の先端部分、はじ、末端であります。

 角川古語大辞典(全5巻)の第4巻には次の説明があります。(2の説明以外用例略)
はな【端】(鼻と同根)
1物のいちばん先のほう。尖端。突端。
2突き出した地形の先端の所。丘や岬などについていう。「うしろ佃沖、新地の鼻を見せたる遠見」(盟35大切・序幕)
3並んでいる人や物の先頭。
4事柄の始まり。発端。
5階級、序列などの首位、かしら。

 このうち2の説明が地形に使ったときの意味であり、ハナシマのハナの意味をそのまま言い当てていると思います。

7-2シマ
 シマは島の意味であると思います。

 国語大辞典(小学館)では次のような説明をしています。(用例略)
しま【島・嶋】
1周囲を水で囲まれた陸地。〔後略〕
2水流に臨んでいる1のようなところ。洲(す)。
3泉水、築山などのある庭園。林泉。
4=しまだい(島台)
5集落、村落の意。
6ある一区画をなした土地。勢力範囲にある限られた地帯。界隈。
7~12略

 この説明で言えば、ハナシマのシマは1あるいは2の意味で使われたものと考えます。

7-3ハナシマと呼ばれた理由
 この台地がハナシマと呼ばれた理由とシマの印象を深めたにちがいない要因を次のように考えます。

1島状地形の存在
 花島付近の地形は次に示すように、台地が花見川の谷津と花島の谷津(小字名は「谷津」)に挟まれていてその姿を谷津の合流部付近で見ると、島のように見えます。

            花島付近の島イメージ(赤ハッチ)と谷津低地(青ハッチ)
 基図は旧版1万分の1地形図「大久保」「三角原」

 なお、現在は池の堰堤により花見川谷津から花島の谷津の存在を見ることができないので、島状地形の存在を感じることは困難です。

2水面と島状地形の対比による印象の増大
 縄文海進ピーク時にはこの花島まで東京湾の入り江となっていたと想像できます。台地奥深くに海面があり、その海面と花島の谷津の湿地に台地が挟まれて、島状の地形が特別印象的だったと思います。弥生時代になると海面の跡は湿地となり、やはり平坦な地形が台地の島状の印象を強めていたと考えます。

3地形常識に反する花島の谷津の存在
 この場所は、河川争奪によりもともと古柏井川の上流部であった花島の谷津が花見川に流れ込んでいる場所です。そのため花島の谷津は花見川の上流に向かって流れ込みます。人々の地形常識に反した地形となっています。自然地形の微細な条件を見分けて、その情報を狩猟や採取、運搬や移動、定住地選定などに活用していた人々にとって特筆すべき珍しい地形(場所)だったと思います。シマの印象が格別強くなった場所であると思います。

7-4ハナシマの場所の特別な意味
 また、このハナシマという場所には次のような特別の意味があったと考えます。

1印旛沼へ通り抜ける通路の出発点
 縄文海進ピーク時には、花島付近まで谷津は東京湾の入り江でした。弥生時代以降は湿地になっています。それより上流の谷津は途中谷津内分水嶺を経て印旛沼水系の河川に繋がります。河川争奪によりそのような不思議な水の通路が出来ていました。その通路は東京湾と印旛沼を結んでいるので、縄文時代、弥生時代の移動幹線通路になっていたと考えます。その東京湾側の出発基点がハナシマです。

2場所としての霊的環境の具備
 花島から花見川上流方向を見ると、台地の壁が立ちはだかり、そこから花見川が流れ出るような風景をしています。風景用語で川が山から平野に出る場所を「竜の口」と呼びますが、そのような風景です。河川争奪でそのような特異な風景が出来ています。また、「竜の口」を入ると、現在の柏井橋付近で右岸側、左岸側ともに支川としての谷津が合流します。その合流部では河川争奪の結果、滝あるいは急流が形成されていたと考えられます。台地の島形状、花島の谷津の合流方向異常も合わせて、このような場の特異な条件は、この場所に霊的雰囲気をもたらしていたと考えます。
 後の時代に、この霊的雰囲気を活用して行基伝承のある花島観音が創建(709年)されたと考えます。単に観音像の安置ということではなく、この付近一帯の環境を利用した修行の場として開山したのではないだろうかと想像しています。情報があれば調べたいと思っています。
 「絵で見る図で読む千葉市図誌」(千葉市発行)では、花島町の町名由来として「周囲に水をめぐらした台地上に祀られたことにちなんで称された、花島観音の山号(花島山)に由来すると伝承されている。」と記述されています。花島観音の創建が古いので、このような伝承になったのですが、ハナシマの地名とその霊的環境が最初にあり、それを利用して観音安置と行基伝承が生まれ、その時に花島山という山号もつけられたというのが正しい順番です。

            竜の口を思わせる花島から上流方向の風景

7-5地名ハナシマの年代
 しま【島】の語源として岩波古語辞典では、朝鮮語siem(島)と同源と説明しています。これが正しければ、ハナシマのハナは縄文語起源としても、シマは弥生時代以降の言葉であり、ハナシマの地名が語られるようになったのは弥生時代以降といういことになります。 

7-6花島台
 現在の花見川区花島町は花見川の右岸ですが、対岸の左岸の台地の地名が花島台となっています。旧版1万分の1地形図で確認できます。(上記地図参照)三角町の字として花島台を確認することもできます。
 「島の形状の台地」という意味でつけられた名称ハナシマが、その場所で一旦確立すると、その場所周辺一帯の台地地形もハナシマと呼ばれるようになったものと考えます。
 また、台という表現は地形面を指しています。台地面を野として利用するようになってから台という表現が必要になって使われるようになったものと推察します。従って、花島台という表現は台地面を入会地等として使うようになってから以降の地名であると考えます。この付近の開拓に花島村が係わったのかもしれません。

2011年6月1日水曜日

花見川の語源5

6イノハナ
「このハナワなどはアイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。アイヌ語のPana-waはPena-waに対する語で、ワは「より」、パナは下、ペナは上である。パナワとはすなわち『下から』という意味である。日当たりがよく、遠見がきいて、水害を避けつつ水流水田を手近に利用しうる地勢だから、人が居住に便としたに相違ない。猪鼻台などのイは、すなわちイナカのイであって、民居ある高地と解せられ得る。」(柳田國男著「地名の研究」、昭和10年、定本柳田國男集第20巻)

 この柳田國男の説明は「竹の花」の説明の中で行われています。柳田國男は全国の地名を集め、そこから語源を探っているので、「猪鼻台などのイは、すなわちイナカのイであって、民居ある高地と解せられ得る。」という説明の背後には膨大な知識と事例が控えているように感じます。

 同時に柳田國男の同書の「ヰナカ」の説明で「万葉の歌に春霞ゐの上ゆ只に路はあれど云々とある井上は堰に臨んだ山路とも見えぬことは無いが、それでは其路が近いといふことも感じにくく、…此もやはり民居の上で、…」という文章を書いています。イノウエのイとして井で考えるだけでなく、居として考えれば正解に近づくと述べています。イを民居の居である根拠として補強している文章です。

 しかし、この文章を読んで、私は逆にヒントを得て、花見川流域におけるイノハナのイは井の意味ではないかと考えるようになりました。

国語大辞典(小学館)の説明
い【井】泉や流水から、水をくみとる所。はしり井。また、地を掘下げ、地下水をたくわえて汲みとる仕掛けのもの。

 つまり、イノハナの意味は、「泉や流水から、水を汲み取れる」条件を有したハナ(端=台地)ということであると考えました。生活資源としての水のありかをしめす地形用語としての地名です。

 花見川流域におけるイノハナのイを柳田がいう居ではなく、井として考えた理由は次の2点です。

1近傍の「ハナ」地名であるハナミ、ハナシマ、ハナワが全て台地の地形・水を説明しているのに、このイノハナだけ、「いる」、「すむ」などの人の意識を地名に投影していると考えのは不自然であると考えます。イノハナもやはり、地形・水条件に起因する地形名称と考えるのが自然です。

2現在(明治9年古地図)残っている字猪の鼻の範囲は花見川谷津の谷底の極一部です。台地は含まれていません。イノハナの地名が出来たときは近傍台地を含むもっと広い範囲を指していたことばであるかどうかは現在になってはわかりません。現在分る事実は、イノハナという地名が花見川沿いの谷底平野を指していることです。このことは、イノハナのイが「泉や流水から、水を汲みとるところ」という意味であったがために、生じた現象であると解釈するのが自然です。

            字猪の鼻の範囲
基図は旧版1万分の1地形図「大久保」(大正6年測量)

            「天戸村字訳絵図 1876(明治9年)3月」(天戸村湯浅正夫家所蔵)部分

 花見川流域外に目を転じると、千葉市中央区に亥鼻1~3丁目(旧亥鼻町)の地名があります。「絵で見る図で読む千葉市図誌上巻」(千葉市発行)の71ページには亥鼻の町名由来として次の説明があります。

『本土寺過去帳』『吾妻鏡』などに「井花」「猪鼻」あるいは「湯花」などと記されている。台地の下の湧水には「お茶の水」伝説もあるが、海岸平野に突出した台地の形状から呼称されたものであろう。

この説明から、中央区のイノハナも「泉や流水から、水を汲み取れる」条件を有したハナ(端=台地)と考えることができると思います。

 なお、イノハナの「ノ」は日本語の助詞です。従って、ハナは縄文語由来であるとしても、イノハナは弥生時代以降につけられた地名であると考えます。

 イノハナは、生活資源のありかを示す当時の一般名称でしたが、それを指す土地に定着したと考えます。その後、言葉の原義は大方忘れられたけれども、地名として現在まで伝わってきているものと考えます。
(つづく)

2011年5月30日月曜日

花見川の語源4

5 ハナミ
5-1 ハナ
 ハナは柳田國男の解釈を踏襲します。
 前の記事(花見川の語源3)で引用した以外に、柳田國男は次のような文章を書いています。
「ハナワは蝦夷語のパナワの名残で、上の平らな丘のことを謂って居るらしい。」(雪国の春、昭和3年)
「『ハナ』は塙、即ち高地のことであろうが、…」(豆の葉と太陽、昭和15年)
「花輪はもとアイヌ語から出たものらしく、今の語でいふと段丘端、東国でいふ峡(はけ)通りであるが、…」(豆の葉と太陽、昭和15年)

 柳田國男はハナについて「アイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。」と言ってアイヌ語起源として説明しています。柳田國男の時代の知識ではその説の通りだと思います。しかし、正確には縄文時代の縄文人の話していた言葉ですから、このブログではハナは縄文語起源として考えることとします。

 国語大辞典(小学館)では「はな」は次の3語(【花・華・英】、【端】〔「はな(鼻)」と同源〕、【鼻】〔「はな(端)」と同源〕)掲載されています。このうち「はな【端】」の意味(物の先端の部分。はじ。末端。)が花見川のハナの意味に該当すると考えます。

国語大辞典(小学館)の記述(用例略)
はな【端】〔「はな(鼻)」と同源〕
一 端、先端の意
1 物の先端の部分。はじ。末端。
2 二つ以上並ぶものの先の方をさしていう。
3 時間的に先の方をさしていう。はじめ。最初。発端。
二 〔語素〕 略

岩波古語辞典(岩波書店)の記述(用例略)
はな【端】〔はな(鼻)と同根〕
1先端部。突端。
2でだし。先頭。

5-2 ミ
 国語大辞典(小学館)では「み」は全部で19語掲載されています。私はハナミのミは「み【水】」の意味であると考えました。

国語大辞典(小学館)の記述
み【水】水(みず)。多く他の語と熟して用いる。「いずみ(泉)」「みくさ(水草)」「みお(澪)」「みなそこ(水底)」「みなと(水門)」など。

岩波古語辞典(岩波書店)の記述(用例略)
み【水】みず。複合語として用いる。「垂(たる)水」「水草」「水漬(づ)き」「水な門(と)」など。

5-3 ハナミの意味
 台地に谷津が発達し、縄文海進で海がリヤス状に複雑に陸地に入り込み、水面と台地の対比が否が応でも意識しなければならない自然環境の中で縄文人は暮らしていました。リヤス状の海の幸を得た跡が、現在の内陸に貝塚として残っています。
 リヤス状の海を遡れば湿地になり、小川が台地から流れ込んできています。台地=端(ハナ)から水(ミ)が流れ込んでいる情景を見て、縄文人はこれをハナミと表現したのだと思います。
 鼻から垂れる鼻汁をハナミズと表現しますが、花見川のハナミはこれと同じ表現方法だったと考えます。谷津の奥深くまで海(水)が入り込み、そこに谷津の上流から小川が流れ込むという水の姿をハナミ(端水)という言葉で地名表現されたと考えます。
 小川の水は飲料水として縄文人に必須であったので、ハナミは大切な生活資源のありかを示す地名だったと思います。
 花見川はハナミズ川、端水川だと思います。

            貝塚の分布と縄文海進想像図

5-4 地名としてのハナミ探索
 ハナミは河川名としてのみ残っていますが、本来は地名ですから、どこかに地名として残っているかもしれません。歴史史料を見るとき、気にしておきたいと思います。

5-5 ハナミの検証の必要性
 ハナは縄文語起源の高地(日本語では端)の意味、ミは日本語の水の意味としてハナミを解釈しました。
 整合性がとれていません。
 ミも縄文語起源でなければなりません。その検証が必要です。ミが縄文語やアイヌ祖語などに遡るものであるのか、今後検証したいと思います。
 ハナは縄文語起源の言葉で、地名の根源語であり、ミは上代日本語起源で、ハナミという地名は弥生時代以降つけられたということかもしれません。
(つづく)

2011年5月28日土曜日

花見川の語源3

(宇那谷川流域の記事は、花見川語源の情報発信の後、継続して連載する予定です。)

1 過去記事の概要
 花見川の語源については、「花見川の語源1」、「花見川の語源2」で、要旨が次ぎの記事を書いています。

 ハナミのハナは先端の意味であると解釈しました。
 柳田國男著「地名の研究」(昭和10年)の次の説明をそのまま当てはめて考えました。

「ハナはすなわち塙(はなわ)であって、民居の後ろにのぞんだ高地なるゆえに・・・」
「ハナグリのハナはたぶん突出の意味であろう・・・」
「『落葉集』巻一に、「ハナ山、山の差出たる処を謂ふ、塙に同じ。ハナワ、塙と書けり、山の差出たる処也」とあるのは、あるいは『奥儀抄』によったのかも知れぬが、現今常陸稲敷地方で、高い地所をハナワというのは事実である(茨城県方言集覧)。所によっては花輪と書き、または半縄と書くのも多い。あるいは猪鼻または竹鼻などもあって・・・」
「このハナワなどはアイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。アイヌ語のPana-waはPena-waに対する語で、ワは「より」、パナは下、ペナは上である。パナワとはすなわち「下から」という意味である。日当たりがよく、遠見がきいて、水害を避けつつ水流水田を手近に利用しうる地勢だから、人が居住に便としたに相違ない。猪鼻台などのイは、すなわちイナカのイであって、民居ある高地と解せられ得る。」

 この柳田の説明から、花見川、花島だけでなく、花見川にかかる亥鼻橋の亥鼻も同源であると考えました。近くの船橋の花輪(花輪インターチェンジなど)も同源の例として示しました。

2 「ハナ」の新素材発見
 最近、上記考えを補強し、場合によってはさらに展開させるかもしれない素材を2つ発見しましたので、紹介します。

ア 天台地先では、花見川を亥鼻川と呼んでいること。字「猪ノ鼻」もあること。
 原著者和田茂右衛門「社寺よりみた千葉の歴史」(千葉市教育委員会発行)209ページの34花見川の項に「天戸地先では亥鼻川と呼ばれています。天戸町の旧坊辺田村地先にかけられた橋は、亥鼻橋と名付けられております。この橋名については、嘉永2年(1849)2月の御鹿狩六手鹿狩絵図には、猪鼻橋と記入してあり、これも亥鼻川から取って名づけられた橋名だと思われます。」と記述されています。

 また、幕張町誌(注)を読むと、第六章行政の土木の項に次の記載があり、天戸地先に字「猪ノ鼻」があり、地名として確認できます。

            幕張町誌の第六章行政の土木の部分
注 幕張町誌 次の添え書きがある原稿コピーを千葉市立中央図書館から帯出閲覧しました。(禁帯出本を帯出本に変更していただいた職員の方の好意に感謝します。)
「『幕張町誌』は、幕張町役場にあったものを、昭和48年に和田茂右衛門氏が借用し、それを千葉市史編纂委員会で増コピー、2001年にそれをさらにコピーして、幕張公民館図書室に備えるものとした。この資料は、千葉市中央図書館が、2008年に幕張公民館より借用し、コピー製本したものである。」

 この知識を得てから、「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」の472ページに収録されている「天戸村字訳絵図 1876(明治9年)3月」(天戸村湯浅正夫家所蔵)を見ると、縮尺の関係で読めなかった文字「字猪の鼻」が読めました。

            「天戸村字訳絵図 1876(明治9年)3月」(天戸村湯浅正夫家所蔵)部分
 「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)より転載
 図の左下の小さな四角いくくりの中に「字猪の鼻」と書いてあります。事前の情報がなければ縮尺の関係で読めません。

 地名「猪の鼻」、河川名「亥鼻川」が情報として、現代にまで伝わってきていることを、しっかりと確認できました。

イ 地名「花輪」、自然地形名「花輪台」の確認
 柳田國男の塙、花輪、半縄などの地名について、たまたま思い浮かんだ船橋市の花輪(インターチェンジ)を近傍の例として、これまで説明してきました。
 しかし、これは私の知識不足で、お膝元の検見川に正真正銘の「花輪」地名があることを最近知りました。
 「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)376ページの「字掘込周辺の地番割図 1934(昭和9)年4月作製1992年写」に字として「花輪」が確認できます。

            「字掘込周辺の地番割図 1934(昭和9)年4月作製1992年写」部分
            「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)より転載

 また、この台地を「花輪台」と呼んでいることを知りました。この情報は、原著者和田茂右衛門「社寺よりみた千葉の歴史」(千葉市教育委員会発行)172ページからのものです。(「この花輪台を横切っている国鉄は、…」

3 「ハナ」の原義が忘れられた後の花見川語源情報
 原著者和田茂右衛門「社寺よりみた千葉の歴史」(千葉市教育委員会発行)170ページ、209ページには、「千葉実録」(治承4年〔1180〕頃)に次のような記述があることが記載されています。
 「源頼朝が治承の昔この地を通行のさい、川の名を問われた時、千葉常胤の六男東六郎太夫胤頼が二首の和歌を差し上げて答えました。
 行く水の色もあやなる花見川 桜波よる岸の夕風
 水上の藻にや咲くらん谷川の花見にけらし峰の春風」

 縄文人が縄文海進の時代につけた地形を示す地名「ハナ」「ハナミ」の意味が忘れ去られ、輸入された外国文化としての漢字「花見」を当てはめ、美化してストーリーを作った例が上記の情報の本質だと思います。
 地名は専ら会話で使われるから、その音(この例では「ハナミ」)がしぶとく残るという、地名の継続性に感動します。

 検見川の花園町、花園1~5丁目、南花園1・2丁目の花園は「新町名設定に際し、当時の宮内三朗助役が『美しい花園のような町』になることを願い命名した」と「絵にみる図でよむ千葉市図誌下巻」(千葉市発行)375ページに記述されています。
 実は、現在の花園のその場所に字「花輪」があったのです。
 私から見ると、縄文人の「ハナワ」の「ハナ」の原義は現代人に忘れられたけれども、「花」という漢字の美しさにも支えられて、「ハナ」が「花園」として地名の中に辛くも繋がったことは、良かったと思います。「花園」命名の際に、「花輪」を残したいという土地の人々の気持ちが、当時の命名者にも届いていたのかもしれません。


4 花見川流域における「ハナ」地名、河川名
 花見川流域における「ハナ」地名、河川名を整理すると、次のようになります。
●河川名
花見川
亥鼻川
●地名(字名)
花島
猪の鼻
花輪
●地形名
花輪台

 次に、ハナミ、イノハナ、ハナシマ、ハナワの意味について探りたいと思います。
 文章が長くなりすぎるので、記事を改めます。