2011年6月4日土曜日

花見川の語源7 アイヌ語源説の取り下げ

8ハナワ
8-1近傍の花輪の例
 千葉市中央区にも花輪町があることを最近知りました。「絵で見る図で読む千葉市図誌上」(千葉市発行)によれば、江戸時代には小花輪村と呼ばれていて、その後蘇我町大字小花輪となり、蘇我町が千葉市に合併したときに花輪町となったと書いてあります。また町名の由来として、「江戸時代には『小花輪村』とある。地形的に小さな台地の突出部に集落が位置したところから呼ばれたと推定される。」と記述されています。

8-2ハナワの意味
 ハナワの意味が「山のさし出たる所。また、土の高く盛り上がった小高い所。高地。」(日本国語大辞典、小学館)であることは問題ないと思います。
 検見川の花輪、千葉市中央区の小花輪、船橋の花輪(インターチェンジ)全てが台地突出部の地形名称としてハナワ由来の地名だと思います。

8-3ハナワの語源
 ハナワがなぜ「山のさし出たる所。また、土の高く盛り上がった小高い所。高地。」を意味するのか、日本国語大辞典第16巻(小学館)に語源説が掲載されていますので、転載します。

はなわ【塙】語源説
(1)ハナノハ(山觜端)の義か〔大言海〕
(2)ハニハ(埴輪)の義。高地の中段からは必ず埴が出ることから〔新編常陸国誌-方言=中山信名〕
(3)アイヌ語で上の平らな丘の意のパナワから〔雪国の春=柳田國男〕
(4)ハニフの転か〔俚言集覧〕
(5)山の鼻を廻る所の意で、ハナワ(鼻廻)の義か〔東雅〕
(6)ハナワ(端回)の義〔松屋筆記〕
(7)山の岬のさし出た所を人の鼻になずらえたもの〔上津軽の花=菅江真澄〕

8-4柳田國男のアイヌ語起源説に対する疑問
 これまでこのブログでは次に示す柳田國男の説によりハナワの語源を説明してきました。
「このハナワなどはアイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。アイヌ語のPana-waはPena-waに対する語で、ワは「より」、パナは下、ペナは上である。パナワとはすなわち『下から』という意味である。日当たりがよく、遠見がきいて、水害を避けつつ水流水田を手近に利用しうる地勢だから、人が居住に便としたに相違ない。」

 柳田の説ではアイヌ語Pana-waからハナワが生まれたのですが、その時のハナ(Pana)は端や鼻の意味ではありません。「下から」という意味です。(ちなみに、アイヌ語で鼻はetuエトゥというそうです。)それにも関わらず、一旦うまれたハナワからハナが生まれ猪鼻や竹の花などに使われるようになったことになります。少し苦しいです。ハナは端、鼻であり、人面の重要な部分の言葉であり、それがこのような経緯で生まれた言葉であるとはにわかに信じられません。

8-5日本語としてのハナワの語源的理解
 日本語としては、ハナワ=端(鼻)+回(曲)と素直に解釈することが出来ます。

 「わ」(回・曲)を次の日本語辞書のとおり自然に解釈すればハナワの意味は問題なく理解できます。

国語大辞典(小学館)用例略
わ【回・曲】
山裾・川・海岸などのまがりくねったあたり。他の語の下に付けて用いることもある。「浦回(うらわ)」「川回(かわわ)」など。

 8-3で紹介した語源説でいえば「(6)ハナワ(端回)の義」が一番しっくりします。

8-6ハナの語源の断片的情報
 私がハナワについて、柳田國男のアイヌ語起源説に魅力を感じたのは、ハナワが縄文時代から使われてきた言葉である可能性が高くなるからです。
 しかし、8-4で検討したように、どうもアイヌ語起源説は採用できない状況に変化しました。

 狩猟社会(縄文時代)だからこそ、地形の特徴を言葉で表現して仲間同士で伝えあう必要があったのだと思います。地形判別の能力と知識が狩猟生活を送るに当たって必須であったと思います。「あそこにはまがりくねった台地の縁(=台地の突出部)がある」という縄文人の会話でハナワが用いられたと見立てます。ハナワは農耕社会(弥生時代)になって初めて生まれた言葉ではないと見立てます。

 このような問題意識でいるとき、小泉保「縄文語の発見」(本の紹介をブログ「ジオパークを学ぶ」に掲載)を読みました。この中の学説紹介事例に次のようなものがありました
村上七郎「日本語の誕生」(1979)の説の紹介
タガログ語(現在はフィリピンの公用語)の「あご」と日本語の「鼻」が同じ南方祖形(想定語)の「分岐して突き出たもの」に由来している。
 この引用は断片的情報をつまみ食い的に示したものですが、ハナが縄文語形成以前に日本列島に持ち込まれた言葉であると言語学者が論じているものであり、示唆に富んでいます。

8-7参考 縄文語に関する背景知識
 小泉保「縄文語の発見」の中では縄文語成立までの経緯について次のように論じています。

 1万2千年前の氷河期が終わったあと、南方のスンダランドに住んでいた原アジア人が北上して日本列島に移住したという仮説に立つ。そうすると、タミル語、ビルマ系、カンボジア系、インドネシア系、オーストロネシア系、アイヌ語などの言語要素が日本列島に持ち込まれ、お互いに競合するうちに傑出してきた原縄文語に吸収融和した。

 そして小泉保は原縄文語が現代の琉球諸方言、九州方言、関西方言、関東方言に連続的に繋がっていることを論理的、実証的に示しています。その中で「弥生時代に弥生語なるものがすべての縄文諸語を一掃しこれと入れ替わったと憶測する必要はない。」と強調しています。

            小泉保「縄文語の発見」より転載

8-8感想
 ハナワという言葉は縄文時代から使われてきたと、小泉保「縄文語の発見」を読んで強く確信するようになりました。知識が増えて、物事の先が見えるということはうれしいことです。
 しかし、このブログで柳田國男のアイヌ語源説を昨日まで、何回も力説してきて、今日それを取り下げるので、恥ずかしいという感情もあります。
 今現在、3割「はずかしい」、7割「うれしい」という感情配分になっています。
(花見川の語源 おわり)

追記(2011.6.5)
花見川流域に新たに「花輪」と「塙」の地名を見つけました。
畑町の花見川左岸台地に字「花輪」があります。
犢橋町の犢橋川右岸台地に字「塙名木」と字「塙下」があります。字「塙名木」は字「名木」の隣で別の史料には「塙ハ」「はなは」という記述がありますので、ここが本来の「塙」だと思います。字「塙下」はこの台地の下の犢橋川谷津の谷底平野にあります。
これで花見川流域に検見川の花輪を加えて、ハナワ地名を合計3箇所見つけました。

0 件のコメント:

コメントを投稿